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蟲毒な彼女は夜更かしのような恋がしたい  作者: 氷雨 ユータ
壱蠱 知らぬが一夜の過ち

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暗闇に潜む盲点

 深夜を超えてからを活動時間としているせいかは分からないが、たまたまその日は蒸し暑くて気分の悪い夜だったという事はないようだ。夜はいつ出ても暑いし、じっとりしているし、背中を撫でるような気味の悪さがいつまでもつき纏っている。

「……これ、慣れるとかなさそうだな」

「でも我慢するしかないよ。ああ、ワイシャツって通気性悪いんだ。肌に張り付いて、ものっそい脱ぎたい……」

「この暑さは裸になったとて変わらないと思いますよ。大丈夫。今日も無事に帰る事が出来ればまた彼の家で扇風機なりエアコンなりを楽しめば良いのです」

「…………それもそうだけど」

 神社と俺の家との距離は中々に離れている。だましだまし『あと少し』『もう少し』なんてもがいても誤魔化しきれない現実がそこにある。俺だって暑い。出来る事ならエアコンなり扇風機を担いででも歩きたい。実際そんな事は出来ないが、それくらいこの闇は人を不愉快にさせるのだ。

 そう、これは家を出る前に気が付いたが、物理的に考えて涼しい部屋から漏れた空気は涼しい。たとえその冷たさが刹那的になくなるものだったとしても、余韻くらいは感じられる。だが実際は、『外』という領分を身体が侵した途端、身体は熱を訴えた。

 自分でも、詳しく検証した訳ではない。それはまた後々やる事になるだろうが……ともかく外は、明らかに異質な空間になっている。俺の知っている夜はもっと華やかで、眠る事を知らない輝きに満ちていた。

 どんな田舎でも、明かりがついている事くらいはある。文明の進化は夜を単なる時間帯にまで引きずり下ろした。魑魅魍魎の徘徊する世界は、単なる時間の流れと呼ばれるまでに堕ちた。


 だがここは違う。ここだけは時間が止まっているかのようだ。


 ただ暗いだけの、何でもない現象が無条件に恐ろしい。


 だから暑いのに震えているなんて奇妙な状態に陥るのだ。

「……早く確かめよう。神社の中はほら、涼しくはなるみたいだし」

「……そ、そうだね。早く行った方が良いよね。行きましょう七愛。今度はバレないように」

 やる気があるのと怖いのは別の話だ。澪雨の意気込みは大したものだがそれに反して体の動きはとても鈍い。

「澪雨様」

「な、な、なななに? いっとくけど、流石に慣れたかんね? 怖いとかじゃなくて単純にこれは身体が怠いだけで!」



「視線を感じませんか?」




 怖がらせるつもりか、なんて陳腐な言葉は吐けない。この暗闇ではどんなデタラメも全てがあり得るような気がした。

「な、何? 何処から感じんの?」

「何処からかは申し上げられませんが、何か妙な……昨夜とは違う空気を感じております」

「一旦戻るか? 今日はやめとくとまでは行かなくても、少し休憩するくらいは」

 因みに俺にも妙な雰囲気とやらは分からない。二人に気を遣ったつもりだったが、それはお嬢様には逆効果だったようだ。全てが寝静まっているのを良い事に、澪雨は怖さを紛らわせるように大声を上げた。

「…………そんな風に怯えてたら、何にも出来ない! 誰が、は分からないけど、あそこに何か隠してるのは明らかじゃん!」

「それはそうですが」

「ここで退いたら、一生後悔する。怖い物が嫌なら今まで通り過ごせばいいじゃん。私……せっかく夜は自由なのに、そんなのやだよ。なんの為に護衛がいるの?」

「…………出過ぎた発言でした。全ては澪雨様のお気に召すままに」

「……俺を無視するなよ。別に俺も行くけどさ。凛の発言は気になる。それと併せてちょっと気になる事があるから、少しだけ歩かないか?」

「何が気になるの?」

「……実は今日、帰り道をついでに調べたんだ。だからちょっと、学校に行くぞ」




















 凛と歩いた帰り道。

 学校までの道のりは身体が覚えている。仮にも二年通った高校だ。忘れたら登校なんて出来ないし、ライトで照らした道は明度を上げれば元の道そのままではないか。

「…………はあ。やっぱりだ」

「何、何がどういうやっぱり?」




「昼と夜で道が変わってるんだよ」




「!」

 凛がピクンと身体を震わせたが、そう。彼女は別に方向音痴という訳ではなかったのだ。

「一応、携帯の地図も使ってはみてるんだが、やっぱり違う場所にたどり着く事がある。道が変わるっていうか、何だろうな。到着する場所がランダムっていうか」

 その証拠に、学校へ行くのに三十分もかかった。言い方は少し大袈裟になるが、この町は昼と夜とで構造が変わっているようだ。

「……じゃあ私達が大人しく戻れたのは奇跡だったのかな」

「奇跡かどうかはともかく、神社に行く前に帰るルートを把握しておこう。安全地帯も使えなきゃどうでもいい場所だ。神社に行く前に、把握しよう」

「ねえ、日方君。もしかして……気のせいならいいんだけど、七愛に肩入れしてる?」

「……」

 否定はしない。

 視線を感じた事については俺も気になっているし、この我儘なお嬢様に振り回される彼女の苦労もそれなりに分かっているつもりだ。夜に出歩くこと自体が危ないなんて百も承知。その上で慎重を重ねる事は、別に恥ずかしい事ではない。

「ほら、あれだよ。ホラー映画とかでさ、イノシシみたいに突っ込む奴は大体死ぬんだ。止められたかもしれないのにクラスメイトが死んだ、は寝覚めが悪いとかで済む話じゃない。俺は一生後悔するよ。だからまあ……そんだけ」

 俺が夜更かしの仲間に選ばれたのが偶然でも。或いは隠しているだけで別の理由があっても。


「―――プレゼント貰ったからにゃ、張り切んないとな」


 俺の行動原理には下心しかない。仮にそれが見透かされた所でやるべき事に変化はないだろう。クラスメイトに頼られたから助けた。話はそれで十分じゃないか。

「…………ふ、ふ。なーんだ。そうなんだ」

 手書きで学校から自宅までの道のりを作っていると、澪雨が明るい声を上げて、ぷいっとそっぽを向いた。

「……七愛。褒めてあげる。日方君を選んだのは正解だよ」

「……そういうのは俺に聞こえない所でやってくれると」

「ええと。これは遠回しに貴方を褒めているのだと思いまーす」

「―――普通に褒めてくれよな」

 夜更かしをするようなお嬢様にプライドも何もないだろうに。澪雨から面倒くさい雰囲気を感じつつも、頼られている現状にはあまり悪い気がしていない。夜更かしという状況がそうさせるのだろうか。

 それはまたの名を深夜テンション。澪雨と俺は何年来の友人のごとく、接する事が出来ている。それが夜に彼女と会う利点なら喜んで受けよう。学校から自宅までの道のりを、本来とは違うルートで戻ると、今度はちゃんと戻る事が出来た。同じ道を昼に通ろうとすると恐らく八百屋に到着する。

「…………検証は終わりだ。じゃあ一先ず神社の方へ行くか。今夜も明かりはついてるみたいだ……昨日みたいに道がそのままならいいんだけどな」

 道がそのままであれば、それがまだマシというだけ。状況は悪くなる一方だ。俺達にも『夜に出歩いている存在が居る』と判明したならば、それは相手にとっても同じ事。今日も今日とて神社につるされた提灯にぼんやりと光が点っている。それ自体、今日だけは罠かもしれない。 

 今度こそ侵入者を捕まえようと、誘蛾灯代わりにしているのかもしれない。

「そういえばお前、俺の家から何を持ち出したんだ?」

「キッチンタイマー。これで音を遠くで出せば引き付けられるでしょ? その間に中に入って……何を調べるの?」

「まずは昨夜日方君にのみ聞こえた『声』の正体を確かめに行きましょう。声なら、人である筈。その人から事情を聞けば、真相も自ずと分かりましょう」

 すんなりと鳥居の目の前までやってくると、最後に俺達は息を整えて―――もう一度、侵入した。絵面だけを視ればちょっとした肝試しだが、対するスリルは生半ではない。




 見つかったら、駄目だよな。



 

 ゲームは見つかって死んでも次がある。だが現実はそうもいかない。セーブもなければロードもない。リトライもなければニューゲームもない。

 だから決して、失敗しないように。

 死なないように。




 いつかこの話をして、懐かしめるように。

 


 

 

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