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併合派たちの横顔

 ロリン・アンドリュー・サーストンは、エイサ・サーストンの曾孫である。

 エイサ・サーストンは1820年、ハワイのキリスト教化の為、ハイラム・ビンガムらと共にやって来た、最も初期のカルヴァン派宣教師である。

 エイサ・サーストンはハワイ島カイルア・コナに最初の教会であるモクアイカウア教会を建てた。

 サーストンの妻・ルーシー・グッデイルもハワイに移住し、先住民の為の教育をしている。

 エイサ・サーストンの最大の功績は、ビンガムらと共に聖書をハワイ語に訳した事であろう。

 四福音書を1828年に、残りの新約聖書を1832年、旧約聖書を1839年に翻訳した。

 このサーストンの一族は、アーティストとなった者(長女)もいるが、基本的にキリスト教宣教師としてハワイに住んだ。


 エイサ・サーストンの次男(姉が3人、兄が1人)のトーマス・ガードナー・サーストンは、本国のエール大学で神学を学び、卒業後はハワイに戻って死ぬまで布教活動を続けた。

 トーマスの子のエイサ・グッデイル・サーストンと、マウイ島の宣教師の娘サラ・アンドリュースとの間に生まれたのが、ロリン・サーストンである。

 母もまた、初期の宣教師であるロリン・アンドリュースの孫で、ロリン・サーストンは筋金入りの宣教師の家系の出であった。


 トーマス・ガードナー・サーストンはハワイ王国議会の議長を務めていたが、ロリンが1歳の時に死亡している。

 ロリン・サーストンは父の死後、母の故郷であるマウイ島で生活した。

 そして1872年にオアフ大学に入学する。

 しかし、理由は不明だが卒業を前に彼は退学となる。

 彼は法律事務所の翻訳として働いた後、アメリカ本国に渡ってコロンビア大学で法律を学んだ。

 そして1881年にホノルルに戻って来た。


 1881年はカラカウア王が多額の金を使って世界一周旅行に出かけた年である。

 もうこの頃には、サーストンはハワイ王族に激しい憎悪を抱いていた。

 そして彼は、チャールズ・オーウェン・スミスと共同で法律事務所を立ち上げる。




 ウィリアム・オーウェン・スミスも1842年にハワイにやって来た宣教師の子である。

 父親は宣教師であると共に医師でもあり、チャールズも父の医療行為を手伝っていた。

 チャールズは成長し、ダニエル・ドールの宣教師学校に入学した。

 ダニエル・ドールの次男が、カラカウア王の親友で弁護士のサンフォード・ドールである。

 チャールズはその後、アメリカ本国に渡ってマサチューセッツ農学校で学んだ。

 帰国後、彼はマウイ島で保安官として働き、その後議会に進出した。

 彼がマウイ島ラハイナの裁判所で働いていた頃、黒駒勝蔵は丁度渡って来たばかりで、勢力はまだ小さかった。

 少し時期がズレていたなら、もしかしたら…………。

 そして1887年、ロリン・サーストンと法律事務所を立ち上げる。




 さらにもう一人のプロフィールを紹介する。

 サーストンとオーウェン・スミスと共に、もう1人共同経営者がいた。

 彼の名をウィリアム・アンセル・キニーと言う。

 彼の父親は1850年代にハワイにやって来て、ハワイ島ホノムで砂糖プランテーションを経営した。

 キニーはオアフ大学を卒業後、やはりアメリカ本国に渡り、ミシガン大学で法学を学んだ。

 そしてホノルルに戻り、1887年にサーストン、オーウェン・スミスと法律事務所を立ち上げる。

 キニーには人種差別的な面があった。

 彼は日本人、中国人、現地ハワイ人について

「ハワイ人には2つの道がある。

 アジア人に支配されるか、アングロ・サクソンに支配されるか、だ。

 アジア人に支配されたら、ハワイ人は優良人種にはなれないね。

 だったらアングロ・サクソンに導かれて優良人種になるが良い。

 まあ、アジア人がハワイを支配したとしても、その内我々が彼等の出身地アジアを支配するだろう」

 と馬鹿にしていた。

 また、農園主としても労働者に妥協しない性格であった。

 「併合派」の中でも武闘派になる。




 彼等に比べ、サンフォード・バラード・ドールというのは遥かに穏健派であった。

 彼の父、ダニエル・ドールも1841年にハワイに宣教師としてやって来た。

 父ダニエルは、ハイラム・ビンガムがカメハメハ2世の時代に与えられた土地に学校を作った。

 オアフ大学である。

 ここは宣教師の子弟の為の学校で、英語で教育される。

 ダニエルはこの大学の学長を務めた後、カウアイ島に移住し、そこに寄宿学校を作った。

 このダニエルの長男、サンフォードの兄のジョージ・ハサウェイ・ドールはカラカウア王の王室警備隊士を勤めた。

 一時的に親衛隊にも転属し、土方歳三の部下だった事もある。

 その後ジョージ・ハサウェイは名誉職に移ったが、

「悪魔の土方とか言われるが、彼はただ真面目なだけだよ、規律の良い宣教師のように」

 と上司を評している。

 それもあり、サンフォードは日本人を極度に恐れてはいない。

 だが、彼は兄とは違い、ハワイ王家とは親友の間柄ながら一定の距離を持っていた。

 父もそうだが、どこか冷めた目で王国を見ている。

 良くも悪くも法律家で、依頼人が何者であろうが全力を尽くす傾向と、依頼人そのものには肩入れしない傾向があった。




 他の彼等の同志として、ジェームズ・アンダーソン・キングとピーター・クッシュマン・ジョーンズを挙げよう。


 ジェームズ・アンダーソン・キングは、海運関連でハワイにやって来た。

 ハワイの海運を取り仕切っていたが、ここにライバルが現れる。

 日本から来たホンマ・カンパニーである。

 最初から顧客を多く抱えた海運業者であり、ハワイ国内の業務で圧迫された。

 さらにアメリカ本国の海運業者サミュエル・ガードナー・ワイルダーが進出し、砂糖のアメリカ本国への運搬や原油のハワイへの輸出業務は彼の手に落ちた。

 ホンマ・カンパニーとワイルダー・スチームシップ・カンパニーは業績を伸ばし、イオラニ宮殿の電線敷設はワイルダー社が、国内の運送業務は両社で分け合った。

 こうしてキングは海運関連を半分日本人に奪われたまま、政治家に転身した。

 日本人を招き入れた王家には恨みを持っている。


 ピーター・クッシュマン・ジョーンズは銀行を営んでいた。

 だがここにもホンマ・カンパニー、後に小野組という強力なライバルが現れる。

 とどめはマウイ島で巨大な金融を始めた黒駒勝蔵という男にハメられた事であった。

 投資を申し出て来た相手に、ホンマや小野や白人の競合他行と張り合っていたジョーンズは飛びつく。

 そして彼がボストンに出かけハワイを離れた時、パートナーであったジョン・D・ブリューワーが死亡した。

 黒駒はこの隙を逃さず、彼の企業や雇用主を奪い取った。

 帰国した時には、砂糖農園も共同経営の汽船会社も黒駒の手に落ちていた。

 失意の彼にチャールズ・リード・ビショップ(パウアヒ王女の夫)が声をかけ、政治家として迎え入れた。


 彼等には有色人種を排して、一発逆転を狙うとこがある。

 その為にも本国アメリカ合衆国と一つになった方が良い。




 そしてホノルル・ライフルズの軍事指導者ヴォルニー・V・アシュフォードである。

 彼はイギリス領カナダで生まれ、南北戦争時アメリカ北軍に志願して入隊した。

 南北戦争後は測量士等をしていたが、兄弟のクラレンス・W・アシュフォードに誘われてハワイに移民する。

 そこで乞われてホノルル・ライフルズの事実上の指揮官となった。

 彼は君主制を「腐敗しているものだ」と信じており、信条からも改革派に賛同している。

 階級は大佐に上がった。

 元々は騎兵の副部隊長だったが、騎兵という兵種の少ないハワイ、そして民兵であるホノルル・ライフルズでは歩兵指揮を行う。

 戊辰戦争を戦った日本人以外では、最も戦歴がある男、戊辰戦争よりも悲惨な戦争を戦い抜いた男で、油断がならない。


 あとはハワイ各地の砂糖農園主たちである。

 彼等農園主の6割は改革党に賛同しているが、2割は国王派である。

 残り2割はどちらでも良いと考えていて、その半数は日本人農園主と付き合いがあって、日本人を通じてアジア方面への販路を広げていた。




 サーストン、オーウェン・スミスはハワイを祖父たちが作り上げた立派な社会に戻そうと思った。

 キニー、キング、ジョーンズには、日本人は不気味であり、それらを招き入れた王族滅ぶべしと思っている。

 アシュフォードは王制の打倒を考えている。

 彼等は近い内の決起を同志に告げた。

 そろそろ動かねばなるまい。

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