混迷の入り口
1874年は正月は、ルナリロ王重病の為お祭りムードは無かった。
先代カメハメハ5世以来の対米対立、昨年から続いている金融恐慌の解決の為、ルナリロは職務に精励し続けた。
カメハメハ5世の王権の強い憲法を、より民主的なものに改憲しようと勉強を続けていた。
その過労からか肺結核を患い、しかも治療が遅れた、というか自身で無意味にし続けた。
仕事のし過ぎもそうだが、他人の目からもはっきり分かる深酒が、ルナリロを蝕んでいった。
ハワイといえど、11月を過ぎると肌寒くなってくる。
そんな中でかれの症状は重くなっていった、周囲の想像を超えて……。
「国王陛下の後継者指名は?」
「ありません。このまま万が一の事があったら、去年に引き続き選挙です」
巷では、既に王の次の話題が出始めていた。
それは選挙権の無い日本人社会でも同じだった。
毎年正月にはホノルルに顔を出す松平容保、定敬兄弟も揃い、久々に戊辰戦争以来の幕府側重鎮が揃った。
彼等は宴会はしていない。
代わりに榎本武揚の司令部で、会合を開いていた。
「ルナリロ王もまた未婚でしたな」
「左様」
「どうしてこの国の王族は、婚姻問題でこう揉めるのでしょう?」
ルナリロには元々、カママル王女という婚約者がいた。
カメハメハ5世、4世兄弟の妹にあたる。
彼女との結婚は、ルナリロ家の格が上がる事を嫌った兄たちに反対されたという。
さらにルナリロには結婚相手として、カラカウアの妹リリウオカラニに名も挙がった。
これもまた、カメハメハ4世によって反対された。
そのカメハメハ4世が亡くなった後、未亡人エンマ女王とルナリロの再婚という話も挙がった。
これはルナリロの方が断ったようだ。
「御家の為に、多少の不満等呑み込めば良いものを」
こういう発言をするのは、婚姻にあまり問題が無かった下級旗本や御家人とかであった。
身分にうるさい筈だが、ここには農民上がりの警察幹部だっている。
大名だった松平容保、定敬兄弟は、元々こういう会合で口数が多くないが、それ以上に迂闊な事は言わなかった。
彼等は将軍家等を見ていたが、婚儀には実に面倒事が多く、婚家からあれこれ言われる為、慎重にならざるを得ない。
特に皇女関係で、幕府は痛い目を見た。
これは皇女に問題があったのではなく、利用しようとした周囲の問題だったのだが。
「労咳か……」
土方歳三は、その病で若くして死んだ、舎弟とも盟友とも言える男の事を思い出した。
ただその男、沖田総司は発病後数年は生き永らえた。
王のように発病して数ヶ月で、死を噂されるまで悪化はしていない。
正直、新撰組屯所にいた沖田の方が国王より、清潔かつ優雅な生活をしていたとは言えない。
不潔な集団生活を、何度も松本良順先生から改めるよう忠告された程だ。
「良順先生、これはやはり体質の問題ですかね」
土方の質問に、久々にハワイ島ヒロからやって来た松本良順は頷く。
「ハワイという国の、元々いた人たち程、病に罹ると重篤化する。
健康なのは父母のいずれかが白人だった者だ。
王族には白人の血が入っている者も多いが、農民や漁民はそうではない。
だから病が流行すると、百姓たちから先に死んでいく。
私は、そもそも病に罹らないよう教えておるが、それとて限度がある」
混血問題も、旧幕臣たちの「攘夷」というものを難しくしている。
母国日本のように血に重きを置き、穢らわしい血が混ざるのを防げ!等というのは、この国では自殺行為なのかもしれない。
むしろ外国人の血が入った方が、彼等は健康な子として産まれて来る。
純潔は実にか弱く、保護しなければならない。
純潔主義ならば攘夷を叫ぶ事も簡単である。
だが混血が進むと、彼等の自己存在位置がどこにあるのか判り辛くなる。
そんな中で攘夷等と叫ぶ事の滑稽さよ。
(まあ、オランダの軍服を着て、フランスの軍艦を操り、ハワイの王族と親しくする榎本さんを頭にした俺らぁが「攘夷」なんて言ってる事自体本来おかしいのだ。
この国に来た意義を忘れない、誇りを失わない為の方便に過ぎないのだから、まあ擦り切れて使い物にならなくなるまでは「攘夷」とか言っておくか)
そう土方は内心で思っていた。
……そう遠くない時期に、方便ではなく実戦における方針となる事を、彼は予感していない。
国王不予のニュースは、旧幕臣たちと立場を逆にする日本人たち、ラハイナの黒駒一家とそこに匿われている「志士」たちにも伝わっていた。
黒駒勝蔵は取り巻きの白人たちから、平間重助は監視目的で接近した藤田五郎から聞いていた。
「流れが速いな。だからこそ面白い」
黒駒勝蔵はそう嘯く。
もっとも彼は昨年、激流の中に活路を見い出し、それに賭けて巨万の富を得ていた。
流れが速く、余人が時流に溺れる状況こそ博徒が儲ける鉄火場なのかもしれない。
「俺の出番は有りそうか? いつ藤田や土方を斬る?」
神代直人の物騒な問いに
「あるだろうな。何があってもおかしくないずら。
人斬り先生には何人か預けますんで、手足として鍛えておいておくんなせえ」
そう返した。
本当に、この先は何が起こるか読めない。
人斬りの必要な局面もあり得る。
「心得た」
と神代は喜色を浮かべて答えた。
(あの人斬りの気に入る答えを言ったんは、初めてやろうか?)
ふとそんな事を考えた勝蔵である。
「そぎゃん激流になろうもんですかのお?」
伊牟田尚平が疑問に思う。
国王の死、彼等が日本に居た時の表現で言えば「玉が変わる」と事態は確かに一変するかもしれない。
官軍と賊軍が入れ替わるなんて事も起きた。
だが、一昨年も王が死んで政権交代が起きたのだが、激流という程の変化は無かった。
確かに旧幕臣たちへの特権のようなものは剥奪されていったが、それでも大きくは変わっていない。
「伊牟田さん、今はまだ激流の中にいるんですぜ。
国王が名船頭だから、客のうちらは何事も無く席に着いていますがね。
次の国王もまた名船頭とは限らんでしょう。
次の国王次第では、この国ごと押し流されてしまうかもしれませんぜ」
確かにまだ欧州では金融恐慌が続いている。
交易国家であるハワイは、今やアメリカに頼らざるを得ない。
しかしそのアメリカとの交渉について、議会で反発もあり、国王次第では約束を反故にするかもしれない。
そうなると激怒したアメリカの報復で、国が吹っ飛ぶ可能性もある。
「そいは大事ごわはんか。どうにかする手立てはありもはんか?」
「伊牟田さん(笑)。それをどうにかしようと悪あがきするのは、元幕府の連中ずら(笑)。
あんたたちは、その幕府の連中の息の根を止め、日本人は日本の中でしか生きられないと思わせたい新政府の意向に従うまでやないですかい(笑)。
そのあんたが、この国の心配など不要ですじゃ(笑)。
逆に、この国がどうなろうが知った事か、むしろぶっ壊す方に加担すべきではないですかね」
黒駒が笑い、神代もまた笑った。
「そうじゃ。神州日本国ではなく、この国等どうなろうが知った事ではない!
我等はいまだに帝の下に居る事を拒み、幕府を残そうとするあの者たちを斬るのみであります」
黒駒は考える。
(国が無くなっても、土地が消えるわけはねえずら。
この島と、この港の利用価値は残る。
俺らはこの島に『国定忠治の赤城山』を作っているが、それだけでは足りねえかな。
いまだに『志士』ごっこをしている奴らとは別に、俺らもこの先の事を考えておかねえとな)
1月下旬、いよいよ王の容態は悪くなった。
明日をも知れない状態である。
そんな中、政治は全てアメリカ系白人の大臣たちが執り行い、空白は出来ていない。
如何にハワイ王国が白人の影響下にあるかを示している。
「それにしても、早過ぎる。今年、また選挙になるかもしれないとは……」
カラカウアが、妻のカピオラニ、親友のサンフォード・ドールを前にぼやいた。
つい先程、アメリカ系の白人たちが集団で、国王死後の選挙への出馬を要請して来たのだ。
「君がやってる人脈作りも、数年先、いや十数年先を見据えてのものだったろう?」
「そうですわ。でも、ここに至っては致し方ありません。
出馬なさるのですよね?」
「せざるを得んだろう。他に誰がいる?」
「では、もう覚悟なさい。
サンフォード、白人の支持層を固めて欲しいのですが、どうです?」
「よろしいでしょう。
デーヴィッド、君に確認しておくことがある」
「何だ?」
「ルナリロ王がアメリカと交わした約定の事だ。
議会で批准が出来ていないが、王となったら多少独断でも良い、あれを批准させられるか?」
「やってみよう」
「それでこそ白人の支持層を固められる。私は君を国王に就任させよう」
そして1874年2月3日、ハワイ王国6代目国王ルナリロ崩御。
享年39歳、在位は1年1ヶ月。
最後の命令で、ルナリロホームと名付けられる、貧しい老人のための介護施設が作られる事になった。
そして遺言は
「カメハメハ5世の作った王家の墓・ロイヤル・モザリウムになど葬られたくない。
私はなるべくハワイ人の傍に居たい、人民の近くで眠らせてくれ」
であった……。




