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オアフ島の戦い(後編) ~我は幕臣なり~

 12月25日に日付が変わった。

 その途端、ワイキキや山林に逃げていたハワイ人や、日本人ハワイ人ツインの軍がホノルルに引き返して来て、猛攻を加えた。

 アメリカ兵は驚く。

(こいつら、夕方にはもうウンザリだって顔して後退していったのと、同じ連中かよ?)

 ハワイ人は目を血走らせ、憤怒の表情で銃剣突撃して来る。

 ピストルで撃つも、効果が無い。

 彼等は心臓に弾丸を撃ち込まれても、そのまま突進して数人を殺した後に死んだ。


 単に怒りで狂戦士(バーサーカー)化したのではない。

 38口径の軍用拳銃の威力が無かったのだ。

 アメリカはこの戦争と、また別の戦争でそれを知る。

 そして強装薬(マグナム)弾使用可能な拳銃が生まれる事になるが、それは未来の話。


 既に市街戦となったが、ハワイ人部隊は少人数となっても戦意を滾らせ、アメリカ人必殺の心で攻め寄せる。

「一体何があった?

 月を見たら奴らの戦闘力は10倍になるとでも言うのか?」

「夜になると血を求めて人類をやめてしまうのか?」

「戦闘民族の血がここに来て覚醒でもしやがったか?」

「ヤバい薬でも飲みやがったか?」


 どれでも無い。

 父母の墓、戦友の墓を冒涜するという、彼等の禁忌(タブー)に触れてしまったのだ。

 日布ハーフの二代目幕臣たちへのそれだけではない。

 宗教の影響力に鈍感なアメリカ人は、幕府がポリネシア文化を大事にし、保護させたハワイ人の宗教施設、神像、シンボル等をも穢していた。




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 日本にて。

 徳川慶喜はよく日光に遊びに来るようになった。

「知っておるか? 会津公、日光の湯葉はな、神君家康公の頃から有ったというぞ。

 歴代の将軍は、東照宮に参拝の後は食うておったそうじゃ」

(この人、将軍辞めてから楽しそうだなあ……)

 東照宮宮司松平容保は呆れる。

 彼は南の島で、弟と我が子が戦争をしている事に、気が気でなかった。

「もっと売り出して名物にすれば良いのぉ」

「上様」

「おう、そなたの分まで食うてしもうた、すまぬの」

「そんな事ではありません。

 上様は気になりませぬか?

 ハワイでは弟、桑名少将がアメリカと戦っておるのですぞ」

「それならもう援軍を出したではないか、数年前に。

 アレがハマれば効くぞ」

「は??」

「そなたも東照宮の分社を出したであろうに。

 忘れたか?」

「それが何の援軍になるのでしょう?」

 慶喜は笑って説明する。


「現地人との合いの子に、お前は侍じゃ、幕臣じゃと申しても分かるものか。

 いや、日本人同士の子でも、明治の今では幕臣という意識等無くなっている。

 代が代われば、幕臣であると思う者は少なくなる一方じゃ。

 だが、父や母への孝は分かろう。

 老いた父母が眠る墓、それを踏みにじられたら、どんな人種であれ激怒しようなあ」

「では、墓を作る為に寺社を作るよう頼み回ったのですか?」

「そうじゃ。

 それに、儂は京都におって千代田城に将軍としてはほとんど住まなんだが、将軍家の外出と言えば専ら寺や神社への参詣じゃぞ」

「何と?」

「大猷院様(家光)のように大名屋敷、有徳院様(吉宗)のように鷹狩りというのもあったが、将軍というは窮屈なもので、お城から出る事等ほとんど無い。

 だから供養や参詣で無いと城からは出られぬ。

 大奥の者どももそうじゃったかの、寺という芝居小屋に参詣していたようじゃが。

 余はそれもあって、将軍になどなりとうなかった」

「今更言われましても……」

「そう、今更じゃの。

 鎌倉の頼朝公の頃から、将軍は寺と切っても切れぬ関わりじゃったからな」

「はあ……」

「将軍自らは東照宮や寛永寺、増上寺等だけじゃが、旗本御家人は檀家として寺を支える。

 寺社奉行を通じ、統制をしておるが、一方で困らんようにもしておるのじゃ。

 それが余の実家の水戸等では不満じゃったようだが。

 僅か2、3年であろうが、幕府が寺社を保護しておったなら、こういう時に定敬(ていけい)への忠義の心も湧こうぞ」

「だからキリスト教の教会ではいかんと」

「そうじゃ。

 改宗した父母が眠る教会を、キリスト教徒の敵が保護したなら、御家人の子らはアメリカに靡いたかもしれぬの」

「なるほど」

「しかし、忠の元となるは孝じゃ。

 親に孝ならざる者が主君に忠なる等思いも寄らぬ。

 子が親を敬い、主君がその親を大事に扱うなら、いずれ自ずと将軍家への忠も生まれようぞ。

 古代において主従、忠義が生まれた時はこのようであったかも知れぬのお」

 そう言って慶喜はくぐもった声で笑った。

 容保は相変わらず底が見えない前将軍に恐れを抱く。

「まあ、会津殿がそこまで子や弟を心配しているなら、よく覚えて置こう。

 機会が有れば会津殿にも協力していただく故、楽しみにしておられるが良い」

 容保は言ってはならない人に余計な事を言ってしまったか、と思い冷や汗が流れる。

 容保は弟の為、家臣の為に一肌脱ぐつもりでは有ったが、この一言でまた慶喜に引っ張り回される事になろうとは、予想もしていなかった。




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 狂奔の宴は続く。

 狩る者だと思った者が一転、狩られる側に落ちると弱い。

 各地で少数同士の、凄惨な殺し合いが繰り広げられた。

 そこに秩序を持った軍が出て来たら、勝負は一気に決する。


「若い者が猛っておるのお。

 死ぬのは我等からで良いと言うのに」

「やれやれ、五十近くになると息切れがして情けない。

 昔はもっと動けたのにな」

「その分、朝早く目が覚めるようになっただろ!

 さあ、行くぞ、爺の朝駆けじゃ!」

「最後の一戦にと取っておいた体力を、こんな風に使うとはなあ……。

 アメリカも攻めて来ないとは情けない」

 歳取ったせいか、ブツブツ言う事が多くなったが、相変わらず目は狂気に満ちている。

「歩兵第一大隊、出撃!」

「第二大隊押し出すぞ!」

「第三大隊、我に続け!」

「第四大隊、死ぬるはここぞ!」

 体力を回復させた予備役兵士たちは、隊形を維持しながら戦線に復帰した。




”12月24日の戦闘は、セオリー通りの戦いであった。

 数が多い方が数が少ない方を圧する。

 白色人種が有色人種に優越する。

 いつも見て来た戦場の風景だった。

 しかし、田舎者が死者を冒涜する振る舞いを見せたその晩から逆転した。

 数が少ない方が多い方を叩きのめす。

 有色人種が白色人種を蹴散らす。

 そこにナポレオン1世の老親衛隊を彷彿とさせる部隊が参戦した。

 アメリカは敗れた。

 戦場は何がきっかけで形勢が逆転するか分からない。

 アメリカも、あの礼儀知らずな行為が無ければ、そのまま勝ち切ったかもしれない。

 戦場に遭っても騎士道精神は重要であろう。”

…………フランス人観戦武官の報告書より


 幕府軍は真珠湾まで追撃を行った。

 というより、もう制止出来なかった。

 徳川定敬は後に語る。

「余は金扇の馬印を倒さぬよう、イオラニ宮殿前面の本陣から動かなかっただけである。

 クヒオ王子もイオラニ宮殿を守っていただけだ。

 我等に合戦に口を挟む事は出来ない。

 否、やってはならぬものがあの時は在った」


 真珠湾での戦いは、25日から27日まで続いた。

 犠牲も大きかったが、ハワイ人たちの怒りは収まらない。

 犠牲を顧みぬ強襲を繰り返し、ついに軍港中核に突入する。

 ここに突入した部隊は全滅したが、それまでに一帯に火を放ち、火薬を爆発させ、補給と整備機能を奪った。


 デューイ提督は「オレゴン」と共にヒロ港に戻っている。

 残された艦長たちは、可能な限りの兵を輸送船に載せてヒロに撤退させる、その為の支援を行う事で一致した。

 彼等は水雷防御網を展開し、速射砲で押し寄せるハワイ人のカヌーを撃退しながら、主砲で陸上を撃って撤退を支援した。

 4隻の輸送船は約1万人の兵士を載せて出港する。

 巡洋艦「ボストン」と「ボルチモア」はそれを見てから自身も出港する。

 「ボルチモア」は蒸気圧を上げ、輸送船団の先頭に進み出た。

 「ボストン」は最後尾を守る。


(海防戦艦2隻はデューイ提督に叩きのめされたが、装甲帯に傷は無く、修理が終わったら出港して来る。

 奴らとの一戦も覚悟しなければならない)

 2隻の巡洋艦は前後から輸送船を守り、いざという時は自らを犠牲として船団を守るつもりであった。

 だが、結局ホノルル幕府海軍による追撃は無かった。


 12月28日、叩きのめされたアメリカ軍がヒロに帰還した。

 真珠湾は落とされた。

 兵も1千人近くが失われ、2千人程が負傷した。

 ホノルル幕府軍も同程度の損害を出したが、勝敗は死傷者の数ではなく、結果として明らかだった。

 遥か彼方で徳川慶喜が予想したように、この戦いを機にハワイ人は幕府への忠を覚え始め、寺社やポリネシアの神殿を幕府が復興する事で、更に恩を感じて幕府の為に働き出す。

 やがて彼等は自らを誇らしく「我は幕臣である」と名乗り始める事になる。


 そしてホノルル幕府には意外な効果があった。

 寺社を焼き討ちされ、墓を冒涜されたのは幕臣だけではない。

 官製移民の日系人たちも、父母や子供の墓を泥のついた靴で踏みにじられたのだ。

 あれだけ幕府を毛嫌いしていた新世代日本人たちだが、兵士になる、戦わせろ、と言って止まなかった。

 戦争はいよいよ、挙国体制でのものに変わろうとしていた。




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 フランス、パリ。

 米西戦争の停戦であるパリ条約は既に12月10日に締結されていた。

 この中に、アメリカは2,000万ドルでフィリピンをスペインから購入するという取り決めがあった。

 この条項にスペインがケチをつけ始めた。

「2,000万ドルは領土についての金額で、スペインがフィリピンに築いた建造物や水道等は別料金である。

 ついてはその金額査定の交渉を行いたい」

 アメリカ大使は馬鹿を言うな、と怒鳴る。

 一回条約締結していながら、もうすぐに反故にするのか?

 スペイン大使は

「条約は遵守します。

 しかし我々も、投資した額を取り戻さないとなりません。

 せめて交渉くらいは開いてくれますね」

 そう粘る。

 アメリカ大使は断固拒否する。

 スペイン大使は去り際、

「我々もハワイに倣ってもっと戦い続ければ良かったと思いますよ。

 アメリカは実際にはハワイも落とせぬ力しか無いようですから。

 緒戦で大打撃を受けて、錯覚してしまったようです。

 アメリカが今後も強気で居られるかどうか、よく見ておきますよ」

 そう捨て台詞を残していった。


 アメリカは、予想外の苦戦がヨーロッパ中に知られている事に歯ぎしりした。

 早くハワイ等は潰してしまわないと!

 怒りに目が曇るアメリカ大使は、スペイン大使ととある日本人が最近よく会食をしているという事実を察知出来なかった。


 こうして1898年は去ろうとしている。

 米布戦争はまだ終わらない。

この章で決着着けたかったのはありますが、アメリカ全然弱くないし、苦労してます。

まあ戦艦持って来たら、ハワイの制海権は落ちますわ。

ただ、海軍はまだ全滅した訳ではないので、1899年も戦い続けます。

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