第四次カイウイ海峡海戦 ~青年学派の限界~
その日、16歳のフランクリン少年は父ジェームズと母サラ・デラノが悲しい表情で語らっているのを見た。
話を聞くと、一族の誇りでいずれは大統領になると噂されていたセオドアおじさんがハワイで戦死したというのだ。
セオドア氏のオイスター・ベイ家は共和党支持、フランクリン少年のハイドパーク家は民主党支持と、政治的には対立があれど、両家は非常に親密であった。
フランクリン少年は、誇りでもあったセオドアおじさんを倒した連中がどのような奴らなのか、調べ始めた。
(いずれ、機会が有れば復讐してやりたい……)
フランクリン少年のみならず、アメリカ合衆国にセオドア・ルーズベルトの戦死は衝撃を与えた。
さらにこの1ヶ月でアメリカン・エリートたちが多数戦場の屍となっている。
マッキンリー政権の支持率は、米西戦争直後の急騰状態から一転急降下した。
一方でハワイとの戦争継続については、8割が賛成する事になった。
ルーズベルトの死を受けて、アメリカはやっと対ハワイ戦争方針の策定を始めた。
今までは米西戦争の返す刀で倒せる、そうナメまくっていたが、これよりは本腰を入れる。
それでも、主力がカリブ海に居るし、まだ多数の兵士がフィリピンを離れていない、動くに動けない状態なのだ。
本格的な攻勢は来年、1899年にならないと出来ない。
だがそれ以前でも打てる手はある。
西海岸にいる兵士と物資を増援でハワイ島ヒロの橋頭保に送り込んだ。
また、ルーズベルトの置き土産、彼の要請で米西戦争終結と共に回航を始めた戦艦「オレゴン」と装甲巡洋艦「ブルックリン」が12月までには到着するだろう。
ヒロの現地司令部も無駄に時間を過ごしてはいない。
2万人の援軍を得た後、危機にあると知ったカウアイ島に3千人の兵を送ろうとした。
2隻の輸送船を4隻の巡洋艦で護衛した。
船団は途中で別れ、巡洋艦隊はカイウイ海峡で幕府艦隊を足止め、輸送船はカイエイエワホ海峡からカウアイ島に向かう航路を取る。
しかし、艦隊分離前から水雷砲艦「トレント」に発見され、追跡を受ける。
艦隊は「トレント」攻撃に向かうが、輸送船団の航路は既に読まれてしまった。
デューイ艦隊は出羽艦隊と3度目の対戦をする。
しかし、内海艦隊の艦影を見ると、すぐに後退をした。
第三次カイウイ海峡海戦も、不完全燃焼に終わる。
デューイ提督としては、輸送船の帰路を護衛する必要があり、損傷を受ける訳にはいかなかった。
案の定、航路を読まれた輸送船団は、カウアイ島配備の水雷艇の攻撃を受けそうになる。
予め無理だと思ったら早期に引き返すように決めていた為、3千人の援軍は海水を飲まずに済んだ。
船団は燃料と弾薬を消費しただけでヒロ港に戻った。
そしてカウアイ島のアメリカ軍は、北斗七星の旗を掲げて攻める酒井隊の猛攻に耐え切れず、白旗を掲げた。
榎本武揚から捕虜の扱いを聞いていた酒井玄蕃は、捕らえていても食糧を分け与える必要がある為、
「捕虜が嫌な場合、不戦の宣誓をするなら帰国を許す」
という措置を取った。
トラウマを植え付けられていたエリートたちは、帰国を選択する。
意外にこれはアメリカへの好印象となった。
ルーズベルトの呼び掛けに応じたアイビーリーグの卒業生たち、つまりはエリートたち。
彼等が遠い海の彼方で死ぬ事をアメリカは好まない。
降伏後、ヒロのアメリカ現地司令部に使者を送り、輸送船を回して貰って本国に送り返した。
この時、ハワイ島戦線でも傷ついたラフ・ライダーズのエリートたちは本国に帰還となった。
こうして不名誉ながらも生還した彼等を、政府は大事にしてもう戦場に出そうとはしない。
大事な人材を送り返した酒井玄蕃は、「北斗七星の軍旗の猛将」と共に「人間味溢れる優れた将軍」という評価になる。
アメリカは改めて、今戦っている日本人を分析する。
日本人自体はアメリカも良く知っている。
本国の日本人との交友はあるからだ。
だが、時代に捨てられた筈の旧政権の日本人にこんなに痛めつけられるとは想像の外だった。
また、旧世代の野蛮な侍が、意外に礼に篤く法を心得ているのも予想外だ。
これよりアメリカでは「サムライ」研究が始まる。
酒井玄蕃らに国際法を教えた榎本武揚は、ロンドンでカイウラニ王女と再会していた。
王女は、ニュースを賑わすホノルル幕府の活躍を嬉しそうに褒め称えていた。
だが、その顔色が若干悪いように榎本には感じられた。
王女は問題無いと言う。
イギリスの朝野は、開戦時に自国の新聞記者が暴行を受けた事もあり、ハワイに同情的だと王女は言う。
「それに、我が国のような小さな国が、強力な力を見せつけて征服しようとするアメリカを何度も殴り返す様は、小気味が良いと言われます」
「ですが、イギリスもフランスもそのようにして植民地を得て来た国。
それが対アメリカではやり様を否定とは、複雑なものですな、殿下」
「もっとエレガントにやりなさいって事ですよ。
アメリカはこのヨーロッパでは田舎扱いですからね。
ペテン師が上手く騙して財を奪うなら、奪われた方が悪いと考えます。
しかし、田舎の破落戸が力任せに他人の財を奪うのは、気持ち良いものではありません。
まあそのような貴族ならではの感情がありますね」
「庶民は?」
「庶民は、威張り腐った奴が殴り返され、ノックアウトされそうなのを娯楽として楽しんでます」
「では、私たちは勝ち続けないとなりませんね?」
「え? 榎本、出来るのですか?
イギリス王室は、今のまま勝てるのはあと数ヶ月。
アメリカが油断を棄てた時、ハワイは敗れると予想してますわ。
貴方もそうならない為に渡欧されたのでしょう?」
「仰る通りです」
「王室も政府も、如何に私たちがエレガントに外交するかを見ています。
田舎臭いやり方、東洋風の威張ったやり方をしたら、彼等は手を貸してくれません。
ですが、逆に彼等の気に入る振る舞いをすれば、無償ではなくとも手は貸して貰えます」
「肝に命じます。
ですが、私の場合は多少泥臭いやり方も必要になるでしょう」
「お聞かせ下さい」
徳川定敬、クヒオ王子、リリウオカラニ女王との方針決めで、カイウラニ王女は王室や上流階級に頼み、アメリカの非を鳴らす事と、政治的や経済的な制裁を求める役割となる。
一方榎本武揚は、例えばスペインにキューバやフィリピンでの再起を促したり、イギリスに北ライン諸島の征服を持ちかける等、謀略に当たるものを担当する。
「まあ、適材適所かもしれませんわね。
お互い頑張りましょう」
そう言って握手を交わす。
榎本は、王女の手の温度が高いような気がしていた。
10月初旬にカウアイ島のアメリカ軍が降伏して以降、戦争は落ち着いた。
アメリカも幕府も、泥縄的に戦争を始めた部分がある。
アメリカは改めて軍艦の回航や再動員、物資や兵員の東部から西部への移動を行っている。
ハワイは、この年購入したての軍艦の慣熟運転や、動員した新兵の訓練終了に伴う再配置をしている。
軍艦はぶっつけ本番の戦闘で、「よくあれでまともに戦えたよ」というレベルであった。
故に内海艦隊は、実はまともに艦隊運動等していない。
外洋艦隊が敵艦隊を追い込んだ先で待ち伏せしてただけだった。
これをもう少し使えるようにしたい。
10月から11月を経て12月初旬まで、戦争はまるで終わったかのような静けさとなった。
無論、この間にも兵糧攻めをされている真珠湾のアメリカ軍は、飢えながら守り続けている。
酋長軍が時々指示を無視してヒロを海陸から攻めるが、その度に撃退されている。
そして12月1日、ついに戦艦「オレゴン」と装甲巡洋艦「ブルックリン」がヒロに入港した。
・戦艦オレゴン 10,288t、16ノット、13インチ砲4門、8インチ砲8門、6インチ砲4門
・装甲巡洋艦ブルックリン 9,215t、20ノット、8インチ砲8門、5インチ砲12門
デューイ提督は、長期使用で機関が不調となった巡洋艦「オリンピア」から戦艦「オレゴン」に将旗を移した。
そして第三次カイウイ海峡海戦で被弾した巡洋艦「チャールストン」も置いて、「ボストン」「ボルチモア」の2隻を出動させた。
戦艦1、装甲巡洋艦1、防護巡洋艦2の艦隊が4隻の輸送船に6千人の兵員を乗せて、真珠湾を目指す。
カイウイ海峡突入時、輸送船団と護衛の防護巡洋艦2隻を切り離し、2隻の1万トン級装甲艦を先行して突入させた。
出羽少将、ボイド少将共に艦隊を出動させるが、
「でかい……」
倍以上の排水量を持つ装甲艦に威圧される。
海戦はいつも通り、外洋艦隊の巡洋艦戦隊の攻撃から始まった。
アメリカ艦隊は個々に動く訳ではない為、「ブルックリン」の20ノットという高速は生かせず、16ノットの「オレゴン」に足並みを揃えざるを得ない。
しかし、幕府艦隊の砲撃は両艦の装甲帯で弾き返される。
「流石『オレゴン』、何とも無いぜ」
一方で今日は調子の良い巡洋艦「マウナロア」の機関は18ノットを出せる為、2ノットの優速だが幕府艦隊にも13インチ砲が当たらない。
デューイは「戦艦『インディアナ』級の13インチ砲と8インチ砲は干渉し合っているし、13インチ砲を撃つと8インチ砲は爆炎で操作不能となる」話を思い出した。
「全艦、13インチ砲は使用するな、8インチ砲でのみ攻撃せよ」
デューイの命令で「オレゴン」は片舷4門、「ブルックリン」は片舷6門の8インチ砲のみを使用する。
偶然にも砲のサイズを揃えた事で、水柱のサイズが似たような高さとなり、多少だが照準の調整がしやすくなった。
アメリカ艦隊の砲撃が当たり出す。
巡洋艦隊は、主要部の破壊こそ免れたが、炎上し、上部構造は破壊された。
浸水した艦もあり、ホノルル港へ撤退を始めた。
ボイド少将の内海艦隊は前方4門の砲撃の利を棄て、単縦陣に隊形を組みなして側面での砲撃を命じる。
単横陣で横1列に並べると、前を向く砲の数こそ勝るが、海防戦艦の足の遅さでは上手く艦隊運動が出来ない。
そこで艦隊運動をしやすい単縦陣に変更する。
今回の敵艦隊は、装甲が厚い上に足も速いので、もたもたする単横陣では対処出来ない。
数時間後、海防戦艦は装甲で何とか持ちこたえたが、イタリア製レンデル砲艦2隻は炎上、「カウアナカ」(カジキの意味)は港まで逃げ込んだが、もう1隻の「ライアアイ」(カマスの意味)は間もなく沈没する。
一方でアメリカ艦隊も、装甲のやや薄い「ブルックリン」が24cm砲を3発被弾し、前部8インチ砲塔が動かなくなった。
「オレゴン」にも24cm砲弾が1、28cm砲弾が1命中したが、最大厚330mmの装甲に弾かれて無事だった。
ボイド少将は最後の手段で、海防戦艦の艦載水雷艇を発進させる。
4隻の水雷艇は20ノットで「オレゴン」に迫ったが、
「当てる必要は無い、退けたらそれで十分だ」
というデューイ提督の指示の元、8インチ砲と6インチ砲が乱射され、水雷艇は肉薄に失敗した。
同様に「ブルックリン」も片舷6門の5インチ砲を連射し、水雷艇を追い払った。
「強力な武装を持つ小艦艇で戦う、装甲艦は無意味」という青年学派の艦隊構想は破綻した。
しかし、青年学派の構想を元に編制された幕府海軍の戦いは終わらない。




