米布開戦
ジョン万次郎はアメリカに滞在していた時、初等教育しか受けていない。
故に外交官としては、公式文書を読み書き出来ないという致命的欠点があった。
だがアメリカ本土の空気を知っている事は大きく、榎本武揚はアナリストとして万次郎にアメリカ分析を頼んだ。
アメリカを恐れ過ぎているという反発も受けたが、基本的に万次郎の分析は合っていた。
日本に居た時に脳出血で倒れ、麻痺が残る体でハワイに渡って来た。
温暖な気候で健康にはなったが、その分仕事も増え、結局のところ良かったのか悪かったのか。
いよいよ万次郎は床に伏す時間が増え始めた。
そんな万次郎に大目付の称号を与えたのは、ホノルル幕府幕閣の感謝の意である。
その万次郎が久々に正装で出仕して来た。
どうしても言っておきたい事がある、と。
大御所徳川定敬、征夷大将軍ジョナ・クヒオ、4人の老中、各奉行及び陸海軍部隊司令官たちが集まった。
正装のジョン万次郎が挨拶する。
「自分のような学の無い者を、学が無いなりに働ける御役と俸禄を頂き感謝しちょります。
こいは自分の最後になるアメリカ国の分析チ思うて下さい」
そう言って傍らの文箱を開ける。
中にはアメリカの新聞の切り抜きが和紙に貼り付けられていた。
そして対となる和訳も載せられている。
「まずはこいから見て下され。
こいはスペインとの戦争が始まる1年前の新聞ですき」
そこにはアメリカ婦人を裸にするスペイン警察の記事が書かれていた。
「ほお、これではアメリカもスペインに怒りを覚えただろう」
「捏造です」
万次郎とビショップが同時に声を上げる。
「捏造じゃと?」
「左様、儂も調べましたが、事実じゃありませんでした」
「なにゆえ斯様な事をする?」
ビショップが答える。
「新聞は売れれば良いのです。
事実かどうか等どうでも良いのです。
最近はそれが特に酷くなって来ました」
日本人たちが黙る中、万次郎は次の記事を取り出し、回し読みをさせる。
戦艦メーン沈没のセンセーショナルな記事であった。
「これでは戦争が起きるのお」
「御意、そして戦争が起きましたろお」
「ではそちは、アメリカとスペインの戦争は新聞が起こしたと申すか?」
「御意ですら」
幕閣たちは事態が呑み込めた。
「中浜殿、我等に関する新聞記事はあるのか?」
「ぎょうさん有りますきに、お読み下され」
文箱から残った切り抜きを貼った紙を取り出し、順番秩序関係無く手渡す。
「これは……」
ハワイの全てを否定するかのように煽り記事が書かれていた。
・リリウオカラニ女王は淫乱で男と過ごす事が楽しみで政治を顧みない
・クヒオ王子は日本人を引き連れ首狩り三昧
・日本には大奥というハーレム制度があり、大君はそこから1日出て来ない
・日本人とハワイ人は生首が好きな事で共感し、共に白人を殺している
・ハワイの白人は砂糖貴族で、アメリカの制度を逆用して巨万の富を築いている
・ハワイの白人は淫乱なポリネシア文化に浸り、日々性欲三昧の日々を送っている
等等。
「『日本人が白人を殺している』と『白人が巨万の富を築いている』は矛盾しないか?」
「読者にとって面白ければそれで良いのです」
「……アメリカ人は馬鹿なのか?」
「御意」
そう答える万次郎を、流石にビショップは睨みつけた。
ビショップは咳払いを一つすると、
「まあ、学の無い者が多いのは事実ですが、アメリカ人とて馬鹿ばかりではありません。
新領土決議が下院を通過したのと同じ1898年6月15日、アメリカ反帝国主義連盟が結成されていた。
アメリカは海外侵出するな、覇権主義に陥るな、という団体である。
加盟者の中には、先代のクリーブランド大統領もいる。
「かつてジョン・マン君は新聞に売れる情報を渡す事でハワイへの同情を買いましたが、ここまで敵対的になっているとそれは不可能です。
自分はアメリカとの和平には、この反帝国主義連盟を頼りましょう」
ビショップの提案に、万次郎も頷く。
「儂がここに来たのはそれを言う為でもありました。
ほじゃけど、それだけじゃ足りません。
アメリカ相手にゃ決してやってはいけん事がありますきに」
「それは何か?」
「先制攻撃ですら」
これにはビショップも頷き、米墨戦争について解説した。
メキシコ領だったテキサスに進出しておいて、そこが攻められると憤慨し、勝つまでは終わらない強引さがアメリカにはある。
故に決して先制攻撃をしてはならない。
反帝国主義連盟でも先制攻撃をしてしまったら弁護出来ない。
末席に居た老人が発言を求めた。
この老人は書物奉行で、徳川家の歴史に非常に詳しい。
「鳥居元忠殿が必要ですな」
「??? 何を申しておる?」
「関ヶ原の大戦の前に、伏見城を守り、討ち死にする代わりに神君に大義名分を与えた逸話でございます」
慶長五年、命令に従わない上杉景勝討伐に出撃した豊臣家大老徳川家康だったが、彼に従う豊臣恩顧の武将たちは今一つ乗り気で無かった。
上杉景勝は家康の一方的な命令に反発しただけで、しかも本人に直接反論したのではなく、僧侶を介して皮肉の書状を届けたに過ぎないからだ。
だが、家康の留守居役鳥居元忠が、挙兵した石田三成らによって伏見城を攻められ、討ち死にした後は事態が変わる。
豊臣家の武将たちは石田三成嫌いも多く、彼が挙兵して先制攻撃を掛けた事に憤慨した。
そして気乗りのしない上杉討伐ではなく、引き返しての石田三成成敗に切り替わった。
「アメリカとの挑発合戦はともかく、先に相手に撃たせる以上、死ぬ者が必要でございます。
斯様な事を申しましたからには、是非とも某にその任、命じて下さりませ」
「そなたは銃は撃てるのか?」
「銃はおろか、刀もまともに使えぬ半端者にございます。
それ故、合戦でお役に立てぬのを残念に思っておりました」
そこには死兵の顔があった。
「そなたの願いは聞いた。
詳しくはこれから軍議で決める故、沙汰を待つが良い」
大御所徳川定敬がそう言い、老武士は引き下がった。
幕府の方で戦争の算段をしている頃、アメリカもまた動いていた。
彼等はフィリピンでもキューバでも、現地に内通者を作って戦っている。
ハワイでは特権を持つ者より、現体制に不満を持つ没落白人が良いかもしれない。
しかし……
諜報員たちは嘆く。
「ダメだ、怖がって味方につこうとしない」
「断罪者土方だとか言うのを恐れまくっている」
「奴ら、負け癖がついてしまい、役に立たんぞ」
二十年近く血刃を振るった土方歳三と新撰組の功績がここに来て活きた。
ハワイの白人たちは、子供の頃から逆らうと恐ろしい断罪者土方の噂を聞いて育った。
土方が死んだと知ってホッとしたのも束の間、彼等に恐ろしいニュースが入る。
アメリカ本土でサンフォード・ドール、スティーブンス前大使という内戦首謀者2人が相次いで惨殺体で発見された。
断罪者は生きている……。
今井信郎や他の新撰組隊士には申し訳ないが、全ての日本刀による暗殺は、断罪者土方の仕業にされてしまっていた。
では、白人でも日本人でも無い、侵略されている立場のハワイ人を味方につけよう。
そしてここでも失敗した。
「ヒジカタ神って何だよ!?」
ハワイ人にしたら、西洋化した王家以上に、多くの生贄を捧げ続けた日本人の方にシンパシーを感じていた。
その中でも銃を使わず、刀一本で戦い続けた土方とは神そのものだった。
実際、彼の肉体は死んだかもしれないが、魂は今でも戦い続け、ドールとかスティーブンスのような輩は世界のどこに逃げても殺されたではないか。
ハワイ人は白人以上にヒジカタ神を恐れ、敬っていた。
「アメリカにとって、真珠湾一帯の制圧に意味は無い」
アメリカでの対ハワイ作戦でそう判断された。
真珠湾は既にアメリカのものとして使用している為、フィリピンでのマニラ湾、キューバでのサンチャゴと違って、ここを占領する必要は全く無い。
幕府とやらの軍事拠点はダイヤモンドヘッドという死火山にあるが、ここを落としても余り意味は無い。
「諜報員からの報告で、ハワイにいる全ての人種は、日本人の強さを恐れている。
だから日本軍そのものを野戦で破り、ハワイを覆う畏怖心を払拭しない限り、戦いは長引くだろう」
「本当に現地の協力者は得られなかったのか?」
「全くダメだったそうだ。
首を狩るという邪神を恐れて、白人も原住民も味方につかない。
だが、フィリピンやキューバと違い、ハワイは長らくアメリカの保護国だった。
地図も航路図も十分にある。
今回はそれで良しとしよう」
「地理に不案内ではないという訳だな。
後は制海権を握るだけだが」
「フィリピンにいる太平洋戦隊を使う。
スペインとの停戦が成ったら、即座にデューイ提督に命じて艦隊を差し向ける」
アメリカの方は勝つ前提だった為、やや議論が弛緩していた。
かくして両者は戦争の準備を整える。
1898年8月12日、キューバにおける戦闘終結の宣言が出される。
同日、マッキンリー大統領は世界にハワイ併合を宣言する。
即座にリリウオカラニ女王はハワイ併合の無効を世界に宣言。
女王の名において、外交官の国外退去を命じる。
宣戦布告はついに両者とも、敵に先にさせようとして出されなかった。
外交の途絶、これをもって米布戦争は開戦と見做される事になる。
いよいよアメリカ合衆国と対決になりました。
連中の太平洋政策上、避けては通れません。
ただ、フランスが後ろ盾になり、イギリス資本が観光やインフラ整備に動き、日本人が兵士としている為、二の足踏む議員も居たことでしょう。
そういう障壁ガン無視して戦争に雪崩れ込む主戦派の代表として、セオドア・ルーズベルトはあれくらいのノリと勢いにしておかないと、バランスが取れませんな。
……ルーズベルトの言動調べれば調べる程、悪の台詞が似合うなあ、と思いました。
「”死んだインディアンだけが良いインディアンである”とまでは言いませんよ。
しかし、私は10人インディアンがいたとして、その内9人まではそうじゃないかと思っています。
それと、私はあまり10人目については真剣に考える気になれませんね」
なんつーてる野郎ですから。




