サンフォード・ドールとジョン・L・スティーブンス
祖父の代から暮らしていたハワイ王国を追放されたサンフォード・ドールは、マサチューセッツ州の親類の家に身を寄せていた。
殺される危険性があったイオラニ宮殿騒動、死刑にされて当然の内戦後の講和会議、いずれも叛旗を翻した相手にして親友のハワイ王カラカウアによって生命を救われてしまった。
もうサンフォード・ドールは野心を捨て、ハワイ王国から物理的にも心理的にも距離を置く筈であった。
ある男が訪れるまでは。
その日、サンフォード・ドールは自身の生活の為、法律事務所を立ち上げるべく、事務所を探しに出かけていた。
帰宅した時、後に巨大フルーツ食品会社を作ることになる従兄弟より来客を知らされる。
「初めまして、ミスター・ドール。
私はジョン・L・スティーブンスと言います。
今は在ノルウェー・アメリカ全権大使を務めております」
スティーブンスは現職のクリーブランド大統領当選に貢献し、その功績から様々な国の公使や大使を歴任していた。
現在はノルウェー大使となっているが、次の任地としてハワイ王国を希望していると言う。
「なる程、それで私に会いに来たのですか。
どれ程の事が出来るか分かりませんが、知っている事は全て話しましょう」
しかしスティーブンスは情報収集に来たのではなかった。
「『拡張は天命である』、私はこれを心に置いて仕事しています」
「ええ、合衆国の領土拡大は天の命じたる使命であり、天命ですね」
「合衆国は既に太平洋岸に達しました。
次は海の彼方に領土を得なければなりません」
「ミスター・スティーブンス、貴方は私に何を求めるのですか?
ハワイ王国の占領の仕方ですか?」
「その通りです」
ドールはため息をつく。
「私は失敗した人間です。
そんな人間に何を聞くのですか?」
「断罪者土方……」
ドールはビクッとする。
土方歳三は既に死んだ。
死んだ、のだがその名を聞くとドールの心に恐怖が蘇る。
たった1人でイオラニ宮殿でのクーデターを阻止した男……。
ドールは、サーストンの首が貫かれ、オーウェン・スミスは真正面から背後に刀が突き抜け、血の噴水を上げて死んだシーンを思い出し、たまらず嘔吐した。
「どうしました?」
「その男の名を私は聞きたくない。
ようやく夢に見なくなったのだ……」
スティーブンスはドールが落ち着くのを待ち、話を続けた。
「イオラニ宮殿では、『その男』さえ居なければ君たちの思い通りになったのだろう?
それに君たちの私兵、ホノルル・ライフルズは黄色い猿どもの軍隊を押し留めたのだろう?
やり方を変えれば、次は上手くいくさ。
第一、もう君の悪夢の根源はもうこの世に居ないのだし」
ドールは考える。
「あの男」が居なければ、ハワイアン・リーグは国王を脅迫して新憲法をそのまま呑ませ、日本人の軍隊の進軍の法的根拠を奪い、クーデターを成功させられた。
「あの男」はもうこの世に居ない。
「あの男」無しの日本人はそう怖くは無い。
日本人の首魁である榎本武揚という男はアメリカを恐れ、態度も及び腰である。
「あの男」無しなら確かに上手くいくかもしれない。
だが……。
「ミスター・スティーブンス、確かに君の言う通りだ。
次はきっと上手くいくだろう。
だが、私は今は協力出来ない」
「何故ですか?」
「私はカラカウア王によって二度、生命を救われたのだ。
カラカウアは……デーヴィッドは家族ぐるみで私の親友だったのだ。
それなのに、また王国打倒に手を貸すとなると、私は途轍も無い恩知らずの恥知らずになる。
デーヴィッドが生きている内は、私は陰謀に加担出来ない」
スティーブンスは何か言って説得しようとしたが、無理強いしても仕方ないと思い、一旦保留とした。
「OK、そういう事でしたら無理にとは言いません。
カラカウア王が亡くなるのを待つとします。
その時は合衆国の為、是非協力して下さい」
「フッ……、デーヴィッドが死んだ後か。
私はその時何歳になっているだろう?
だが、約束しよう。
デーヴィッドが死んだら、またハワイ王国を合衆国に併合すべく協力しよう」
「ありがとう。
待っています」
スティーブンスが去った後、ドールは自らが酒を欲しているのに気づく。
野心に震える心、親友を再度裏切る事になる背徳感、一方で失敗の屈辱を返上し成功の快感を得られるかもしれない高揚感、日本人への復讐心、そして復讐しようと思う度に蘇る断罪者の黒き影と銀色の刃……、それらをアルコールで何処かに流してしまいたかった。
(次に失敗したら、もう私は完全な悪だな)
前回の蜂起には、彼等なりの正義が有った。
民主主義から外れた王、身の程知らずにも海外進出を目指した王、余りにも無駄遣いの過ぎるお祭り政治の王、キリスト教を逸脱し始めた王、この王を「親友だから諫め、国を正しい形に戻す」という、ハワイ国籍も持つ者としての正義があった。
アメリカ併合も、人口減少で国を守れないと思い、いっそアメリカに領土を捧げようかと嘆いたカメハメハ3世の遺志という部分もあった。
だが、スティーブンスの言うハワイ併合は、アメリカの都合でしかない。
「アメリカ合衆国の拡大は天の与えた使命」と言っても、それはハワイ王国とは無関係である。
だが、前回戦った日本に奪われたり、日本の背後に居るフランスに奪われるより、我が合衆国が奪った方が良かろう、ドールはそう自分を誤魔化した。
スティーブンスは一時帰国のこの時期に、海軍省を訪れ、太平洋方面の配備状況について聞き取りをしていた。
スティーブンスは決して、領土拡大を正当化する「マニフェスト・ディスティニー」を盲信してハワイを甘く見てはいなかった。
太平洋方面の海軍が弱体な為、いざと言う時に援軍も出せない。
ハワイ王国を守護する日本人の部隊は、アメリカ軍人が指揮した民兵部隊と互角だったそうだ。
敗北は軍事教育を受けていない指揮官のせいであろう。
ならば正規の軍隊と、軍事教育を受けた士官が居れば勝率は上がる。
その軍を輸送する船は、ハワイ王国海軍の妨害に遭うだろう。
ハワイ王国海軍を撃破するだけの海軍力が有るかどうかを確かめなければならない。
アメリカ合衆国海軍の総軍は、ハワイ海軍より圧倒的に強い。
しかしそれは大西洋やカリブ海の艦隊あっての話だ。
太平洋やアジア方面に配備されているのは戦隊規模の部隊で、南北戦争期の旧式艦ばかりだった。
その旧式艦も、新海軍構想に基づく防護巡洋艦に置き換えられつつある。
既に8隻の防護巡洋艦が発注、進水、就役しつつあるが、その内太平洋に配備されるのはごく一部だろう。
アメリカ海軍では防護巡洋艦より強力な艦が現在建造中である。
初の戦艦である「USSテキサス」、排水量6千トンで12インチ砲を搭載する。
排水量7千トンで10インチ砲を搭載する装甲砲塔艦(後に装甲巡洋艦に変更)「USSメーン」も認可が下りて建造が始まった。
もしも……、確率としては極めて低いが、ハワイ問題でイギリスやフランスが干渉して来て戦艦を派遣して来た場合、「テキサス」や「メーン」の出動を乞うかもしれない。
イギリスは1万トン級装甲砲塔艦を15隻、フランスは6千から1万トン級の装甲砲塔艦を7隻保有している。
アメリカ同様太平洋方面にこの貴重な艦を回す事は考えにくいが、もしも来た時に、対抗出来る艦が有るか無いかで、随分と力の外交は変わる。
(何としても海軍の力が必要だ)
余談であるが、1888年当時、太平洋方面で装甲砲塔艦(戦艦)を保有しているのは清国だけであった。
「定遠」「鎮遠」の2隻をもって清国北洋水師はアジア・北太平洋最強の艦隊となっていた。
大日本帝国海軍は、数こそ多いがそのほとんどが防護巡洋艦である。
ロシア帝国太平洋艦隊は、アメリカ同様艦隊といえる規模ではなく、また軍港ウラジオストクにはドックが無い為、上海等を間借りして戦隊規模の軍艦を置いていた。
相対的に見れば、防護巡洋艦2隻、旧式ながら装甲艦1隻を持つハワイ海軍は、アジア・北太平洋方面第3位の海軍国であった。
……それだけ列強国の主力艦は大西洋にしか居なかった、アジア・太平洋方面にはろくな艦を置いていなかったという事なのだが。
なお、南太平洋には硝石・太平洋戦争に勝利したチリ海軍やイギリス植民地オーストラリア艦隊がいる。
話を戻す。
スティーブンスはまだノルウェー大使としての任期が残っている。
ハワイ公使になるのは数年先だ。
彼の計画は、彼同様「マニフェスト・ディスティニー」を奉じる国務省の上司の理解を得ている。
まだアメリカ全体の意志では無いが、成功さえすれば独断専行を問われず、国家の功労者となるだろう。
……そのように、後に太平洋を掛けて争う相手の「関東軍」と呼ばれる事になる組織ソックリな考えをしていた。
スティーブンスは、その時を楽しみに、併合計画を練っていた。
調べていたら、何気にチリ海軍強そうでした。
1889年時点で
2千トン級装甲艦2隻
3千5百トン級装甲艦1隻(ペルー海軍から鹵獲)
3千トン級防護巡洋艦1隻(後の日本海軍「和泉)」
1890年代になると
防護巡洋艦エスメラルダを日本に売却
そして2千トン級防護巡洋艦2隻
7千トン級戦艦1隻
フランスに発注。
評価に困るのは、沿岸防御に徹し、小型艦志向なとこ。
ペルー・ボリビア連合と戦った太平洋戦争みたいに、ご近所さんとしか戦わないから、遠洋攻撃力無くても問題無し。
フランス設計って事で青年学派の「遠征しないなら海防戦艦とか水雷艇という小型強武装艦艇で良い」って思想出てますな。
予算に限りはあるので、まだ十分使える艦を売って代わりを買うとか
……やってる事、榎本のハワイ海軍と一緒だ。
19世紀後半の推定人口200万人のチリと、今のところ21万人くらいのハワイで、チリの半分くらいの規模の艦隊持たせるって、無理してますなあ。
初期に持って来た艦とフランスの好意あっての無理ですが、この辺の事情は次話でも書きます。




