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会津公日本へ帰国

 黒駒勝蔵、ラハイナで暗殺される……

 この報はホノルルの榎本武揚や、近日中に渡米しようとしていたカラカウア王の元に届いた。


 榎本は困惑していた。

 黒駒勝蔵の存在がマウイ島の安定に寄与していたのは事実だからである。

 それが消滅した以上、日本のヤクザ、シチリアのマフィア、華僑、イギリス系金融業者、アメリカ系農園主等の利権が入り組んだマウイ島が群雄割拠の混乱状態になると予測される。


「まず現状から聞こう。

 一体誰が、どういう理由で黒駒勝蔵を殺したのか?」


 黒駒勝蔵を暗殺した神代直人は、駆けつけた手下たちに演説したという。

 曰く、尽忠報国を忘れ旧幕府勢力と手を組んだ。

 曰く、土方を斬らせるという自分との約束を破った。

 曰く、夷狄や毛唐と手を組んで金儲けをする等、日本人の誇りを忘れた。

 曰く、ハワイ王への忠義を第一とし帝への忠義を忘れた。

 曰く、内戦や暴動に乗らず、旧幕府勢力打倒を放棄して自己保身に走った。

 等等批判し、自分はこれから榎本武揚や大鳥圭介、今井信郎や伊庭八郎らを斬りに行くから邪魔をするなと言い放った。


 しかし黒駒の子分たちは邪魔をした。

 黒駒勝蔵は、この人斬りが幕末の頃からまるで変っていないのを見誤っていた。

 同様に神代直人も、黒駒の子分たちが自分と同じ理屈で動く生き物で無い事を見誤る。

 彼は背後から短刀(ドス)で刺され、さらにイタリア人から至近距離で弾丸を何発も撃たれて絶命する。

 そしてヤクザやマフィアは、この件に全く無関係だったのだが、神代の同志と見ている平間重助を先制攻撃で暗殺する。

 平間は「土方め、何故俺に斬られずに死んだ……」と愚痴を(こぼ)しながら酒場で飲んだくれていたのだが、いきなり入って来た者たちに無言で拳銃で撃たれて死亡。


「困ったなあ、ハワイ島から会津公が居なくなったし、王国の東側に権威の空白地帯が出来てしまった」




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 話は約1年前に遡る。

 「イオラニ宮殿騒動」に始まるハワイ内戦の顛末は、下手な捏造記事を防ぐ為に「一番リアルな情報」である真実を事細かに垂れ流したジョン万次郎の策で、アメリカの他に欧州の新聞にも記載された。

 その新聞記事は日本にも伝わる。

 意図的に英雄譚的な翻訳が為され、南国で暴れる新撰組は一躍講談の主役となった。

 元新撰組二番組長永倉新八こと、現在は杉村義衛と名乗る男には取材が殺到する。

 新撰組は一気に「幕末の血に飢えた人斬り集団」から「日本の英雄」へと名誉回復が為され、日本中に撃剣ブームが訪れた。

 それとは別に、正確に記事を翻訳し、情報を掴まねばならない者たちが居る。

 政府の役人たちである。

 特に外交を預かる者たちは、新撰組局長が「断罪者(ウリエル)土方」等と呼ばれて恐れられ、日本人そのものも「地獄よりの使者、ハワイ人の友、首狩りの男、ハワイに仇為す者は謝罪しようが許さん!」な存在と見られている事に困惑し、実害を被っていた。

 不平等条約改正交渉が一向に進まないのだ。

 野蛮な民族と交渉したくないと言われ、外交官たちは「いい加減に新撰組なんか滅んでくれないかな」と辟易していたのだった。

 そして土方歳三戦死の報がもたらされ、民間はそれはそれで悲劇の物語を作り、役人・官僚はこれで余計な風評被害から解放されると安堵した。


 そんな中、伊藤博文は帝に呼ばれる。

「伊藤、会津中将の話は聞いたか?」

「はい陛下、聞き及んでおります」

「大層難儀したそうであるな?」

「はい、居城を攻められ、大砲で撃たれるも、これを守り通したそうです」

「会津中将の苦難は、そもそもは朕の命に従った為に起きた事である」

「はい」

「朕の命は、南国にて苦しむ王の為、夷狄と戦えというものであった」

「左様に伺っております」

「会津中将はもう十分に夷狄と戦い、ハワイの王を守った、そう言えるのではないか?」

「御意にございます」

「なれば朕は、会津中将を日本に呼び戻そうと思う。

 十余年の歳月、朕の夢に発した命を、彼の者はよくぞ守り抜いた。

 崇徳院、お(もう)様も喜んでくれよう。

 もうこれ以上、彼の者に苦労はさせられぬ。

 そのように致すように」

「は…………」


 伊藤からしたら、長州最大の敵であった男が復権する為、僅かに複雑であった。

 しかし伊藤博文は長州閥の中では、藩閥意識の割と希薄な男であり、過去の事は過去の事と割り切るところがある。

 かつて大村益次郎・大久保利通・岩倉具視らが画策して、ハワイの旧幕府勢力を潰す陰謀を企てた事があったが、それも二十年近く経った今では存在意義を失った。

 最早誰も江戸時代に戻ろう等と言わず、それどころか江戸時代の記憶すら曖昧になっている。

 また伊藤は、内戦を起こした首謀者サンフォード・ドールと会談した過去がある。

 ドール氏は失脚したようだが、彼との約束を守っても良いと思う。

 つまり「ハワイに武士を送り込まない、ハワイから武士を出来るだけ引き取る」。

 伊藤は松平容保召還、会津復権を果たすべく動き始めた。




 ハワイ島ヒロにて。

 久々にホノルル家老の西郷頼母が比呂城に登城し、松平容保に拝謁した。

 そして帝よりの帰還指示について説明した。

 それに対し容保は

「いまだハワイ王国を襲う夷狄は止む事無し。

 王座、累卵の上に在るが如し。

 余は帝の命を果たしたとは思っておらぬ」

 と拒否をする。

「4年前、生前の土方殿が帝のお言葉を伝えた時、大殿はまだ戻れぬと言いました。

 その時に土方殿は

 『もしも呼び戻しの命が下りましたなら、どうか従っていただきますよう』

 と提案され、大殿もそれに頷きました。

 あれは嘘だと仰せですか?」

「嘘ではない。

 帝より息災でいる事、いずれ呼び戻すと承った事、真に嬉しく思っておる。

 なれど余は先立っての戦において、ただ城に籠っていただけじゃ。

 あれでは攘夷の戦に勝った等と言えるものではない」

「家臣の功は主君の功にございます。

 ここに居並ぶ家老衆が城を守り、山川殿が敵を討った、紛れもなく会津の勝利にございます」

 そして他の家老や若年寄たちも説得にかかる。

「西郷殿の申す通りです。

 最早若松城を明け渡した汚名も晴らせました。

 胸を張って日本に帰りましょうぞ」

「左様左様。

 大殿は18年も帝の命を奉じ続けて参りました。

 帝もそれを天晴(あっぱれ)と思し召し、此度の帰国の命令となったのでしょう。

 是非にお帰りあれ」

 しかし容保は頑なだった。

「ではその方たちは如何する?

 若い者の中にはこの地に根を張った者もあろう。

 家族を呼び寄せ、土地を耕し、豊かな暮らしを送っておる。

 中には困窮する一族へ仕送りをしておる者もあると聞く。

 功績を上げた山川とて、禄のほとんどを一族に送っておると聞いた。

 そのような生活を棄てて日本に帰るのか?」

「家臣は家臣にございます。

 大殿は帝直々の帰国の指示にございますれば、我等には構わずに帰国なされませ」

「然り、是非に西郷殿の言葉に従い下さいませ」

「大殿!」

「……いや、やはり余はそちたちを棄てては帰れぬ。

 皆の者、大儀であった、下がれ」

「大殿!」

「大殿!」

 しかし容保はそのまま奥に下がって行った。


「如何なさいます? 西郷殿」

「どうもこうも無い。

 明日もお諫め致すまでの事」

「よう言われた。

 儂も大殿をお諫め申す」

「そうじゃ、儂も帰国をお奨め致す」

「皆々様、(それがし)では力不足故、ご助力お頼み申す」


 だが翌日、松平容保の態度は変わっていた。

 帰国を承知したのだった。

 理由を聞く西郷に容保は笑いながら

「土方が諫めに来た」

 と言う。

「土方殿が?」

「うむ。

 弟の定敬と違い、軍務にも就かず、己で身を守れぬ御方は早々に日本にお立ち退き下さい、とな。

 そしてこれよりは厳しい戦いになるから、自分のような死を恐れぬ者がこの国を護る、と。

 余には、余と同様今迄十分に働いた者を引き連れ、故郷に連れ帰って欲しいと言った。

 余に『無理しなさるな』と笑いおった。

 全くもって無礼な奴よのぉ」

「夢の中の土方殿ゆえ、成敗する事も出来ませぬなあ」

「うむ。

 最早成敗も叶わぬ者の申す事じゃ、聞き届けようと思う。

 それに余は、確かにあの者と『次は帝の命に従う』と約束をしたしな」

「思い出されましたか」

「忘れてはおらぬぞ。

 ただ、あの日の事がはっきりと甦った。

 それで良かろう?

 では、日本に帰る事とする故、そのように支度をせい」

 こうして比呂松平家では、残る者、帰る者とに分かれてドタバタと準備が始まった。


 ……だが、ひょんな事から比呂松平家は存続する事となる。

 この年、1887年に松平容保の嫡男容大が、素行不良により学習院を退学となった。

 日本に残っていた旧会津藩士たちより掛けられた期待に対し、反発し、問題児となってしまったのだ。

 比呂城の容保はこれを聞き激怒、ハワイに容大を呼びつけた。

 そして

「そなたは父に代わってこの地に留まり、父に代わって夷狄と戦え。

 軍に入り、己を鍛え、性根を叩き直せ。

 そなたの叔父の下で軍人として己が使命を持ち、武士として生きるのじゃ」

 何か言おうとした容大だったが、日本とは雰囲気が違った。

 この地ではまだ、武士が武士として生きているのだ。

 腑抜けた事は言えぬ、殺伐とした空気がある。

 容大は黙って父に頭を下げ、比呂松平家二代目当主となる。




 そのような比呂松平家の事情を榎本武揚は聞いていたが、1887年11月の時点では

「会津様は御帰国なさるか。

 長年ご苦労を成されたお方だから、尤もな事だ。

 しばらくはハワイ島の重石のような存在が居なくなるが、我等の攘夷もひと段落した故、特に問題も無いだろう」

 と呑気に語ったものだった。

 あの時点では、特に不安は無かったのだ。


 正月(マカヒキ)の挨拶で代替わりと帰国をカラカウア王に報告し、許可も貰った。

 松平容大は少尉候補生として叔父の松平定敬の下で軍務に就く。

 比呂城は城代家老が治め、容大の成長を待つ。

 西郷頼母他、老臣たちは容保に従って正月(マカヒキ)明けに帰国の途に付いた。

 このまましばらくは安泰かと思っていたが、歴史はそれを許さぬようである。

 榎本は、ハワイ島もう一人の重鎮・松平定敬に会い、王国東部4島の安定を図る事になる。

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