地獄の門。
「花咲、ごめん……」
「ごめんなさい……」
私とお兄ちゃんのほとぼりが冷めて、
そう切りだしたのはその日の下校時、三人で校門に向かって歩きながらだった。
「ごめん」の中身はもちろん花咲のカミングアウトのことだ。
「いいっていいって。気にすんな」と顔の前で手を振る花咲。
「明日、明日こそやろうよぉ」
「いや、あたしもちょっと何か、もう少しタイミングみようかなって……」
「そんな……じゃあ私達はお姉ちゃんに何て報告したらいいのさ」
「いや、それは知らん」そんなことより、と花咲は言うと、
「なあ、セイラ」とお兄ちゃんに声をかけた。
「もし、セイラがよければ、男子と遊ぶ気ないか? もちろん、セイラが面倒くさくならないようにあたしが間に入るし、遊んでる内にあいつらも少しは落ち着いてくると思うしさ」
「うん……」
そう返事をするお兄ちゃんの声はイエスではない。
「花咲、三年の夏休みにさ、男子たちが大量にケガしたのって覚えてる?」
私がそう振ると、花咲は少し宙を見上げて記憶を辿るようにする。
「ああ、『地獄の門』か? 学年の三分の一に近い男子が病院通いになったっていう」
「うん。あれって何で起こったか知ってる?」
「何でって、だから悪魔の呪いだろ?」
出たよ男子脳……。
「そんな目立つ呪いがあると思う?」
「あると思うって……え、もしかして」
「もしかするんだな、これが」
話の真相はまったくもって単純阿呆極まりない。
学校裏の山の手の方に、飛びきり傾斜の厳しい名もない坂がある。
坂の終点にはフェンスで囲われた果樹園があり、
男子たちはそこを『地獄坂』と勝手に名付けて、
自転車で下っては度胸試しの場として遊んでいた。
しかし、その日は遊びでは終わらなかった。
バカ共はその場にお兄ちゃんを連れてきてしまったのだ。
何のためかは言うまでもないけど、あえて言うならば、
お兄ちゃんに「かっこいいところ」を見せるためだ。
もう生粋のアホだ。
しかもその日のお兄ちゃんのお洋服は、
白いワンピースに麦わら帽だったというのだから、さぞかし可憐に映ったことだろう。
俺色に染めたいと思ったことだろう。
それはチキンレースなんてものではなかったという。
一斉に奇声をあげて、ノンブレーキで坂の下のフェンスに次々と激突していく様は、
テレビドラマで見た戦時中の特攻隊のようだったとお兄ちゃんはのちに震えながら語った。
もちろんお兄ちゃんは何度となく制止を試みたが誰ひとり聞かず、
それどころか、「セイラの為ならオレ死ねるから」とか言ったバカもいたらしく、
これがお兄ちゃんの男子に対する大きなトラウマのひとつとなった。
最終的にフェンスは破れ、果樹園のオッサンからは学校に苦情がいくわ、
骨折する奴も出るわで大惨事となった。
そのときに男子たちが口を揃えて言ったのが、
「悪魔に呼ばれたんだ」だった。
バカだ。救いようがない。お前らなんか誰も呼ばんわ。
ただ、それでも誰一人としてお兄ちゃんの名前は出さなかったというから、そこだけは見上げたものだ。
で、そのとき果樹園のフェンスに空いた穴を一部の男子が格好つけて、
『地獄の門』と呼ぶようになったものが広まったのだ。
ああ……頭痛い。
「セイラ、お前すごいな……」
「花咲さんの目がキラキラしてる理由がわかんないよぉ……」
花咲とそんなやりとりをするお兄ちゃんを見ながら、
今こうやって何事もなかったかのように振舞えるのは花咲のおかげだなと考える。
もし花咲がいなかったら、私達の関係はもう少し湿っぽくこじれていたことだろう。
感謝している。
ちなみに、家に帰ると早速お姉ちゃんにカミングアウトイベントのことに関して訊かれたので、私は寸前になって花咲が急にヘタレたとうそをついた。
お兄ちゃんも隣で心苦しそうにそのうそを聞いていたが、今回ばかりは口をつぐんだ。
花咲、マジ感謝してる。




