矢沢
次の日の二十一時過ぎ。
細い路地を進むと、黒く塗られた木材の小さな店に施された店名が緑色に灯っていた。
絶対に、七福神全員に取材してやる。
その一心で此処まで来たが、いざ目の前にすると、緊張が走った。
一度経験しても、ぼったくられるかもしれないという不安は拭えていないらしい。
そんな悪徳なバーなど滅多にある筈がない。
いや、万が一ぼったくられる可能性もなくはない気もしてきた。
だが、大黒天がこの店にいるかもしれない。
店の前で振り子の様にジレンマを繰り返す。
そうだ、この店の口コミを見てみるか。
ズボンのポケットからスマホを取り出した時、ドアベルの音が鳴った。
「おっ、いつぞやのあんちゃん」
迷彩柄のジャケットとジーンズを纏ったその姿は、大黒天だ。
安堵と同時に、布袋に対する苛立ちを改めて覚えた。
「何、この店入りたいけどぼったくりバーかどうか不安なのか? 此処そんなんじゃねぇから、安心して入んな。ただ、此処のマスター、矢沢永吉を語り出したら滅茶苦茶なげぇから気を付けな。千手観音の手洗いかってぐらいなげぇから。じゃ、って事で」
「あっ、いえ」
僕は小声で、「大黒天さんに取材をさせて戴けないかと」と云った。
「俺? まぁ、いいけど」
「それで永ちゃんは云うわけよ。『自分で自分の事天才だと思ってないとこの商売やってけない』ってね。くぅ~、痺れるねぇ! 永ちゃんしか云えねぇよな、そんな事っ!」
「マスター、それ九十二回目だぞ」
「いや、そんなに云ってねぇよ。てか、お前じゃねぇよ、この兄ちゃんに云ったんだよ」
「いや、どっちにしろ聞きたくねぇんだよ、もう。さっきも聞いたし」
「ふふっ」と、オールバックのバーテンダーは笑う。
大黒天は再入店という事もあり、お互いにウイスキー一杯だけを飲んで退店した。
「ちょっ、あんちゃん、連絡先」
大黒天がズボンのポケットから紫のスマホを取り出した。
まさか大黒天の方から云ってくれるとは。
LINEを交換すると、画面にはゴルフ場でクラブを片手に夕日を眺める後ろ姿が映ったアイコンと、競走馬が映った背景が現れた。
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