疲労
メモ帳に記した文字をパソコンに保存された小説のデータに加える作業が、全て終わった。
脳内が達成感に満ちている。
思わず腕と背筋を伸ばす。
時刻は間もなく三時半になる頃だった。
アドレナリンが分泌されている故なのか、目が長時間パソコンのブルーライトを浴びた故なのか、眠気が全く来ない。
本棚から選んだ一冊を持ってソファーで横になり、十年程前に購入した小説に懐かしさを覚えながらページを捲っていると、思い出したかの様にふっと眠気が加わった。
「という事は、やはり昨日の方も七福神なんですね」
「ええ、そうです」
福禄寿は醬油をびちゃびちゃとくぐらせたマグロを口に運びながら云った。
「あの方を呼んで戴けませんか」
「えっ、呼ぶんですか……」
「はい。呼んで戴きたいです」
「えっ、今ですか……」
「はい。今です」
「えっ、此処にですか……」
「はい。此処です」
「いやぁー……」と云いながら福禄寿は、帆立を載せたつまの大根を箸で醤油に押し付け、口に運んだ。
「嫌なんですよねぇ。あの人と飲むと絶対雑学クイズになるんですよねぇ」
自分だってアニメの話になると長いじゃないか。
「またお逢いしたいんです。取材の為に」
「いやぁー……」
「取材したいんです」
「いやぁー……」
「お願いします」
「いやぁー……」
なるべくクイズが始まらない様に僕が仕向ける。
あの男の熱と圧の強さのあまりクイズをインタビューで遮るのが困難と見越した場合は、雑学の本にハマっていた時期がある僕が解答権を横取りする。
途中で帰りたくなったら仮病でも使って帰ってもいい。
三つの提案をすると、仮病に関しては相手が千里眼を使ったら終わりという理由で却下されたが、何とかあの男を呼んでもらえる事になった。
「えっと、柑橘系の果汁という意味のオランダ語である〝ポンス〟に、〝酢〟をあてて、ポン酢という名前になったんですよね」
「せぇかぁいっ!」
「あのっ」
「第十四問っ!」
「あのっ、すいま……」
「あっ、ちょっ、トイレ」
出題者の退席に因ってクイズが中断されると、福禄寿は咳払いをした。
「実は、魔法の言葉があるんです」
「魔法の、言葉?」
「ええ。魔法の言葉です。クイズを一発で終わらせる、魔法の言葉。何十年か前に気付いたんです」
何故、今まで教えてくれなかったのだろう。
何故、今までその魔法の言葉を云わなかったのだろう。
「その、魔法の言葉というのは」
「はい、じゃあ、第十四問っ! 学校の教室は生徒から見て左側が窓と決められている理由はっ! 五ぉっ、四っ、三っ、二ぃ、一っ! はいっ!」
それも前に読んだ本に因って知っているが、知らないフリをしなくてはならない。
「えーと、ちょっと、解らないです」
「正解は、右側が窓だと右利きの人が文字を書く時に手の影が邪魔になるから、でしたぁ!」
魔法の言葉を云わなくては。
福禄寿は「今だ」と云う様に僕を見ている。
「頭いいですねぇ」
漸くインタビューが出来る。
「まぁな。第十五問っ! 世界一大きい一枚岩の名前はっ! 五ぉっ、四っ、三っ、二ぃ、一っ! はいっ!」
『まぁな』で終わりかよ。
この男は頭がいい事を褒められると気を良くし、それで無事クイズが終わるんじゃないのか。
もう一回やってみるか。
「えっ、エアーズ・ロックじゃないんですか」
そう答えてほしいのだろう。
「ブーッ! そう思うだろ? 実はエアーズ・ロックじゃないんだなぁ! マウント・オーガスタスなんだなぁ、それがっ!」
「そうだったんですかぁ。いやぁ、知らなかったです。博識ですね。よく知ってますね、そんな事。何でも知ってるんですね。天才じゃないですか」
「まぁな」
福禄寿が乱用し過ぎて魔力が切れたのだろうか。
それとも、これまでずっと正解し続けた僕には魔力を発揮しないのだろうか。
「第十六問っ!」
「あっ、あのっ!」
「ん?」
「毘沙門天さんなんですよねっ!」
「えっ? まぁ、そうだけど? 何、こいつから聞いたのか」
毘沙門天に親指で差された福禄寿は恐る恐る頷いた。
「ふーん。まぁ、いいか。七福神なのはバレたからな」
「あの、幾つか質問させて戴いてもいいですか」
福禄寿は解りやすく安堵の表情を浮かべる。
「質問? 俺に?」
「ええ。小説の取材の為に」
「何?」
「えと、まず、毘沙門天さんはどんなご利益のある神様なんですか」
「勝運、降魔厄除、家内安全、夫婦和合、病気平癒」
其々の言葉を復唱しながらメモる。
「七福神の皆さんは、お近くに住んでるんですか」
「まぁまぁだな。我々七福神はさぁ、人間さんの心を読んだり遠くの出来事を察知したり出来る、千里眼って能力を持ってんだけどな、それが半径十キロ範囲内だから他の七福神とは十キロ以上離れたトコに住まなきゃならないって決まりがあるわけよ」
「成程」
漸くインタビューを始められた。
漸くクイズの時間が終わった。
「まぁ、千里眼って云っても一里は四キロだから全然千里もないんだけどな。だから、厳密に云うと、〝二・五里眼〟な訳よ。まぁ、ハリセンボンみたいなもんだな。あいつ等だって厳密に云うと〝ハリヨンヒャッポン〟な訳だからなぁ。まぁ、四〇〇〇キロ先とか見えたらゲー出るわな」
毘沙門天は「だっはっは」と笑うと残りの梅酒を飲み切り、ジョッキを置いた。
「よし、カラオケ行っか」
「えっ……」
ツーデイズで開催された上に昨日と全く同じ曲目だったリサイタルを終えた毘沙門天と別れると、うちに来たいという福禄寿の要望を思わず引き受けてしまった。
それから、〝ジャングル大帝〟、〝Dr.スランプ〟、〝犬夜叉〟、〝鋼の錬金術師〟、〝キングダム〟など、様々なアニメの熱弁を聞かされる羽目になった。
その数時間後、彼は絨毯の上で倒れる様に寝落ちした。
時刻はもう二時を過ぎている。
僕の精神は疲労困憊だ。
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