◇14.親切で善良なだけの男
それは私が魔界に来て、三日目のこと。
私と夕食を囲む魔王はムッと押し黙り、皿の上のグリーンピースを冷酷な眼差しで見下ろしていた。
部屋中に迸る不穏な空気。その場に居合わせた者はきっと「料理長を処刑しろ」もしくは「グリーンピース畑を焼き払え」と魔王が言い出すと想像しただろう。私もした。
だが実際には、彼は全く怒ってなどおらず、単に「苦手なグリーンピースをどのタイミングで食べようかな」を逡巡していただけだったのだ。
あの緊張感を返せ。
グリーンピースが苦手なら料理人に言っておけばいいのでは……と思った私は、遠回しにその旨を伝えてみた。すると、それは駄目だと却下されてしまった。
曰く、「苦手な食べ物を伝えたら、ただでさえ味と見た目と栄養バランスに悩んで毎日の献立を考えている料理長から、献立の選択肢を奪いかねない」と。
さらに曰く、「それに魔王たる余が苦手な食材を公言したら、魔王が嫌っているという理由でその食材の人気がなくなって、魔界の生産者が困るかも知れない。具体的にはグリーンピース農家の皆さんが職を失うやもしれんのだ。そうなっては可哀そうだ」と。
その回答を聞いた私は、心の中で静かに叫んだ。
魔王、めっちゃ周囲に気を遣ってるー……。
醸し出される支配者感とのギャップが激しくて、「グリーンピースで困る魔王」というこれはこれで受け止めがたい情報のインパクトがどうでもよくなるほどだった。
なお、私はどちらかというとグリーンピースは好きなのだが、畑を焼き払え顔もとい今一歩勇気が出ない顔で、じっと皿を見つめる魔王が可哀そうになったので、「私も苦手なんです」と協調してみた。
すると魔王は愕然と目を見開き、「トレイシアも……なのか?」と震える声で言った。
仲間がいることに感動したらしい。貴重な表情の変化をこんなところで使うんじゃない。
そして共通の敵を得た私と魔王はお互いを励まし合って、いっせーのーでグリーンピースを食べた。
そっと胸に手を当て、「誰かと困難を分かち合うとは、こういうことなのだな……」と、しみじみ言う魔王。だからこんな些細な場面でいちいち感動するんじゃない。
もはや呆れを通り越してなんだか可愛らしく見え……いやいや私が魔王を可愛いと思ってどうする。
私が魔王を陥落させ、しっかり惚れてもらう側なのに。
ともかくこの出来事で、魔王は料理人からグリーンピース農家まで幅広く魔界の住人に気を配る、心温かな王であることが判明したのだ。
この瞬間、初日に魔王に抱いた感覚が確信に変わった。
魔王は、その存在感から受ける印象とは、まるで真逆の人物なのだと。
立っているだけで支配者の威厳を振り撒き、目が合っただけで相手を屈服させる威圧感を持ち、作り物めいた美しい顔は感情を表さず、向けられる眼差しは永久凍土の如く凍てつき、発せられる声は一切の関心も温かみを有さない。
まさしく「冷酷無慈悲の恐ろしき魔王」という印象を抱かせる彼なのだが、その内面はまるで異なる。
グリーンピース事件でそのことを確信した私は、その後も魔王の雰囲気に引きずられず、変に深読みをせず、素直にその言動を受け取るように努めた。
そして結論を得た。
魔王は、ただ親切で善良な男だったのだ。
以上、回想終了。
そういうわけで、今や魔王に微塵も恐怖を感じていない私は、今日も可愛くて美味しい朝食を存分に堪能する。
「そうだ、トレイシア。側仕えの手配は不要とのことだったが、本当にひとりで不自由はないか?」
魔王はツンと澄ました顔と裏腹に、気遣い屋さん気質を遺憾なく発揮して、私の暮らしぶりを気にかけてきた。
魔王が気にしているのは、私が魔界に来てこの一ヶ月、侍女のいない生活を送っていることについてだ。ただいま私は、魔王の婚約者という立場でありながら、誰かに傅かれる生活は送っていない。
なぜか。それは初日に魔王から侍女の手配を提案された時、うっかり断ってしまったからである。
あの時はまだ、魔王から溢れる「ひれ伏せ下賤な人間め」オーラに慣れていなかった私は、魔王から向けられた「ほう……まさか手ぶらで来るとはな。そのうえ人材派遣も望むと?」みたいな冷たい目に耐えきれず、つい、侍女は不要だと言い切ってしまったのだ。
今ならあの時の魔王は、着の身着のままで参上した私にただただ驚いていただけだと理解できるが、まだ魔王の解像度が荒かった当時の私には、何が彼の逆鱗に触れるのか分からないという恐怖があったのだ。
……魔王の親切心からの申し出を、エスタル王国の人たちが「牽制」「脅迫」と捉えたのも、女王陛下が魔王を過剰なほどに警戒したのも、きっとこんな風に勘違いした結果なのだろうな、と思う。全く、損な魔王である。




