05 悪魔の囁き
「……そいつ、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫……? はい、もちろんですよ!! 何を心配されてるのか知りませんが、大丈夫です!!」
ロベルタはアホほど胸を張って答えた。この常識知らずは、こちらが何を案じているかも分かっていないようだった。
一晩が明け、朝日が覗く頃である。
わたしは目を細めた。山嶺を昇る朝日の為ではなく、眼前にそびえる、ちいさな山にも見えるそれに対して。
魔族の中でも凶暴な、人類の大敵だったはずだ。それが自ら首を垂らし、年端もいかぬ小娘にされるがままに撫でられている。
――ワイバーン。前肢と翼が一体となった、空の魔族。
爪、牙、巨躯。そして人の討ち手から逃れ、襲う、飛翔能力と獰猛。さらには雑食である。
ぐる、ぐる、と喉で吠えるそいつはエルドラーンの全長よりも巨大だ。四、五人は乗れる程度で――実際に、背に括りつけられたテントは一人でも持て余すくらいのモノだった。
「あ、もしかして、乗り心地を気にされてますか? ご心配なく!! サリーは馬と比べ物にならないほど速いですが、馬と比べ物にならないほどの快適をお約束しますよ。天幕には風防と耐震の術が備わっています。たとえ雲の上を飛行しようと、天幕の内は宿のようだと思っていただいて構いません」
「そうじゃないが、……まさか、どうやってワイバーンなんて手懐けたんだ。サリマではこれが普通なのか?」
魔族領にいた頃には、何度か食い殺されかけた経験さえあった。自身よりも大きい相手に襲いかかる事さえあるのだと聞く。
「いやあ、そんなワケないじゃないですか!! まだウチの実家が実験的に飼い始めただけで、サリマでもびっくりされますよ。エルドラさん、世間知らずですねえ」
「…………」
きっと悪気はないんだろう。いちいちキレていたら切りがない。そう思い込むようにしている。
「大丈夫です。サリーは人を襲いませんよ。そういう風にしつけてありますので」
「……まあ、信じるが」
「さ、さ、いまから向かえば最速で四日の旅程です。エルドラさんの望みもあることですし、早速参りましょう!!」
事実、サリーと呼ばれるそいつは大人しい。野生の個体とはまるで別の生物のように見える。
意気揚々と、ロベルタは飛竜の背にかけられた縄梯子に手をかける。それに倣いわたしもサリーに近づこうとして――
「エルドラ……やっぱり、本当に行くの?」
「当然だ」
ロベルタとは対照の、弱気な声で引き留められる。
昨晩、わたしとロベルタの説得もあって一度は首を縦に振ったユウリだが、まだ乗り気ではなく渋々といった様子でいる。時間が経てば、それだけ決心が揺らいでしまう。それにこれ以上説得に時間をかけていては、記念日に間に合うわないかもしれない。
老い先短い婆さんと会って話すだけの、楽な仕事だ(それをやるのはユウリだが)。それが終わったら、あとは観光なりグルメなりと洒落こめばいい。
わたしとてサリマの噂は聞き齧った程度だが、美しい街並みと年中穏やかな気候によって貴族様御用達の別荘地として人気だとか、万国の書物が集う大規模な祭りが開催されるだとか……噂にどれだけ尾ひれがくっついてるかは知れないが、少なくともこの辺鄙なド田舎と比べればマシな場所なんだろう。
それに、昨晩のあいだに現地ガイドから観光名所はリサーチ済みだ。
これを逃す手はなかった。
「――あのー、まだですかぁ?! こちらはもう出発の準備はできていますのでぇ!!」
と叫んだのは、既に天幕に入り込んでわたし達を待つロベルタだ。あいも変わらず溌剌とした大声が耳障りだった。
「うるさいな! おとなしく待ってろよ」
こちらがロベルタの願いを聞き届ける側だというのに、昨晩のしおらしい態度はどこかへ消え去ってしまっている。
昨日の夜に追加の要望を伝えたのだが――報酬として数日は過ごせるだけのサリマ貨幣を寄越すことと、復路も送ること――それから露骨にふてぶてしくなった。とはいえ、その程度は当然の要求の範疇だろう。見返りも無しにわたしが動くことはない。
「やっぱり……ちょっと悪い気がするんだけど……」
「なんだ、金を受け取ることがか?」
「う……それもだけど」
ユウリはまごまごと口ごもる。わたしは悪魔なので気にしないが、どうやら彼女の道徳には反する行為らしい。
しかし、
「ユウリ……考えてもみろ…………何が悪いって言うんだ?」
「え?」
「湖の賢者に会いたい、って願いを叶えてやるだけだろう。ロベルタの言を信じるのなら、じきに天寿を全うするご老体だ。最後くらい夢を見せてやろうっていうのが人情じゃないか?」
「え、えっ?」
「いいか、これは慈善事業なんだ……わたしだって、進んで騙してやろうだなんて思ってないんだぞ? ただ、ロベルタと、ロベルタの祖母さんが哀れで……ユウリ、どうにか、助けてやれないか……?」
「う、で……でも」
「これは良いことなんだよ、ユウリ。そうだろ?」
「えー……と、そうかな?」
「そうだ」
「そ、そうかも」
「よし、その意気だ」
丸め込みやすくて助かる。
突如として叩きつけられたわたしなりの道徳によって、ユウリは分かりやすく顔面に疑問符を浮かべて混乱した。
ただ、わたしが語った言葉の全てが噓という訳ではない。そのような意見だって確かに存在するだろう。決して、わたしとユウリの旅行の為のでまかせなんかじゃない。
それに報酬に関してだって……かなり良心的で常識的な範囲の要求だ。
そも、個人でこんな飛竜なんぞ飼育できるはずもない――ワイバーンの飼育費用なんて知る由も無いが。身に着ける修道服や装飾も小奇麗で、騒々しい子どもではあるがその所作の端々には若干の高貴さが窺えた。
(ロベルタは……こいつ、金持ちだ)
どこぞの小貴族様か、成金の商人の令嬢か。ちょっとしたお嬢様なのは間違いなかった。そして肝心なのは、ちょっとした、という部分だ。本当に高貴な身分であれば、単身でこんな辺境までやってくることも無いだろう。
富める者からは好きなだけ奪っていい。なので、一切問題はなかった。
何の憂いも背負わずに縄梯子を昇り始めると、混乱した様子のユウリも慌てて追従する。
こうして空の旅は始まった。
ちなみに、先に結論から述べると、先入観と己の欲望だけで選んだこの選択はかなり誤りだった。




