37 これから
魔王に勝って、国にも、勇者の群れにも勝ったとなると、この先に待っている誰も邪魔する者のない真に穏やかな暮らしが、むしろ心をざわつかせて落ち着かない。
誰だってそうなるはずだ。
懸念や憂いもなく、諸手を上げて己の人生を謳歌することを……もしかすると殆どの奴らであれば当然に備えるそれを望んでいた。紆余曲折あった気もするが、手にしたかった結果が想定以上の成果――たとえば立派な屋敷だとか、魔王の脅威からの保障(あくまで口約束の)――を伴いやってきたとなれば、これはもう大勝利と言っても差し支えないだろう。
あの敗北続きだった頃と比べれば大したものだと自分を褒めてやりたい。
微熱に浮かされるような、ぽかぽかとした暖かさに包まれている。精神的に、あとついでに言うと物理的にも。
帰路である。
もう陽は沈んだだろうか、エルドラーンの内からでは外の詳しい様子は分からない。薄暗く、狭い搭乗部には、二人がぎりぎり乗り込めるだけの空間がある。呼吸による胸の上下や、心地よい鼓動が聴こえる密着の距離だ。ユウリに背をもたれさせ、後頭部を胸へと預けるように座っている。
もうあとは我が家に帰るだけで……エルドラーンには適当に命令を与えてあるし、半自動で動いてくれる。だから、自分でも「気が抜けてるな」と考えられるくらいには気が抜けきっていた。メトロノームめいた歩行の一定動作と、薄暗闇と、包まれるような……安心できるぬくもりは、最もリラックスできる空間を作り上げていたかもしれない。なんなら口も半開きだった気がする。
話す言葉も、
「上手くいってよかったね」
「そうだな」
だとか、
「早くお風呂入りたい……」
「まずは"はんばーぐ"が先だろ」
だとか、本当に取り留めのないうえにどうでもいいものばかりだ。ただ、今は……そういうあんまり意味のないことの方が大切なようにも思う。
ただそんな意味のないことが延々と湧き出るわけもなく、会話も途切れた頃だった。
「……帰ったら、何がしたい」
思わず口にしている。特段に我慢すべき事でもない。
「わたしは、庭に畑でもつくろうと思う……ずっと、土いじりがしたかったんだ」
他愛のない夢だった。叶うまで、予想よりも時間がかかってしまったが。
畑だけじゃあない。
もっともっと、何でもできるのだ。それをするだけの時間もある。
いままで以上に趣味の造形に打ち込んだっていいし、木陰で本を読むだけの一日があってもいい。
すべての幸福の可能性を手繰り寄せることができる。
ぼんやりと曖昧に広がる未来が、ひどく愛おしい。
「私は、ううん……何も考えてなかった……」
能天気に応じる。ユウリのそのような部分が好ましく思える。
「とりあえずエルドラと一緒にいられたら、それでいいかな」
そう言ってから「なんちゃって」と誤魔化すように笑った。照れるくらいなら初めから言わなければいいのに。
自然と頬がゆるんでいるのに気づく。常に気を張り詰めていた、魔王軍で働いていた頃では考えられない。
首を上げると、恥ずかし気に微笑んでいるのが見える。
「なあ、ユウリ」
「ん? どうしたの」
「好きだ」
「ぶぇ」
まぬけな声が聞こえた……わたしは何と言った。
「えっ、ええ~。……急に、あは、じ、情熱的だね」
「…………待った、いや……ちょっと待てっ!! 今のはナシだ!!」
何かのまちがいだった。
戦闘を終えたあとの昂揚か、気の緩みがそうさせたのだ。
うっかり口をすべらせただけで……口をすべらせたというのは、少なくとも頭の片隅のどこかでは、そのように伝えたい気持ちがあったのは否定できない事実だったか。
とにかく、こんなに意味のある言葉を吐くつもりはなかった。
「好きだ、っていうと、つまり……! ああクソ」
ぼんやりしすぎだ。取り繕うこともできないくらいには失言だったぞ。
心のなかの自分は無責任にもそう吠えているが、どうしようもないことはどうしようもなかった。
だからもう……半ば諦めて、観念することに決めた。小さく溜息を吐くと、ユウリの膝上でくるりと体を反転させて向き直る。この距離でまじまじと観察してみると、改めて顔が良いのだとわかる。今は、おっかなびっくりというか、そんな笑える顔をしているが。
「既に、お前を生涯の伴侶として迎えてるワケだが……この際だから言っておく」
「は、はい」
と、畏まった様子でユウリは返事をしたが、……何も、大した話ではない。どちらにとっても。ただ単なる再確認? とか、そういった類の話だ。
そういった想いに反して掌には熱が篭っている。あと額とか頬にも。妙に舌先が乾いていて、呼吸も浅い。
「その、あー……さっきも伝えた通り……お前が好きだ」
これは別に、自問自答を繰り返した末に気づいた本心――というわけでもない。今更そんなことをしなくても、何度もユウリの為に死地に飛び込んだりさんざ酷い目に遭ってきたのだから、自明であるように思えた……認めたくなくとも、認めざるを得ない事実である。
そこはハッキリさせておかないといけない。ユウリの為、あるいは自分の為にも「嫌いじゃない」とか「気に入ってる」などと茶を濁さず、断言しておかなればならなかった。
前みたく、変な勘繰り――婚約指輪の材料を取りに行っただけなのに、家出と間違えられたり――されると困ってしまうし。
結婚を申し込んでから、その心情を告白するなど、逆順もいいところだ。どうにもあべこべで不恰好だが、致し方ない。
「……でも……散々迷惑かけてきたし、多分これからも……」と、ユウリは目を伏せながら自らの両手指を弄んだ。もうどうにでもなれ、と思いながら無理やりその手を取る。
「……どうでもいい。今更だろ」
本当に今更だ。それを言うなら、どうせなら婚約のときに渋るべきだったし、わたしも今更拒絶されるはずがないとたかを括って喋っている。こうなってしまっては、そのように覚悟するしかない。
思えば何かと理由をつけて――婚姻の場でさえ――理屈っぽい論理で自分を納得させていただけだった。
一度たりとも、こうも素直に好意を伝えたことはない。
そして、一度伝えてしまえば――「あ、自分で思っていた以上に好きだな」なんてことも同時にわかってしまう。ばくばくと喧しかった動悸はより一層ひどくなった。
「お前は、どうなんだ」
かろうじて言葉になっているが、意味がちゃんと通っているかまでは不明である。好きだ。
「私は……」と、ユウリは一瞬だけ目を泳がせると、すぐ覚悟したように真っ直ぐにこちらへ視線を結んだ。そういう、顔に出やすいところが好きだ。
「私も、エルドラが好きだな」
そう呟くように言葉を発して、それからまた照れるように笑った。しまらない、間の抜けた雰囲気が好きだ。
とんでもなくお人好しな部分とか、嘘がつけない性質なところとか、挙げだしたらきりがなくなる。
あとはエルドラーンの良さがわかってるとことか、単純に顔面の造形だとかも。
堰を切ったように次々と浮かんでしまう。
何もかもの障害を越えた、もしくは打倒した、その熱に浮かされたまま突き進んでいる、と、頭のすみの冷静な自分はそう思った。思うだけで制御は不能である。
何もかもがこの熱のせいだ。
そういうことにしておく。
数秒、それか数時間の静寂が流れている。ただ、数時間も経っているのであればとっくに自宅に到着しているはずだから、そんなはずはない。とにかく脳内に霞がかかったように思考がはっきりしない。
時間と、あと空間の感覚もおぼろげで、いつの間にか、本当にいつの間にかだ、吐息どうしがぶつかりそうなところにまで顔が近づいている。
至近距離で視線が交錯し、潤んだ瞳が見える。そこに映るわたしも何やら泣きそうな顔をしていた。無限にも近しい時間のなかで、跳ねまわる鼓動の爆音だけが響いている。全身がぐつぐつ煮えるようにあつい。
限りがないから、何か区切り、けじめ、そんなものが必要だった。
そしてそれは訪れる。
交わっていた視線と視線が、ふいに途切れる。
ある種、意を決したような――あるいは緊張でがちがちの――こわばった表情で、ユウリがそっと瞳を閉じた。どこまでも単純で、空気に流されやすい奴だ。そうした空気を作り出す一端になったのはわたしだったが。
そして、それが何を意味しているか察せないほど初心でもない。
心臓の音がずっとうるさい。うるさいが覚悟を決める。
打算や論理ではなく、勢いが最も大事な場面だってあるはずだろう。それが今のはずだ。
だからわたしも目を閉じた。
それから、まあ、そのようになったとだけ言っておく。
すべて熱のせいだ。
◆
労働で流す汗は気持ちがいい――なんて最初に言い出したやつを小一時間問い詰めてやりたい気分だった。
「うあー……クソ! やってられるか!」
ざん、と勢いよく振り下ろした鍬が土に食い込む。それで全力を使い果たして背を大地に投げ出した。
「自らの手で、手塩にかけて畑を育てるのがいい」だなんて変にこだわりを見せたのがいけなかった。最初から農耕用のゴーレムでも作って、手伝って貰えばよかったのだ。
「エルドラ」
ぶつぶつと誰にあててもいない文句を噛み潰していると、鈴の音のような声が転がってくる。玄関戸の陰から顔を覗かせたユウリが包みを揺らしながらはにかんでいる。
「お昼にしよっか」
クーデターに屈したオーレリア王国の内情は混迷を極めているらしい。
政治力を著しく欠いた状態で、混乱に乗じて分割統治を狙う諸国を相手に政戦を勝ち抜けるかは疑問だが、取り急ぎ関係者たちの処遇は決まったのだとキャラバンの商人から聞いた。
国に混乱を招いた元凶である国王は幽閉され、恩寵に浮かれて犯罪にまで手を染めた一部の勇者は奴隷相当に身を落としたそうだ――それでも寛大すぎる程の処置だ。むしろ、その他大勢の勇者は「勝手に召喚された、巻き込まれただけの被害者」なんて風潮の高まりによって市民権を得るにまで至ったのだから、驚きだった。反乱の首謀者は余程の人格者だったのだろう。わたしなら全員もっとひどい目に遭わせてやる。
まあ、聞いていた通り、もはや指名手配されていたユウリを追う余力などこれっぽっちも無いということ、なんなら指名手配の効力が全く消えたことまでわかった。
だからこうして呑気に木陰でサンドイッチをかじっている。
穏やかな日だった。
柔らかい風がそよいでいて、空はとんでもない青で、雲は引くほど白かった。ただ、本格的に夏が迫っていてここ数日は憎たらしいくらいの快晴が続いているから、アウトドア趣味に踏み込もうとしているインドア派には中々厳しい気候だ。
最後の一口を飲み込むと、思わず嘆息する。一息ついた、というより疲労によるものだ。
「もー無理だ……疲れた……」
続きは明日にしよう、とぼやいていると「でもこれからもっと暑くなるよ?」とユウリが残酷なことを言う。
「魔法でパパッと終わらせちゃえばいいのに」
「それだとなぁ……味気ないだろ」
「そっかぁ」
毒にも薬にもならないような会話をしながら、ぼうっと眺める。
そばには数メートル四方のわたしの庭がある。ゆくゆくは旬の野菜を、二人分賄えるようにするつもりだ。
視線をすこし動かせば邸宅がある。それから美しい湖面が。更に見ると、何がそんなに嬉しいか、わたしの横でニコニコと機嫌の良さそうな嫁がいる。
「だから、明日だ。ユウリも暇だろ? 手伝ってくれ」
「うん!」
平和だ。それから退屈だ。
だけど愛おしい退屈だった。
何をするにも持て余す余暇があって、それを何に費やすか頭を悩ませる。
とりあえず明日は農園を完成させてしまおう。まだ読み終わってない書架だって残っている。たまには村に顔をだしてガキ共と遊んでやったっていい。
それからユウリとも……もっと素直に話せるようになっていければ、いいなと思う。
「ね、エルドラ」
「ん」
「……幸せだねえ」
「……まあ、それなりにな」
……それを為すだけの時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり進んでいけばいいか。
理想のスローライフとは、こんなもので良い。




