36 かくして滅びを迎える
「な……何が」
ただの呻きだ。もはや己でさえも、口から漏れた言葉の意味を理解できていない。
「何が、起こっている」
玉座から立ちあがろうとした脚がもつれ、側近に支えられる。
「し、しっかりしてください、陛下!」
「……順調だったはずだ」
異世界召喚の技術を確立し、無数の勇者を従え、武力にて魔族を殲滅、魔族領の資源を独占する。
たとえその過程で民の不満が積ろうとも、勇者の武力があれば問題なく鎮圧できる。
この革命も無為に終わるはずだった。
全ては、召喚された勇者が無敵であることが前提だった。
だが――
「――ご……御報告致します」
蒼白の、まるで覇気の失せた伝令。何かを語る前からその表情が物語っている。
「ふ、“不滅のエルドラ”と戦闘した勇者たちの“恩寵”が……未知の手段により、消失……エルドラは健在、こ、こちらに進行中で――」
何もかもが瓦解していく。
エルドラとの戦闘に駆り出された者を除けば、革命軍と正規軍の戦線は拮抗している。それほどまでの離反があった。
そしてその拮抗は勇者の異能があってこそのものだ。
もしも、エルドラが全ての勇者の“恩寵”を消し去ってしまえるのだとしたら――
「……なぜ」
一体どこで道を違えたか。
外れ勇者、ユウリの討伐を命じなければ?
勇者の横暴を咎めていれば?
そもそも、召喚術など使わなければ――
あらゆる思案が巡る。そして、もう遅い。
『――……もしかして、わたし達が何かしなくても、勝手に滅んでたんじゃあないか?』
声。年端もいかぬ少女の――しかし背筋が凍える恐ろしい声。
重厚な、玉座へ至る荘厳な扉はメキメキという破壊の音と共にひしゃげ、その開閉機能が喪失する。
そこから覗くのは、揺らめく深紅の瞳。かつて扉があった隙間をかがむように潜り、それでも収まりきらぬ巨体は壁を削り壊した。
巨人である。本能的な恐怖を駆り立てる巨大。恐ろしい。
脚を前に出す。単なる歩行動作である。恐ろしい。
重みに耐えかねて床に亀裂が走る。轟音。恐ろしい。
(……なぜ)
何故、こんなモノに勝てると思ってしまっていたのか。
知らず小水が、煌びやかな着衣を汚している。
次なる轟音。ただ、巨人が更に一歩を踏み出しただけだ。
その轟でまどろみから目を醒ます。
壮絶の恐怖に襲われながらも気を失えずにいたのは、ある種の不幸かもしれなかった。
「――っな、何をしている! この不届き者を、討て!」
虚勢のような号令は広間に虚しく響いただけである。
「お、おい、早くっ。き、貴様ら、全員打ち首だぞ!?」
近衛の騎士、魔術師も、各々の獲物を構えるだけで誰一人として動かない。
山を相手に斬りかかる愚か者が存在しないように、立ち向かうことは不可能である。
『――お前んトコの勇者には、世話になったよ王サマ』
いつの間にか、玉座は影に呑まれている。
爛々と輝く天井灯を受け、逆光を背負う――底知れぬ魔がいた。
「……き、貴様! 不遜であるぞ――っひ」
影が動き、迫る。
指。
大木が如き指だ。
それこそ小枝のような人の身は、容易く手折られそうな。
「ぐぇっ」
突然首が締まり、床から足が離れていることを知る。
伸びた指は器用に首根っこ辺りをつまみ、さながら弄ばれる野良猫のようである。
周囲から押し殺した悲鳴があがる。惨劇の寸前であったから。
『手間が省けて助かった……内輪揉めで滅んでくれるなら、手っ取り早い』
「きさ、貴様、この儂を誰と心得――」
無機質な赤い瞳孔に捉えられている。
ぎょろぎょろとした、無生物の単眼。
巨人の顔に並ぶ高さにまで持ち上げられている。
魔導機械。
身動ぎひとつできない。瞬きさえ。無機質による、無慈悲の暴力に曝されようとしている。
全身が恐怖に支配されている。
『もう頼みの綱の"勇者"は使い物にならない。ご自慢の兵にも、殆どに裏切られて……はは、哀れだ』
「ひっ、ヒィ」
意味のある言葉がでてこない。風切りのような息が、喉を通るだけである。
『……ここまで一方的な蹂躙になると、むしろ気分が悪いな』
『エ、エルドラ……あんまり脅かしすぎちゃダメだよ』
『ああ? こいつは、お前の命を狙った首謀者だぞ? こいつだけは徹底的に痛めつけてやらなきゃだろ』
全てを恐怖に包み込んでいるのに、散歩の道すがらであるかのように言う。聞こえる声が二つであるなど、もはや気にしていられない。
『まあ、でも……思ったより楽に済みそうだ――なあユウリ、帰ったら久しぶりに"はんばーぐ"が食べたいな』
『……! ん、任せて!』
野望の終焉が、日常の一幕に彩られようとしている。
恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。許せない。
綿密に練り上げられた計画が、このような結末を辿るなど――
「――け、穢らわしい魔族めが」
怒りが恐怖を塗り替える。
「我が野望を、何だと思っている! ふざけるなっ!」
もはや悪あがきにすらなっていないとも知らず。
「貴様のような、さ、最弱の、土属性の、屑なんぞに、邪魔される訳には」
『知るか』
最後の反撃さえも、冷徹に阻まれる。
『お前の野望なんか、どうでもいいんだよ……勝手にやってろ』
手を出してはいけなかった。
藪を突いて、蛇どころか――人がどうあがこうと太刀打ちできぬ、悪魔が。
『だけど……わたしの、わたし達の暮らしを邪魔するなよ……――邪魔、するのなら』
ギィ、ギィ、と。
低く唸る潮流が鳴った。岩石でできた関節部の摩擦が奏でる、地獄のような調だ。
残った片方の拳を、ゆっくりと構えている。後方に引く。
その予備動作が何を意味するか。窮地に立たされ、脳裏に鮮明に思い浮かべてしまう。
そして想像は現実へと――
『くたばれ』
◆
「国王陛下、覚悟――っ!?」
反乱は、拍子抜けするほどうまくいった。
革命軍に与した正規兵も多かったとはいえ、まさか城内にすら、まともに警備兵さえ残っていないとは誰も思ってもいなかった。
理由は不明だが、終始正規軍の足並みは乱れ、最も危険視していた"勇者"は突如として戦う力を失い、恐ろしいまでのとんとん拍子である。
そして最奥、国王が座るはずのそこには。
「あの〜! 大丈夫ですか〜?」
「おい、放っておけよ! 当ててないんだから、死ぬわけないだろ」
二人の少女。
その傍らに跪く機魔。
泡を吹いて倒れる国王。
遠巻きに呆然と眺める騎士達。
玉座の背にある壁には、大砲で穿たれたかのような破壊の痕跡が。
「まさか、後ろの壁ぶん殴るだけで気絶するとは……ハッ、とんだ腰抜けだ」
「いや……アレは誰でもこうなると思うな……」
片方は勇者――漆のような黒髪は、勇者以外には珍しい――そして、もう片方は、
「おい、あんた達が革命軍か?」
見定めることもできないうちに、銀髪の少女がこちらに気づく。
年齢の割に落ち着いた、しかし不遜な態度である。
「あ、ああ……そうだが、この惨状は一体……」
「見ての通りとしか言えないが……そいつ、早く縛り上げておけよ」
顎で指す先には、いまだブクブクと泡を吐き続ける国王の姿がある。
この場で何が起きたか、何がどうなっているのか。まるで理解が追いつかない。
周囲の騎士も戦意喪失しているようで、からん、からん、と武器を取り落とす音が響いている。
とにかく、革命は果たされようとしている事だけが分かった。
「それで、これからどうするんだ?」
少女が言う。
その問いの意味を掴みかねる。
「……? どう、というと……まあ、しばらくは混乱もあるだろうが、王政は廃止され、別種の体制を――」
「そうじゃなくて……あー」
面倒そうに頭を搔くと、足裏で石床を軽く蹴った。
魔術が奔る。
王城の、堅く滑らかな大理石にてつくられた地面が捻じれ、粘土めいて柔らかに隆起したかと思えば、十を超える人間大の騎士が現出する。
機魔の生成術である。
土属性の魔術としては高等に位置するそれを、詠唱もなく、同時に複数体。
少しでも魔法の心得を持つ者であれば理解できる。
この少女は、魔導の研鑽の果てに立っている。
「まだやる気か、と訊いている」
騎士の機魔が、石で造られた細剣を一斉に構える。
「わたしは魔王軍四天王が一人、“不滅のエルドラ”……いまは、ただのエルドラだが」
“勇者”の軍を退けた、一騎当千の強者なのだという。
「争いが望みなら、受けて立とうと思っている」
「四天王……ほ、報復に来たのか」
勇者ユウリの討伐は、四天王最弱を謳われた“不滅のエルドラ”によって阻止されたのだそうだ。
故に革命が起こった。
勇者の横暴はひとえに彼らが無敵であったから許されたことで、頭数を揃えようと四天王の一人にさえ敵わないのであれば、ただの厄介者だったが為。
そして革命は成し遂げられようとしている。
ただ、矛を向けたのであれば、切っ先を返されることも当然だった。
「もし望まないと云うなら、見逃してやる……ただし」
しかし続く声音は存外に穏やかなものだ。
「二度と、わたし達に関わるな」
「……お、俺は、この反乱の主導者だが、この場では口約束しかできない」
なるべく刺激せぬよう、事実だけを告げる。
「だが、現状を鑑みるに……君に手出しすることは不可能だ……信じてもらえるかは分からないが」
これから国が転覆するかもしれない。
ひとつの国を変えようとしているのだ。保守的な派閥の反発もあるだろう。漁夫の利を狙う諸外国からも国を守らなければならない。
魔族と争う余裕など、残ってはいなかった。
それに――
「口約束でも何でもいいさ。もし次があったとしても、どうせ」
すべてを成し遂げたかのような爽やかさで、軽やかに銀の髪を揺らし、踵を返している。
もうひとりの勇者の手を引いて、跪く巨人の胸にある開放部に脚をかける。
「わたし達が勝つんだからな」
得意げに鼻を鳴らした。
この少女に戦いを挑むなど、無謀にも程がある。




