紅き陽に響け
『消えろ! 【火災旋風】、リバース!』
苛立つ瀧殿の声が聞こえたかと思うと、地上も空も即座に炎の風に覆われた。
梓と栗子はそれぞれ水の魔法と冷却魔法で防ぎにかかった。
「だめだ……!」
水は散らされ、散った水滴はあっという間に蒸発した。
「ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい」
冷却も間に合わない。熱い空気が皮膚にまとわりつく。
暴風の勢いが増した。
「う」
「わ、わ、わ、わ、わ」
こらえきれず、二人がよろめく。足が地面を離れ、吹き飛ばされた。二人は管制塔の壁に当たり、そこでボウンとゴムボールのように跳ね返って小さく浮き、地面に落ちた。地面に落ちたときもまた、わずかに跳ねた。
『梓、無事!?』
栗子が精神感応で呼びかけた。炎の風はなおも続く。
『なんとか。マントのおかげ……じゃない』
梓のマントは魔法の酸性雨で損傷している。クッションになったのは別のものだった。
二人はそれぞれ大きなシャボン玉に包まれていた。シャボン玉は膜が何重にも張り巡らされ、入れ子構造になっている。その中心部に入った格好だ。
『その中なら、しばらく、だいじょうぶです』
響の声がした。
「テレパス?」
『梓、上!』
見上げると、炎の中、数人が入れるほどのシャボン玉が浮かんでいる。火災旋風が起きる前、ブラッドノアが炎の翼で浮いていたのと同じ高度だ。
そのシャボン玉には二人の少女が入っていた。
一方は響。
もう一方の少女は香甲第二高校の制服に身を包み、一つ結びの緩い三つ編みを肩から下げる。響に似た顔立ち。優しげで、それでいて芯の強さも感じさせる目元。
少女――響の姉・紗都希が左手を伸ばした。響のヤタガラスの杖をつかんだ。
響が右手で、紗都希が左手で、姉妹が一本の杖を持ち上げる。
全くずれないタイミング。わずかな唇、胸、肩の動きまでもがぴったりと重なる。呼吸のリズムも重なった。
『`Echo through the daybreak,'』
紗都希の穏やかな声が空気を伝わる。
「`Echo through the daybreak,'」
響がそのまま繰り返した。
――Echo through the daybreak,――。
二つの声が共鳴し、こだました。
『"New starlight,"』
「"New starlight,"」
――New starlight,――。
『"be forceful!"』
「"be forceful!"」
――be forceful!――。
杖の彫像内にある、三つの翠の宝石が反応した。
杖の柄に魔法式の細かな文字と記号がびっしりと浮かび上がる。
「【イヴィルバスター】、始動!」
紫の閃光が稲光よりも眩く、あらゆるものを照らして消えた。
『ロックを外した……?』
『すごい武器の? うっし、そんなら』
栗子が勢い込む。
『響、波動砲よ! 三〇〇%ためてぶっ放すのよ!』
『はいっ』
『えっ、外れたのセイフティーロック?』
紗都希の像が薄くなった。
響はひとり両手で杖を構え、彫像のある頭部をブラッドノアに向けた。
『撃たせるか!』
ブラッドノアの両手に火災旋風の炎が凝集する。
一つの刃の形状になった。紅い炎の剣は当初ブラッドノアの機体に見合うサイズだったが、見る見るうちに太く長くなってゆく。ブラッドノアの背にある炎の翼、フェニックスの火勢も著しく増した。
『出力超過になったか! まあいい、四人仲良く消し炭になるんだな』
『あ、あっちの方が強い?』
一方、響には魔力がチャージされた気配がない。
ブラッドノアが炎の巨大剣を振りかぶる。響との距離は百メートルを超えるが、余裕をもって届く。そのまま振り下ろせば、梓と栗子のいる地上にまで届く長さがある。
『いったんかわして……!』
『ドライブ、複合式!』
瀧殿のドライブの方が早かった。三人のシャボン玉は遠隔操作の魔法により、下向きの加速度を受けた。梓と栗子の玉は地面に押しつけられて歪んだ。響の玉も非常にゆっくりとではあったが、高度を下げてゆく。
『動かない!』
『こっちも駄目!』
地上二人の玉の、一番外側の膜が割れた。その次の膜も間を置かずに割れた。さらにその次の膜には長く薄い裂け目ができた。内部にも重圧が加わり、体が重くなる。
頭上の空間が炎に変わる。テレポート前のイメージ、灼熱の岩石砂漠は、現実では炎の煉獄になろうとしている。選ばれた者だけが救われる神の試練。浄化の炎。
剣が天から振り下ろされた。
紫の炎が三人を飲み込む。
『溶けたっ!』
栗子が叫んだ。
梓のシャボン玉の膜も全て一瞬で溶けて消え、周囲が紫に染まった。
ウッディ・ゴーレムの自爆のときよりも強い炎。これまで遭遇したどの火事よりも烈しい炎。
焼かれる――――灰になった、あのカルタのように?
「辞世の句も残さず死ぬわけには……あれ?」
熱くなかった。
梓はとっさに自らの手を見た。
炎で焼かれていない。酸による化学熱傷だけがある。
紫の炎の真っ只中にいるにもかかわらず、熱くない。火傷もしない。紫の炎は幻のように、ただそこにあってゆらめくだけで、何の害ももたらさなかった。
梓と栗子が狐につままれた状態でいる間に、瀧殿は素早く判断を下した。
攻撃手段を切り替えた。
『増加装甲、四重』
熱が効かないのであれば、打撃。
過剰に装甲強化を施した戦車を上空に出現させた。
「えっ、何これ何これ! 何なのよこれ!?」
見上げた栗子が慌てふためく。理解できないことが増えて混乱した。二度目の梓も息を飲んだ。
『ドライブ、複合式』
瀧殿は加速まで施した。
高い初速。その上に、地球の重力と魔法による加速。やはりかわせない。
七重の増加装甲を持つ紫迷彩の戦車が、梓たちの頭上に落ち――すり抜けた。
戦車は地面を穿つことなく、元から砂でできた造形物のような滑らかさで粉微塵になり、地上に散った。微かな音を立てて、紫の粉が地面に広がった。
落下物は二人の体、衣服、地面、そのいずれにも、かすり傷一つすらつけられなかった。
「すごい……。響がしたの?」
栗子が呆然と呟く。混乱が過ぎた後の虚心に、感心が芽生えた。
『クリエイトを無効化する魔法か』
瀧殿はそう言うと、ブラッドノアにブレインの青い魔法弾を撃たせた。
百を超える弾数。それらの弾は機体を離れた瞬間に紫に染まり、紫の半透明色となっていたシャボン玉を貫き、中の響も貫いて、地面に当たった。地面には弾の大きさに等しい紫の染みができた。
高出力のブレインの攻撃を大量に受けたはずなのに、響に頭痛は起きない。相変わらず両手で杖を構え、じっとしている。頭を抱えたのは瀧殿の方だった。
『ブレインもか……!』
テレポーター管制塔をジャックしていた魔法波も途切れた。岩石砂漠のイメージは消え、島が夜景に戻る。管制塔は薄く紫に染まった。
ブラッドノアの魔力が高まる。炎とは異なる赤い魔力の光が翼からあふれ、機体全体を包んだ。
『アルケミーならば……無駄か。その杖が本物か。大城戸め……!』
ブラッドノアの魔力がさらに高まる。
『とまらないだと?』
魔力がさらに高まる。赤い光はどこまでも球状に膨れ上がり、さながら太陽のようになった。
『離れてくださいっ。毒ガスです!』
響が上級生たちに叫んだ。
『えっ、アルケミーには効かないの!?』
栗子が聞き返す。
魔法粒子で既存の物質の疑似物を作ったり、自然現象の擬似現象を引き起こしたりするのがクリエイト。既存の物質やその構造を魔法で強制的に変容させるのがアルケミーだ。有毒ガスをアルケミーで作るための材料、空気はいくらでもある。
『ききますっ』
『じゃ、いーじゃんっ』
『でもガスがきますっ。無色透明のですっ』
『はあ!?』
「離れよう!」
梓が近づき、栗子の手を引いた。瀧殿はブラッドノアの制御に四苦八苦しているらしく、動きがない。
「防ガスシールド展開!」
二人で管制塔エントランスまで退き、半透明のシールドを張った。
「【イヴィルバスター】、集結!」
響が杖を高く掲げる。
紫の炎が消え、戦車だった紫の粉が消え、地面の紫の染みが消え、それらは紫の魔法粒子になって響の杖の頭部に集まり、ヤタガラスの彫像に吸収された。管制塔からは紫色の魔法波が放射され、それも同じく彫像に吸収された。塔は元の色に戻った。紫がかっていた響のシャボン玉も、すっかり無色透明に戻った。
彫像内の宝石が一つ輝く。
魔法弾のためのエネルギーがチャージされる。弾の緑光はキャノンフォースを超える眩さ。地上の二人は防ガスシールドに遮光の効果を追加した。
当然、敵である瀧殿も魔法弾に備えた。
ブラッドノアが両掌を突き出す。
『イヴィルガム、【リフレクション】!』
突き出した両掌に、血の魔法陣が浮かぶ。三号棟機のキャノンフォースを吸収し撃ち返したときのものだ。魔法陣は響のチャージする魔法弾に匹敵するほど、強烈な光を放つ。鮮やかな紫に輝く。
『ちいっ! まさかこいつもとはな!』
紫の魔法陣が膨らむ。もはや機体の両手には収まらない。直径がブラッドノアの身長に等しくなった。
敵の防御魔法に歩調を合わせて、地上二人の防ガスシールドにも反応が出た。
「ガスを感知!」
「ブレイン、【アナライズ】!」
防御を梓が担当し、栗子が魔法で分析を開始した。結果は即座に出た。
シールドの内側に文字が表示される。
分析結果は、既知の種類の魔法分子化合物複合体。そのほとんどが人間のα器官由来によるものとの補注がつく。人体への主な悪影響は、魔法分子化合物に対する過剰免疫反応の誘発。
「魔法ホルモンよ」
「気化したもの? 分布表示を!」
ガスの分布と流れがシールドに表示された。ブラッドノアの機体が極端に高濃度であり、その周囲の濃度も高い。ガスはそこから複数ルートで響に向かい、シャボン玉を素通りして、杖に流れ込む。敵機両掌の魔法陣からも同様に、紫の粒子が杖に送られる。
「魔力を奪ってる」
「そんなのできんの!?」
軽く驚いた栗子には答えず、梓は敵機を見た。依然として、太陽のような赤い魔力に包まれている。梓はすばやく自身の記憶を探った。
「偽物とすりかえてるんだ」
偽物の水と本物の水をすりかえ衣類を乾かす――その応用技術ともいえた。
偽札を製造し使用すれば、その分だけ紙幣の流通量は増加する。同様に偽の魔法粒子や魔法波、魔法分子化合物を作って敵の魔力に混ぜれば、その分だけ敵の魔力は強くなったように見える。ブラッドノアの纏う太陽は、響が、あるいは大城戸か紗都希が作った偽物の魔力。
栗子はすぐに理解した。方法も、危険性も。
「でもそれ」
「うん、危ない」
地上二人のところですらガスの一部が届く。杖を持つ響がガスに巻かれるのは必然だ。しかも響は防ガスシールドを張っていない。ヴェールも垂らしていない。
魔法粒子や魔法波を魔法ホルモンに還元する際にも、やはりアレルギー発症の危険が付きまとう。ブラッドノアは、響に適合するホルモン型のみを燃料としているわけではない。それどころか、適合する型の方が低い割合かもしれなかった。
それに構わず、響は魔法を撃った。
「【スターライトフォース】、一重!」
詠唱終了と同時に緑、黄、ピンク、青、白の五色が輝線スペクトルとしてつながる一筋の流星痕が生まれ、魔法弾がブラッドノアに命中する。亜光速の弾にはシールド生成も腕のガードも追いつかない。胸部に当たった。
弾こうとする真紅の甲冑と、貫こうとする流星がせめぎ合う。
甲冑の強度はフェニックスによる再生時に高められ、容易には砕かれない。
一方、流星の圧力は一発で二号棟機のパイルバンカー十六発分を上回る。空中でブラッドノアを一キロメートル以上も押し飛ばし、さらに圧力の方向を下方に微修正して、海面に叩きつけた。水しぶきは一瞬で蒸発して消え、強力無比な炎の翼が水面を激しく沸騰させた。
敵機が海上で体勢を立て直した。
炎の翼を大きく広げる。浮き上がる。
「戻ってくる」
梓は箒で飛ぶ態勢をとった。
『響、手当するからおりてっ』
栗子は地上からテレパスで呼びかけた。
『だいじょうぶですっ』
『じゃないでしょっ』
危惧した通りのことが起きていた。
肉眼でも、響の両手が炎症で赤く腫れているのがわかった。
ブレイン魔法で拡大視すれば、両手には新たな発疹がある。勾玉の試用で生じた発疹は赤みを強くして、症状が悪化している。首にも赤い斑点が現れていた。
「【スターライトフォース】、二重!」
響は怯まない。
彫像内の翠の宝石は二つ輝き、流星痕が二重らせんを描く。
ブラッドノアは炎の翼で機体を覆い、両翼で二つの流星を受け止める。今度は押し飛ばされない。空中の一点でとどまった。流星の威力はフェニックスの力で相殺され、星の残骸と火の粉が広範囲に散乱した。それらは紫の魔法粒子群になり、響の杖に向かってくる。
『おりろ!』
栗子はなおも呼びかける。
『とんでください』
『は?』
『蛇の道具を、ひろいに』
話しつつも、響の視線は敵機を捉え、ヤタガラスの杖は敵の魔力を奪う。
敵機を星雲のように赤紫の光が取り巻いた。炎の翼が巨大に膨らむ。そこから紫の粒子が無数に飛び、やはり響の杖に向かってくる。
「やるんだ。私が上。君が下」
梓はすでに飛ぶ態勢に入っている。
「何よそれ!」
返事は八つ当たり気味になった。言うことを聞かない頑固な患者ほど、医者を苛立たせるものはない。二人もいれば、苛立ちも二倍。
「息吹さんが撃つ。私が切る。君が拾う」
「だって響が」
「信じてるんだ」
梓は響を見た。
響の目はアレルギーで充血していたが、敵意の色も憎悪の色もない。静かな確信に満ちる。
栗子も響を見上げ、少しの間見つめて、軽くため息をついた。自分の箒を手に取った。
「いつもの調子で何か言え。その合図で飛ぶ」
二人はそれぞれの箒にまたがった。
梓はヤタガラスの杖が翠に輝くのを機に、合図を出した。
「ある変人は、こう言っている」
「変人ねえ」
発進準備に入った。箒の穂が光る。
「『お上には逆らっても偉大な先達は敬う!』」
「それってすっげー非常識?」
不敵さを含ませ、栗子は苦笑いする。同時に二本の箒は二手に大きく分かれ、夜空に飛んだ。
「【スターライトフォース】、三重!」
二人の合間を三つの流星が駆ける。
亜光速の魔法が空に三重らせんの痕跡を刻む。三つの流星はフェニックスの片翼を撃ち抜き、ブラッドノアが大きくバランスを崩した。
箒で飛ぶ二人はその間に敵機との距離を詰めた。
梓は敵機より上の高度を飛び、栗子は海面すれすれを飛ぶ。
梓が大きく先行する。梓は敵の背後に回り込む必要がある。ユラヌスと勾玉の関係から類推して、奪還すべき魔法具・ウロボロスは炎の翼の付け根にあるとみて間違いない。
「くる」
前方下方が明るくなる。フェニックスの残った片翼が火勢を強くした。
バランスを崩しているため、ブラッドノアは旋風を使えない。数十の火球が対空砲火になった。
梓はよけるしかない。梓自身の力では打ち消せない。専用魔法具を持つ響とは距離がある。
「ドライブ、単独式!」
速度を上げて旋回し、弾幕の第一陣をどうにかやり過ごした。しかし息つく暇もなく二陣がくる。
「【アクセラレイト】……だめだ」
急加速での旋回を取りやめた。ここで魔力を消費しては、勾玉の使用に充てる分がなくなってしまう。
一発、二発、三発。
小刻みな動きでかわしていくが、十発目にはもう危うくなった。炎が頬をかすめた。十一発目はマントの端を焦がした。
「無理か」
『左下へ!』
テレパスで声がした。十六夜のものだ。
梓は反射的に声に従った。軌道を変えた直後、元の位置を二つの火球が交差するように別々の角度から通り過ぎた。
『僕が予知して伝える。二人とも気をつけて』
『あ、生きてた』
栗子がテレパスに割り込んだ。
『生きてるよ! ブレイン、【レーザーガイド】!』
梓と栗子の帽子に、予知イメージが転送された。ヴェール越しに見える周囲の空間に、多くの赤い線と一本の複雑に曲がりくねった青い線が現れる。赤が攻撃予測、青が最適な回避経路を示す。
予測に従い数百発の火球をかいくぐり、二人はブラッドノアに迫った。
『離れて!』
十六夜の指示が飛ぶ。
青のガイドレーザーは箒の二人に急旋回することを促した。栗子が大きく左に曲がり、梓が右に曲がった。その後に巨大な炎の翼が空を薙いだ。二人は熱風に揺らされた。熱い空気が皮膚にまとわりつく。
『どうすんの!』
『息吹さんの攻撃に合わせよう』
梓は管制塔の方に振り向いた。
塔までの距離は二人からそれぞれ約一キロ先。響はそこにいるはずだった。いま翠の光点は見えず、響のシャボン玉も見えない。それどころか、箒で飛ぶ前には見えていた管制塔のライトや、島に設置されたライトも見えなかった。
塔のある島は、完全な暗闇に包まれていた。




