迷わぬ子豚の声
テレポーター管制塔のエントランス。
二号棟機が爆散する光景は、そこに着いたばかりの響と栗子にも見えた。
「あ……」
「うわ……」
「先生たちが」
「お、落ち着くのよ。こういうときはとにかく落ち着かないと」
声が上ずった。
「そうよそう。校長センセは殺しても死なないから大丈夫」
「ヴレインの先生は」
「死んでる?」
「え」
「あ、梓はどうなってんのかな」
言った矢先に、三号棟機が完全崩壊するのが見えた。
「あいつは……どうだろ……」
響が俯いた。
「わたしが、ここに来てもらうように頼んだから」
「あんたのせいじゃないでしょ。あの三バカ男子たちとか、他にも大勢助けないといけなかったんだし」
「でも」
響は面を上げた。外に向かって歩き出そうとした。魔法の酸性雨は止みつつある。
「何する気よ」
栗子は響の肩をつかんで引き留めた。
「みんなの、仇をうちに」
「一人でどうすんのよ」
響は栗子の手を払いのけようとする。栗子はより強く力を入れて、肩をつかむ。
「やめなって。ほら三本足、あんたも引き留めて。……あれ?」
ヤタガラスの姿が見えない。箒で飛び立つ前、中和の魔法をカラスにもかけたところまでは、栗子の記憶にあった。それ以降は思い出せない。
「あれも死んでる?」
それを聞いて、響がまた歩き出そうとする。
「あーもうわかった。あたしも行く」
もとよりゴーレム相手に、しかも通常より強いゴーレム相手に戦えるなどと、栗子は思っていない。鎮静魔法と麻酔魔法を打ち込んで眠らせてやる、と左手のミサンガに魔力を込めた。気づかれないよう、そっと響の首筋に手を伸ばす。
その伸ばした左手がつかまれた。
「やめるんだ」
つかんだのは梓だった。中和の魔法が切れ、赤い帽子とマントはボロボロ。箒もかなり傷んでいる。
「一文字さん」
「あんた、無事だったんだ」
「取ってきたよ」
梓は栗子の手を離し、制服の胸ポケットから勾玉を二つ取り出した。ゴーレムが崩れたことで、かえって部品を外しやすくなったのだ。
栗子が怪訝な顔をする。
「それ違うじゃん」
「これだよ」
「あんたがガラス破って取ってきたやつ」
「あれはもうないよ」
言いながら、梓は右手に勾玉を一つ握り、魔力を送り込もうとする。
手の中の勾玉が赤く輝きだした。勾玉からは白く薄い光が伸び、二メートルほどの白い一本の羽を形作る。ただその羽は輪郭がぼやけ、煙のように揺れ動き、安定しない。試しに団扇のように風を起こそうとしたが、そよ風すら吹かなかった。しかも気を抜けばすぐに白光が散ってしまう。
「演算補助がないと駄目か」
「見せてください」
「見るだけだよ。危ないから」
梓はもう一つの勾玉を響に渡した。
響は受け取った勾玉をまじまじと眺めた。
「武器、ですよね」
響は忠告を無視して勾玉を握りしめ、魔力を込めた。
栗子が叫ぶ。
「それ駄目!」
「うっ……」
勾玉を握る響の右手に血管が浮き出る。静脈が異常に膨れ上がった。無数の赤い発疹も血管に沿って現れた。
栗子は響の服の右袖をまくった。
血管の膨れは手の甲から手首を越え、ひじも越えて上腕にまで広がっており、発疹も同様だ。
右手が痙攣しだした。全身に汗がおびただしく流れる。
「離せ」
栗子が響の右手をはたいた。
勾玉はエントランスの床に落ちた。あらかじめ中に収められていた血液の赤い輝きが消え、勾玉は元の白一色に戻った。
「拒絶反応よ。あんたはホルモンの型が合わない。ゴーレムのδ器官通さないと」
栗子は響にそう教え、腕を診察しようとする。
響は栗子の手を振り払い、落とした勾玉を同じ手で拾い上げようとする。
「だって他には」
「ダメだっつってんだろ。魔法ホルモンアレルギー、治すのどんだけ面倒だと思ってんの。ほら三本足、あんたからも止めてやって!」
『うむ、やめたまえ響くん! 武器ならここにある!』
「三本足?」
ヤタガラスがよろよろとエントランスに飛び込んできた。一本の長い棒を三本の足で持つ。翼の動きはおぼつかず、何度もバランスを崩しかけたが、その棒は離さない。
カラスは三人の前で力尽き、響の足元に落ちた。棒が転がった。
『拾いたまえ。早くするのだ!』
響はカラスを持ち上げようとした。
『そっちを先に持ちたまえ! 縦にだぞ。ええいクソッ、奴のブレインのせいで仮想召喚がもう持たん!』
ヤタガラスの体は酸でやられ、崩れたレンガによるものらしき打撲傷もある。
「ええと」
響はわけが分からないまま、言われた通りに棒を手に取った。棒は金属製。紗都希の形見の杖よりわずかに太い。また、わずかに短い。
梓はこの棒に見覚えがあった。
「それはコートの」
棒は、スカンクのコートを掛けていたトルソーの支柱だった。ポールの一部分だけが取り外されていた。
棒の片側の端には短い横棒があり、小さなT字になっている。響はこの端が上になるように持った。
『そうだ、いい勘しとるぞ! ヴェリィグゥッッッド!』
ヤタガラスは飛びあがり、棒のT字部分にとまった。
金属の棒の表面が溶けていく。
中から別の材質の棒が姿を見せた。
同時に翼を広げたヤタガラスの体が紫色に透き通り、硬質化してゆく。
『最後の教えだ、よく聞きたまえ響くん! 本はもうないが、紗都希くんはどこかで解除パスワードを口にしていたことがきっとある。君は聞いているかもしれん。心の奥底の記憶を探るのだ。君の心の底でグータラ眠っとる無意識の記憶、そいつを叩き起こすのだ。おそらくそこにヒントがある!』
硬質化が進む。
カラスの放つテレパスの力が弱くなる。
『おお、そうだ。事が済んだら、この畜生の体はウロボロスで元に戻してやってくれ。ではまたどこかで会おう! さらばだ! だだだ!』
「あっ。師匠っ」
呼びかけに返事はない。
ヤタガラスの体は、有色透明な像にすっかり置き換わってしまった。棒と像は組み合わさり、一本の杖になった。紫の像の内部、カラスの砂嚢であった位置に、三つの翠の宝石が煌めく。
響は呆然となったが、我に返った。
「これ、小さいときに家にあったのと」
「同じ形だね」
響は両手で杖を強く握りしめた。
そのとき、建物内も外も明るくなった。
建物内に自動音声でアナウンスが流れる。
『テレポート準備段階に入ります。近くにいる方は巻き込まれないよう管制塔内に避難してください。繰り返します。テレポート……』
外の景色が岩石砂漠のイメージに変わった。そこは瀧殿とブラッドノアの目指す場所。
響が杖を手に外に向かう。
梓も箒を手に響の後を追う。
栗子が呼び止める。
「ちょっと梓!」
「とめても無駄だよ。ある高名な軍人は、こう言っている」
「うるさい黙れ。時間ない。忘れ物よ」
栗子が勾玉を差し出した。響が床に落としたものだ。
「気合で使え。あとは運」
梓が苦笑いして手の平を差し出す。栗子はその上に勾玉をぽとんと落とした。
「『賽は投げられた』」
「あたしもいくからな」
「君も?」
「手よ。けが人病人二人もいるでしょ」
響の右手には、まだ拒絶反応による発疹が残る。
梓の両手には、化学熱傷がある。戯曲集を酸の中から出そうとしたときのものだ。
「一文字さん、その手」
「大事なものだったんだろう?」
「はい、ですけど」
「おい、もう魔法陣が」
三人が歩みを進める。建物から出た。
焼け付くような日差しの中、梓は静かに言った。
「ずっと昔にね、カルタが燃えたんだ。大事にしていたカルタが、火事で」
「かるた」
「そのとき、私も泣いたんだ」
「一文字さん」
響は梓をじっと見つめた。
梓は岩石砂漠の上に浮くブラッドノアを見つめ、香甲第二高校内での戦いと、島に来た時の星空を思い浮かべ、一句を詠んだ。
「す。『砂嵐にも揺るぎなき天の河』」
島や海が砂漠のイメージに覆われようとも、空が雨雲に覆われようとも、星々は宇宙で輝く。
「十七字、でも季節が」
「んなこと言ってる場合か。ほら」
真紅のゴーレム・ブラッドノアが黄金色の光に包まれる。
響は梓とブラッドノアを何度も見比べる。
「ヴ」
響がひとこと、口にした。
「あんたまで」
「ヴ、ヴ」
「いきなりは作れないよ」
栗子と梓は、それがブラッドノアの『ブ』のことかと思った。
「おい、もうやるぞ」
「やろう」
「ヴ、ヴ、ヴ、ヴ、ヴ」
「おい響」
「息吹さん」
響は言葉をとめない。響の目は一直線に、ブラッドノアの両目を見据える。
「こっち向いてる?」
「気づかれた! まずい、炎が」
ブラッドノアが炎の翼をはばたかせる。
砂漠に火災旋風が吹き起こる。三人を守るレンガの壁は、もうどこにもない。
旋風は勢いを増し、風音は唸りを上げる。
梓と栗子の声はかき消された。響の声も二人に届かない。
そのような状況下でも、響は言葉を続けた。
「ヴ、ヴ、ブ、ヴ、ブ、ブ、ブ、ヴ、ブ、ブ、ブ、ブ、ブ、ブ」
ヤタガラスの杖の頭部が、ブラッドノアに照準を合わせた。
単座式にカスタマイズされた頭部コックピット。
そこに座る瀧殿征真は、耳を疑った。
撃破した四機の状態を丹念に確認し終え、増援がないことも確認し、あらためてテレポートの準備に入った。そのとき、索敵の魔法波が声を拾った。
奇声だった。
ブーイングにも豚の鳴き声にも似ている。
水晶玉モニタの映像を見れば、鳴いているのは黒い帽子とマントに身を包む少女。赤い偽お嬢様と一緒にゴーレムに乗っていた少女だ。倒したゴーレムに登録情報がなかったため、彼はその名を知らないが――大城戸の使い魔を師匠と呼んでいた少女。
「何の真似だか知らないが」
もう構っている暇はない。くたばりぞこないの赤と、増援ともいえない白もろとも、消し炭にして終わりだ、と魔法を放つ。
炎の風が機体を取り巻く。ファイアー・ワールウィンドによる攻撃態勢。生身の体で防ぐことなど、そうそうできるものではない。
少女が杖を構えた。
クリエイトが来る――。
機体の予測機能が出した結論はそれだった。
附属校三号棟機をスキャンした際のデータと、ブラッドノアの機体に元々蓄積されていたデータに基づく結論だった。瀧殿自身は、なぜその少女のデータがブラッドノア内にあったのかわからなかったが――そのデータ、魔法の試行履歴と使用履歴によれば、この少女はドライブの技能水準が低く、ブレインの水準はより低い。
結果として、瀧殿は炎と風の強化に意識が向いた。ファイアウォールを張らなかった。
奇声がとまる。
そして予測が外れた。
ブレインの青い光が炎の渦を貫き、コックピットに飛び込んだ。
鋭い閃光が室内を飛び交う。
光が目を眩ませる。
「しまった、目つぶしか……!?」
瀧殿は片腕で目を庇った。
この間にあの少女が何かしてくるかもしれない。倒される心配など全くないが、テレポート先ではより激しい戦闘が待っている。これ以上の消耗は避けたい。
彼はそう思い、そっと腕の隙間から水晶玉を覗こうとした。
「うっ?」
生首になっていた。
水晶玉は、その中に生首を浮かべていた。その顔は、最も見慣れた男の顔。すなわち瀧殿自身のものだ。髪の毛を染めていないところが現在と異なる。首の断面からは血が滴る。
室内を見回した。
閃光は弱まり、いくつもの像が壁、天井、床に描かれる。
そのうち五つが、バラバラ死体だった。首と四肢のない胴体、右脚、左脚、右腕、左腕。胴体の首断面と水晶玉生首の断面の太さが一致する。
他の像もまた、瀧殿だった。生きてはいるが、重傷、瀕死、虫の息。その全てが制服姿で、流血で服と床を汚していないものはない。
彼はいっとき目を奪われた。
「フッ。ハハハ。ハハハハハハ」
自然と笑いがあふれ出た。
「こんなものが精神攻撃になるか」
確かに彼は香甲第二高校で何度も倒され、傷つけられ、殺された。しかし、それはわざと負けていたからに過ぎない。いま搭乗するこのゴーレム、ブラッドノアに血をしみこませ、乗っ取るための行為にほかならない。
「間抜けな連中だったな」
手抜きに気づかない間抜けな同校生。自分たちの血と戦いが利用されていることに気づかない連中。
瀧殿は同校生のことをそう評した。
その同校生たちの校内模擬戦の像も現れた。
この幻覚も恐れるに足りなかった。瀧殿にとって、実際に脅威と呼べるような者は少なかった。
「ブレイン、【イレイジャー】」
魔法で像を打ち消しにかかった。
像はあっさりと消えてゆく。同校生たちも、彼の生首も。
水晶玉に奇声の少女の姿が戻る。
彼はふと思った。
――あの女に似ているな。
――校舎の正体に気づいていた生徒は、俺と大城戸とあの女だけだった。 戦闘は大したことがなかったのに、模擬戦上位の同校生を俺と同じように、いやそれ以上に醒めた目で見ていたあの女。そうだ、窓の外に浮いているあの女だ。……外だと? なぜあいつは、あいつだけは外にいるんだ?
瀧殿が「あの女」と呼ぶその少女もまた、彼の生首のように、奇声の少女のように、透明な大きな球体の中にいた。
少女は静かに微笑む。それは彼が見たこともない表情だった。
不吉な直感が彼を襲った。




