人に歴史あり
三方から三人に迫る半透明の黒い壁は、ちょうど正三角形を作って接近を止めた。
そしてそれぞれの壁の中央に一つずつ光点が現れ、そこからいっせいに弱く青い光が放たれ、三人の顔を数秒照らした。
続いて複数の青い光線が出た。
光線は梓の炎瑪瑙の指輪、栗子のミサンガとピアス、響のアメジストの指輪と杖に当たった。体を動かしてもそれに合わせて光線も動き、それぞれの魔力変換補助装置を追いかけた。光を浴びた時間は響が最も長く、光線を受けた時間はアメジストの指輪が最も長かった。
壁から機械的な音声が出た。
『ピピピ……当校ノ学籍ナシ……。適用除外者ニ該当シマス……』
『適用除外者ニ該当シマス……』
『適用除外者ニ該当シマス……』
『校則違反対象外……。ピピピ……別途問題ヲハッケンシマシタ……。来客名簿ニ記載ナシ……』
『記載ナシ……』
『記載ナシ……』
「や、やばい?」
「まずいかも」
『情報転送中……転送完了。管理者ノ判断ヲ待チマス』
『判断ヲ待チマス……』
『判断ヲ待チマス……』
三つの壁はそれきり何も言わなくなり、動きもしなかった。
三人は正三角形の中に閉じ込められた状態だ。中の面積は約三・九平方メートル。一般的な浴室より少し広い程度で、三人いれば身動きがとりにくい。
「どうすれヴぁ」
響は戸惑いの表情を浮かべ、上級生二人を見た。
栗子が梓に尋ねる。
「破れそう?」
「斧にする箒がないよ。厚さも結構ある」
箒は壁の外側。壁は半透明ではあるが、反対側までは透けて見えない。
「上からだね」
視線を上に移動させる。
高さは三メートル。
「れーざーが出たら……」
「大丈夫だよ。ほら」
梓が空を指差し、響と栗子も空を見上げた。
大城戸ガラスが壁のちょうど真上十メートルほどの高さを飛んでいた。
『のぼってきたまえ』
響がはしごを作り、三人はそれを使って壁の上にのぼった。
乗ってみると、厚さは幅・高さと同じく三メートルあることがわかった。正面から見て壁と思われたものは、大きな立方体だった。
「これ、校長センセからもらった校内マップにあったじゃん。三かける三かける三のやつ。『ブラックキューブ』だっけ?」
「特訓装置じゃなかったみたいだね」
梓は箒とそれに取り付けた荷物を探した。校門の内側手前、チャイムが鳴る前と同じ位置にあった。
響が言う。
「特訓じゃ、ないんですか?」
「きっと監視装置だよ。ドライブ、複合式」
梓は遠隔操作で箒を引き寄せにかかる。
箒と荷物を確保すると、またも響が言った。
「特訓だと、思います」
「取り締まりに使うものだよ。あの音声の内容を考えれば」
どこかでドコオオオンと、大きな音がした。何あの音、と栗子が呟いた。
「特訓です」
「けっこう強情……」
言いかけて、梓は嫌な既視感に襲われた。轟音が続けて起きた。
「だって、あれ」
響が構内の道路を指差した。
道路上で、テニスウェアに身を包んだ女子生徒が猛然とラケットを振っている。必死の形相だ。
「い、いっ、いやあああああ! こないで! こないでえええっ!」
女子生徒の前方には、大きな黒い立方体が一つ。梓たちを取り囲んだものと同じ物体・ブラックキューブだった。彼女はそのキューブにテニスボールを何度も打ちつけていた。
スイングのたびにラケットが光り、轟音が生じ、輝く剛速球が飛ぶ。打たれた球はすべてキューブに当たって、剛速球の跳弾に変わる。校庭の彼方に消えるものもあれば、植木に当たって幹をへし折るものもある。数十メートル頭上の透明ドームに当たって再度反射し、芝生にめりこんだものもあった。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
『ピピピ……校則違反対象ヲハッケンシマシタ……。校則違反対象ヲハッケンシマシタ……』
キューブはヒビ割れだらけ。しかし無感情に、無慈悲に、女子生徒ににじり寄る。その無機質さ、無神経さが、女子生徒の恐怖を怒りに変えた。
「こないでって言ってるでしょおおおおおっ!!!」
絶叫とともにラケットのガット(ストリング)がほどける。ストリングは数本の剛強なワイヤーに変化してラケットから長々と伸び、キューブに襲い掛かって幾重にも縛り上げた。
「こんなもの、引き裂いてやるわっ」
血管がぶちぎれそうなほどの怒り。それが女子生徒の敵に届けられる。ワイヤーが締め付けの圧力を急激に増し、深く食い込んだ。
キューブの亀裂が広がる。破片が飛ぶ。
『校則違ハ……ン対象ヲ……ハッ……』
「ヤーッ!!!」
ダブルハンドでラケットを強く引いた。
『ケ……』
輪切りになって、グシャッとつぶれた。破片はより勢いよく、より遠くへ飛んだ。
「はあ、はあ……助かった……」
テニス部の少女は力が抜け、へなへなと地面に座り込んだ。
「やっぱり特訓じゃないと思うよ……」
「テニスでもないでしょ……」
「違うんですね。あっ」
『ピピピ……校則違反対象ヲハッケンシマシタ……』
「きゃあああああーっ」
新手のブラックキューブが現れ、テニス少女の横から迫る。一つのキューブは六つの平面に分かれて前後・上下・左右から少女を取り囲み、少女を中心にして元の立方体に戻った。キューブの展開から捕獲完了までわずかに二秒。激しい疲労があってはかわせない。
「とじこめられましたっ」
「行ってみよう!」
三人はマントの機能を使って飛び下り、目的のキューブのそばまで走った。キューブはテニス部の少女を閉じ込めて以降、移動していない。
本と杖を持つ響の足は遅い。
梓と栗子は響より早く到着し、二手に分かれ、左回り・右回りでそれぞれ側面を調べた。
合流して結果を知らせ合う。
「こっちに出入り口はないね」
「こっちも。そっちに換気口あった?」
「ないよ」
「やばいじゃん。窒息するかも」
「さっきのと同じだから、上もなさそうだね。下はどうだろう」
ブラックキューブはわずかに浮いている。
下面と路面の間に隙間がある。
梓と栗子は膝をついて覗き込んだ。
「よく見えないな」
「待って。何か聞こえる」
二人は立ち上がり、キューブの側面に耳を当てた。
「ああ……ああああ」
捕らえられた少女の声だ。
「どうして彼が……あの子の応援に来てるの……?」
ショックに打ちのめされた声。
「サーブ……入れなきゃ……入らない……入れなきゃ……入らない……」
「これは」
『過去のトラウマをほじくり出す悪魔の所業、要するに精神攻撃さ! しかもわざわざ喋らせる! まさに外道中の外道! 畜生にも劣る行為!』
大城戸ガラスがキューブの角にとまって吠えた。
『こんな恥ずかしい罠を考えたやつはオーラスにトリプル役満でも振り込んじまえ! ……言っておくがな、私は別に恥ずかしいトラウマなど持っておらんからな。決して三つ四つ持っておったりなどしとらんからな? 大事なことだから二回言ったぞ!』
「うるさい黙れ。響、ライト」
「はい。クリエイト、単独式!」
キューブの奥を照らす。その間に梓は荷物付きの箒を取り寄せた。
栗子はキューブに両手をつき、顔をギリギリまで近づけ、中を窺う。
表情が険しくなった。
「梓、割って」
「けがしてます」
『今、なんと?』
このキューブに取り込まれる前、中の少女は負傷していなかった。
梓が響の隣から覗き込む。カラスも上からキューブの中を見た。
暗い空間の中央に少女が浮いている。うなだれた頭部が上で、足が下。体の正面が梓たちの方を向く。両手両足は首と同じように力なくぶら下がる。その両手首と両足首に大きな傷があった。傷からだらだらと出血しているように見えたが、血とは別の粘っこい液体もそこから流れ出しているようだった。
「箒を」
「クリエイト、【サージカルナイフ】!」
栗子が魔法メスを数本投げ放ち、荷物の紐を切断した。
箒が使えるようになった。
今度は梓が魔法で刃物を作る。
「クリエイト、【ファイアーアックス】!」
箒はすぐに消防斧に変わったが、切りかかりにいかない。
「たぶん威力が足りない……」
『響くんもやりたまえ。刃を強化するのだ!』
「はいっ」
杖の先端を斧の刃に向けて魔法を放つ。響の強力なクリエイトの力が加わり、刃渡りが著しく伸びる。キューブの一辺の長さである三メートルを超え、峰もそれに見合うほどにぶ厚くなった。
「これならいける。離れて!」
栗子と響が梓の斜め後方に引き下がって距離を取る。大城戸ガラスは『このラインの外なら中の子には当たらん!』とキューブに目印の線を引いて、飛び立った。
引かれたラインは端から四分の一の距離。当てられる幅は七十五センチだ。
梓が端とラインの中間の位置に立つ。
柄に魔力を込め、刃に意識を籠める。神経は研ぎ澄まされ、刃も研ぎ澄まされる。金属の輝きと魔力の煌めきがキューブ内の暗い空間を照らす。大きく振りかぶった際に生じた風が、遠くの芝生を薙いだ。
「ドライブ、複合式!」
一刀両断。
そして直後に舞い上がる土煙。
強い加速を受けた刃は一気にキューブを割って、路面も割って、地を穿った。道路の舗装の小さな残骸がパラパラと崩れて、割れた地面の中に消えた。キューブの八分の一は衝撃で弾き飛ばされ、残りの八分の七の塊が道路上に残った。
割れ目を避けるために、さらに魔法で九十度横に回転させる。
「大丈夫ですかっ」
響たちが戻ってきて、箒にかけられた魔法を解除した。
「アックスは当たっていないけれど。まずは外へ出そう」
「はいっ……うっ!?」
梓を手伝おうとキューブに入ろうとした響だったが、中の血生臭さに思わず怯んだ。
「あんたは敷き毛布つくっといて」
栗子は何のためらいも見せず中に入った。魔法で防臭することもなく、血で服が汚れることもいとわず、平然と作業に取り掛かる。
「すごいです」
止血魔法を傷口に使って、二人で抱える。
「ちょっとそこ邪魔っ」
いつの間にか足下にカラスがいた。カラスはキューブの床にたまった血と粘り気の強い液体をじっと見つめる。
「飲むなよ」
『飲まんよ』
「食うなよ」
『食わんよ。私を何だと思ってるんだ』
「カラス」
言いながらキューブの外に出た。
『魔獣博士だ!』
「あんたが魔獣でしょ、三本足」
栗子はカラスにそういい捨てて、出した少女を毛布の上に寝かせた。少女に追加の処置を施すべく、簡易式のメディカルスキャンを始める。
「うわ……ヤバい。あちこち骨が折れてる。骨の破片がどっかに刺さってないか見ないと……。あとやんなきゃいけないのは消毒とヒーリング、魔法ホルモン抜きの血も作って……血液型は……」
輸血する際、活性化した魔法ホルモンが血液中にあると拒絶反応が生じることがある。主な自覚症状は激痛と吐き気。発熱、発疹、痙攣などの症状も起きうる。ただしホルモンの型が適合する場合には拒絶反応が生じない。
「救急隊を呼ぼう」
梓はスマートフォンで連絡を取ろうとしたが、回線がつながらない。何度試してもつながらない。
「どこかで落雷でも?」
ドームの外は雨。テニスボールの当たった個所に亀裂があり、そこから雨水が流れ落ちてくる。亀裂は大きくはないが、それでも水量は結構多く、いまだに豪雨が続いていることがわかる。
「いったん担架で保健室へ運ぼう。私はドライブが使える人と追加の箒を探してくる。医療魔法と遠距離ブレインが使える人もいればいいけど」
箒にまたがり、急発進。校舎へ向かって飛び立つ。
見送りは誰もなし。
カラスは魔法を放ってキューブの残骸と床の液体を分析し、響が心配そうにその様子を眺めていた。




