男子禁制。
「『かたつむり 壁を舐め舐め しめりけり』」
桜花咲き乱れる季節は過ぎ去った。
大型連休期まっただ中の四月末、教室内にはぬるい空気が充満する。
登校した生徒たちの多くはカタツムリ以上の鈍重さで動き、そのくせ噂話のアンテナだけはツノのようにピンと立て、他人の遊ぶ予定に敏感になっていた。
三日前に起きた緒志逗魔獣園の事件は各種メディアで大きく報道され、それが彼らの小さな不満のタネになった。レジャーランドのひとつが休業に追い込まれた上に、本来そこへ行く予定だった客が別のレジャー施設を混雑させるからだ。
梓は他の生徒たちとは違う理由で、それらの報道に注意を払っていた。
報道の内容は園の管理体制を批判するものが主で、不審な人物が関わっていたとするものはない。メディアで得た新たな情報は、事件当夜に園の糞尿処理施設と発電施設がまともに機能しなかった、ということだけ。
インターネット上でも話題になりかけたものの、それはあっという間に鎮静化した。野生のクマが都市部に出現しただとか、猿が動物園から逃げ出しただとかいったニュースを、いくぶん大げさにした程度の扱いだ。事件の夜にヘリから生中継された映像はひどく暗く、大型魔獣もゴーレムも映らない。面白おかしく動画を編集して盛り上げることもかなわない。警察が犠牲者について正しく公表しなかったことも、大きく影響していた。
昼休みになり、梓は栗子と一緒に廊下を歩く。
梓が一句詠み、ふう~ん、と栗子が感心しているとも小馬鹿にしているとも受け取れる曖昧な反応をした後、話題は自然とテレビのニュース番組のことに及んだ。
「顔出し報道なんかされなくてよかったじゃん」
栗子は欠伸をかみ殺して梓に言った。
「うざい記者どもと野次馬で休みつぶされるだけっしょ。ウザさ十倍モードなんてやってらんないっての」
守秘義務の名目の下、関わった事故について口止めされることは多い。今回も同様だ。
「そうだね」
梓が軽く答えたとき、ひとりの女子生徒が近づいてきた。
二つの三つ編みおさげと黒髪がまじめな印象を作っていて、しゃれっ気のない眼鏡がそこにダメ押しする。彼女は気弱な眼差しを梓に向け、呼びかけた。
「先輩」
「何」
梓はかつて彼女と話したことがあった。彼女は響と同じく一年生だ。
「相談したいことが」
「文芸部に入る気になったの? それはよかった」
隣で栗子が意地の悪い顔つきをする。どうだか、と物語っていた。
「いえ、あのカルタはちょっと」
やっぱりな、という表情に変わった。
「普通の句会や読書会もするから」
「ちがうんです。響ちゃんの……息吹さんのことで、わたし、あの子と同じ部屋なんですけど」
「息吹さんの」
「聞きました。お二人とも、響ちゃんと一緒にお出かけする仲だって」
「まあね」
栗子が答えた。
「んで、響がどうしたの」
「まだ落ち込んでいるのかな」
響が魔獣園で目を覚ましたとき、大城戸の立体映像は消えていた。本人に会ってもいない。当然、目的であるサイコメトリーの習得も未達成となった。
「あの、大きな声では言えないんです」
「どういうことよ」
「詳しく」
三人が顔を寄せ合う。一年女子がささやく。
「響ちゃん、男の人を部屋に連れ込んだみたいなんです」
「男!」
栗子が大声を出してしまい、同じ廊下にいた数人の生徒が振り返った。
梓は人差し指を使って栗子に注意し、一年生の少女には先を促した。
「もっと詳しく」
「まず、一昨日の夜からあまりごはんを食べなくなって」
「うん」
一昨日は日曜日に当たる。
魔獣園の事件が土曜日。その日、響は実家に泊まり、翌日の日曜午後に帰寮した。日曜日の夕食のメインは鶏のレバーだった。
「昨日の朝に、しばらく一人にしてほしい、と頼まれました。それでわたし、響ちゃんを寮の部屋に残して出かけたんです」
昨日月曜は祝日に当たり、登校する必要はない。
「そんで」
「街まで行って、お買い物して、忘れ物に気がついて、荷物も多くなったんで戻ったら」
「男がいた」
「声がしたんです。ちょっと素敵な、男の人の声が」
「まさか十六夜センセ?」
「そんな真面目な感じじゃなかったです」
「少しふざけてるような?」
梓が質問した。
「そうです。遊び半分みたいな雰囲気でした。わたし驚いて、ちょっとドアを開けたら、響ちゃんがあわててドアのところまでやってきて、入れてくれないんです」
「そりゃ怪しいわ。すっげー怪しい」
「そんな子じゃないと思っていたのに」
三つ編み眼鏡の少女は、受けたショックをあらわにして話す。
梓が質問を続ける。
「いつまで入れてくれなかったの」
「夕方までです。夕方に響ちゃんがお菓子をたくさん買いに売店に出かけたんで、そのときに入れてもらえました。男の人は帰ったみたいです」
「お菓子?」
栗子が聞き返す。
「お菓子です。空き箱もありました」
「お菓子……男とお菓子……。遊んでる感じ……。たけのこ?」
「どうしてわかったんですか!?」
「思い当たるフシがあんのよ」
栗子は絶大な自信を持って言う。
「誤解があるんじゃないかな……」
「何言ってんの。あんたもあのときの響見たでしょ。たけのこが証拠よ。次はアイス買いに行くから」
次があると聞いて、三つ編み少女はびくっと反応した。
「響ちゃん、また呼ぶつもりなんでしょうか。いけないことなのに」
「いけないことだよなー」
栗子は目を閉じ、白々しく言う。閉じた瞼の下には、好奇心の炎に焼かれ、燦然と輝こうとする瞳があった。
「私から息吹さんに注意するよ。このことは他の誰にも言わないで」
「わかりました。あの」
「わかってる。息吹さんには君から聞いたとは言わないよ。だから心配しないで」
梓は落ち着いた態度で言い、一年女子は心配げな表情を緩めて一礼した。
彼女が去るのを見送りつつ、梓は栗子に言った。
「古今和歌集には、こんな歌がある」
「どんな」
「『逢ふことは 玉の緒ばかり 名の立つは 吉野の川の たぎつ瀬のごと』」
「何それ」
「噂が立つのは早いということだよ。今日のうちに、息吹さんのところへ行こう」
「息吹さん、いいかな」
放課後、梓は栗子と連れ立って響の部屋の前までやってきた。終業のホームルームが終わって約一時間後のことだ。
ノックをして呼びかけると、ドアノブがゆっくりと回り、ドアがわずかに開いた。
響が隙間から顔を覗かせた。
「一文字さん」
梓は響に気づかれないように隙間から中を窺ったが、人の姿は見えなかった。相談してきた少女には夕食時まで別の場所にいてもらうよう、あらかじめメールで打ち合わせ済みだった。
「話があるんだ。中に入っていいかな」
「えっ。中ですか」
「まずいかな? ゴミが散らかっているとか……」
お菓子の空き箱があったという情報をもとに、圧力をかける。
「そんなことは」
「そんじゃ入るわ。お邪魔ー」
栗子がドアを強く引き、勢いよく中に進んだ。
「山崎さんも!? あのっ」
栗子の後を響が追い、梓が響の後に続く。
栗子は机の下、二段ベッド、窓の順にすばやく観察し、梓は天井と床を観察した。それらの場所に怪しい点はなかった。もっとも人が隠れやすそうなクローゼットには、まだ手を付けない。
「お話なら、メールでもアプリでも。みなさん忙しいって、ききました」
「直接会わなきゃダメなの。つか、ここに来たの仕事だもん」
「おしごと?」
「保健委員の仕事よ」
本当は突撃取材だ、などとは言わない。
「保健委員は医療系の魔法実習を兼ねて女子の体調管理をすんの。管理が一番必要なのはこいつなんだけど」
栗子は歩き回る梓を指で示した。
梓は机の上の教科書類を眺めるついでに、さりげなくクローゼットに近づこうとする。響もさりげなく先回りして進路をふさいだ。
「一文字さんの?」
「空飛ぶゴーレムのパイロットじゃん。おっこちたらまずいじゃん」
「そ、そうですね。でも、ふつう、パイロットはもっと大人の男の人が」
響は今までずっと抱いていた疑問を口にした。
「男に生理はないでしょ」
「せいり……って?」
「燃料とオイルの代わり」
「燃料って、おし……おしっこだけじゃ……」
「操縦もしやすくなるんだ。送った血が多いほど、自分の体のような感覚に。血は尿よりも魔法ホルモン濃度が高いから」
「えっ、えええっ、えええええーーーっ!? あ、あれ、あの汚物入れ……!?」
「ほんと変態システムだよな」
「国家プロジェクトだよ」
梓は大まかに説明する。
魔法女学生(の排泄物)から効率的に体液を収集・使用してゴーレムを起動する――。
このシステムは、ある魔法研究所によって完成されたという。公表された資料によれば、その研究所ひとつの建物と設備だけで何百億円も予算がつぎ込まれ、これまでの運営費を含めれば支出額は一千億円以上。関連する他の外郭団体の予算も含めれば二千億円以上、という推計もある。
「この国終わってるわ」
「かもしれない」
呆然とする下級生と、天下国家を憂う上級生たち。その構図は下級生が気を取り直したことで崩れた。
「あの、わざわざそのことを話しに?」
「んなことで来るかっつーの。変態システムなんて話のついでよ。今日来たのはあんたの食生活指導。一昨日、晩ご飯残したでしょ。ごはんは半分、鶏のレバーは全部だって?」
「おとといのレヴァー……はい。鳥の内臓は、食ヴぇる気がしないです」
「グロいの見たからってのはわかるけどさ、あんた、顔色良くないじゃん。レバーは血を作るのにいいの、知ってるでしょ」
レバーは鉄分、ビタミン、タンパク質を多く含む。
「はい」
「そこの図太い奴みたいに全部食えとまでは言わないけどさ、少しは食べなって」
「はい」
「それと」
栗子は少し間を置いた。その間に、梓がゴミ箱の中からお菓子の空き箱と菓子パンの袋をいくつも取り出した。
梓が言う。
「おやつはほどほどに」
「あっ」
驚く響を尻目に、梓は空き箱と空袋を机の上にどんどん並べた。
「たけのこ、たけのこ、クリームパン、クリームパン、ポテトチップ、チョコ、あんパン、クリームパン、たけのこ、クリームパン……おや、カップラーメンの器もある」
証拠を押さえたことに満足し、栗子はニヤリと口元に笑みを含ませた。
「ひーびーき~?」
大仰な作り笑いに切り替え、響の顔に自分の顔を近づける。
「美味しそうなおやつだねえ。寮のごはん残すわけだ。一人でどんだけ食ってんのかなー?」
「お友達と……」
響は目を合わせようとしない。
「ふ~ん……。まあいいわ。とりあえずメタボ健診だけやっとく。さあ脱げ」
「う」
「授業終わったのに、いつまでも制服着てることはないでしょ。着替えのついでよ」
「は、はずかしいですから」
「女同士で何言ってんの。梓、響脱がせといて。着替えはあたしが取ってくる。ファッションチェックもしとくかー」
梓が響の背後に回り込んで、両腕を取り押さえた。
そして満を持して、栗子がクローゼットに向かう。本当の目的は男の好みのチェックだ。これまでの反応から、男は今日もいるに違いない、と確信していた。女の直感、魔力付き。
「あっ、そこはだめ」
「さあて、響の好みはどんなもん――」
戸を一気に開けた瞬間、栗子の動きがピタリと止まった。
「……デブ?」
「え?」
梓も響を放し、クローゼットのそばに寄った。横から覗き込む。
響の客は、内部の敷板の上に仰向けで寝転んでいた。
でっぷりと膨らんだ腹。はちきれんばかりにオヤツを詰め込んだことは、口の周囲を汚す食べカスを見ても明らかだ。
次に目がいったのは足。腹とは対照的に足は著しくスマートで、一本目の足にも二本目の足にも、そして三本目の足にも、余計な肉や脂は一切ついていない。
クローゼット内にいた生き物は黒い両翼で太鼓腹を叩きつつ、トロンととろけそうな両眼で探索者たちを見上げる。全長は六十センチほどだ。
「何なのコイツ?」
「カラス、です」
「カラスなの? 北京ダックの出来損ないみたいじゃん。つか、足おかしいし」
栗子は鳥を引きずり出そうとしたが、てかてかと光る羽毛に妙な脂っこさを感じて取りやめた。羽毛に刻みネギが挟まっていた。カップラーメンの具の一つだ。
「ヤタガラスだ。魔獣園にいたんだね」
梓が問いかけた。
響は観念した様子で言う。
「いつのまにか家までついてきて、離れなくなったんです。お腹もすかせてたみたいだから……」
必要以上に満腹のカラスがとびかかってきたり逃げ出したりする恐れはないので、梓はよく観察しようと顔を近づけた。カラスは梓を一目見て、ピタッと動きを止めた。それから何事もなかったかのように二度三度ゆっくり周囲を見回し、また腹を軽く叩きだした。
「寮までついてきちゃったの?」
「はい」
今度は栗子が観察しながら響に問う。カラスは栗子の観察に対しては真正面から向き合った。栗子がいったん響の方を向いた際には、カラスの方が栗子をじっくりと観察していた。梓はそれを脇から眺めた。
「返さないとまずいっしょ」
無断で飼うことは、寮規則にも魔獣の管理に関する法律にも違反する。
「飼いたいんです」
響はボソッと言った。
「変な趣味してんのね。でも許可下りるかねえ、カラスで」
「飼いたいんです」
二度目は強い口調で言いきった。上級生二人に対してはあまり見せない態度だ。
栗子は少し怯み、大きく迷い、そして言った。
「そんじゃあさ、こいつのことは黙っててやるから、教えてよ」
「何を、ですか」
「あんたのカレシ。いるんでしょ? 今日は来てないみたいだけど」
「あの、何を?」
「とぼけんなって」
「とぼけていないと思うよ」
梓が口を挟んだ。響が不思議そうに見つめる中、栗子が梓に耳打ちする。
「男の声がしてたって、言ってたじゃん」
「そこにこだわるね」
「恋バナ以上に面白い話あんの?」
「ないね。恋愛話じゃないけど……」
そこでいったん区切った。
「君が秘密を守れるのなら、その声が聞けるよ」
続きは声の大きさを抑えることなく言った。カラスがせわしなく何度も頭を上下に動かした。
「何言ってんの?」
「ある高名な家訓には、こう書いてある」
「なんて」
「『窮鳥懐に入れば猟師も殺さず』。続きは私たちの部屋で話そう」




