05.13 馬場と騎士と企みと 後編
「凄いな……」
馬場の中に設置された観戦塔から、シノブはミレーユとその愛馬リーズが駆ける様を見ていた。
領都セリュジエールの外には領軍の演習場がある。攻城兵器の試射などは、10km以上離れた大演習場で行われる。そのため、この演習場はどちらかといえば訓練場というべきものだった。
とはいえ、演習場と併設された馬場を合わせて3km四方はあるらしい。そしてその中には、山あり谷ありの自然を模した『戦場伝令馬術』用のコースもあった。
観戦塔からは、人の背ほどもある生垣や、丸太で作られた柵、広々とした池などが見える。シノブの隣にいるシャルロットが教えてくれたが、池の深さは1m近くもあるという。
こちらの軍馬は身体強化能力のおかげで地球の馬より高い能力を持つ。そのせいかシノブの眼前のコースは、オリンピックで見た総合馬術のコースよりも遥かに厳しいもののようだ。
そして、そのコースをミレーユと愛馬リーズは、まさに人馬一体という言葉の見本のように軽やかに駆け抜けていく。
「本部で言った通り、ミレーユは伝令騎士と比べても遜色がない。いや、それ以上だからな」
シャルロットは、ミレーユの馬術について解説する。
今日はアリエルが領軍本部で留守番をしているため、いつも影のように控える副官の姿はない。それゆえ彼女がシノブ達への説明役となっていた。
この演習場に設置された『戦場伝令馬術』用のコースは約12kmである。馬場の中を折り返すように設置されたコースは、距離以上にアップダウンの厳しさや巨大な障害物の険しさが目立っていた。
並の伝令騎士は、このコースをおよそ15分で駆け抜けるという。だが、ミレーユの最高記録は12分である。シャルロットの説明を聞き、シノブは彼女の馬術がいかに優れているか理解した。
「あの生垣を飛び越すのか。ヒポでも飛び越せるが、確かにこちらの軍馬のほうが向いているだろう」
イヴァールは、己の背よりも高い生垣を見て唸りを上げた。
ドワーフ馬のヒポは軍馬達より肩高が40cm以上も低く足も短い。そのため、障害の跳躍は足が長く跳躍力に優れた軍馬のほうが有利である。
「やっぱり『戦場伝令馬術』は無理かな? 他の種目にする?」
そもそも何が何でも『戦場伝令馬術』をしたいわけではない。
ドワーフ馬の能力を疑っていている騎士達に、ヒポが戦場で活躍できると示すことができれば良いのだ。
イヴァールによれば、領軍本部でイヴァールと武術訓練をしている騎士達の一部に、ヒポの能力を疑う者がいるらしい。
岩猿達を蹂躙したイヴァールとヒポの勇姿が目に焼きついているシノブからすれば噴飯物だが、彼らは首が長いカバのようなヒポの外見だけを見て侮っているようである。
「しかし、王国では『戦場伝令馬術』が盛んなのだろう? これで勝てばヒポの面目も立つだろう」
イヴァールは賢い愛馬が、周囲に侮られているのに敏感に反応しないかと心配している。そのため、できれば華々しい成果を見せ付けたいようだ。
「あっ、ミレーユさんが戻ってきました!」
アミィの言うとおり、『戦場伝令馬術』用のコースからミレーユと愛馬リーズが戻ってくる。
シノブ達は観戦塔から降りると、彼女を出迎えた。
「13分ですか。まあまあですね」
ミレーユは馬丁達に愛馬を預けると、シノブ達に声をかける。
飛び越し不可能な池や水濠を渡ってきたため、リーズの腹から下は濡れたままだ。そして、ミレーユが装備している騎士鎧も、膝あたりまで濡れている。
馬丁達はリーズの体を拭き、馬体の様子を確かめる。ミレーユは従卒達が濡れそぼった板金付きの軍靴を拭き終わると、彼らに礼を言ってからシノブ達へと近づいてきた。
「何を言う。ヴォーリ連合国へと旅したり、このところ馬術訓練をする時間も少なかったではないか。
それで13分なら上出来だろう」
シャルロットは、観戦塔の上方にある大時計を眺めながら言う。この観戦塔は時計塔でもあり、正式な競技以外は、時計塔で記録を確認するらしい。
ちなみに時計はメリエンヌ王国ではそれなりに普及している。領都中央の大広場にも時計塔はあるし、伯爵の館の主要な部屋には立派なホールクロックもある。
小さな村々はともかく、ある程度以上の町では日中は時計塔が15分毎に鳴らす鐘の音で時間を容易に確認できるのだ。
「ありがとうございます。どうですか? シノブ様達もやってみます?」
ミレーユはシャルロットに一礼すると、シノブ達に声をかける。
彼女の誘いに、シノブはイヴァールを見た。なにしろ今回はイヴァールとその愛馬ヒポのために来たのだ。シノブが彼らを見るのは当然だろう。
イヴァールは、出走するための準備を終えているようだ。
彼は、ヒポの鬣を撫でながら何かを話しかけていた。全体的に丸っこいヒポは、イヴァールをつぶらな瞳で見つめ、彼の声に合わせて僅かに首を上下に振っている。
まるで頷いているかのようなヒポの仕草に、シノブは思わず微笑んでしまった。
「……そうだね。当然イヴァールが……」
シノブがミレーユに答えようとすると、遮るようにシノブの軍馬リュミエールが嘶いた。
「リュミは走りたいみたいですよ? きっと、シノブ様に良いところを見せたいんでしょう」
「いや、俺は普通の乗馬しか経験がないし……」
アミィは薄紫色の瞳を悪戯っぽく輝かせるが、シノブは思わず頭に手をやりながら答える。ベルレアン伯爵領の滞在中に乗馬を学んだが、まだ基礎を修めたにすぎないとシノブは思っていたのだ。
「ヴォーリ連合国への旅で結構上達したと思うぞ。アルと同じでリュミなら大丈夫だ。シノブ殿。愛馬に活躍させてやるのも飼い主の役目だ」
アルとはシャルロットの軍馬アルジャンテの愛称だ。彼女もアミィ同様に微笑みながら、『戦場伝令馬術』への挑戦をシノブに勧める。
「わかったよ。振り落とされないように頑張るさ」
皆の言葉にシノブは笑みで応じた。そしてシノブは愛馬リュミエールの穏当な走りを願いつつ、首を振って喜ぶ彼へと向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
「13分半ですか……しかもアミィ殿も……」
シメオンは、シノブやアミィの『戦場伝令馬術』の記録に驚いたようだ。
馬場から戻ったシノブは、いつものように領政について教わりにシメオンの執務室へと足を運んだ。そして今日の講義は終わり、イヴァールと共に三人でお茶を飲んで雑談中である。
「いや、俺はリュミに乗ってただけだよ。あいつの能力は本当に飛びぬけているね。むしろ、フェイを上手く操ったアミィのほうが凄いと思うよ」
シノブは頬を染めつつ応じる。
言葉の通り、シノブはリュミエールの背に乗っているだけであった。賢いリュミエールは全ての障害を見事に飛び越え、池や水濠をあっという間に渡っていった。
むしろシノブは、アミィの馬術にこそ驚いていた。
アミィはスマホから引き継いだ能力で、時間を正確に知ることができる。シノブは、彼女が自分達の記録を上回らないように調整していたのではないかとすら思っていた。
「とにかく俺はリュミの好きなように走らせただけだよ」
「なるほど……それで、肝心のイヴァール殿は?」
シノブが誤解されないように愛馬の力だと強調すると、シメオンは僅かに笑みを浮かべた。どうやらシメオンは、シノブの胸中を察したようだ。
そして話を転じようとしたのだろう、シメオンはイヴァールの記録を問う。
「……16分だ」
「それでも大したものですよ。ちなみに私は19分です。もっともこの五年くらいはやっていませんが」
無念さを滲ませたイヴァールに、シメオンは慰めるつもりか自分の記録を持ち出した。
シメオンは内政官だが、武勇で有名なベルレアン伯爵家の分家ビューレル子爵家の嫡男でもある。当然ながら彼は、それ相応の武芸や技能を習得しているのだ。
「お主は文官だから仕方なかろう」
イヴァールの言うとおり、シメオンの記録は決して恥ずかしいものではない。シャルロットが言っていたが、文官で20分を切れば上出来のようだ。
「そうですね。それで、どうするのです?」
「いや、シメオンにも相談したくてさ」
問うたシメオンに、それこそが聞きたかったことだとシノブは返す。
そもそもどんな勝負をすべきか、シノブはまだ決めかねていた。馬とドワーフ馬は似ているが、別種の生き物だ。同じ条件で競っても、どれだけの意味があるのだろうか。
「私は『戦場伝令馬術』で勝負すべきだと思いますね。別に勝つ必要はないのでは? ……並の騎士なら16分台から17分台です。ドワーフ馬で伝令騎士に近い記録が出せるなら充分ですよ」
シメオンは、無理に勝つ必要はないと指摘した。
確かに16分でも伝令以外の騎士なら充分な記録だから、戦場で役に立つ証明として充分だろう。何しろ条件的に不利なドワーフ馬である。
イヴァールとヒポが並外れた実力の持ち主だと理解してもらうには、シメオンが示した数字でも問題なさそうだ。
「お主の知恵で何とか勝てんか?」
シメオンの言葉に、イヴァールは苦い顔をした。
彼としては、アハマス族のドワーフ馬競争で一等になったこともあるヒポに出来ることなら勝ってもらいたいようだ。
シノブも、今まで群れで一番だったヒポだけに、そのプライドは高いのではないかと思っていた。もしそうであれば、中途半端な結果では今後ヒポが萎縮してしまうかもしれない。
シノブは、イヴァールはそれを恐れているのだろう、と考えていた。
「……そもそも今回難癖をつけてきたのは誰ですか?」
イヴァールの真剣な様子に、シメオンは少し考え込む様子を見せた。そして、彼の愛馬ヒポに文句をつけた人物について質問する。
「グレゴール・ジョフレという男だ。騎士階級らしいな」
イヴァールは、少し顔を顰めた。どうやら苦い記憶が甦ったらしい。
「ジョフレですか……前言を撤回します。これは本腰を入れたほうが良いでしょう」
イヴァールの言葉を聞いたシメオンも、彼の表情が伝播したかのように眉を顰めた。そして彼は、今までの寛いだ様子から居住まいを改める。
「ジョフレはジャレット参謀と繋がりがありましてね。
ほら、シノブ殿に口出しされることを嫌った参謀ですよ。ジャレット参謀の差し金だとしたら、本職の伝令を出してくるような大人気ない真似をしても不思議ではありません」
シメオンは、ジョフレという騎士は、参謀のジャレットの一派だという。
魔術指南役となったシノブが戦術に口を出さないか、ジャレットは警戒しているらしい。誇り高い軍人であれば素人の介入を嫌がるのも当然だが、彼は少々拒否反応が強いとシノブも感じてはいた。
「それってミレーユみたいな?」
シノブは眉を顰める。ミレーユのような飛びぬけた乗り手が出てくるのかと思ったのだ。
「ええ。領都本部一の伝令なら12分台を出します。普通の騎士と16分台くらいで競って打ち解ける、なんて甘いことはなさそうですね。
16分でも充分な記録ですが、12分台が出たら見劣りします。恥をかかせるつもりなのでは?」
シメオンの警戒が当たっているかはわからない。
だが、確かに領内最高クラスの馬術を前にしたら、並の騎士なら妥当な結果とわかっていても見劣りするだろう。もしかすると、圧倒的な差を見せつけて挑発する思惑なのだろうか。
参謀なら、そんな策略を企むこともあるのか。シノブは半信半疑であったが、否定できる材料もない。
◆ ◆ ◆ ◆
「……そこまでするか?」
しばしの沈黙の後、イヴァールは今一つ信じきれない様子で問い返す。どうやら彼は、シメオンが穿った見方をしていると感じたようだ。
「シノブ殿の実績には文句のつけようがありません。
先日の『アマノ式伝達法』も領政庁で早速採用を検討しています。それに閣下から、軍も正式採用するだろうと伺いました」
『アマノ式伝達法』とは、シノブが教えたモールス信号のような音や光の長短による通信方法だ。
明かりの魔道具があるこの世界では信号灯はすぐ用意できるし、普及すれば夜間危険を冒して早馬を走らせる必要はなくなる。シメオンは情報伝達に革命的な進歩がもたらされると考え、早速上申したらしい。
「そしてイヴァール殿の武勇も、流石は大族長の息子と評判です。なにしろ模擬戦では向かうところ敵なしですからね。
要はヒポくらいしか、恥をかかせる相手を見つけられなかったのでしょう」
シメオンは、シノブ達の中で最も手を出しやすそうなところを突いてきたと考えているようだ。
「ヒポは俺の友だ! そんなことは許さんぞ!」
愛馬を本当に大切にしているのだろう、イヴァールは大きな声を上げる。
「私もです。……ヒポは貴方の相棒、貴方はシノブ殿の従者。シノブ殿の評判を高めたい私としては、見過ごせません」
シメオンは淡々と己の考えを披露する。
淡々とした様子を崩さない貴公子に、シノブは微笑みを向ける。ヒポへの同情ではなく、ベルレアン伯爵家の未来のため。そうは言いつつも、決して計算や策謀のみではないと感じたからだ。
「それで、何か策はあるのか?」
イヴァールは、セランネ村でタネリを見事にやりこめたシメオンの知恵に期待しているようだ。
「……厳冬期の山越えではドワーフ馬に酒を飲ませますね。酒を飲ませたら速くなったりしませんか?」
シメオンは少し考えた後、酒とドワーフ馬の関係について問い返す。彼はヴォーリ連合国への旅路、ヴァルゲン峠でのイヴァールとの語らいを思い出したらしい。
「残念ながらそれはないぞ。そんなことで速くなるなら、年中飲ませている」
イヴァールは、素っ気無く返事をする。彼の言うとおり、酒で速く走れるなら、とっくに飲ませているだろう。
「確かにそうですね。シノブ殿。やはり貴方の魔術の出番では?」
「インチキをする気はないよ」
シメオンは魔術で何とかならないかと問うが、シノブにズルをするつもりはない。そこでシノブは、きっぱりと自身の意志を表明する。
「そうではなくて、ドワーフ馬の力を引き出す魔術とかありませんか?」
「そんな都合の良いものは……」
シメオンが期待しているのは、体力回復の魔術のようなものだろうか。そう思ったシノブの脳裏に、初めて領都に来たときにアリエルの乗馬メリーを回復した一件が過る。
しかし体力回復の術式を使っても、元の能力以上にはならない。そして最高の調子のまま走り続けても、今回は足りないだろう。
それに何百mも向こうまで体力回復の魔術を届かせるなど、シノブでも不可能だ。そもそも常人なら接触している相手のみ、シノブでも数十mくらいである。
「でしたら馬の効率的な訓練法などは? 『アマノ式伝達法』のように、貴方の知識には我々の知らないものが沢山ありそうです」
シメオンは、モールス信号のようにシノブの持っている知識に期待しているようだ。
「向こうでは乗馬したことも碌にないんだけど……馬のトレーニングねぇ。水の中でやるとか聞いたことはあるな……」
怪我した馬を回復させるとき、プールで泳がせることがある。日本にいたときに耳にした知識を、シノブは思わず口にした。
「それはどういう理由なのだ?」
「脚に負担をかけずに心臓や肺、筋力を強化できるとか……浮力があるから体の負担が少ないんだよ。ほら、ガンド達の魔力を遮ったら立てなくなっただろ。あれの逆だね……」
怪訝そうなイヴァールに、シノブは岩竜達との対決を例に説明していく。
岩竜ガンドとヨルムの動きを封じるため、シノブは彼らと逆位相の魔力波動をぶつけた。すると竜達は魔力を使えなくなり、巨体を支えきれなくなった。
これなら共に戦ったイヴァールやシメオンも詳細に記憶していると、シノブは思ったのだ。
「貴方の魔術で岩竜達が地に伏せた件ですね。ですが、これから筋力強化しても時間が掛かるのでは?」
今から筋力を強化しても効果がいつ出るのか、シメオンは疑問に思ったようだ。確かに解決まで何ヶ月も掛かるようでは、ヒポの助けにならないだろう。
「そうだぞ。ヒポのことを考えると、あまり勝負を引き伸ばしたくない。他に何かないか? ……おい、シノブ! 聞いているのか!」
イヴァールは愛馬ヒポが侮られる現状を、なるべく早く解消したいのだろう。そのため彼も長期の訓練では意味がないと思ったようで、もっと別の案をと言い出す。
一方のシノブは黙りこくったまま、それをイヴァールは不審に思ったらしい。彼はシノブの肩を揺すり、大声で叫ぶ。
「そうだ、魔力だよ! イヴァール、これなら勝てる! いや、勝てなくても良い勝負ができるぞ!」
シノブは、思わず立ち上がり、イヴァールへと笑いかける。
「お主、まさか魔術で誤魔化すのか? 色々考えてくれるのは嬉しいが、そこまでして勝つ気はないぞ」
イヴァールは、シノブがイカサマをするのかと懸念したらしい。シノブに危ない橋を渡らせるより、素直に負けを選ぶと口にした。
「そんなことはしないさ。まあ、とにかく試してみてからだね!」
シノブは、怪訝そうなイヴァールに悪戯っぽく微笑んだ。
自信たっぷりのシノブに、イヴァールとシメオンは大きな希望を感じたのだろう。二人の顔も、シノブに負けぬほど明るく輝いた。
お読みいただき、ありがとうございます。




