03.07 司令官シャルロットへの手紙
「領都第七伝令小隊所属、リエト・ボーニであります! 本部から第二級指令書をお持ちしました!」
正午近くのヴァルゲン砦の司令室。司令官であるシャルロットおよび数名の幹部が集う中、領都セリュジエールから来た伝令が高々と声を響かせた。そして伝令は執務机に着くシャルロットに綺麗な敬礼をすると、若々しい声で要件を伝える。
早駆けを誇る伝令だけあって、ボーニと名乗った男は細身で専用の軽装鎧が似合っている。面立ちからすると三十歳前後らしいが、動作も機敏で若者のようですらある。
後ろには更に二人、同じく伝令が控えている。こちらは少々若く、おそらくは二十代半ばだろう。
「……本物の伝令だろうな?」
大男が伝令に歩み寄り、乱暴な口調で問いかける。シャルロットの脇に立っていた、身長2m近い熊の獣人らしい巨漢だ。
巨漢は室内だというのに全身鎧を装着している。流石に兜は被っていないが、腰に大剣を佩いたまま大股に近づく姿は、大人でも逃げ出しそうな迫力がある。
「嫌だなあ、ポネット補佐。ほんの数日前、一緒に飯を食った仲じゃないですか」
ボーニは上からゴツイ顔を寄せてくる大男に怯む様子もなく、それどころか笑顔で答える。言葉通り彼は、このポネットという男と相当に親しいのだろう。
「まあな。お前の赤毛と青い目は忘れちゃいねえよ。後ろはピオとヤニクか。……領都の生活はどうだ?」
ポネットなる巨漢も、厳めしい顔に微かに笑みを浮かべながら伝令達に問いかける。
「そりゃ砦よりは便利で快適ですよ。こっちより暑いのは参りますが」
苦笑を浮かべながらボーニが応じると、残る二人も頷いた。
ヴァルゲン砦はリソルピレン山脈の中腹にあり、領都より標高が高い。夏真っ盛りだが涼しさすら感じるくらいだ。
「そうか。馴染めているなら良いさ」
ポネットはつい先日までの部下の動向が気になっていたらしい。厳つい顔をした筋骨隆々の巨漢だが、司令官補佐を務めるだけあって部下思いなところもあるようだ。
「こっちはどうですか? なんだか北から来る隊商の数が少ないようですが?」
「ああ、どうも最近ヴォーリ連合国からの荷が滞っているようだな。
ドワーフ共も暑くて仕事にならないんじゃないか? 北でも鍛冶場は暑いだろう……もう少し涼しくなりゃ押しかけてくるだろうよ!」
以前の勤務地が気になるらしきボーニに、ポネットは冗談交じりに笑い返した。
おどけただけか、それとも本心からか。表情からは判然としないが、少なくともポネットが深刻に捉えていないのは確かだろう。
「ポネット、もう確認は充分だろう? それに私もボーニを覚えているぞ。ボーニ……急な転属、済まなかったな」
親しげに話す二人に、シャルロットが声を掛ける。
ポネットは自身の補佐役、ボーニも先日までの部下である。そのためシャルロットも気安げで、注意をしつつも微笑みを浮かべていた。
普段は凛々しく引き締められている整った容貌も、珍しく年相応の柔らかさを宿している。シャルロットも元部下の元気そうな姿を喜んだのだろう。
「はっ! 覚えていてくださるとは光栄であります! それに、伝令として偽者など許せません! 領都でも問題なくやっておりますのでご安心ください!」
ボーニはシャルロットに小さく敬礼し、執務机へと近づいていく。
実は偽伝令の一件を踏まえ、各地の伝令部隊の半数を入れ替えた。そして入れ替えた伝令が旧任地への伝達を受け持ち、急場の偽者防止対策としている。
伝令のボーニと二人の従者もヴァルゲン砦から領都への転属で、数日前から砦担当の伝令として勤務していたのだ。
「それでは指令書をお渡しします。アリエル殿、よろしくお願いします」
「ご苦労様です」
ボーニは指令書の入った封筒を取り出すと、シャルロットの側近アリエルに差し出した。
受け取ったアリエルは、封蝋や封筒自体を飾る紋様などを確かめていく。これも偽者対策の一環で、彼女は裏表に手触りと入念に調べてからシャルロットに渡す。
「第二級ですか……どのような指令でしょう?」
同じく側にいたミレーユが、開封して読み進めるシャルロットに問いかける。
メリエンヌ王国の軍制だと、指令書は重要度の高い方から特級、第一級、第二級、第三級となっている。特級は可能な限り迅速に対応すべき指令で、内容も極秘とされる。第一級は迅速な対応が求められるが、その内容には通常の業務伝達も含まれる。そして第二級以下は、急ぐ必要のない一般的な通達となる。
そのため問えば教えてくれるだろうとミレーユも気軽な様子、先輩のアリエルも窘めない。
「……帰還だ。当面の間ポネットを司令官代理とし本部に出向するように、と書かれている」
「えっ、またですか!?」
シャルロットが応じると、ミレーユは表情を変えて叫ぶ。もっともシャルロットも意外だったようで、細い眉を顰めつつ書面を読み返している。
「もしかして偽者では!?」
ミレーユは伝令のボーニへと向き直り、敵であるかのように睨みつけた。まるで戦闘中のような素早い動きに、後ろで纏めた赤い髪が大きく翻る。
「本物ですよ! ミレーユ殿も私を覚えているでしょう? それに、これは閣下から直接手渡されたものです!」
「そう言えば父上の署名だが……お爺様はどうされたのだ?」
たじろぎつつもボーニが弁明すると、シャルロットが顔を上げる。
ベルレアン伯爵領軍の最高司令官は領主のコルネーユ、しかし内政もあるから彼は父の先代伯爵アンリに軍を預けた。アンリも老いて益々盛んだから、喜んで次席司令官を務めている。
最初は帰還指示に気を取られたらしいシャルロットだが、祖父はどうしたのかと思い至ったらしくボーニを注視する。
「先代様は王都に赴かれました。昨日、それも急な出立でして……」
伝令のボーニは少し困ったような表情でシャルロットに答える。
先代伯爵の唐突な王都訪問は、領軍本部でも噂になっていた。しかしマクシム捕縛との関連が想像できるだけに、ボーニも言い淀んだのだろう。
対するシャルロット達だが、こちらも理由に思い当たったようで問い返しはしない。
「それと閣下から、司令への私信をお預かりしております」
沈黙を嫌ったのか、ボーニは口早に言葉を紡ぐ。そして彼は更なる一通を取出し、先刻同様にアリエルへと渡す。
もしかすると、こちらが本命と思ったのだろうか。アリエルは手順通りに検めつつも手早く済ませ、シャルロットへと差し出した。
「ふむ……ありがとう。明朝、帰還する。……ポネット、済まないが再び代理を頼む。今回は少し長くなるかもしれない」
父からの手紙に目を通したシャルロットは、何故か険しい表情となる。そして彼女は緊張を漂わせたまま、司令官補佐のポネットに後事を託した。
◆ ◆ ◆ ◆
そして翌日、ヴァルゲン砦から100kmほど南の領都セリュジエール、その中央のベルレアン伯爵家の館。
この日の午前中も、シノブ達はミュリエルとミシェルに魔術指導をした。そして今、伯爵家の家令ジェルヴェからメリエンヌ王国の歴史について教わっている。
いつも通り場所は逗留中の貴賓室、侍女のアンナが控えているのも前日までと同様だ。
「……このようにフライユ伯爵家は、長年ベーリンゲン帝国の攻勢を防いでおります。王領や他の伯爵領が接する国々とは何百年も戦がなく交易も盛ん、しかしフライユ伯爵領のみは侵攻に晒されており負担も相当に大きいはずです。
王国としてもフライユ伯爵家には様々な優遇措置を設け、大規模な侵攻となれば我々も援軍を出します。ですが帝国は魔道具技術に長けている上に精強、幾度か国境線を後退させたことすらあります」
ジェルヴェが語るのは、東隣のフライユ伯爵領とその向こうのベーリンゲン帝国についてだ。
ここベルレアン伯爵領が接しているのは北のヴォーリ連合国だが、早くからの友好国で気をつけるべき点はない。そのためだろう、ジェルヴェは最も警戒すべきベーリンゲン帝国に重点を置いていた。
「ベーリンゲン帝国との戦いが続くのには訳があります。我が国や他の国々とは違って帝国には奴隷制度が存在します……帝国では獣人族は全て奴隷にされているのです。
帝国の侵攻も、獣人族の確保が主要な目的だと言われています。実際に二十年前の戦いで我々が出兵した際も、未帰還の兵が多数出ました。それにフライユ伯爵領には、人攫いが度々侵入していると聞いております」
ジェルヴェは沈痛な表情となっていた。彼も狐の獣人だから他人事ではないし、親しい同輩などにも行方不明の者達がいるのかもしれない。
アミィやアンナも憂いを顕わにしている。特にアンナは微かに震えてすらいた。
シノブも暗澹たる気持ちとなった。アミィは狐の獣人でアンナは狼の獣人だから、もしものことがあったらと思わずにはいられなかったのだ。
神々の眷属たるアミィはともかく、アンナは普通の女性でしかない。ここまで人攫いは来ないというが、先日のシャルロット暗殺未遂の例もある。決して油断できないと、シノブも肝に銘ずる。
「帝国には高度な魔道具技術を用いた『隷属の首輪』が存在します。首輪を付けられ奴隷となった獣人達は逆らうこともできず酷使されるのです。
ベルレアン伯爵領は帝国と隣接しておらず、行方不明者も出兵時のみです。しかしフライユ伯爵領、特に国境を中心とした一帯には厳重な守りが必要なのです」
ジェルヴェの表情は、今までシノブが目にしたことのないほど険しかった。それに固い意志を宿した声は、何百年も続いた厳しい戦いそのもののように重苦しく広がっていく。
「フライユ伯爵家はブリジット様の実家だね」
シノブは気になっていたことを口にした。ミュリエルの母である第二夫人ブリジットは物静かな女性で、そんな紛争の地から来たというのがシノブには意外だったのだ。
「はい。ブリジット様は現在のフライユ伯爵クレメン・ド・シェロン様の妹君です。親子ほどもお年が離れておりますが……」
クレメンは当年とって五十歳、ブリジットより二十歳以上も年長であった。ジェルヴェによると、この年齢差は二人の母が違うからだという。
メリエンヌ王国の上級貴族は一夫多妻が一般的で、先代フライユ伯爵にも二人の妻がいた。そして彼女達の歳も二十近く離れており、クレメンの母は生きていれば七十歳ほど、一方のブリジットの母は何とクレメンと同じ歳である。
ちなみにブリジットがベルレアン伯爵家に嫁入りしたのは、先代のフライユ伯爵が是非にと願ったからだそうだ。それを聞いたシノブは、両家の関係強化のためだろうと想像する。
大きな戦では援軍として駆けつけるし、二十年前の戦いでも先代ベルレアン伯爵アンリが大活躍をしたという。万が一のときを思えばベルレアン伯爵家を重視するのも当然だと、シノブは受け取ったのだ。
「戦の多いフライユ伯爵領では長年産業が育たなかったのですが、ここ十年ほどで伯爵自ら推進している魔道具製造業が軌道に乗りました。
口の悪い者は帝国から流出した技術だろうと言っていますが、どこから得たものでも産業振興に成功したのは事実です。そのためフライユ伯爵は、王都でも高い評価を受けております」
ジェルヴェが産業へと話題を転じたとき、シノブ達が逗留している貴賓室の扉がノックされた。アンナが扉を開けると、顔馴染みの衛兵が現れる。
◆ ◆ ◆ ◆
「お話の途中、申し訳ありません。シャルロット様がシノブ様への面会を希望されております」
衛兵は少し困ったような表情だ。どうやら彼は、シノブ達の邪魔をしたのではと恐縮しているらしい。
一方のシノブも表情には出さぬものの驚きを隠せない。シャルロットは司令官を務めるヴァルゲン砦に行ったままだと思っていたからだ。
「ありがとう。シャルロット様はどちらに?」
「いえ……それが、もう控えの間までお出でになっております」
出向く先を問うたシノブに、衛兵は更に顔を曇らせつつ応じる。
衛兵としては跡継ぎを通さぬわけにはいかないだろう。しかし客人の予定を無視して押しかけたのだから、彼が口篭もるのも当然だ。
「それは……では早速、中へ」
ともかく会おう。そう思ったシノブは、入室してもらうように伝えた。
先触れもなく訪れるのだから、かなり急いでいるのだろう。そもそも突然戻るなど、よほどの重大事に違いない。そのようなことを思いつつ、シノブはソファーから立ち上がる。
そしてシノブ達が席を離れて幾らもしないうちに、シャルロットがアリエルとミレーユを連れて入室してくる。
足早に歩むシャルロット達は、いつもの甲冑姿ではなく青と白を基調とした軍服だった。
すっきりとしたデザインの軍服に、貴族であることを示す白いマントを纏った三人。更にシャルロットのマントは、大隊長以上であることを示す金糸で縁取りされたもので、窓から入る光を受けて輝いていた。
だがシノブは服装よりも、いつになく鋭いシャルロットの表情が気になった。
綺麗に結い上げたプラチナブロンドは自身の記憶と変わらない。しかし色白の面は常の凛々しさに加え、違う何かも滲んでいたのだ。
それに後ろに控える二人の心配げな顔も、余計に重苦しさを増している。
「シノブ殿。久しぶり……と言うべきかな?」
「……ええ、一週間ぶりですね」
濃い青の瞳に鋭い光を宿らせ、堅苦しい口調で話しかけるシャルロットに釣られたのか。シノブの応えも挨拶にしては少々素っ気ないものとなってしまう。
「貴方に、決闘を申し込む」
触れたら切れそうなくらい張り詰めた空気の中、シャルロットは静かに宣言する。
そして直後にアンナが、息を呑むような微かな音を響かせた。彼女は主達の前だと忘れてしまうほどの衝撃を受けたらしい。
「シャルロット様と決闘ですか? そんなことをする理由はありませんが……」
シノブも驚きを隠せなかった。先日シャルロットはヴァルゲン砦へと戻る際に再会を望んだが、和やかな別れで闘いを予感されるものはなかったからだ。
この地に来てから得た知識が、シノブの脳裏を掠める。
一般的にメリエンヌ王国での決闘は刃を丸めた武器を用いる。つまり原則的には命のやり取りではなく、多くは名誉を懸けた勝負でしかない。
殺し合いではないから受けても良いが、軽々しく応じることでもないだろう。やはり返答次第だと、シノブは結論付ける。
「私にはあるのだ。自分より強い男が現れたら逃げるのか、という者が居るのでな……」
シャルロットの声は普段よりも低く、しかも僅かに揺れていた。おそらく彼女は、胸中に湧き上がる憤りを抑えつけているのだろう。
シノブは絶句しつつも、これでは怒るのも当然と納得してしまう。
誰が言ったか知らないが、伯爵継嗣たるシャルロットには聞き逃せない言葉だ。彼女は代々優れた武人を輩出したベルレアン伯爵家の跡継ぎなのだから。
「分かりました」
「明朝十時、領軍本部の訓練場で。詳しいことはアリエルに聞いてほしい。ミレーユ、行くぞ!」
シノブが頷くと、シャルロットは日時と場所を告げる。そして彼女は身を翻すと入ってきたときと同様に足早に去り、その後をミレーユが慌てた様子で追いかけていく。
「武器は模擬用でお願いします。小剣、大剣、槍は御用意できますが……」
アリエルによれば、やはり決闘に用いるのは刃引きした演習用であった。
頭部への攻撃は禁止、甲冑を着けていない箇所には原則として寸止め。ただし止め損なっても反則にはならない。治癒魔術の使い手を待機させるため、多少の怪我は構わないようだ。
魔術は身体の強化や硬化など自身に用いるもののみ、魔法装備を含む一切の魔道具は使用不可。これらもジェルヴェから教わった内容と変わらない。
「魔術師のシノブ様には制限が多いと思いますが、これが王国の標準的な形式です。それに今までシャルロット様に決闘を申し込まれた方も同じですので……」
戸惑いのためか、アリエルは琥珀色の瞳を陰らせていた。明るい栗色の髪に彩られた容貌も、普段の落ち着いた表情とは違って曇りがちだ。
「それは構いませんが……しかし何故また急に? 砦は大丈夫なので?」
シノブは決闘よりも、砦の司令官であるシャルロットの急な訪問が気になっていた。もしや王都で暗躍している何者かが扇動した結果では、と案じたのだ。
「……砦には司令官代理を置きました。それと閣下のご命令で、当面の間シャルロット様や私達は領都本部付きになります」
言い難いことがあるのか、アリエルは決闘の理由に触れなかった。そして彼女は代わりに砦の状況と自身を含む三人の転属を明かす。
「なるほど……」
シノブは急な配置換えを不思議に思う。しかし伯爵家の内情に踏み込むのもと思い、重ねての質問はしなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日、シノブ達は領軍本部に赴いた。
領軍本部は伯爵の館の南西、大通りが交わる広場を挟んだ斜向かいにある。百数十m四方の敷地には石造りの巨大な本部の他に幾つかの建物が建っているが、北側の半分以上は大きな訓練場だ。
普段であれば軍人達が剣を取り技を磨く訓練場。しかし今日は修行に励む者もなく、静まり返っている。
これから始まる決闘のため中央は綺麗に整地済みで人はおらず、観戦用に張られた大天幕にベルレアン伯爵の家族を始めとする観客がいるのみだ。
いつもシノブ達をサポートしてくれるジェルヴェとアンナも、主君の娘との決闘だからか今日は別行動であった。二人は中央の天幕で伯爵達と共にいる。
迎えにきた従卒の案内で、シノブとアミィは脇にある待機用の天幕に入っていった。
シノブ達の服は全てアムテリアが用意した魔法装備だから、用意してもらったサイズの合う軍服に着替えているのだ。ちなみに頭部攻撃禁止だから、他に着用するのはアミィが抱えている訓練用の胸甲だけである。
「なんで決闘をする羽目になったのかな……」
シノブは胸甲を着けながら呟く。従者は去ったから天幕にいるのはアミィだけ、そのため今更ながらの言葉が出てしまったのだ。
「それは貴方がシャルロット様より強いからですよ」
突然の声に、シノブは振り向いた。すると天幕の入り口に、文官服を着た男が立っている。
「シメオン様……」
訪れたのはビューレル子爵の嫡男、つまりシャルロットの又従兄弟のシメオンだった。
内務次官という要職だからか、シメオンの装いには一分の隙もない。艶のある灰色の髪をきっちりと揃え、服の上級官だと示す飾り紐にも乱れなど見当たらない。
「様付けはやめていただきたい」
シメオンは平坦な声音で異を唱えた。
貴族当主並みの扱いで歓待されている自分に遠慮したのかと、シノブは想像する。しかしシメオンは感情の読めない冷たい灰色の瞳で見つめるのみで、その胸中を推し量るのは困難だ。
「……では、シメオン殿。どうしてここに?」
「シノブ殿を応援する者がいないのは寂しかろうと思ったから……というのは冗談です。貴方にお願いをしようと思いましてね」
シノブは呼び方を検めつつも探りを入れたが、シメオンは韜晦めいた言葉を返す。
冗談などと言うもののシメオンは全く笑みを見せず、淡々と言葉を紡ぐのみだ。そのためシノブは、彼が何を狙っているのか掴めない。
「シャルロット様に手加減をしないでほしい。どうも貴方は勝ちを譲る気のようですが、全力で戦っていただきたいのです」
相変わらずシメオンだが、瞳には今までにない力が宿っているようだ。少なくともシノブは、そう感じていた。
「それだけです。では、健闘を祈っています……シャルロット様のためにもね」
意味深な言葉を残し、シメオンは来たときと同じく静かに去っていった。
敢えて現れるのだから、相応の理由があるのだろう。今までシメオンからの接触は皆無、ましてや何かを要求することなどなかった。それだけにシノブは、裏にあるものを知りたかった。
「……アミィ。どう思う?」
「……私には分かりません。
マクシムが重罪に問われている今、シメオン様は最有力の婿候補のはずです。今回の決闘と結婚は関係ありませんが、シャルロット様に勝つ人が現れないほうが良いのでは……」
シノブはアミィへと振り向く。
アミィは無言で控えたまま、シメオンの様子をじっと窺っていた。しかし彼女の目でも読み取れなかったようで返答は歯切れ悪く、頭上の狐耳も少し力がない。
「そうだよね。この前の事件の時といい、どうもあの人の考えていることは分からないんだけど……。
でも『シャルロット様のため』か……本気で戦った方が良いのかな?」
シノブはシメオンが指摘したように、負けるつもりであった。
結婚云々を賭けていないのは、アリエルにも確認している。しかしシノブは、それでも勝ってしまうと後々問題になりそうだと思っていたのだ。
「……私がシャルロット様なら、真剣勝負を望みます。一心に武術に打ち込んでいる方ですから、情けを掛けられるなど心外かと」
しばらく考え込んだらしきアミィだが、答える声に揺らぎはない。それにシノブを見上げる薄紫の瞳にも、真摯な光が宿っている。
シャルロットの鍛錬を、シノブ達は見たことがない。しかし先代伯爵を目標に彼女が血の滲むような努力してきたと、ジェルヴェやアンナから何度も聞いていた。
下手に手加減してもシャルロットにとっては侮辱でしかなく、誰のためにもならない。アミィは、そう考えたのだろう。
「……そうか。なら、こちらも真剣に応えるしかないか」
シノブも表情を引き締め、アミィを見つめ返す。
シャルロットや周囲の思惑がどうであれ心を尽くそうと、シノブは決めた。それが彼女への誠意であり、何よりも優先すべきことだと感じたからだ。
思い定めたからだろう、シノブの心は澄み渡る。そして胸中同様に静かな足取りで、決闘の場へと歩み出していった。
お読みいただき、ありがとうございます。




