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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第2章 ベルレアンの戦乙女
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02.05 令嬢暗殺計画を暴け

「シノブ殿、慌ただしくて済まないが、これにて失礼させていただく。

饗応(きょうおう)したいと言っておきながらこの始末、本当に申し訳ない。今回の件が片付いたら、改めて礼をしたい。それまで我が家に逗留いただけないだろうか?」


 シャルロットは美しい顔を残念そうに曇らせていた。

 何しろシャルロットからすれば、シノブとアミィは絶体絶命の危機から救ってくれた恩人だ。しかも自身の家で持て成し恩に報いたいと言ったのは、彼女である。

 それなのに後を父に任せて去るのだ。真面目で責任感が強そうなシャルロットにとって、大きな心残りに違いない。

 しかしシャルロットは、ヴァルゲン砦の司令官である。恩人への感謝も大切なことだろうが、彼女は自身の職務を果たさなくてはならない。


「いえ。それより、襲撃者に指令書偽造など不穏なことが続いています。道中、気を付けてください」


 シノブはシャルロットの義理堅さに感心しながらも、砦への帰路を案じた。調査部隊や伝令隊と一緒に行くとはいえ、また何か起きないとも限らない。

 幻影魔術を解いて元の姿に戻ったアミィも、シノブの隣で心配そうな顔をしている。


「シャルロット。シノブ殿は、お前が戻ってくるまで私が(きょう)するよ。安心して行ってきなさい」


 ベルレアン伯爵コルネーユ・ド・セリュジエは穏やかな笑みを浮かべながら、シャルロットにシノブを引き止めると保証した。

 伯爵の顔には、何やら興味深げな色が滲んでいる。そして彼は、じっと娘を見つめたまま押し黙る。


「す、済みません父上。……それではアリエル、ミレーユ、砦へ出発するぞ! シノブ殿、失礼する!」


 シャルロットは父親の意味ありげな視線に動揺したらしい。微かに頬を染めた彼女は、二人の女騎士に声をかけると急ぎ足で執務室を出て行った。


 一方、足早に退室する娘を見送った伯爵は、扉が閉まると表情を引き締める。どうやら彼は、まだすべきことがあると思い出したようだ。


「ナゼール。第八伝令小隊にダミアン・シェロンという者がいるか問い合わせてくれ。それと似顔絵を作成する画家の準備を頼む」


 ベルレアン伯爵は、伝令の確認と画家の手配を行うよう、側にいた侍従に指示を出した。

 偽の指令書を届けた伝令の容姿は、アミィの幻影魔術により再現できた。そして伯爵は、絵にした上で領軍の兵士に確認させるつもりのようだ。先ほども口にしていたが、彼は伝令が素直に戻ってくるとは思っていないらしい。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ殿、アミィ殿。少し良いだろうか?」


 ナゼールと呼ばれた人族と思われる侍従が部屋を出ると、ベルレアン伯爵はシノブ達にソファーに座るよう勧めた。そこでシノブは伯爵が示す豪奢な革張りのソファーへと腰掛ける。


「私はこのままで構いません」


 一方アミィは、従者だからと着席を断った。シノブとしては、そこまで従者として律しなくてもと思うのだが、どうもそうはいかないらしい。


「お客人を立たせるわけにはいかないよ。さあ、どうぞ」


 伯爵は、客人を立たせるのは失礼だと強く勧める。しかも彼は、アミィが腰掛けるまで着座しないつもりらしい。


「では、失礼します」


 そこまでされてはアミィも折れるしかない。彼女は恐縮しながらシノブの脇に腰かける。


()を通して済まなかったね。だが、ありがとう」


 アミィが腰掛けると、伯爵は微笑みを浮かべた。そして彼もシノブ達と向かい合う形で腰を降ろす。

 伯爵は我がままだと言ったが、それはアミィを座らせようという彼の気遣いなのだろう。彼からすれば、シノブとアミィの双方が娘を助けてくれた恩人だ。それなのにアミィを立たせておくなど、彼にはできなかったのでは。そう思ったシノブは、ベルレアン伯爵コルネーユという人物に好感を覚え始めていた。


「シノブ殿。あの子が言っていたとおり、しばらく館に滞在していただけないだろうか」


 ソファーに移ると、伯爵は改めて逗留をシノブに勧めた。

 襲撃者を倒した直後、シャルロット達も助けてくれた恩に報いたいとシノブを館に(いざな)った。やはり身分のある者としては、このままシノブ達に去られたら体面に関わるのだろう。もちろん伯爵は大いに感謝しているのだろうが、それだけでもなさそうである。


「どこか宿でも探しますが」


 シノブは宮殿のような館では落ち着かない、と思っていた。そこで彼は、やんわりとだが断った。

 ここ領都セリュジエールは結構な大都市だ。館までの道でも宿屋らしきものは幾つも目にしたし、それらは大通りに並んでいるだけあって外観は立派であった。そのためシノブは、街中の宿でも充分快適だろうと感じていたのだ。


「娘の命の恩人を放り出すような、恥知らずな真似はできないよ。そんなことをすれば、シャルロットが戻ってきたら叩き切られてしまう」


 伯爵は、おどけたように肩を(すく)めてみせるが、目は笑っていない。やはり彼は、このままシノブ達を立ち去らせるわけにはいかないと考えているのだろう。


「クレール、晩餐にお客人が二人加わると伝えてきなさい。そうだ、シメオンとマクシムも同席させよう。なら追加は四名だ。料理長のところに行ったら二人にも伝言するように。

レイモン、お客人の滞在を侍女長に知らせ、部屋を用意させなさい」


 伯爵はシノブの答えを待たずに、扉の前に残っていた二人の若い従者に命じていく。どうやら彼はシノブ達の滞在を既成事実化しようと考えたらしい。もちろん、早くから伝えておかないと食事の用意が間に合わないのもあるのだろうが。

 シノブも、一泊ぐらいなら良いか、と思い直した。そもそも暗殺未遂事件があったのだ。この状況で宿について押し問答するのも無神経だろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 それはともかく、従者達は恭しく頭を下げ執務室から出て行く。使用人達が皆出払ったため、執務室の中はベルレアン伯爵、シノブ、アミィの三人が残っているだけとなった。


「実は、シノブ殿達にはお願いしたいこともあってね」


「と言いますと?」


 シノブの言葉に、伯爵は一瞬あたりを確認するように目をやった。そして伯爵は、それまでとは違う鋭い顔をシノブに向ける。

 どうやら伯爵が残った使用人達に用事を命じたのは、人払いのためもあったようだ。


「今回の件を仕組んだ者を探すのに、お力を貸していただきたいのだよ」


 伯爵が言うには、今回の一件は内部の協力なくしては不可能だそうだ。

 シャルロット暗殺を(たくら)んだ者達は、伝令の制服や装備を手に入れ、正式な書類そっくりに偽造した指令書を作成した。それを考えれば、当然ではある。


 司令官宛の指令書に使う用紙は、伯爵家の紋章等を枠飾りとして印刷し、更に偽造防止の浮き彫り模様が施された特殊なものだ。そして用紙は厳重に保管されており、関係者以外は手に入れることなどできない。また文章自体も指令書として一定の様式を守る必要があるという。

 シノブも実際に偽指令書を見たが、双頭の鷲の背後に盾と槍を配した紋章が描かれ、細かな飾り枠と繋げた手の込んだものだ。それだけ華麗で精緻な装飾が施された用紙だけに、少し見たくらいでは複製など不可能だと思われる。

 それに指令書の種別は第何級など細かく定められ、更に種別ごとに書式や字体が異なるそうだ。そのため知らない者には真似できないだろう。


 特殊な用紙を手に入れ形式に則った文を記すのだから、高位の軍人か内政官が関係しているのは間違いない。そして襲撃者達を準備できるだけの財力もあるし、そうなると配下も相当数いると思われる。


「言いたくはないが、確実に信用できるのは家族ぐらい、ということだよ」


 伯爵が深刻な顔となるのも無理はなかろう。

 継嗣の暗殺計画、それも二十人もの襲撃者による大掛かりなものだ。単純な怨恨ではないだろう。となると目的は、次期伯爵の地位か、ベルレアン伯爵家自体の衰退か。

 いずれの場合でも、伯爵に敵対可能な力を持った何者かが、近しい重臣を操っている可能性が高い。


「まあ、あくまで推測だけどね」


 そう伯爵は締めくくる。推測だとは言いながらも可能性は相当高いと思っているのだろう、彼の顔には更なる憂いが宿る。


「しかし、私達がその協力者、と思わないのですか? シャルロット様を助けて取り入ろうとしたのかもしれません。現に、こうやって接近できています」


 シノブは、自分達を警戒しなくて良いのか、敢えて訊いてみる。初対面のシノブ達をよほど信用しているのか、率直に持論を述べる伯爵に疑念を(いだ)いたのだ。


「そんな面倒なことをするくらいなら、そのまま娘達を見殺しにしたほうが早いよ。衰退させるならそれで充分だね。

婿になろうと一計を案じたとするなら、矢を射かけ骨折するほどの落馬をさせることはない。そのまま死んでしまってはどうしようもないからね」


 伯爵は微笑しながら、シノブやアミィが敵対者である可能性を否定する。

 対するシノブは、なんと答えるべきか、と悩んだ。暗殺者達を動かした者達には、シノブも大きな怒りを感じていた。しかし極めて重大な役目である。ここセリュジエールについても(ろく)に知らない自分達の手に負えるのか、とシノブは思ったのだ。


「……異国から来た我々を怪しく思わないのですか?」


 アリエルに異国人と思われたようなので、シノブはそれを持ち出して翻意を促そうとする。

 異国の者と強調すれば、知らない地での調査など無理だと伯爵も思うかもしれない。シノブは、それに期待する。


「同国人のほうが疑わしいね。むしろ我が領地と利害関係の無いほうが安心できるよ。

シノブ殿やアミィ殿の服装は、この近くの様式ではないようだね……よほど遠くから来たのかな? 髪の色や顔立ちはこの辺の者と変わらないようだが……」


 伯爵はシノブとアミィの服を眺めていく。

 シノブは純白のフードつきのローブだ。流石にフードは取っているし前は開いているので、下に着ている服も分かる。中は白いシャツと、ジーンズに似た青い色のズボンである。


 ローブはともかく、他は街を通った時に見た人々と大きな違いはない。だが、それらはシノブ、いや天野(あまの)(しのぶ)が日本で着ていた服にどことなく似ている。

 シノブの服や道具は、アムテリアが彼の日本での所持品を元に作った品々である。そのためこの地方のものとは多少異なる印象を受けるようだ。

 アミィの革装備も同様に、襲撃者達や領都で見た兵士の装備とは、なんとなく違って見えた。


 ちなみに、シノブの肉体はアムテリアに作り変えられているので、金髪碧眼の西洋人の風貌だ。それにアミィのような狐の獣人もこの辺りにはいるから、伯爵からすれば服装以外は違和感がないのだろう。


 それらを思い浮かべたシノブは、どう答えるべきか悩んだ。

 服のことは別に良い。どのみち転移してきたと説明するのだ。伯爵にとって見慣れないデザインなのは、遠方の衣装だからと言えば良いことだ。

 しかし、魔術が使えるとはいえ、この世界に詳しくない自分では大して役に立てるとも思えない。シノブは、そう考える。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブが回答を躊躇(ちゅうちょ)していると、執務室の扉がノックされた。どうやら使用人達の誰かが戻ってきたらしい。


「お館様。画家の準備ができました。それと、伝令は偽者でした」


 入室してきた侍従、ナゼールという男がベルレアン伯爵に報告する。偽伝令と明らかになったからであろう、ナゼールの顔は僅かに青ざめている。

 ナゼールは、画家を手配している間に領都守護隊本部に確認した。しかし第八伝令小隊どころか領都守護隊に、ダミアン・シェロンという伝令兵は存在しないと判明したのだ。


「偽者で決まりか……そうなると、もう逃げ出しているだろうな……」


 伯爵は眉を(ひそ)めて黙り込む。どうやら彼は、何事かを深く思案しているようだ。


「シノブ殿、アミィ殿。せっかく幻影魔術まで使ってもらったが、画家には見せないことにしよう」


何故(なぜ)でしょう?」


 伯爵の言葉にシノブは驚いた。

 今のところ、偽伝令は唯一の手がかりである。それを追わずに済ます理由が、シノブには理解できなかったのだ。


「偽者となれば、娘達が砦から出発した直後に、そいつも逐電(ちくでん)しているだろうね。そうなると精密な絵の手配書を作っても、配布する頃にはとっくに領外だろう。アミィ殿の秘術を、そんなことのために無駄にするわけにはいかないよ。

それに、手配書を描いた画家に口止めする必要もある。何しろ、手配書の当人を目の前にして描くのだからね。その場では気が付かなくても、後で不審に思うだろう」


 確かに伯爵の言う通りかもしれない。

 偽伝令なら既に逃亡しているだろう。そして伝令兵に扮しているのだから、関所などがあっても簡単に通行できるのではないか。そして捕らえる可能性が低いのだから、今まで見たこともない秘術を(おおやけ)にするだけの価値がない。

 伯爵にとって、シノブ達は大切な客人だ。その切り札を広く知らしめるようなことは、彼ではなくとも躊躇(ためら)うだろう。

 そう考えたシノブは、納得しつつも伯爵の配慮に感謝していた。確かにアミィの術は様々に応用できるだろう。それだけに他者からすれば非常な脅威であり、下手に知らせたら警戒されるだろうからだ。


「ナゼール、お前がアミィ殿の見せる伝令の容姿を覚えて画家に描かせるのだ。先ほど特徴を記録したメモもあるから、それで問題ないだろう」


 伯爵の言葉を受け、侍従のナゼールは再び伝令に化けたアミィを脳裏に焼き付けるように注視する。そして数分後ナゼールは退去し、再び執務室は伯爵とシノブ達の三人だけとなる。


「アミィ、ありがとう。もう幻影を消していいよ」


「はい、シノブ様」


 アミィはシノブに(いら)えると、元の少女の姿に戻った。彼女が一瞬にして姿を変じたからだろう、伯爵が感嘆の溜め息を漏らす。


「先ほどの話はじっくり考えてもらって構わないよ。晩餐も準備しているし、とりあえず今日は当家に滞在してほしい。明日にでも答えをもらえれば、それで構わないさ」


 伯爵はシノブに向き直ると、事件解決の協力要請へと話を戻した。

 どうやら伯爵は、シノブが躊躇(ためら)っていたのを察していたようだ。彼は穏やかな笑みと共に、熟考して構わないと告げる。


「……初めての国で戸惑っているのもあります。少し考えてから返答します」


「ああ、それで構わないよ。しかしやはり遠くから来たのかね?」


 伯爵は、シノブ達がどこから来たかに話を転じた。

 目の前の二人がどのような国から来て、どんな生活をしていたか、そしてどのような人物なのか。そのことに伯爵も強い興味があったのだろう、彼の緑色の瞳は抑えきれぬ好奇心に輝いている。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブはアミィと考えた来歴を話すことにした。例の転移装置で遠くから飛ばされてきた、というものである。


 故郷では『武士』と呼ばれる騎士階級に相当する一族の出で、魔力量も多かったので幼いころから武術と魔術の修行をしていた。

 あるとき遺跡で正体不明の魔法装置を発見し調べていたら、急に稼働して飛ばされた。気が付いたら知らない森にいたので、外に出ようと彷徨(さまよ)っていたら街道に辿(たど)り着いた。そして森を出ると、シャルロット達が襲撃されたところに出くわしたので助けた。


 このような筋をシノブが掻い摘んで説明していく。そしてベルレアン伯爵は、興味深そうな顔でシノブの話を聞いている。


「ほう……するとここがどこかも判らないのかな?」


「はい。シャルロット様達から、この領地がベルレアン伯爵領でここがセリュジエールだ、というのは教えてもらいましたが……実はこの国の名前も知りません」


 伯爵の問いにシノブは、国の名前を彼やシャルロット達から聞いてはいなかったはずだ、と思いながら答えた。実際には、シノブはアミィから教えてもらっているのだが、後で伯爵が娘に訊ねるかもしれない。そうであれば、知らないことにしておいた方が良いだろう。


「この国はメリエンヌ王国という名前だよ。お国の名は?」


 伯爵は自国の名を口にすると、逆にシノブ達の出身について問う。彼からすれば、当然の質問であろう。


「『ニホン』というのですが、御存じですか?」


 この惑星に『ニホン』という国がないのはアミィに確認済みだ。ちなみに遥か東方には『ヤマト』という国があるが、この地方の国々とは行き来がなく知られていないらしい。


「う~ん、聞いたことがない名前だね。よほど遠くなのかな」


 伯爵はしばし首を捻る。しかし彼は気を取り直したらしく、国内事情を簡単に説明する。


 メリエンヌ王国は、エウレア地方のほぼ中央に位置する。現国王はアルフォンス七世。即位してちょうど十年になる。

 そして、ここベルレアン伯爵領は王国の北方に存在する。伯爵領は国境に面し、その北にはドワーフの国、ヴォーリ連合国がある。

 領都セリュジエールは領内最大の都市、伯爵領のほぼ中央にある。シャルロットが司令官を務めているヴァルゲン砦とは国境を守る砦だが、ヴォーリ連合国との関係は良好で争いもない。そのため街道もドワーフ達との通商のルートとして賑わっている。


「だから司令官としたのだけどね。おっと、これは娘には秘密だよ」


 伯爵は悪戯っぽく笑った。どうやら彼は、だいぶシノブ達に気を許したらしい。


「判りました。砦への帰還を許可したのは、そんな事情があったのですか」


 シノブは、娘思いなんだな、と思いながら微笑み返す。そしてシノブは、数日ぶりに日本の家族を思い出した。

 もう、両親や妹とは二度と会えない。そう考えたから、普段のシノブは家族への思いを心の奥底に仕舞っている。しかし優しげな素顔を覗かせた伯爵に、シノブは自身の父親を重ねてしまったのだ。


「まあ、私も人の親ということだね。正直、領都にいるより安全だと思うよ。それに……」


 そんなことを話しているうちに、もう一人の侍従ジェロームが戻ってきた。そしてジェロームは、先代伯爵とシャルロットが出立したと報告した。


「先代様が(みずか)ら検分に行ったので?」


 シノブは、先代伯爵アンリが(みずか)ら赴いたことに驚いた。アンリは領軍の次席司令官でもあるから、シノブは彼自身が出向くことはないと思っていたのだ。


「ははっ、父上のことだからそうすると思っていたよ!

シノブ殿、私がシャルロットを行かせたもう一つの理由がこれだ。父上はベルレアン伯爵領最高の武人なのだよ。老いた今でもね。一緒にいるほうが、あの子も安全というものさ」


「つまり、先代様は砦まで同行するのですか?」


 シノブは先ほどと似たような笑みを浮かべた。

 伯爵は忙しく軍務に口を出せないと言っていた。したがってアンリが国境の砦に詰めたら、彼は困るに違いない。シノブは、そう考えたのだ。

 もっともシャルロットの安全を考えるなら、これが最善の手なのだろう。娘のことを案ずる父親の姿は、シノブの心に温かなものを与えてくれた。


「まず間違いないね。あの短気な父上が現場検証なんてやるわけがない。どうせ腹心のジェレミーにでも任せるにきまっている。そうだろう、ジェローム?」


 伯爵は報告した侍従に問いかけた。彼は答えを確信しているらしく、自信ありげな声音(こわね)で問うていた。


「はい、先代様はラシュレー中隊長以下三個小隊を率いていかれました」


「まあ、そんなわけで、娘は護衛の老騎士に任せておけば良い、ということだよ」


 伯爵は、予想通りと言わんばかりの笑顔をシノブに向ける。

 そしてシノブが伯爵と話しているうちに、画家は絵を描き上げたようだ。画家のところに行っていた侍従のナゼールが戻ってくる。


「お館様。似顔絵は描き終わり、複製を作らせるよう手配しました」


「ご苦労だった。ナゼール」


 侍従は伯爵に報告すると、静かに下がる。そして伯爵は彼に(ねぎら)いの言葉をかけ、再びシノブ達に顔を向けなおした。


「さてシノブ殿達に、私の家族を紹介したい。クレール、レイモン。皆を白の広間に呼びなさい」


 伯爵は戻ってきた二人の若い従者に声をかけた。どうやら、これで事件に関する話は一旦終わりのようである。


「奥方様達は、お嬢様がお戻りになったとお聞きになられたため、既に広間にいらっしゃいます。シメオン様とマクシム様も、まもなくご到着されると思います」


 従者の一人、人族らしい若者は伯爵の問いかけに答える。シメオンやマクシムは、先ほども出た名前だが、従者の恭しい口調からすると伯爵の親族か何かなのだろう。


「そうか。ではシノブ殿、アミィ殿。我が館自慢のサロンに案内するよ」


 ベルレアン伯爵はシノブ達に声を掛けるとソファーから立ち上がる。もちろんシノブ達も同様だ。そして彼らは、室外へと歩んでいく。

 伯爵の家族とは、一体どんな人々なのだろう。シノブは僅かに興味を(いだ)きながら、伯爵家の当主に相応しい豪奢な執務室を後にした。


お読みいただき、ありがとうございます。


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