恐ろしい光景
今回大分ショッキングな(ry
ご注意を。
待ったぞ、この時を……!
1年近くもの間、人類への憎悪を抑え息を潜めていた甲斐があったというものだ!
町はずれにある赤い屋根の一軒家。
そこは我ら魔族にとって不倶戴天の敵『カジカワヒカル』の住処だということは既に調べがついている。
そして、そこに我らの希望が生誕なされたということも。
亡き魔王様より賜った、一切の気配を遮断する『存在隠蔽リング』を装備し、家屋の内部へ侵入した。
無用心にもカギはかかっておらず、目的を果たすにはおあつらえ向きの状況だった。
本能に従い、その気配の下へと忍び足で歩を進める。
焦るな、もしも見つかればそれで終わりだ。私も殺されて全てが水の泡になる。
それだけは絶対に避けなければならない。同胞たちの覚悟と犠牲を無駄にしてはならない……!
1年前に終焉災害と融合し大災害を引き起こそうとしたあの作戦。
その気になればあのまま世界を滅ぼすことも可能ではあったはずだ。
だがあえて大津波を一度引き起こす程度で済ませていた。
元より世界を滅ぼすつもりなどなかったのだから。
あの作戦は本命のものではない。超大規模な陽動作戦だったのだ。
あまりにも多くの犠牲が出た。故に人類から見てもまさかアレがタダの囮だったとは夢にも思うまい。
私一人を残し全ての魔族を犠牲にして……人類の勝利を演出してやったのだ。
できることならば私も皆とともに戦い、一緒に逝きたかった。
だがそれでは全てを無為にしてしまう。血涙を飲み込んでこの1年弱もの間、歯を食い縛って耐え続けた。
強い気配。
まるで目の前にその姿があるかのように、その存在を感じ取れる。
間違いない。かの御方はこの部屋の中に御座せられる。
扉は半開きになっている。
おかげでほとんど音を立てずに入れた。
部屋の中にはベッドで眠っている母体と思しき女と、その隣には赤子用の小さなベッド。
出産直後故か、医者が扱う医療器具・用品なども完備されているようだが、病院ではなくわざわざ自宅で産んだのか?
こちらとしては好都合だが、上手くいきすぎていて逆に不気味だ。
もしや罠か、と一瞬身構えたが、母体の女と赤子の息遣い以外には何も感じ取れない。
……やるならば、今しかない。
『あぅ~……』
ベッドの中にいる白い包みに巻かれた、まだ目すら開かない赤子を覗き見ると相反する衝動が激しく湧き上がってくる。
最初に浮かんだのは生まれたばかりの幼い人類に対する嫌悪。憎悪。嫌悪感。
それと同時にこの赤子こそが我らの魔王様であるという確信。歓喜。高揚感。
おそらくこの赤子は、魔王様の生まれ変わりなのだ。
人間である勇者から魔族である魔王様に生まれ変わったように、今度は人間へと転生してしまったのだろう。
なんとお労しいことか。あろうことか人間などにその御身を堕とされてしまうとは……!
……今、お救い致しますぞ。
魔族化薬は、一瓶あればいい。
このための、最後の一瓶だ。
魔王様のために作り上げた完全なる魔族化薬ならば、このような脆弱な体を作り変え、魔王に相応しい肉体へと変化させるだろう。
その時こそ、我らの勝利だ。
魔族化薬を瓶から注射器へ移し、赤子へ投与する準備を整えた。
『あぅ?』
「御免」
開かない目でこちらを不思議そうに見つめる赤子の手を布から出し、注射針を腕に突き刺した。
はず、だった。
「……あ?」
体が動かない。
針が、刺さらない。
あと一押しで魔族化薬を注入し、魔王様を正しく誕生させられるというのに、指が、固まったままで、利かない。
体がズレる。
私の体がゆっくりと斜めにずり落ちていく。
私の体が、真っ二つに切れていく。
「薄汚ぇ手でその子に触るな、バイキンがつくだろ」
最期にそんな言葉とともに見えたのは、黒髪の死神だった。
「きさ、ま、カジッ……か、はっ……!!」
息ができない。
辛うじて言葉を絞り出そうとしたが、切り裂かれた肺から登ってきた血が吐き出されるだけだった。
……詰み、か。
―――申し訳ありません、魔王様。
どうやら私はここまでのようです。
……済まない、みんな。
約束を果たすことが、できなか―――
~~~~~
「……終わったの?」
「ああ。魔族はコイツで本当に最後の一体だ」
肩から脇腹まで袈裟切りにされて息絶えた魔族の亡骸をマジックバッグへしまいながら、ヒカルが状況の終了を伝えた。
……肝が冷えたわ。ヒカルが魔族を倒すまでそこにいるのがまるで分からなかったもの。
魔族の生き残りがいずれこの子を狙うことは分かっていた。
ヒカルが言うには、魔族のアジトに残されていたメモの残骸を復元すると、断片的ながら魔族化薬を用いた魔王復活計画が浮かび上がってきたらしい。
そして、その魔王復活の器として狙われていたのは私のお腹の中にいた子供。
『だぅ~』
「よしよし、怖かったな~、セティ。……物騒なもん刺そうとしやがって。クソが」
軽く赤ちゃんをあやしてから、不機嫌そうに悪態を吐きながら液体の入った注射針を窓から投げ捨て、さらに魔力弾で粉々に砕き散らした。
これで魔族化薬も根絶した。もう、誰も魔族に変えられることもない。
ようやく魔族との因縁も片が付いたのだと思うと、肩の荷が下りたというか気が抜けるような思いだ。
魔族がこの子を狙っていた理由は二つ。
一つはヒカルと私の子供ならば、たとえ魔王となっても手出しができないだろうと考えていたらしい。
……正直、かなり的確な判断だと思う。
仮にそんな事態になったとしたら、実の娘を手にかけるなんてできる気がしない。
ヒカルと私の手を封じるだけでも有効打になりうる、最悪の一手だ。
そしてもう一つは、この子が『魔王の因子』を持っていること。
といっても魔王の生まれ変わりというわけではなく、ステータス表示も『人間』と書かれている普通の赤ん坊だ。
ただ、『プロフィール』の項目だけが異常を示していた。
名前:セツナティア
種族:魔王
年齢:0
性別:女
職業:魔王
職業レベル1
職業能力値:■■■■
この子、セツナティアことセティはプロフィール上では『魔王』という扱いになっている。
魔族たちがこの子を求めたのも、その影響なんじゃないかとヒカルは言っていた。
……いったいなんの因果で、この子が異世界における魔王に選ばれたのか私たちには分からないけれど、一つだけはっきりしている。
たとえ魔王だとしても、この子は間違いなく私とヒカルの大事な娘だということ。
むしろヒカルの娘なんだからそれくらい普通と言ってもいいかもしれない。ちょっと失礼だけど。
出産の痛みも、産後の肥立ちもまるでつらくなかった。
ただ、この子の未来が他者の都合で歪められてしまうかもしれないのが、ひどく恐ろしい。
胸の内に燻る不安を表に出すまいと抑えているところで、セティを抱き上げながらヒカルが口を開いた。
『まぅ?』
「大丈夫、セティの人生はセティのものだ。好き勝手操ってやろうとする野郎は俺がぶち殺してやっから心配しなくていいぞ」
「……あなた、教育に悪いからあまり物騒な言い方しないでちょうだい」
「アッハイ」
セティを守ってくれようとする意気込みは頼もしいけれど、この子までユーブやイツナみたいに男勝りな口調になりそう。
できればもう少しおしとやかな物言いをするよう育ってほしいけれど……多分、無理ね。
『あぅ! ああ~! あー!!』
「おっとっと、どうした? オムツ……じゃないな、ミルクか?」
「お腹空いたのね。はいはい、こっちに―――」
『ああ、待ったぞこの時を』
「……え?」
確かに見た。
確かに聞こえた。
まだ歯も生え揃っていないはずのセティの口が、流暢に言葉を話したのを。
直後、ゴトリ、となにかが音を立てて落ちた。
ヒカルの頭が、ギロチンで切り落とされたように、地面に堕ちて転がった。
『ふん、もう少し手こずるかと思ったが、自らの子ともなると警戒もできんか。呆気ない』
崩れ落ちたヒカルから離れ、おくるみを纏ったままのセティが、宙に浮かんでいる。
……なに、これ。
なんでセティが浮いているの。
なんでセティが喋っているの。
なんでセティがそんなことを言うの。
なんで、ヒカルが、死んでいるの。
まさか、セティが、ヒカルを殺し―――
い……
「いやぁぁぁぁあぁぁああああああっっ!!! あなたっ!! あなたぁああ!! ヒカルぅうううううっ!!!」
なんでなんでなんでなんで
いやだこれは夢だ早く覚めて夢でもこんなのは嫌だなんで目が覚めないのこんなのが現実だなんてありえない現実であってはいけないのに
「あ、ああ、なん、で、なんでっ……」
どうして、これが現実だと、私のアタマは確信しているの。
「え……おや、じ?」
「ぱ、パ、パ……」
玄関のほうから誰かが入ってきて、何かを呟いたのが聞こえた。
ユーブと、イツナ……帰って、きていたのね。
守らなきゃ。
「っっ 二人とも下がりなさいっ!!」
この子たちを、守らなきゃ。
ベッドから飛び起きて、ユーブたちを庇うように剣を構えた。
「……いったい、なにが起こってんだよ……!? なんで赤ん坊が浮いて、なんで親父がっ……!!」
「パパっ……!! 嘘だよ、いや、どうしてっ……!?」
「いいから離れて! 早く!!」
泣きながら困惑する二人を一喝し、セティに向き合った。
ユーブたちまで死なせるわけにはいかない。
セティから、私の子を守らないと。
……どうして?
セティも、私の、私たちの子じゃないの?
どうして、こんなことになってるの……!!
『……案ずるな。お前たちはこの場で殺すつもりはない。まだ、な』
「あなたは、あなたは何者なの!? どうしてヒカルをっ!?」
『知っているのだろう? お前の娘であり、魔王でもある。……ああ、そうそう。そこの梶川光流だがまだ胴と首が泣き別れになっただけで、繋ぎ直せば蘇るかもしれんな』
「え……!?」
……ヒカルは、まだ助かる?
まだ助けられる……!?
反射的に、床に転がっているヒカルの頭を抱えようとしたところで
ジュッ と、まるで焼けたフライパンに水をこぼしたような、なにかが瞬時に蒸発する音がした。
「あっ……?」
セティから光属性の魔法によく似た光線が放たれて、ヒカルの頭に直撃した。
焦げ臭い匂いと煙が部屋に充満していく。
『こいつは少しでも可能性があれば、そこから全てをひっくり返す危険性を孕んでいる。そんなものを楽観して放っておくと思うか?』
光が消えた後に、残っていたのは焼け焦げた頭蓋骨だけだった。
もう、助けられない。
本当に、ヒカルは死んでしまった。
『これで安心だ。まったく手を煩わせてくれるな、害虫が』
……あ?
「この人は、あ、あなたの父親よ……? どうして……」
『私に、お前たちに対して家族の情があるとでも? やめてくれ、気色の悪い』
ただ冷たく、そう言い放つ我が子に、堰が切れた。
「……っっあああぁぁぁぁあぁあぁあぁああああっっ!!!」
許さない許せないゆるさないゆるさないぜったいにゆるさない!!
よくも私の夫を! よくもヒカルを! よくも、よくも!!
よくも、よくも、よくも……。
……どうしてよ。
どうしてこんなことになったの!?
どうして私は、自分の子に、剣を向けなきゃいけないのよ……!?
「うわぁぁああああっ!!」
「あああぁぁあああっ!!」
「!? だ、ダメっ!! ユーブ! イツナッ!!」
私が躊躇している間に、ユーブとイツナがセティに突っ込んでいった。
涙を流しながら怒りに顔を歪めて、悲しみと憤りと困惑の混じった感情をぶつけようとしている。
こんな、自分の子供たちが、憎み合って争うような恐ろしい光景なんか望んでいなかったのに。
『まだ殺す気はない、と言ったはずだが聞こえなかったのか? 仕方ない、手足でも落とせば耳に入るか』
そう無慈悲に言い放つセティの周囲に、青く光る剣が生成されて宙を舞った。
見えない誰かが剣を振るっているかのように、ユーブたちを切り裂こうと凄まじい速さで突っ込んでくる!
「あああぁぁぁあぁああっ!!!」
もう、何も考えられない。
ただ、ユーブとイツナを助ける。
それだけを考えて、慟哭を上げながら駆け出した。
バシャッ と、生暖かい液体が顔にかかってきたのが感じ取れた。
……血が、噴き出た血が、私の顔を濡らして視界を赤く染めている。
誰かが、斬られたみたいだ。
私は、微塵も痛くない。斬られたのは、私じゃない。
なら、斬られたのは、ユーブか、イツナ……?
「ぎゃぁぁぁぁぁあああああっ!!」
「いやぁぁぁぁああああああっ!!?」
ユーブとイツナの叫び声が耳を劈いた。
二人を、二人とも、私は守れなかったの……!?
嘘でしょう、もう、やめてっ……!!
目を塞いでいる血を拭い、すぐに魔法で治そうと目を開くと―――
「 」
「お、お、おやっ……?!!」
「ひいぃいっ……?!!」
首のないヒカルの体が、ユーブたちを青い剣から庇っていた。
首の断面からはいまだに血が勢いよく噴き出していて、ユーブたちや私も血まみれになっていく。
「きゃぁぁああぁぁぁああああぁぁあっ?!!」
あまりにも異常な光景を見たことに耐え切れず、たまらず絶叫した。
そのまま意識が薄れていくのが感じられる。
最後に見たものは、慌てたような仕草でこちらに駆け寄ってくる、首のないヒカルの体だった。
……ああ、なんて、おそろしい……。
≪交信準備完了。これより説得を試みる≫




