これからの人生へ向けて前向きに ただしお前は一旦待て
次々回あたりからカジカワ視点へ戻る予定。
そろそろこの小説も終わりが見えてきました。
旭と別れてから、元自宅のアパートへ戻って一晩眠ることにした。
梶川さんと合流するのは明朝の9時にしてもらうように頼んでおいたから、今晩は一人でいられる。
今はただ何も考えずに眠りたい。
旭にあんなことを言っておきながら、まだ引きずっている心を落ち着かせるにはどうしても一人での睡眠が必要だった。
心も体も、もう疲れきっている。
日本への帰還は果たした。
旭との再会、そして決別も済ませた。
ライフワークのように手段を模索していた目標を、今日で終わらせることができた。
残ったのは達成感よりも、虚しさだけだった。
だが、あんな最悪の結末であったとしても、決して無駄じゃなかった。
むしろ、これでよかったんだ。旭への想いを捨てきれなかったら、どっちつかずの状態が続いていたかもしれないから。
もうこれで日本への未練は何もない。
日本人の野山典子はもういない。
これからは、パラレシアのセレフレネとして生きていくんだ。
もう二度と六条旭の名前を耳にすることもないだろう。
翌朝、特に夢を見ることもなく目が覚めた。
寝る前にごちゃごちゃしていた心が、今は不思議と落ち着いている。
……もう大丈夫そうだ。
十数年ぶりにテレビでも見ながら時間を潰すとしよう。
コーヒーを淹れて菓子棚のビスケットを齧りつつ朝のニュースへとチャンネルを合わせると、テレビからニュースキャスターの読み上げる声が聞こえてきた。
『昨晩、海岸沿いの展望台にて大学生の六条旭さん(19)が階段を下りる際に転落し、左足を骨折する大怪我を負いました。現場を確認したところ、階段に使われている縞鋼板を固定するためのボルトが緩んでいて―――』
バゴォンッ と衝突音を立てて、液晶の画面に私の投げたリモコンが突き刺さった。
クソが! 二度と名前を聞くことはないとか言ったそばからこれだ! もう一生テレビなんか見るものか!
旭も自分で仕掛けた罠なんかに引っかかるなバカ!
~~~~~
「おはよう。もう時間だけど、何かやり残したことはないかい?」
「いえ、もう大丈夫です。……やるべきことは、全て済ませました」
「……そうか」
「それより一つ、聞きたいことがあるのですが」
「ん?」
「……旭を殴ろうとした時に、私を止めたあの金髪の子供は誰ですか? そもそもいつから私を尾けていたのですか」
「日本に戻る前からずっと君の影の中にいたけど」
「え」
「悪いとは思ったけど、安全上やむを得ずね」
「最初から最後まであの子に見られていたということですか……」
「プライバシー的にまずい場所には同行していなかったみたいだけどね。お風呂とかトイレとか」
「当たり前です。同性の小さな子供とはいえそこまで一緒にいられるのは―――」
「いや子供じゃないし、君の倍近い歳だぞアイツ」
「……は?」
~~~~~
パラレシアに戻ると、最初に21階層へ向かった日のままだった。
というか、日本で丸一日近く過ごしたはずなのにこちらでは1時間も経っていないようだ。
帰る際に何度か扉を経由して時間帯を調整していたらしいが、梶川さんはあの階層すらある程度把握して利用できるらしい。
もっとも、迂闊に扉を開けばあの人でも危ないみたいだが。……できれば二度と行きたくないな。
パラレシアもまだ午前中だし、時差ボケになったりはしてなさそうだ。
日本へ行くこと以外に今日の予定なんか考えていなかったが、何をするべきだろうか。
……ライフワークだった日本への帰還方法を模索する時間がなくなった分の時間を、今後は何に使うべきかも考えておかないとな。
≪こちらの世界で生きていく決心がついたのなら、どういった職に就くのか考えておくといい。ギルドでよく簡易依頼を受けているし、やっぱり冒険者になるのか?≫
そうしようと考えているが、少し問題がある。
≪? なんだ?≫
ソロでの冒険者活動はかなり厳しいらしく、まずパーティを組んでくれる人間を探さなければならない。
日本であれほどコミュ障だった私がうまく仲間を作れるかが心配なんだ。
≪いや、何を言ってるんだ。ユーブたちと組めばいいじゃないか、まだ彼らを利用していたことを気に病んでいるのか? 本人たちはそんなこと全く気にも留めていないだろうに≫
違う、そういう心情的な話じゃなくて、現実的な問題なんだ。
ユーブとイツナは成人前から特級職並の実力を既に身につけているのに対し、私はレベル1からのスタートになる。
パーティを組んだとしても、私は彼らの足手まといにしかならない。
仮に彼らが本心から私を仲間だと思っていたとしても、私自身がそれに耐えられる気がしないんだ。
≪……それもそうか。しかし、そうなると新たな仲間の勧誘は必須事項になるな≫
だから今後が心配だと言っているんだ。
成人前に冒険者育成施設で訓練を受けている子たちを仲間に誘うなりなんなりしなければならないが、私から誘うのは正直ハードルが高い……。
「おはよう、セフレ」
「うわぁっ!? ……ろ、ローア?」
メニューと会話しながらうんうんと悩みながらギルドへ向かう途中で、いつの間に傍にいたのか顔を覗き込みながらローアが話しかけてきた。
どこから出てきたんだこの子は。心臓に悪い……ん?
「ローア、その恰好は?」
ローアを見ると、革製の胴当てや肩当てを身に着けていて、飾り気のない機能重視といった服装だった。
いつもは女の子らしく可愛い衣装を好んでいるが、今日はまるで冒険者のような恰好をしている。
「これから冒険者育成施設で訓練を受けるから、動きやすい服を着てる」
「え、ローアが? 生産職を目指しているんじゃなかったのか?」
「……この間の騒ぎで何もできなかったことを、すごく後悔してるから」
「この間の……? ああ、例のハゲ貴族の話か」
「あの時、私が体術スキルを鍛えていてクイックステップを使えていれば、セフレに庇わせて、あんな酷いことにならなかった。私が足手まといになって誰かが傷つくのはもう絶対に嫌」
「……あれは私が勝手にやっただけだから気に病むなと何度も言ってるだろ」
「それでも、誰かが私の代わりに傷つくのはダメ。もう自分の無力さに辟易するのはたくさん。だから強くなって、今度は私が守る。もう決めたことだから、誰に何を言われても曲げない」
……その気持ちは分からなくもないが。
前世の私も弱かったせいで暴力的な死を避けられなかったから、今生では戦闘職を目指している。
ローアみたいに誰かを守ろうなんて立派な目標なんかは掲げていなかったが。
「セフレさえよければ、成人したら一緒にパーティを組んでほしい。ユーブやイツナみたいに強くはないけど、足手まといにならないように頑張る」
「あ、ああ。お前がよければ、私はかまわないが」
「なら決まり。よろしく、セフレ」
「……いいけど、頼むからセフレ呼ばわりは直してくれ。それを聞いた周りまでセフレなんて呼ぶようになったらどうするんだ……」
まさかローアが成人直前になって戦闘職を目指すようになるとはな。
正直私にとっては渡りに船だが、本当にいいのだろうか。
「?……セフレ、気のせいか顔つきがスッキリしてる?」
「え、どうした、急に」
「まるで憑き物が落ちたみたい。何かいいことあった?」
「……先日まで色々あって、それが全部解決しただけだ。そのおかげで、少しは前向きな気持ちになれたから、だと思いたい」
「そう。……私も吹っ切れたばかりだし、見習いたい」
「……ん? どうかしたのか?」
「うん。義兄さんのことで、ちょっとね」
義兄さん……梶川さんのことか? あの人と何かあったのか?
そういえば別れ際に『ローアには少し、いやかなり注意しておいたほうがいい』とか言っていたような……。
俯きながら話し始めたローアの口から、信じがたい言葉が出てきた。
「……私、義兄さん以外に、好きな人ができたの」
「えっ……!?」
バカな、ありえん。
この超絶義理兄ブラコンが、他の男に目移りしただと……!?
「自分がこんなに惚れっぽいとは思わなかった。でも、義兄さんのことも大好きだし、長年好きだった義兄さんを裏切るようなことを思いたくなかった……」
「い、いや、それでいいと思うぞ。少なくとも姉の夫に思いを寄せているほうが不健全だろう」
「だからこの間、義兄さんに一服盛ったの」
「は?」
「無味無臭でものすごく元気になる、元気になりすぎて理性が飛ぶくらい強い魔法の薬。二人きりでご飯を食べる予定を作って、義兄さんの食事に混ぜた。決して毒じゃないから毒の効かない義兄さんでも効果てきめんだった」
「オイちょっと待てサラッと言っているが何をやってるんだお前は!! 気は確かか!?」
「そのまま既成事実でもできれば義兄さんを裏切ることはないからいいかなって。正直自分でもどうかと今じゃ思うけど」
アホだコイツ。
ジャンボジェットでも搭載してるんじゃないかってレベルで発想の飛躍具合が常人のそれじゃない。
「……それで? まさかそのままおっぱじめたわけじゃないだろうな」
「ううん、薬が効いてきたくらいで義兄さんが消えた。多分、ファストなんとかっていう転移魔法みたいなやつで逃げたんだと思う。こっちは覚悟を決めてたのに」
……どうやら一線を越えることはなかったようが、聞いてるだけで嫌な冷や汗が止まらない。
ん、待てよ? ……先日会った梶川さんがやたらやつれた様子だったが、あれはいったい……?
そもそもそんな状態で梶川さんはその後どうしたんだ?
「というか、そんなことをしてよく梶川さんの奥さんに殺されなかったな。実の妹に夫を寝取られそうになったなんて聞いて、あの人がどれほど怒り狂うか想像もしたくないんだが」
「二日後くらいに姉さんから『もうこんなことしちゃダメよ』って軽く叱られただけで済んだ。義兄さんも事情を話したら『好きな人ができたのはむしろ喜ばしいことだから、俺に一服盛るのはマジでやめなさい……』って言いながら許してくれた」
「え、えらく優しい対応だったんだな。逆に怖いんだが」
「……ちなみにその時の姉さんは見たことないくらい上機嫌で肌がツヤツヤしてて、義兄さんはものすごくガリガリになってた……」
「……あー……」
……もうこれ以上この話題を続けるのは止めよう。なんだか生々しくて嫌だ。
「それから義兄さんのことはきっぱり諦めた。これからは新しい恋に生きようと思う」
「そ、そうか……ところで、好きになったのは誰なんだ? まさかユーブじゃないだろうな」
「違う、絶対にそれはない」
「分かった、強く否定したいのは分かったから顔を近づけてくるな。……ちょっと待て本当に近いからやめろ、おい」
「セフレ」
「な、なんだ? ……?」
おい、待て。
まさか、この流れは……。
「この間私を庇ってくれた時、すごくかっこよかった。惚れた。私と結婚してほしい」
「待たんか! どうしてそうなるんだ、女同士だろうが! 正気に戻れ!」
「大丈夫。どこかの港町のギルマスも女同士で結婚して子供まで作ってるって義兄さんが言ってた」
「あの人余計な情報伝えやがって!! 私にそっちの趣味はない!」
「じゃあ性転換の霊薬を飲んで男になる。それで解決」
「しなくていい!」
「じゃあセフレが男になる?」
「なるわけないだろ! いい加減にしろ!」
「なら女同士でいいってこと。何も問題はない」
「問題しかないっ!!」
ダメだ。
もうこいつはダメだ。貞操観念が死滅している。
なんでこいつとパーティを組むことを快諾してしまったんだ私は……。
≪……なるほど、ローアに気をつけろと言っていたのはこういうことか……≫
~~~~~
「……我が子に対する教育方針に自信が持てなくなってきた……」
「……心中お察しいたします。いや、まさかあんな方向へ進むなんて予想できませんって」
「恋愛の対象が他へ移ったと聞いた時は安心するのと同時にどんな男か見極めてやろうと思ったものだが、まさかの同性とは思わなかったな」
「昨今の恋愛事情に鑑みると、頭ごなしに『同性同士の恋愛は駄目だ』っていうのも問題ありますからね」
「よりによってギルマスが同性婚の前例を作ってしまったからな。確かランドライナムだったか?」
「……手紙で子供の写った写真を見た時には思わず吹き出してしまいましたね。まさかあの人がねぇ……」
「うふふ、まあ、恋愛は自由だし? ローアちゃんの人生だし? それなら、仕方がないと、思う、し?」
「義母さん、そんな悠長な……あの、カップに紅茶を注ごうとしてるみたいですが、全部零れて全然入ってませんけど」
「それに砂糖を入れすぎじゃないか? いったい何杯入れて……待て待て、カップに砂糖しか入ってないぞ。おい、砂糖の直飲みはやめるんだ! 平常心を装おうとしてかえって無理をしてないか!? おい!」
「うふふ、うふふふふはハはは歯ははうふふ」
「……義母さんがこんなに取り乱してるところ初めて見たな……」




