人違い
「はい、ただいまーっと」
「おう、お勤めご苦労……酒くせぇぞ、またケツ持ちの店で飲んでやがったな。仕事しろよ」
「いいのいいの、ゴウさんめっちゃ強いから。今日だって三佐組の連中がおしぼり押し付けようとしてきたのを、木刀振り回して追っ払ってたし」
「どっちがヤクザか分かんねぇなソレ。嫁の婆さんは元気そうだったか?」
「今日は姿が見えなかったな。他所に茶を飲みに行ってるって話だったけど、そろそろ帰ってるころじゃねぇの?」
「出てってる間に、三佐組の連中に襲われたりしてねぇだろうな。あいつら、最近じゃカタギ相手にも容赦ねぇって話だぜ」
「親が代わったからねぇ。……あのションベンタレが組の長にまで上り詰めるたぁ、世の中分からんもんだね」
「それにゃあ同感だが、婆さんは無事かっつってんだ。確認しとかなくていいのかよ」
「スミレさん、ゴウさんとの喧嘩の時に木刀を素手でへし折ってそのまま殴り倒すくらい強いし、三佐組がちょっかい出してきても返り討ちでしょ」
「あの婆さんホントに人間か……?」
「ただ、三佐の新組長はあの店に、というか唯ちゃんに執着してた。唯ちゃんが生きてきた証といったらもうあの店くらいしか残ってねぇし、そう簡単に諦めるとは思えねぇ。……現に、さっきから何度もスミレさんに連絡入れても全然出ないでやんの」
「! ……もう遅いかもしれねぇが、婆さんの安否を確認しにいくか?」
「俺ら二人だけじゃできることにも限りがある。すぐ応援呼んで池田の居酒屋とシマコさんの家に若いの2~3人ずつ寄越して、その報せ次第で残りは三佐組の事務所へ行こうか」
「はぁ、やれやれ。まさかこんな夜中にカチコミ行くことになるかもしれねぇとはな」
「他の店ならここまで大事にはならないだろうけど、ちょっかい出すのが池田の居酒屋なら話は別だ。『あの子』も帰ってきてるみたいだしねぇ」
「あの子? 誰のことだ?」
「いやぁ、酔いが醒めてきてようやく思い出してきた。あの顔どっかで見たことがあると思ったら、梶川君の忘れ形見だったよ。そりゃそうか、ゴウさんのお孫さんってことは唯ちゃんの子供ってことだもんねぇ」
「梶川? ……っ!! 梶川って、あの梶川か?」
「その梶川。……いやぁ、もう二十数年以上前のことなのに昨日のことみたいに思い出せるよ。あの事件の後にウチの組に入らないかって誘ってみたりもしたなぁ。結局断られたけど、息子さんを見る限りじゃやっぱ彼には素質があったんだねぇ。怖い怖い」
「梶川の倅は、ヤバそうだったか?」
「うん、彼に瓜二つだったよ。外見だけじゃなくて、色々と底知れないところがね。さて、そうと決まれば早く連絡を……ん?」
「誰か入ってきたみたいだな。お前の客か?」
「いや、他には誰も……え?」
~~~~~光流の祖父視点~~~~~
事務所入り口の自動ドアを木刀でぶち破って、中へ入った。
カギは閉まっとらんかったが、こうして八つ当たりでもしてやらにゃ気が済まん。
三佐組の事務所へ殴りこむのは、これで二度目か。
もうヤクザ相手にカチコミなんざ二度とごめんだと思っとったのにのぉ。
光流が生まれる前の、二十数年前のある日。
丁度こんな肌を刺すような寒さの深夜じゃった。
特に懐かしむべきことでもないが、あの時と状況が似ておる。
唯が三佐組の若いもんに攫われて、儂とスミレが取り戻しに殴り込みに行ったが多勢に無勢で、一歩間違えばあの時夫婦揃って死んでおったな。
騒ぎに関与しておらんかった当時の三佐組組長と幹部らが止めに入るのがあと一歩遅かったら、一茶組と三佐組の大抗争になりかねんかった。
たかが娘っこ一人になにを大げさな、と思われるような話じゃが、当時の唯が三佐組に攫われるということはそういう事態を引き起こしかねん理由があった。
あの時は寿命が十年ばかし縮まった思いじゃったわい。
……もう、『アイツ』の助けはない。
その代わりの手助けはおるが、果たして上手くいくのかのぉ。
そんな過去を振り返りつつ事務所を突き進んでいき、最奥の組長室へ足を踏み入れた。
「! ご、豪さん……」
「アンタ!」
「……遅れて済まんの、スミレ、シマコさん」
部屋の中にはガラの悪いヤクザ連中が二十人ばかりと、手足を縛られて座らされているシマコ婆さんとスミレが見えた。
年寄りをずっとこんな状態で置いとくな。関節が痛んだりうっ血したらどうすんじゃ。
てか、ヤクザ連中がどいつもこいつも痣や傷だらけなんじゃが。なにがあった。
奥へ足を進めると、舎弟と思しき男が組長室のドアを閉じて鍵を閉められ、さらに妙な紙をドアに貼り付けた。
逃がす気はないってか。逃げるつもりなんぞさらさらないわい。……というか、あの紙はなんだ?
「いらっしゃいませ、池田さん。約束通り、お一人で入場していただき感謝します」
大理石のテーブルの端、一番上座のソファに座る男の口から、聞き覚えのある声が発せられた。
この声は、忘れたくとも忘れられん。
「……まさか、新しい組長がお前さんとはのぉ。如月よ」
「ご無沙汰しております、池田さん」
唯の幼馴染として、小さいころからよくウチに顔を見せておったガキ、『如月 天真』。
かつての面影を残し、しかし前面に出ているのはあどけなさのカケラもない険の強さ。
オールバックにまとめた髪に、頬には縫い目の目立つ切り傷、
不敵な笑みは、絶対な自信の表れか。
ヤクザに相応しい風貌を備えた姿へ成長を遂げた姿が目の前にはあった。
「二十数年ぶりですね。あの騒ぎから長く、しかし昨日のことのように思い出せますよ」
「今更になって戻ってきおったか」
「ええ。……もう、迎えるべき彼女はいないのですが、ね」
「迎える? 自惚れるな。たとえ生きておったとしても、落ちぶれたお前なんぞについていくほど唯は弱くなかったわい」
そう言うと、僅かに顔を顰めつつも懐から紙巻を取り出し咥え、隣に座っていた付添いの男が火を点けた。
……まだ、こやつは如月に付いておるのか。
この付き添いの男、確かあの騒ぎの時あたりから如月の傍におるが、どうにも腹の内が読めん。
何十年も客商売やっとる儂でも、こやつがなにを考えておるのかがまるで分からんのだ。
もしかしたら、警戒すべきは如月ではなく……。
……いや、今はとにかく如月との対話が先じゃ。
一息で紙巻の半分が灰になるほど深く吸い込み、紫煙を吐き出してから言葉を続けた。
「確かに私は落ちぶれました。あの日、アイツに敗れてからどん底にまで突き落とされましたよ。あれから毎日が地獄だった。財産は全て差し押さえられ、若頭補佐としての地位すら失い、ケジメをつけるために両手で八までしか数えられなくなってしまいました」
フィルターギリギリまで煙草を吸い尽くし、灰皿に押し付けて潰している。
その際に、如月の小指が左右共に無くなっているのが見えた。
普通エンコ詰めるのは片手だけじゃなかったか?
まあ、例の事件は私欲で起こすにはデカすぎたから無理もないか。
「だがそんなことはどうでもいい。私の心は一度完膚なきまでにへし折れましたが、それと同時に『絶対に這い上がって、天辺に立ってやる』と強く誓いました」
「ヤクザとしてか、それとも一人の男としてか?」
「さてね。どちらにせよ底辺のままでは唯を迎えるどころか、彼女に近付くことすら許されませんでしたからね。だからこそ誰にも文句が言えないほどでかくなってやろうと足掻いて、足掻いて、こうして組長の座にまで上り詰めてやりましたよ」
「その根性をちったぁまともな方向へ発揮しとけっつーんじゃ」
努力の方向音痴は相変わらずか。
唯へのアプローチも、なんだか的外れなものばかりじゃったからなぁコイツ。
「お前はガキのころからそんな具合じゃった。唯が『道端の花が綺麗だ』と言えば、『それより綺麗な花がある』と高い金はたいて花束を渡そうとしたり、ビー玉を集めて遊んでるところに本物の宝石を持ってきてやったりとかな。ボンボンめ」
「もっと素敵なものがあるということを、プレゼントを通して教えてあげたかっただけですよ」
「アホぅ。子供なんていうのは安っぽいもんで満足しとるくらいが丁度ええんじゃ。でなけりゃ、欲の歯止めが利かんようになってしまう。そもそも唯は目の前にあるもので満足しとったわい」
安物でも、人を楽しませることができれば価値がある。
高級品でも、関心が湧かなきゃゴミと同じ。
唯は、物事の価値を金銭や数字ではないところで測っておった。
そして、こやつはそれを理解できなかった。
だからこそ、何年も一緒におったはずの自分ではなく、出会って間もない『アイツ』を選んだことが理解できなかったんじゃろう。
「どれだけ長い間付き合いがあったかではなく、どれだけ自分のことを分かってくれるのか。唯がいつまで経ってもお前に惹かれず、アイツを選んだ理由がそれじゃ」
「……」
「お前は自分の価値観を押し付けるばかりで、唯の気持ちなんぞ理解しておらんかった」
「……くくくっ」
悔しさを嚙み殺すように、嘲笑うように、あるいは自嘲するように、俯きながら微かに笑い声を漏らす如月。
顔を上げた時には、目を見開き憤怒の形相でこちらを睨みつけてきた。
「……ショックでしたよ。こうして組長の座に就き、ようやく彼女を迎えられると戻ってきた時に、はじめて現状を知らされました」
「ふん。そもそも二十数年前に唯がアイツを選んだ時点で、お前に―――」
「アイツを選んだ結果、なにが残ったぁ!!」
怒号を発しながら大理石のテーブルを殴りつけ、粉々に砕いた。
明らかに人間技じゃない。ここまで厚みのあるテーブルだと、瓦割りのようにはいかんはずだ。
「アイツは、アイツは唯を私から奪った挙句、あっさり病死してやがった! そのうえ、残された唯は事故で死んでいただと!? そんな馬鹿な話があるか!!」
「お、親父! 落ち着いてくださ―――」
「黙ってろ三下がぁっ!!」
「ひ、ひいぃ!!」
激高した如月を宥めようと口を挟んできた舎弟を、一喝しただけで腰砕けにしおった。
……アイツほどじゃないが、凄まじい迫力じゃな。
「私なら唯を死なせなかった! 私なら唯を残して死んだりしなかった! 私なら、唯を幸せにできたんだ! ……こんな、救いのない話があるか……!!」
食いしばった口の端から血を流し、涙を流して怒りに震えている。
こいつは、気持ちこそ一方通行だったが確かに唯を愛しておった。
ある視点から見ればコイツが言っていることも、あるいは正しいのかもしれない。
唯がもしも、万が一、奇跡と偶然となにかの間違いによって魔が差して、如月を選んでいたとしたら、今も元気な姿を見ることができていたのかもしれない、と。
やはりこいつはなにも分かっておらん。
馬鹿が。
「……もう今の私に残ったものは、三佐組の組長という座だけだ」
「だから、組の益のためにウチの店におしぼり置こうってか? にしちゃあ随分と間怠っこいというか回りくどい真似するのぉ」
人質にとられたスミレたちに目を向けながら言う。
それにしても、どんな手を使ってスミレを捕まえたんじゃ?
目的よりもその手段のほうが難易度高い気がするんじゃが。
「あなたがなかなか要求を呑んでくれませんでしたからね。ただおしぼりとそのみかじめさえ払ってもらえれば、それでよかったというのに」
「はんっ、そっからトントン拍子にウチの店を乗っ取る気満々じゃったろうが」
「ふむ、なぜそのような予想を?」
「ここ二十年余りで、ここらは随分様変わりしちまってるからのぉ。前と変わらない場所といったら、もう池田の居酒屋くらいしか残っとらん。唯に固執しとるお前が欲しいものといったら、あの子との思い出が詰まったウチの店くらいじゃろ」
「……お見通し、ですか」
「そのために、よくスミレを人質にとれたもんじゃ。……いや、ホントにどうやってスミレを捕らえたんじゃ? スミレがバケモンじみてクソ強いのはもう身をもって嫌というほど知っとるんじゃが」
「アンタ?」
「スンマセン口が滑りました」
低い声で儂を呼びながら、縛られている縄をミシミシと軋ませるスミレ。
大丈夫かコレ。その縄の強度は大丈夫なのか。今にも引き千切って殴りかかってきそうなんじゃが。儂に。
「確かに確保には苦労しましたよ。取り押さえにかかった若衆が、ことごとくやられていましたからね」
「あー、もしかしてどいつもこいつも傷だらけなのはスミレにやられたからか?」
「ええ。ここにいないヤツらは骨折や重度の打撲傷、中には脳挫傷で現在生死の境を彷徨っているヤツもいます。……この人、本当に人間なんですか?」
「それは儂が聞きたい」
「ア ン タ ?」
「スミマセンゴメンナサイ謝りますから許してください。……如月! 縄! 縛っとる縄が千切れかかっとるぞ!」
「あ、ちょ、なにチクってんだいコラ!」
人質に取られているスミレが自力で縄を引き千切りそうになっているのを慌てて如月にチクる。
いや、普通言うべきじゃないのは分かっとるんじゃが、このままだと真っ先に殴り殺されかねんから思わずチクってしまった。怖すぎる。
……さっきまで真面目な雰囲気じゃったのに、スミレが話題に入ってきた途端に一気に空気が弛緩した。別の意味で緊張感はあるが。
「……鋼線で縛り直せ」
「は、はい、親、父……!?」
若衆の一人に指示を出してスミレの縄を縛り直そうとしたが、急に動きが止まった。
スミレのほうを見て驚いたような顔をしておるが、どうしたんじゃ?
「だ、誰だテメェは! い、いつ、どっから入り込みやがった!?」
「あ、どうも。最初はそっちのドアぶち破って入ろうとしたんだけど、無理っぽかったから直接転移してきました」
……来たか。
「随分と時間がかかっておったが、話はうまくまとまったのか?」
「まーね。すぐにこっちにきてもらえるってさ」
「あ、アンタ、まさか……!?」
「ああ。おひさ、バアさん」
スミレの後ろに、人影が三つ立っていた。
金髪の幼子に黒髪の少女、そして黒髪の青年。
「か、か、か………」
それを見た如月が、信じられぬといった様子で目を見開きながら、か細く声を漏らした後に絶叫した。
「なぜ、貴様が生きている!! 『梶川正十』ぉぉおおおっ!!!」
「……いや、それ親父だって。人違いやぞ」




