第42話 進級前祝いはふわふわのパンケーキで
研究室を出ると、廊下でアリシアが心配そうな顔をして待っていた。
「どうだった?」
「見て!」
首飾りのメダルを掲げて笑みを浮かべれば、アリシアは両手を広げて走り寄ってきた。
「おめでとう!」
「嘘みたい……こんなに早く決まるなんて思ってなかったよ」
「来年から、ポーティア女史にこき使われるわよ~」
「望むところよ! ただ、筆記が酷いって笑われちゃった」
「ふふっ、それじゃ、これからも私が勉強に付き合わないとね」
「頼りにしてます!」
手を握り合って、お祝いにお茶会をしよと話しながら歩き出す。
「そういえば、アリシアも所属する研究室決まったんだよね?」
「ええ、魔素分析の研究室よ」
「そこで温泉水の分析をしてもらったって聞いたよ」
「私も気になって、教えてもらったけど、どの温泉水も、過去の記録と比べても変化がなかったそうよ」
「そうなんだ。ヒクイドリが浴びた秘湯も?」
「そうね。特に異常な魔素値はなかったそうよ」
そもそも温泉の枯渇や異常が起きれば、湯量や温泉の色にも変化が起きるものだ。それらが確認されていないのであれば、早急に問題視することではない。
やはり、温泉の枯渇はデマだった、てことになるのだろう。
「じゃぁ、ヒクイドリが大地の魔力を食いつくした訳じゃないんだ」
「それはないわよ。そもそも山の魔力だまりはヒクイドリ一体で食いつくせる量じゃないもの。多少、火山の抑制くらいの影響はあっても、到底無理な話よ!」
「そうなの?」
「ミシェル……もうちょっと勉強頑張った方がいいわよ」
呆れた顔をしたアリシアは、正門に寄り掛かる人影を見て「あら?」と声を溢した。彼女に釣られて前を向くと、そこにキースの姿を見た。
「お迎えみたいね」
「どうしたのかな?」
「心配なんでしょ。ネヴィンのことがあったから」
「……そうそう起きないよ、あんなこと」
こちらに気づいたキースに手を振ると、ちょっと手が上がった。小走りになった近づくと、ようと声がかけられる。
「どうしたの?」
「そろそろ終わる頃だと思ってさ」
「で?」
「でって……まぁ、暇だったし」
歯切れの悪い物言いをするキースに、後ろでアリシアがくすくすと笑った。
「先が思いやられるわね」
「アリシア、どういう事?」
「そうね……今度、流行りの恋愛小説を貸すわね」
回答になっていない気がして、いぶかしげに眉を寄せると、アリシアは唐突に「あっ」と声を上げた。
「パークスと勉強会の約束してたんだわ、すっかり忘れてた」
わざとらしく手を叩いたアリシアは「お祝いはまた今度ね」と笑って、慌ただしくその場を立ち去ってしまった。
たぶん、気を遣ってくれたんだと思うけど。そうされて二人っきりになると、なんだか、とたんに恥ずかしさが込み上げてくる。
だけど、キースは気にする様子もなくて、いつもと何も変わらない。
「お祝いって?」
「そうだ! あのね」
首にかけていたメダルを引っ張り出し、満面の笑みでそれをキースに向けた。
銀のメダルが陽の光を浴びてきらりと輝いた。
「メダル?」
「ポーティア女史の研究室に入れることになったの!」
「へぇ、よかったじゃん」
そういいながら、私のペンダントをつまんだキースは、おかしそうにふっと笑った。
「なによ?」
「だってさ、お前……出会った頃はクソ生意気でさ、無茶苦茶だったのにさ」
「そ、それは、あの頃の私は本当に何も知らなくって!」
恥ずかしさに耳まで熱くなる。
伸びてきた大きな手に身をすくめた。前髪がくしゃりとかきあげられ、頭を優しく撫でられる。
「ほんと、お前ってすげーな」
「……キース?」
「その研究室の先も、考えてんだろ?」
「もちろん! ロック・ハートリー研究所に、絶対入ってみせるよ!」
「ロック・ハートリー? 国の機関じゃねぇか」
気合い充分で答えると、笑ったキースは「負けてらんないな」と呟いた。
「よし、前祝いに行くか!」
いい店を見つけたんだと言って笑ったキースに手を引かれ、私はアーチー通りに向けて歩き出した。
◇
花々が飾られたテラス席は青々とした木々に囲まれている。枝葉を広げた緑の葉が丁度良いひさしとなり、日陰を心地よい風が抜けた。
どの席でも客たちは談笑して午後のひと時を楽しんでいる。
そんな中、私の前には、三段に積み上げられたふわふわのパンケーキがある。
雪山のようにたっぷり盛られたホイップクリームに、ナッツの蜂蜜付けと共に載せられたベリーは皿の上にも零れ落ち、まるで宝石のように輝いている。添えられた食用の花にはキラキラとしたジュレが添えられていて、その一皿は美しい芸術作品そのものだ。
「キースって、本当にお店見つけるの上手よね」
「ここは、たまたまだけどな。開店の手伝いをしたんだ」
「そうなの?」
「冒険者稼業ってのは何でも屋だかんな。それに今回は、顔見知りだったからさ。格安で引き受けたわけ」
「そうだったんだ」
「格安で受ける変わりに、割引券貰ったけどな」
にししっと笑うキースの抜け目のなさに、思わず小さく噴き出した。
「そう言うことなら、遠慮なくいただきます」
元より遠慮をするつもりはなかったが、ふわふわのパンケーキにナイフを入れ、切り分けたそれを口に運んだ。
たっぷりの生クリームと一緒に温かな生地を一噛みする。二度、三度と噛んでいくと柔らかな生地はしゅわしゅわと口の中でとけていき、甘酸っぱいベリーの香りが口いっぱいに広がった。
ごくんと飲み込むと、その大きな青い瞳が輝いた。
「美味しい!」
「だろー」
「なんで、キースが自慢げなのよ」
「なんでだろ?」
首を傾げたキースと顔を見合って笑った。
キースは笑いながら、彼の前にあるパンケーキへと、さっくりとナイフを入れた。添えられた無花果も一緒に口に入れて噛めば、その顔が輝く。きっと、とろりとした甘い果汁が口に広がっているんだろう。
「美味しい?」
「うまいぞ。無花果も良く冷えてる」
「そっちも食べたいなぁ」
「ん、食う?」
「いいの!?」
一口大に切ってフォークで刺したそれが差し出され、喜びに頬を緩めて大きな口を開けた。そして、躊躇うことなく一息にそのパンケーキを頬張る。
「どう?」
温かなパンケーキとよく冷えた無花果を噛み締め、ごくんと飲み込み「美味しい!」と即答した。
私を見るキースが、少し笑いを堪えるような表情をした。
「どうしたの?」
不思議に思って小首を傾げると、武骨な指が顔に近づいた。何かなと思う間もなく、ぐいっと口元が拭われる。
彼の指先には、白い生クリームがついていた。
「落ち着いて食えって。ほんと、お前ってお嬢様らしくないよな」
指先のクリームをペロッと舐めたキースが笑うと、恥ずかしさが全身を駆け巡った。
「……キースは、お淑やかな方が良いの?」
「前も言ったけど、俺、貴族嫌いよ? それに──」
もう一口切ったパンケーキを口元に差し出したキースは、ほらという。促されてそれをぱくんっと食べると、彼は満足そうに笑った。
「お淑やかなお嬢様が横にいたら、落ち着かないだろうな」
「私も、そんなの肩凝っちゃう」
「だろうな! なあ、そんなことよりさ」
破顔したキースは、私の前にあるパンケーキを指さすと「俺もそれ食いたい」と言った。
一口に切ったパンケーキを差し出し、近づいたキースの綺麗な顔を見て、はたと気づく。今、ものすごく恥ずかしいことをしているのではないかと。
これって、俗にいう「あーん」ってやつじゃないの!?
気付いたとたんに、耳の先まで熱くなってしまった。
次回、本日19時頃の更新となります
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