第39話 ヒクイドリと黒い魔法陣
ヒタキドリを追って岩肌を登り、時折足を滑らせながら進んだ先にあったのは、すり鉢状の窪地。巨大な岩がごろごろと転がる中で低木が僅かに生えていた。その奥には、湯気の上がっている。
「おい、さっきのヒタキドリじゃないか?」
キースが指差した岩に一羽のヒタキドリがとまっていた。その首には、目印に結んだ私のリボンがある。
ヒタキドリは辺りをきょろきょろと見まわすと、いくつかの岩を飛び越えて姿をくらました。
「どうやら、この辺りが巣のようだな」
「秘湯とやらも近そうね。ミシェル、行ける?」
息を切らす私を、アニーとラルフが心配そうに見る。どうしたものかと視線を交わす二人に「大丈夫」というも、その声は自分で思うよりも小さかった。
「少し休め。俺とアニーで様子を見てくる」
「大丈夫、だよ……詠唱も、出来る」
「そうは言ってもな」
ラルフが眉をひそめた時、私のすぐ後ろに立ったキースが肩に触れた。ぐっと強い力に引かれて、その胸の中に収まる。
ため息をついたラルフは、分かったといって背を向けた。
「ゆっくり降りて来い。アニー、行くぞ」
「はいはーい。あ、ロデリック! あんたも来なさい」
踏み出した足を止めたアニーは振り返って、お兄様を指差した。
なぜ自分が名指しなのだと言わんばかりに、お兄様は不愉快そうなオーラを溢れさせるけど、アニーも引く様子がない。
「何かの時の後方支援くらい出来るでしょ? ミシェルを休ませたいなら、あんたが動く。いいわね!」
「……致し方あるまい」
不本意だと言いそうな声音に、ふんっと鼻を鳴らしたアニーは斜面を駆けていく。それをお兄様も追って行った。
私も行くと言いかけた時、キースに強く抱き締められた。仰ぎ見ると、真剣な顔がある。
「どうしたの?」
「おぶってやろうか。それとも、お姫様抱っこがいいか?」
「なっ!?」
神妙な顔で何を言い出すのかと思えば!
突然の言葉に思わず耳まで熱くなって口をぱくぱくさせると、キースはにやりと笑った。
えっ、もしかして、からかわれた?
「あ、歩ける!」
「無理するなよ。まだヒタキドリの群れがいるかもしれないんだ。そしたら、頼りはお前なんだからな」
「……うん。分かった」
頷いてキースの手を握る。そうして、彼に導かれるまま足を踏み出した。
すり鉢のような窪地の底を目指して降りていく。人が隠れてしまうほどの大岩も埋まっているし、緩やかな斜面とはいえ、足を滑らせたら怪我をしそうだった。
しばらくすると、先を行くアニーが「ミシェル!」と緊迫した声を上げた。
弾かれるように顔を上げて先を見る。何か見つけたのかもしれない。
キースと顔を見合うと、突然手を引かれた。再び視界が高くなり、彼の両手に抱え上げられたとすぐに気づいた。
「もさもさしてられないからな」
「……ごめんね」
「何、謝ってんだよ?」
「だ、だって……重いでしょ?」
「は? 酒樽より遥かに軽いって。行くぞ!」
笑い飛ばしたキースは、再び岩場を蹴り上げた。
酒樽と比べられたことをどう解釈すればいいのか。緊迫した場面に似つかわしくない笑いを溢しかけ、キースの肩にしがみついて口を引き結んだ。
砂利と小石、岩が転がる窪地の底に降り立ち、大きな巨石の奥に踏み込む。そのさらに少し先にアニーとラルフの姿があった。それぞれが武器を構えているが踏み込む様子はない。彼らのすぐ後ろにいるお兄様もまた、微動だにしない。
何かと向き合っているようだ。
さらに近づき、私たちはとんでもない光景を目にした。
そこにいたのは、翼を閉じて体を丸めた巨鳥。その大きさは大鷲の比ではない。羽根の色は闇夜のように黒く、嘴と風切り羽根、尾が赤く輝いている。まるでヒタキドリを大きくしたような姿だ。
そのすぐ傍の巨石の上で小さなヒタキドリが一羽、警戒の鳴き声を上げていた。
「ちょっと、ミシェル……これ、どうしたら良いの?」
「襲ってくる様子はないのだが」
ゆっくりと首を巡らせたアニーの言葉を補うようにラルフも声をひそめた。
地面に足を下ろして、私はゆっくりと前に進んだ。
小石が擦れあい、じゃりっと音を立てる。それに気づいたのか、巨鳥がうっすらと目を開けた。
赤く輝く大きな瞳に私の姿が映りこむ。しかし、その翼が羽ばたかれることはなかった。
「……ねぇ、何か変だよ」
杖を強く握りしめて呟くと、アニーとラルフが頷いた。
「そうね。ヒタキドリがこんな大きくなるとか信じられないわ。もしかして、これがヒクイドリなの?」
「ヒクイドリは、もっと燃え盛るような炎の色だと聞いたことがあるが……」
「そもそも、害獣指定されているんだろ? 随分デカいが、どう見たって大人しいじゃねぇか」
「うん。それに……何だか、苦しそう」
この大きさの鳥が暴れれば、確かに危険だろう。だけど、キースの言うように巨鳥は大人しく翼を閉じたままだ。襲ってくる様子は見られない。
どうしたら良いのか考えあぐねいていると──
「これはヒクイドリだ。だいぶ弱っているが、間違いない」
巨鳥を見上げていたお兄様がはっきりと言い切った。
「ヒクイドリは光を浴びている間その体を炎のように赤く染め、太陽のごとく輝かせる。だが、陽が沈むとその翼は輝きを失い闇夜に染まる」
「でも、今はまだ陽射しが……」
一度、空を仰ぎ見て再び巨鳥に視線を向ける。
「その翼の輝きは、体中にある膨大な魔力の輝きだ。魔力が尽きれば、輝きも失われる」
「魔力が、尽きる……?」
「あぁ、間違い。このヒクイドリは死の間際にいる」
淡々としたお兄様の物言いに、思わず顔をしかめた。そして、すぐ傍で鳴き続けるヒタキドリに視線を移す。
「……そんな。それじゃ、もしかしてヒタキドリはヒクイドリを守るために、私たちを警戒していたの?」
「おそらくは」
「助けられないの? お兄様!」
懇願するように叫ぶが、それに返答はなかった。
再び巨鳥ヒクイドリに視線を移すと、潤んだ大きな赤い瞳に私の姿が映った。
何か、まだ何かできるはず。
杖を握りしめ「助けたい」と呟くと、アニーが「なにいってるの!?」と驚きの声をあげた。
「害獣指定されてるんだよ? 助けてどうするのよ」
「でも……」
どうしてこれほど惹かれるのか。どうして助けたいなどと思ったのか。明確な答えはない。
だけど、助けたいと思ってしまった。
何かに曳かれるように歩み出してアニーの横をすり抜ける。
「ちょっ、近づくのは危ないわよ!」
アニーが伸ばした手をするりとかわして、さらに進む。
「バカ、やめろ!」
叫んだキースが走り寄ろうとしたその直後、バチンッっと破裂音が響いて目の前で火花が散った。
魔法で防御壁を展開している。
この壁は、なんのためなんだろう。わざわざここまで来る冒険者なんていないだろうに。
「なんで、近づいちゃいけないの?」
ヒクイドリに問うも、答えは返ってこない。
そっと手を前に突き出と、再び破裂音と共に火花が散った。その瞬間、足元に黒光りする文字が一瞬浮かんだ。
一瞬見た文字列に、目を見開く。
そんな、まさか。もしも見間違いじゃなかったら、これは隷属魔法だ。誰がなんのために、こんな魔法陣を組んだの?
もう一度、確かめたくて手を前に突き出す。
「やめろっ!」
指が見えない壁に触れる直前、キースが私の手首を掴んだ。
バチンっと派手な音と共に火花が散る。
細かな裂傷を負った掌から滴った赤い血が、キースの指を濡らした。
「放して、キース! 助けなきゃ」
「何言ってるんだ。あれは害獣だろう?」
「そうかもしれない。でも、そうじゃないの!」
手首を掴む手を振り解こうともがくも、キースの指はぴくりとも動かない。それが悔しくて、自分の力のなさを思い知らされる。
込み上げる感情を飲み込むように喉をぐうっと鳴らし、溢れそうになる涙をこらえた。
「いいから、落ち着け!」
鼓膜が震えるほどの怒声を響かせたキースは、私を腕の中へと強く引き入れる。
「頼む、ミシェル……お前が傷つくのも、泣くのも、俺は見たくない」
「でも、でもね……ヒクイドリは、無理やり閉じ込められているの」
「……無理やり?」
「見えない壁は、隷属の魔法によるものなの」
「……隷属」
「誰がかけたのか分からないけど、ヒクイドリはそれに抗ってる。命を削ってまで、拒んでいるの」
だから助けたいのだと訴えると、すぐ傍の岩の上で鳴いていたヒタキドリが高い声を上げて羽ばたいた。そして、私の頭に舞い降りると、再び一鳴きする。
「お前も、助けたいんだね」
そう問えば、再びヒタキドリは一鳴きする。
「だけどさ、ミシェル──」
傍観していたアニーは真剣な眼差しで問いかけた。
「助けたと同時に襲って来やしないの?」
「それはないと思う。だって……本当に魔力の流れが弱いの。この魔法を解除したとして、命を繋げるかも分からない」
それでも、このまま果てるべきではない。そう己の直感を信じて、私はヒクイドリを振り返った。
「必ず、助ける!」
次回、本日19時頃の更新となります
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