第20話 赤い蝶の向かう先に(アリシア視点)
ミシェルが下宿しているロンマロリー邸が建つのは、学院から少し離れた職人通りにほど近い場所だ。
屋敷に辿り着き、アリシアは震える手で借りた鍵を鍵穴に差し込む。
大丈夫。大丈夫だから。──心の中で何度も自分を励まし、アリシアは扉を押し開けた。そうして階段を駆け上がり、何度か訪れたことのあるミシェルの自室を目指す。
開け放ったドアの向こうの部屋に、一見して乱れはなかった。
何者かに拐われたのではないか。その疑いを脳裏にちらつかせながら、アリシアは部屋を見渡す。
文机の上はいくらか物が散乱しているが荒らされた形跡はない。通学に使っている鞄も見当たらない。つまり、ミシェルはこの部屋へ戻っていないということだ。
「ねえ、ここがミシェルの部屋なの? 意外と地味ね。お嬢様っぽくないし」
「帰ってないな」
「何で分かるのよ」
「見りゃ分かるだろう。荒らされてねぇし」
「本当にそれだけ? あ、まさか、あんた来たことあるわけ? 年頃の娘の部屋に入ったていうの? やらしー!」
「うるせぇな。今はそんなことどうでも良いだろう」
キースは、耳元で騒ぐアニーから離れると、閉ざされた窓に手をかけて押し開けた。
風が部屋に入り込むみ、小さなカンテラが揺れた。
キースとアニーのやりとりを聞きながら、アリシアは小さなドレッサーを見回していた。
台の上には鮮やかなリボンが入れられた箱、小さな化粧水瓶と櫛が置かれている。アリシアはその櫛を手にすると、絡まる赤毛を一本抜きとった。
「髪の毛?」
アリシアの動きを覗いたアニーは、不思議そうに「そどうするの?」と尋ねた。
「魔力は全身を流れています。髪の先までくまなく。なので、この髪にも残留魔力があるんです」
「それどう使うのよ?」
「薬液につけて分解し、それを使って、魔力の元を探し出します」
丁寧なアリシアの説明を聞いても、アニーには結局のところ何をするのか見当もつかない。「任せたわ」と言いながら、彼女はキースを振り返った。
キースはといえば、アリシアの言動に全く興味を示さず、窓を見上げていた。そこに飾られる祈りのカンテラにアニーも気付き、したり顔となる。
「ふふっ、ミシェルも女の子ね」
「どこをどう見たって女だろうが」
「バカね。そんな生物学的なことじゃないわよ」
ため息をついたアニーは説教の一つでもしてやろかと思ったのか、はたまた、からかおうとしたのだろうか。にやりと笑ってキースの横に立った。
「あんた、ミシェルを祭りに連れて行ってやりなよ」
「星祭りか?」
「そうよ。明日、最終日でしょ。きっと、喜ぶわよ」
「……見つからなきゃ行きようもないだろう」
言葉の意味を理解していないキースに「この鈍感!」と叫んだアニーは、その頭をべしんっと叩いた。
二人のやり取りを聞きながら、アリシアは黙々と作業を続けていた。
鞄から取り出した小さな瓶。その蓋を回し開け、中にミシェルの髪を一本浸す。すぐに蓋を閉めてから、幾度か軽く振る。すると、まるで氷が溶けるように、赤毛はゆらゆらと揺らめきながら液体と混ざり合った。そうして、無色だった液体はキラキラと赤い輝きを放ち始める。
その様子に気付いたアニーはアリシアの手元を覗いた。
「それが、魔力?」
「はい。これを……」
アリシアは蓋を外して手を翳す。すると、中の液体が沸きあがるようにこぷりと泡立った。
「朧朧たる眠りし力、我が声を聴き、汝、純麗なる翅を得て風を捉え」
凛とした詠唱に応えるように、その手から魔力の輝きが放たれる。光が小瓶を覆うと、中の液体がさらに体積を増して外に溢れ出した。しかし、それが足元に落ちることはない。まるで、シャボン玉の様に膨れ上がって宙に浮いた。
「空へ羽ばたけ!」
光の中、溢れた液体は蝶の姿となりひらりと舞い上がった。
「汝のあるべき場所へ……さぁ、お行きなさい!」
アリシアが高らかに唱えると、赤く光る蝶は開かれた窓から外へとひらりひらりと飛んでいく。
「あれを追えばいいんだな!」
「はい!」
「仕組みはよく分かんないけど、これなら楽勝ね」
「あぁ、先に行く!」
そう言って、窓枠に足をかけたキースは軽やかに外へと飛んだ。
「私達も追うわよ!」
アリシアの荷物を掴み、彼女の手を引いたアニーは階段を駆け下り、外に飛び出した。
空を見上げれば、キラキラと赤い光が風に乗って帯を作っている。その先を見れば随分前をキースが駆けていた。
一度、大きな通りに出る。しばらく学院に戻るようにして飛んだ蝶であったが、道を折れて裏路地へと入っていった。
「この先って……」
「職人通りがあるわね。人通りも多いから、誰かミシェルを見てるかもね!」
「……でも、職人通りには地下があります」
「あー、連絡通路とか搬入に使ってるやつか……それ、匂うわね」
ミシェルがどういう形で連れ出されたかは分からないが、赤い蝶が小路を縫うように飛んでいくのを見ると人目を避けて移動したのだろう。
走り通しでアリシアの息が上がってきた頃、赤い蝶は職人通りの裏道を何度も行き来するようになった。ついには道を見失ったのか、人気のない場所で翅を休めてしまった。
どういうことだろうかと足を止めたアリシアは首を傾げ、ぐるりと辺りを見回した。
職人通りからは賑やかな声が聞こえるが、裏手となるこの場所に人影はない。
「このどこかに、ミシェルがいるのは間違いないのだけど……魔力が足らなかったのかしら」
「魔法で隠されてるとかはないの? 前、ミシェルが探索で隠された通路を探し出したことがあるわよ」
「あり得ますね」
「魔法で隠されてるなら、魔法で見つけるのが定石なんでしょ?」
「試してみます」
頷いたアリシアが辺りを探るように歩き始めると、丁度、キースが合流した。
「なぁ、職人通りのアーケードって、上がれるんじゃなかったか?」
「そうね。外付けの階段でいけるはずよ」
「上から様子を探ろうかと思ったんだが、その階段が見当たらねぇんだよ」
職人通りを見上げるキースに釣られ、アニーとアリシアも上を見る。
アーチ状の屋根に覆われている職人通りの上には、両側の商店を繋ぐための通路が等間隔で設置されている。ずいぶん幅の広い通路には低木や花が植えられたプランターも置かれているのが、下から見ても分かった。店舗兼住宅である店の住人たちが置いているのだろう。
「あそこって、店の人以外も入れるんですか?」
「誰でも入れるわよ。でも、日中は店主も店にいるし、この一帯の住人もあまり行き来しない場所ね」
アニーがそう答えると、アリシアは何かに気付いたのか、建物の周辺を覆う木々を指さすして口を開いた。
「光風、暗風、迷いし冥暗をあるべき処へ導き駆けよ」
アリシアの澄んだ声が響き、その細い指が宙に文字を刻むと、ふわりと風が舞い上がった。
スカートの裾がはためき、彼女の下ろされた前髪が揺れる。
「混迷する光華の一片、汝、あるべき処に戻りたまえ」
ザアァッと音を立てて職人通りの裏手を覆い隠していた木々が揺れる。すると、揺れた枝木は糸が解れていくように、キラキラと光の欠片となった。ガラスの破片のように輝く細かなそれは、風に乗って舞い上がる。
シャンッと音を立てて光は霧散し、視界が開けて古い石造りの階段が現れた。
赤い蝶が、休めていた翅を再び動かした。階段を上るように、ひらりひらりと舞う。
三人は顔を見合わせると階段を駆け上がった。
次回、本日17時頃の更新となります
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