4-≪ 223 ≫
ここで少し寄り道です。
フランツさんの妹、アイネ。
彼女視点のお話です。
≪ 223 ≫
コルデアの《黒百合姫》――。
この城塞都市マルトゥスの市民達は、私の事をそう呼ぶ。
私の髪がお母様譲りのダークブラウンだからなのか。
それともいつも乗っている愛馬のオブシディアンが漆黒の駿馬だからなのか……。
理由は定かではないが、物心付いた時には周囲からそう呼ばれていた。
でも、私はとっては誰に何と呼ばれようと全く興味はなかった。
私が常日頃考えている事は唯一つ。
ウェンデール王国の英雄、《ブレイズ》の名の下に産まれた者の宿命。
それを果たす事こそが、私の使命。
『このマルトゥスの市民を、コルデアの誇り高き血統を守る事』
だから、私は誰よりも強く誇り高くなければいけない。
負ける事は許されない。
誰がそう呼び始めたか、《黒百合姫》と呼ばれるようになってからはさらにその思いが強くなった。
そんな私の原点は、きっとあの時だったのだろう。
幼い頃の私は、泣き虫だった。今もそうだが、お父様は近衛兵団のお勤めで屋敷を留守にすることが多かった。
そんなお父様が心配で、毎晩のように私室のベッドで泣きべそをかいていた。
そんな私を見かねて、7つ年上の兄はよく添い寝をしてくれた。
大きな窓から見える満天の星空を、ベッドの中で二人寝そべって寄り添い、眺めた。
『ねぇ、おにいさま。お母さまはどこに行ってしまわれたの?』
幼い私の素朴な疑問に、少し大人びて見えた兄は私の頭を優しく撫でながらこう言ってくれた。
『母さんは、あの空に瞬くお星様になったんだ』
『お星様に?』
目尻に溜まった涙を拭いて兄を見ると、兄は星空を見つめたまま頷いて続けた。
『そうだよ。いつでも僕やアイネの事を見守っていてくれているんだ。だから、母さんに会いたくなったらあの星空を見上げるんだ。そうすれば、いつだって会えるんだよ』
『ほんとう? ならアイネ、毎晩お母さまとお話しするわ!』
今思い返してみれば、その時の兄は泣いていたのかもしれない。
星空を見上げる深緑の瞳は瞬く星の様にキラキラ光って見えた。
兄からその話を聞いた次の日から、私は寝る前に必ず夜空の星を見上げて話しかけた。
その日あった出来事、楽しかった事、悲しかった事、怒った事、悩んだ事……。
不思議と、本当にお母様が聞いてくれているように感じた。
それだけで、私の心は安らいだ。
人々に《黒百合姫》と呼ばれたその日、私はいつものようにお母様にその事を報告した。
そして、もう一つ大事な約束をした。私はその日から涙を流す事をやめた。
ただひたすら強くなる為に、エリックやお父様から槍や剣の稽古、乗馬を習った。
私は誰よりも強くならなければならなかった。兄よりもエリックよりも、そしてお父様よりも……。
――理由はただ一つ。
幼かった私がお母様に誓った大切な約束だから――。
午後の遠乗りから帰ってみると、我が家の門前に誰かが立っているのが見えた。
私は、ゆっくりと歩むオブシディアンの背の上で眼を凝らした。
数ヶ月ぶりに見る柔らかな栗色の髪、後ろ姿であっても血の繋がった者を見間違えるわけが無い。
「お兄様?」
門前で執事長のウィルソンに兄の愛馬アルストロメリアの手綱を預けているのは、たった一人の兄であるフランツだ。
兄はルアナ領の魔物討伐隊の副隊長に任命され、任地に赴いたはず。
帰還するのはもう少し先のはずだ。緊急事態でもあったのだろうか?
オブシディアンの歩みを止めてじっくり観察していると、兄の隣には見慣れない黒髪の女と長身のやはり黒髪の男が立っていて兄と何やら話しこんでいる。
遠巻きに見ていても分かった。黒髪女を見つめる兄の緩みきった、だらしない顔。
私は溜め息を吐いた。
あぁ。またか、と――。
騎士としての心構えも才能も申し分ない兄だが、お人よしで世間に疎いのが唯一の欠点だ。
異性に関する事となると特にその駄目さ加減が露呈する。
あの兄が次期コルデア家の当主になるのかと思うと先が思いやられる。
だからこそ、そんな優しすぎる兄を付け狙う《毒蛇の牙》から守るのも私の務めだ。
私はもう一度、黒髪女を見た。歳は私と同じか少し上くらいだろう。
横顔しか見えなかったが、何ともふてぶてしい顔をした女だった。
何の目的で兄に近づいたのか……その化けの皮を必ず剥いでやる。
私は人が見たらさぞ冷酷に見えるであろう笑みを口元に貼り付けて、屋敷に入っていく三人の後ろ姿を見送った。
その姿が屋敷の中に消えると静かに愛馬の腹を蹴って自身も家路に着いた。
さぁ、兄に近づいた事をあの女をどうやって後悔させてやろうか?
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さて「兄を誑かす毒蛇」認定されたチヒロ。
はたしてどうなってしまうのか……。
アイネの覚悟を知ったところで……それでは皆さん、本筋に戻りましょう!




