4-≪ 106 ≫
さて、チヒロから見たフランツさんはそんな感じですが……一方フランツさんは、何を考えていたのでしょう?
ここからはちょっと本筋から逸れて……そんなフランツさんから見たチヒロのお話。
≪ 106 ≫
僕の名前は、フランツ・コルデア・ブレイズ――。
城塞都市マルトゥスを守護する由緒ある中流貴族の家系ブレイズの分家、コルデア家の当主である父ロバート・コルデア・ブレイズの長男だ。
兄弟は今年16歳になった妹、アイネがいる。
母は妹を産んで亡くなった。
父子家庭で育った僕は、父と同じように騎士の道を選んだ。
ブレイズの男として産まれたのであれば、当たり前の結果だった。
そんな僕は少し前まで、ウェンデール王国の領地であるルアナ領で魔物討伐の任に就いていた。
そこで僕は、年上で魔物討伐の経験も豊富なはずのグレッグを差し置いて、討伐隊の副隊長を任されていた。
経験の浅い若造が副隊長になったという事に、最初は隊員達から非難の声が上がったり中傷されたりしたが、何度も隊を編成し、共に魔物を討伐することでその関係は次第に緩和されていった。
部隊の皆が僕を副隊長として認めてくれた事が、何よりも嬉しかった。
そんなある日、僕は父の部下で剣術の師でもある討伐隊隊長、エリック・レトリバーから重要な任務を任された。
その任務とは、ある少女の監視だった。
ルアナ領内にあるローナ村という小さな農村に、突然現れた謎の少女と男。
枯渇していた水源を瞬く間に復活させたという少女は農民達から《終末の巫女》と呼ばれ、崇められていたらしい。
また密告してきた隣村の農民によれば、その少女が農民達を意のままに操り、宴を開かせ、金を巻き上げていたと言う。
密告者の男は最後に『間違いありません。あの女はティルバ連合のスパイです。農民達に一揆を起こさせて、ウェンデール王国を混乱に貶めようとしているのです』と言い残して去って行った。
俄かには信じられない事だったが、隊長は数人の部下を連れてローナ村へと赴いた。
そして、《終末の巫女》だという少女とその従者の男を連行して帰ってきた。
縄で縛られ、連行されてきた少女を、僕は遠巻きに眺めていた。
そして気がついた。
彼女は1週間前、ローナ村付近で魔物狩りをしていた際、その魔物に追われていた少女だった。
あの時は顔の判別は出来なかったが、服と特徴的な黒髪ですぐにあの時の少女だと分かった。
何故か、僕の胸は高鳴った。
もう二度と会えないだろうと思っていた人に会えた。これはもしかしたら『運命』というものなのかもしれない。
こんな事を妹のアイネに言ったら呆れられそうだが、僕はそう思わずにはいられなかった。
そして僕が次に取った行動は、彼女――名前をチヒロと言う少女への取調べだった。そして、
『あの少女の扱いは慎重にすべきだ。もし本当にスパイなのならば、しかるべき場所で監視が必要になる』
とエリックへ進言することだった。
そのやり取りの結果、隊長から下された僕の新たな任務。
それは、スパイ容疑を掛けられた異世界から来たというこの不思議な少女、チヒロの城塞都市マルトゥスでの監視命令だった。
僕は今、彼女――チヒロの監視報告書を認めている。
これはここ数週間、チヒロが取った行動を僕なりにまとめた物だ。
この報告書は後日、ウェンデールの王都にある王政機関とエリックの元に早馬で送られる事になっている。
悠長に時間をかけて書いている時間はない。
僕は屋敷内で見たチヒロの行動かいつまんで思い出した。
* * *
二日前の昼食時。
僕は、調理場の前を通りかかった。
「おぇええええッ! し、死ぬ。チヒロに殺されるーッ!!」
「ほぉー。じゃぁ、とっとと死ぬがいいや!」
調理場からハルの断末魔とチヒロの悪意の篭った笑い声が響いてきた。
まさか、チヒロがハルを!? 彼女は本当にティルバのスパイだったのか。
本性を現した彼女は、まず使用人から手にかけようという算段なのか。
尋常ではないその様子に、僕は気づかれない様に中を覗き込んだ。
そこにはハルとチヒロを含め、シェナ、ビアンカ、フジサキの5人がいた。
彼らはテーブルを囲んで、何やら騒いでいる。
チヒロはというと、叫ぶハルの口にフォークで刺した黒い物体を押し込もうとしていた。
その形相は、まるで我を忘れた魔物のそれだった。
「ほれほれ。ハル先輩、とっとと口を開けなさいよ」
「いやだぁー。俺、こんなの食って死にたくねーよ!」
「死なねーし! 人にまかない料理作らせといて、何言ってんだ」
良く見てみれば、テーブルの上には皿に盛られた黒焦げの料理が山のように盛られていた。
聞く所によれば、あれはチヒロが作った物らしい。
彼女のお手製料理という事だが、いったい彼女は何を作ったのだろうか?
「大体、誰でしたっけ? 『異世界の料理を食べてみたい』ってリクエストしたの? 普段、料理なんてしないアタシが腕によりをかけて作ったんだから、一口くらい食べてくれても良いじゃないですか!」
「あきらかに失敗作だろ! 真っ黒焦げじゃねーか!! しかも焦げてんのに、油が滴ってるってどういう事だよ? 食い物に見えねーよ! 魔物のクソか!? 何なんだよ、コレ!」
「うわ、ちょっと食事中に汚い事言わないでよ!」
酷い言われようだ。
食事中に下品な発言をするハルにシェナが文句を言っている
その様子を見て頬をプクっと膨らませていたチヒロは、謎の物体が乗った皿を持ち上げた。
そして胸を張ると、自信に満ちた表情で料理の名を口にした。
「この料理の名前はコロッケ! アタシの世界では、定番の家庭料理です!!」
「そして、実際にどのご家庭でも食されている『一般的なコロッケ』がこちらでございます」
ドンっとテーブルに置かれたチヒロの皿の隣に、フジサキがもう一つ皿を置いた。黄金色に揚がった楕円形の食べ物が綺麗に盛り付けられ、湯気が上がっている。その美味しそうな匂いは、覗いている僕の方にまで漂ってきた。
フジサキが置いた皿を使用人達が目を輝かせて覗き込む。
「すっごく、いい匂い!」
「へぇ、超うまそうじゃん! さすが、フジサキ!」
「異世界には不思議な食べ物があるもんだね。油で揚げてあるみたいだけど、中身は何が入ってるんだい?」
「茹でて潰した芋にひき肉、玉ねぎを炒めた物を加えて混ぜ、適度な大きさに形成し、溶き卵とパン粉をまぶした後、高温の油で揚げております。難易度はさほど高くはございませんので、どなたでも簡単に作れますよ」
「なんでや! アタシのコレだって、れっきとした『コロッケ』なのに! 具だって、フジサキのと同じだし、作り方もまんま一緒なのに……」
悔しそうにテーブルを叩くチヒロをシェナとビアンカが慰めていた。
チヒロは、壊滅的に料理が下手だった。
チヒロの世界では、料理が作れなくても問題ないらしい。
「お湯を注げば、3、4分で出来ちゃう料理もあるからね」
「すごい! お湯だけで出来ちゃうなんて、便利な料理だね。魔法みたい!」
「ちなみにですが、インスタント製品は調理した内には入りません」
「シャラップ! フジサキ」
これも報告書に記載すべきだろうか?
僕は考え込みながら、調理場を後にした。
それにしてもフジサキが作った方のコロッケという料理……美味しそうだったなぁ。
その後も僕は、定期的にチヒロを観察した。
チヒロの行動は、一般的な新米メイドとさほど変わった点は見られなかった。
ただ、頻繁に物を壊したりハルやシェナと一緒に仕事をサボったりして、ウィルソンやエレノアに叱られていた。
チヒロは少し、ドジな所がある。
そうだ、これも報告書に書いておこう。
* * *
さらに別の日。
僕は、手に小さな袋を持ったチヒロがコソコソと裏庭の木陰に入って行くのを見た。
明らかに様子がおかしい。
「まさか……」
僕の脳裏には、コルデア家の情報が書かれた用紙を庭に侵入していたティルバの間者に手渡すチヒロの姿が浮かんでいた。
まさか、本当にチヒロはスパイだったのか。
そう思いながら、僕は気配を消してチヒロの後を追った。
チヒロは裏庭の中でも一際大きな木の下にいた。辺りをキョロキョロと見渡しながら、注意深く警戒している。
あの場所が情報を手渡す場所なのか?
挙動不審なチヒロの様子を木の陰から見ていると、彼女は木の下にしゃがみ込んだ。
しきりに辺りの茂みを覗き込んでいる。何かを探しているようだ。
「おーい、ニャン太ー。ご飯持ってきたよ。出ておいでー」
何かを呼んでいるようだ。
一見、ペットでも呼んでいるようだが、油断は出来ない。
怪しまれないための合図なのかもしれない。
暫くすると、近くの茂みがガサリと揺れて、小さな塊が飛び出してきた。
「ミャー」
「もー、ニャン太ってば、呼んだらすぐ出てきてよ。心配したじゃん。……ほら、今日のご飯はフジサキからこっそりかっ攫ってきた白身魚の切り身だよー」
茂みから飛び出したのは、小さな黒い子猫だった。
どうやら、チヒロは裏庭で子猫を飼い始めていたらしい。
僕はあらぬ妄想が間違いだった事に安堵して、ホッと胸を撫で下ろした。
ニコニコと嬉しそうに笑いながら、チヒロは近寄ってくる子猫を撫でると袋の中から魚の切り身を取り出して、子猫の前に置いた。
子猫は待ってましたと言わんばかりに、一心不乱に切り身を食べ始める。
その様子を優しげな瞳で見つめるチヒロは、いつもの活発な姿と少し違っていた。
まるで、我が子を見つめる母親のようだった。
元気なチヒロも可愛いけど、ああいう大人びた雰囲気も悪くないな。
僕はどっちのチヒロも好きだよ……って、そうじゃない!
「ニャン太はいい子でちゅねー。いっぱい食べて、大きくなるんだよー」
「ミャォッ」
「うわッ! こら、ニャン太、くすぐったいよ!」
貰った切り身を食べ終わったニャンタと呼ばれている子猫は、チヒロの膝の上に飛び乗った。
そして、チヒロに頬擦りして、彼女の手や頬をペロペロと舐めた。
くすぐったそうに笑うチヒロは、昇天しそうなくらい可愛らしかった。
ニャンタ、後生だ。今すぐそこを代わってくれ……じゃなくてッ!
微笑ましい1人と1匹の姿を見ていると、チヒロに近づく第三者の気配を感じた。
「マスター」
「ヒッ!!」
後ろから急に声を掛けられた事で、ビクッと大きく肩を揺らしたチヒロは素早い動作で子猫を後ろ手に隠して、どう足掻いてもバレバレの平静を装い始めた。
「な、何だー、フジサキじゃん。どうしたの?」
「マスター、今すぐ隠した物をお出しください」
「えー? な、なんのことかなー? 何も隠してないし……」
突然現れたフジサキから視線を逸らしながらも、チヒロは苦し紛れの言い訳をしていた。
フジサキは無表情のまま、チヒロに一歩近づく。
すると、チヒロも一歩後ろに下がる。
いつも思う事だが、フジサキはチヒロを「マスター」と呼ぶ割にチヒロに対する態度がなっていない。
そしてそんなフジサキを、チヒロは咎めることをしない。
二人の関係は……本当にチヒロが言うようなものなのだろうか?
「悪いようには致しませんから、早くお出しください」
「何もないってば! 悪いようにはしないって言って何もしないヤツはいないんだ! 映画とかドラマのお決まり展開だもん!」
「マスター……」
「こ、来ないでー。何にもいないったら! 何にもいないったら!!」
出せ、何もいないの押し問答を僕がいる事にも気づかずに続ける2人。
すると、チヒロの背後から『ニャー』と小さな鳴き声が一声上がった。
チヒロが、ゲッと顔を引き攣らせ、フジサキがフッと短い息を吐いた。
「猫ですね。しかも子猫……何処から拾ってきたのです?」
「いや、やめて! 乱暴する気でしょう!」
「相手は子猫です。成人向け同人誌のような事は致しません。この子猫はどうしたのですか?」
「こ、この間、ここの掃除してたらいたんだよ。ねぇ? 野良みたいだし、飼っても……」
「嘘を言うのはお止めください。マスターのことですから、何処からか拾ってきたのでしょう? 元いた場所に返してきなさい」
「いーやーだー! 拾ったのはアタシ! ニャン太はアタシの猫なの! アタシが飼うのー!! 路頭に迷う子猫を捨てて来いとか、アンタは鬼か!? それとも悪魔!?」
「私は鬼でも悪魔でもありません、貴方様の持ち物です。使用人の分際で何を仰っているのやら……飼われているのは貴方様の方でしょう?」
「うるさいやいッ! フシサキのケチッ! 馬鹿! アホ! 朴念仁ッ!」
「何とでも仰ってください。この子猫の事は、即急にウィルソン様とエレノア様に報告し、新しい飼い主を見つけて頂きましょう。さぁ、行きますよマスター」
有無も言わさずにフジサキに子猫を没収されて、半泣きで暴言を吐くチヒロ。
ゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らす子猫を抱きかかえて何処かへ行こうとするフジサキの脛をひたすら蹴り続けながら、チヒロも裏庭を出て行った。
残された僕だけが、深い溜め息をついていた。
後日、ハルとマルコからチヒロが隠して飼っていた子猫の飼い主が見つかったという話を聞いた。
チヒロは暫く元気がなかったが、数日後には笑顔に戻っていた。
廊下でハルと丸めた布巾を箒で打つ遊びをしていたがウィルソンに見つかって、2人仲良くみっちり説教をされていた。
本当にチヒロは、誰とでもすぐに打ち解けられる不思議な子だ。
とりあえず僕は、とても敵国のスパイには見えない彼女のそのような姿を垣間見て、ホッと一安心したのだった。
数週間に渡って彼女を監視し続けてきたが、やはり、彼女にはスパイである素振りがまるで見受けられない。
彼女は極々普通の女の子だとしか思えない。
見た事をありのまま、報告書に記す事にしよう。
この報告書を見れば、エリックも納得してくれる事だろう。
こうして僕は、数時間かけて分厚い報告書を書き上げたのだった。
このまま、≪ 244 ≫ へ進んでください。




