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あの日の午後の休憩時間……アタシは空に浮かぶ雲を見上げながら、想いを馳せていた。
何にって?
元の世界の食べ物だよ。
カレーとかオムライスとか、おにぎり、お寿司、丼物……あと、うどんとかそばとか!!
何でこの世界には麦があって、お米がないの?
……あっ、でも、ローナ村でフジサキが中華粥みたいなのを作ってくれたっけ。
「あれは、ローナ村の一部だけで作られている少々特殊な麦でございます」
隣にいたフジサキに聞いてみると、そんな答えが返ってきた。
「麦なんだ……」
「数が少ないため外には流通しておらず、ローナ村でのみ食されていました。それでも、普通のお米のように炊くことはできず汁物にするしかなかったのですが……」
「……そっか……」
がっくりと項垂れるアタシに、フジサキが不思議そうな顔をした。
「マスターはお粥が食べたかったのですか?」
「ううん、違う違う。元の世界のカレーとか、オムライスとか……そういうのが食べたかったんだ。こっちの料理も美味しいけど、やっぱり慣れ親しんだ日本のお袋の味には勝てんよ」
「そうでしたか。ですが、むこうとこちらでは食糧事情が大分異なっておりますので、お袋の味を再現するのは少々、困難かと……」
「だよね。帰るまで我慢か……気が遠くなるなぁ」
空に浮かぶ雲を見つめて、アタシはポツリと呟いた。
休憩時間が終わり、アタシはトボトボと次の仕事に向かうためにバルコニーを後にする。
フジサキの視線を背中に感じたけれども、振り返る気には到底なれなかった。
その夜――。
定例の勉強会をするために教材を準備をしていたが、待てど暮らせどフジサキが来ない。
時間に正確なアイツが遅れるなんて初めての事だった。ちょっと心配になった。
探しに出ようかと席を立ったところで、部屋のドアがノックされた。
『はい』と返事をすると、エプロン姿のフジサキが入ってきた。
ローナ村の村長宅以来のエプロン姿にアタシは苦笑いをした。
何事も無かったかのように部屋に入ってきたフジサキの手にはお盆、その上には縁の深いボール状の皿が載っていた。
何やら湯気が出ていて、いい香りがしてくる。
別段、空腹ではなかったけれど、その香りにゴクリと唾を飲み込んだ。
フジサキはテーブルのそばまでやって来ると、まず遅れた事を詫びた。
「別に怒ってないから謝んなくて良いよ。それにしてもどうしたの、それ? 何か、作ったの?」
「私の中の記憶に『学生は夜間の勉強中には夜食を食べる』という情報を発見致しました。ですので、こちらの夜食を作ってみました。マスター、どうぞお召し上がりください」
そう言ってフジサキは、アタシの前に皿を静かに置いた。
どういう風の吹き回しか、突然のフジサキの計らいにアタシは驚きが隠せなかった。
呆気に取られていたアタシだったが、さっそく湯気が上がる皿の中を覗き込んだ。
均等な大きさに角切りにされた野菜が煮込まれた茶色いドロッとしたスープ。
その中に何やら太い麺らしき物が見える。
ん? これって、もしかして……。
「カレーうどん?」
「正確には、それらしき物です。私がこちらの世界の食材から再現できる日本料理がこちらしかヒット致しませんでした。麺の制作には成功致しましたが、肝心のカレースープを完全再現する事が出来ませんでした」
カレーに必要な香辛料がなかったらしく、あれこれ試行錯誤してそれらしくしたようだ。
でも、目の前のカレーうどんからはアタシの知っている『カレー』とは程遠い香りがした。
そう考えてみると、カレーを作った元の世界のインド人とそれを日本人の口に合うように改良した日本人は凄いんだなと感心してしまう。
ちょっとガッカリしたような顔をするフジサキがフォークを取り出して渡してくれたので、おとなしく受け取った。
「い、頂きます」
「どうぞ、お召し上がりください」
フォークで麺を掬い上げて、フーフーと吹いてから口に運ぶ。
スープを飛ばさないように、ゆっくり啜る。
部屋にはアタシが麺を啜る音だけが響いた。
優に十数分、アタシがカレーうどんを食べる姿をフジサキは終始無言で見守っていた。
麺を食べ終わり、温くなったスープを飲み干す。
空になった皿をテーブルの上に置いて、フォークをその中に入れた。
胸の前で手を合わせて、深々と頭を下げた。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまです。如何でしたか?」
「うん、結論から言うと……これは『カレーうどん』じゃない」
ずっと立ったままだったフジサキが皿を提げる様子を見つめながらそう答えた。
美味しいには美味しかったが、やっぱり味が全然違う。
フジサキが言うようにこれは『カレーうどんらしき物』だ。
「それにうどんをフォークで食べるって変な感じ……」
「申し訳ございません。箸を準備すべきでした」
フジサキが謝罪と共に頭を下げた。
そして皿をお盆に載せて後ろを向くと、スタスタとドアの方に歩き始めた。
無表情で何も言い返さなかったフジサキの背中が、何だか寂しそうに見えた。
「でもさぁ……」
「はい?」
ドアの前で立ち止まってこっちを見るフジサキに、アタシは少し間を置いてから言った。
「美味しかったよ。『お袋の味』には程遠いけど……また、作って欲しいな」
フジサキは無表情のまま、数秒考え込むように黙っていたがやがてコクリと一つ頷いた。
「マスターのご命令とあらば、何度でもお作り致します。次回はもっとカレーうどんに近い物に仕上げて参りましょう」
部屋を出る前に一礼してから、フジサキはドアを閉めた。
足音が遠ざかっていくのを聞きながら、アタシはハァッと溜め息をついた。
たぶん……いや、確実にフジサキは、アタシを慰めるためにあの料理を作ってくれたのだ。
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