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「チヒロ?」
頭を抱えたままうんうん唸っていると、背後から名前を呼ばれた。
振り返らなくても声だけで誰だか分かる。
「あ、シェナ……」
「こんな所でどうしたのー?」
「あはは……ちょっと、考え事してて」
心配そうに顔を覗き込んでくるシェナに、乾いた笑いでアタシは応えた。
アイネお嬢様のせいで悩んでるって、喉元まで出かかったがゴクンと飲み込んだ。
この事はアイネとの女同士の約束で、他言するのは厳禁と釘を刺されている。
「ふうん……?」
シェナは少し首を傾げたあと、ポンと一つ手を打った。
「そうだ。さっき、調理場で失敗作のクッキーを貰ってきたんだ。一緒に食べない?」
「あ、うん」
「後でチヒロの部屋に行くねー」
シェナはそう言うと、ひらひらと手を振ってたたたっと廊下を走っていった。
シェナとの夜のおしゃべりも、もっぱらフランツさんの話だった。
こういうところが優しくて素敵、だとか、あのときの立ち振る舞いがカッコ良かった、だとか。
でも、よくよく聞いてみると、全部「シェナの目撃情報」なのだ。
コルデア家の御曹司とメイド……そりゃ、所詮叶う事のない夢なのかもしれないけど。
シェナは辛くないのかな?
「ぜーんぜん!」
シェナは手をぶんぶん振ると、楽しそうに笑った。
「私から見たら雲の上の存在だもん。ただ、同じお屋敷にいて、近くで姿を見られるだけで幸せ」
「そんなもんかなあ……」
「今はチヒロのおかげで、フランツ様もずっとお屋敷にいらっしゃるし……本当に最高!」
「スパイの監視っていう名目だからね」
自虐的にそう言うと、シェナがぷっと吹き出した。そんなシェナを見てアタシも思わず笑ってしまった。
こんな冗談が言えるだけ、アタシも元気になったもんだと思う。
シェナは両手を組み合わせると、うっとりとした様子でちょっと天を仰いだ。
……そこに、フランツさんの顔でも浮かんでいるのだろうか。
宙を見つめるシェナの顔は幸せそうで、とっても可愛い。
「でね……それでね。たまーにね、何かの機会に『シェナ、ありがとう』って言われるとね。もうそれだけで、空に飛んでいけそうな気分になるんだー」
「……そっか」
シェナの話を聞きながら、アイネもそう思えるようになればいいのかな、と思った。
フジサキと目も合わせられない、口もきけない、というのはあんまりだ。
確かに、フジサキとアイネが上手くいってもらっては困るけど……だからと言って、せっかくの初恋がどうなってもいい、と思っている訳じゃない。
とにもかくにも、まずはフジサキだな。
相手は元携帯端末機、空気を読むことは勿論、乙女心に配慮するなんて芸当はできない。
じゃあどこまでならできるのか……それを探れば、アイネへのアドバイスも浮かぶってもんだ。
よし、本人……フジサキと、ちゃんと話し合いをしよう。
まだまだ続くシェナのコイバナを聞き……やや不格好なクッキーを頬張りながら、アタシはそんなことを考えていた。
~ 9th Scene End ~
第4章「アタシと、コルデア家」≪ 完 ≫
これで、チヒロがコルデア家の一員になるまでのお話は終了です。
お疲れさまでした。
このまま、「第4章 あとがき」へ進んでください。




