表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女大公カイエン  作者: 尊野怜来
第七話 無知の王
207/220

狙い撃ち


 七月の終わり、二十八日。

 それは、ちょうどヴァイロンの二十八の誕生日の日だった。

 大公宮では、非常事態宣言下ながらも、夜はヴァイロンの誕生日がてら、彼と関連がある人々だけで小ぢんまりとした宴をはり、久しぶりに帝都にいる親しい皆で集まって、飲み食いしながら今後の連携を深める一助にしようとしていた。

 だから、今年の宴に呼ばれた女といえば、召使いを除けば数名で、男臭い連中ばかりの集まりになりそうだった。

 そして、大公宮に幹部が集まるのはなかなかに難しかったので、同じ日の昼過ぎから、デメトラ号から買い上げた鉄砲フシルと短銃の「試し撃ち」というか、「模擬実射」のようなものを行うことが決まっていた。それが終わり次第、同じメンバーで晩餐の場に移動することにしたのである。

 これならば、建前も立つというわけだ。



 それは、ハーマポスタール市内の「非常事態宣言」はいまだに解かれてはいなかったころ。

 六月のオドザヤとトリスタンの結婚式のパレードの襲撃事件で捕まった、十字弓や手投げ弾の実行犯や、それに武器を受け渡すために集められた、街のごろつきたちの沙汰がほぼ、決まったころだった。

 その頃までには、ハーマポスタールの街中も、随分と落ち着きを取り戻しつつあった。

 だから、街のごろつきたちの沙汰は概ね決定し、実行されつつあった。

 だが、実際には、十字弓や手投げ弾の実行犯は、ほとんどが逮捕されずに逃げおおせてしまっていた。つまりは実行犯で桔梗星団派に関係ある者や、真の凶悪犯たちには逃げられてしまったのだ。

 だから、沙汰といってもほとんどがハウヤ帝国北西部の、ザイオンとの間のオリュンポス山脈の方にある、夏でも震えがくるような地下監獄での鉱物掘りか、西の大海の沖の島送りくらいで、死刑が決まった者などいなかった。

 もっとも、実行犯の凶悪犯の方もそのかなりの部分が、闇から闇へと始末されては、いた。

 大公軍団団長であり、そしたまたハーマポスタールの傭兵ギルドの長でもあるイリヤは裏から手を回し、街の夜を仕切るやくざの親分たちに話を通していたのだ。

 だから、どこかのやくざ一家に属している、ちょっと腕に自慢のちんぴらで、この襲撃事件に小金目当てで手を出した連中……彼らは兄貴分や親分には何も言わず、愚かにも小遣い稼ぎのような気分でこの仕事を請け負ったのだ……は、それぞれに破門のうえ、やくざ一家の親分さんの命によって「始末」されていた。

 やくざの親分たちは、去年の一月にイリヤがカイエンを庇って腹を刺された時には、喝采を叫んだものだったが、ぴんしゃんして戻ってこられては、表の世界にいながらにして、裏の世界とも退っ引きならなく繋がっているイリヤにはどうにも逆らえなかった。

 それに、螺旋帝国を背後にした「桔梗星団派」などという、ハウヤ帝国皇帝家の皇統譜から名前を消され、大逆罪人と決まった前の大公の作った得体の知れない結社に関わるよりは、現役の軍団長に恩を売っておいたほうが、よっぽどマシではあったのだ。彼らとて、表の社会がしゃんとしていなければ、裏の彼らの稼業も成り立たないことは知り尽くしている。

 イリヤの、大公軍団軍団長にして、傭兵ギルド総長という肩書きは、表の社会にいながら裏の社会に睨みを利かせることの出来るもので、そして利害が一致すれば助け合いもして来たのでもあった。

 だから、残りの、監獄島デスティエロから、桔梗星団派の手で脱獄させられた元囚人たちも、元のやくざ社会へノコノコ戻った者は、すっぱりとあと腐れなく、闇から闇へ始末されてしまっていた。

 つまり、最終的に「桔梗星団派に雇われて、今後、厄介な事件を起こしそうな、腕に覚えのある連中」の数は、かなり減らせてはいたのである。


 イリヤもその下のマリオとヘススの双子も、少し前に大公宮のカイエンの表の執務室で開かれた幹部会議で、こんなことを言っていた。

「今度の事件も、こうなってみればこの街の裏稼業の連中が、積極的に自分らの稼業やら生業やらの及ぶ範囲を、しっかり自覚できたことには意味があったわねぇ」

 イリヤがこう言えば、マリオもヘススも同時にうなずいた。彼らの場合には、同じ場所にいて同時に動かない方が不思議なので、誰も驚かない。

 カイエンの執務机を囲んで、一人がけの椅子に座り、カイエンを囲んでいるのは、軍団長のイリヤに、治安維持部隊隊長のマリオとヘスス、それに帝都防衛部隊隊長のヴァイロンだ。

 カイエンの後ろには護衛騎士のシーヴが、いつものように控えていた。彼にもこの幹部会の内容は理解できるが、彼はこういう場所で発言したことはない。シーヴが自分の職分を超えて口を挟むとしたら、自分だけが気が付いていて、幹部達が気付いていない重大事でもあった時だけだっただろう。

覚醒剤アンフェタの売買や、金を積まれての人殺し、意味のない市民への暴力沙汰などの裏にいるのは、やくざに属さない半グレの凶悪集団(マラス)たちです。彼らを牽制するにも、しっかりと組織化されて末端まで命令の行き渡る、昔からあるやくざたちに危機感を植えつけられたのは怪我の功名でした」

凶悪集団マラス関係者からは一切、危険なお兄さんたちに表の仕事を紹介するなって、俺の傭兵ギルドにも言いつけたしねー。今後は凶悪集団マラスと桔梗星団派が、しょうことなしに手を結んでくるんじゃないかなぁ。俺はそれを狙ってるんだけど。そうなれば、善悪の境界線がはっきりするでしょ? こっちは仕事がやりやすくなると思うんだぁ」

 カイエンは、そこまでの話を頭の中で反芻しながら、ゆっくりと口を開いた。犯罪者連中がそれぞれに始末され、街中が落ち着いてきたとなれば、次は街の平常化を図っていく時期ということになる。

「そうか……。それなら、非常事態宣言はいつ頃、解除できそうか?」

 カイエンは現場の彼らの意見を聞いてから、宰相府でオドザヤを前にして、サヴォナローラやザラ大将軍に計ろうと思って聞いたのだったが、彼らの意見は慎重だった。

「先日、デメトラ号の船長や、あの下士官のアメリコが鉄砲フシルと短銃を持ってきた時に言ってましたけど、海軍の連中は、非常事態宣言が解けたら、また自由勝手に商売に出そうだってえんでしょ? 今は戦争中じゃないから、元は商船だの海賊だののあいつらに、適当に稼いできてもらうのはいいのかも知れないけど、皇帝陛下やら殿下ちゃん的には海軍の編成なんかも、この機に進めちまいたいんでしょ?」

 イリヤがそう言えば、双子やヴァイロンもこう言った。

「現在、治安維持部隊と街中の役所との間に、前よりも緊密な連絡が取れるよう、方策を立てているところです。街中の署だけでなく、役所にも隊員を常駐させます。軍団長が読売りの記者どもから聞いてきたという、新聞社お抱えの軽業師みたいな、家も壁の上も駆け抜けてしまうような伝令の少年たちの中から、特に俊敏で文字の読み書きも出来るようなのを、こちらへ引き抜く手はずも立っています」

 カイエンは、この話を聞くとやや心配になり、こう口を挟まずにはいられなかった。

「そんなことをして、新聞社はへそを曲げないかな? 今のところは彼らとはいい関係を築いている。今後もまだまだ彼らとは連携して行きたいんだ。例のディエゴ・リベラ達の『賢者の群(グルポ・サビオス)』の件もある。言論の手段としての読売りを、桔梗星団派と結んでいるだろう彼らのような市民寄りにしたくないんだ」

 カイエンのこの言葉の意味には、イリヤも双子も、ヴァイロンも理解を示した。

「そこらは、金とか、陛下とか殿下たちの公平な政治手腕で、彼ら新聞屋を安心させれば、向こうも理解を示すのではないでしょうか。彼らも『賢者の群(グルポ・サビオス)』には肯定的ではないようです。二大新聞の『黎明新聞アウロラ』と、『自由新聞リベルタ』は、何度かディエゴ・リベラから貴族階級糾弾記事を書かないかと打診されたが、断っていると聞いています。同じ市民でも、普通の市民はまだそれほどに貴族階級への反感は持っていないのでしょう。これから『賢者の群(グルポ・サビオス)』の連中は必死になって仲間を増やそうとするでしょうが。問題は、そちらの方を我々が圧力をかけて押しとどめているように見られないことだと思います」

 髪の毛の分け目でしか区別できないが、双子の弟のヘススがそう言うと、兄のマリオも同感だ、と首肯した。

 イリヤの方は、もう、そのもう一歩先へ頭を巡らせていたらしい。

「それ、地味〜に難しいよぉ。……『賢者の群(グルポ・サビオス)』の奴らは集会とかなんかを頻繁にやって、同調者を増やそうとするでしょ。だんだん増えてくれば、場所もディエゴん家の倉庫じゃ手狭になる。あーこういうの、今までに対処した記録とか、残ってないんですかねえ?」

 イリヤはちょっと小狡そうな目をして、カイエンの方を、意味ありげな表情で見た。

 歴史上、このハーマポスタールで『賢者の群(グルポ・サビオス)』のような連中が発生し、活動した時代があったのかどうか。そういう「歴史的な知識」はここでは子供の頃からの本の虫で、貴族の跡取りと同じか、それ以上の教育を受けたカイエンにしかなかったからだ。

 この、小柄で非力、そして女性の大公殿下の頭の中に、子供の頃から詰め込まれてきた「知識」は、イリヤ達現場を扱う幹部であっても、一般人には到底持ち得ない質と量なのだ。匹敵するか、上回るかするのは、国立大学院の学者達だけだろう。

 そういう面では、カイエンを育てたアルウィンという人間は、娘を育てているという感覚ではなかったのだろう。彼自身は否定するかも知れないが、彼がカイエンに施した教育というのに一番近かったのは「帝王教育」だったとも言える。

「……ない。今度の『賢者の群(グルポ・サビオス)』のような市民集団が生まれた背景にあるのは、先帝サウル陛下の、それまでの皇帝にはない、革新的で、個性的な政策があったからだ。サウル陛下は既存の貴族の不始末には厳しく当たられた。一方で、読売りなどの市民の活動には寛大であられた。今度のことは、そういう下地の上で社会のありようが変化してきたからなのだ。そうすると、解答があるとすれば……」

 カイエンの言葉は周りの男達のなかで、シーヴを抜かした四人すべてが想起したのは、同じものだった。

 エルネストが明かした、シイナドラドの皇都ホヤ・デ・セレンの皇王宮の奥にあるという、あの場所。

 革命の理論が彫られた石碑を含め、その他の数多の知識が彫り込まれた、見渡す限りいつからあるのかも分からぬ石碑の連なる、石碑の森(ボスケ・デ・ラピダ)

「……答えがあそこにしかないのでしたら、今度のことは私たちで考え、対応していくしかないのですね」

 まとめるようにそう言ったのは、ヴァイロンだった。

「そうね。……ま、螺旋帝国の皇帝さんみたいに、大昔の叡智に頼って、それに倣ったってしょうがないわよ。自分らで考えて、新しい出来事に対処する、こっちの方が当たり前なんだから!」

 イリヤがごくごく真っ当なことを言ったので、カイエンも他の皆も、頭と話を現実へ戻した。 

「先ほどの連絡係とか伝令の件ですが、帝都防衛部隊からも、第一期女性隊員のロシーオ・アルバなどの主力はさけませんが、身軽で足の速いのを幾人か選抜します。春募集の新隊員にも数名、候補者がおりますし、秋募集からは意識してそういうのも採用するようにしたいと思います」

 ヴァイロンがそう言うと、イリヤが総まとめ的にこう言った。

「宰相さん達にも頑張ってもらって、この秋の大公軍団の募集かける辺りで解除、でいいんじゃないですか? 海軍が陸のアルマ同様に機能するようになれば、大陸の西側の海辺に軍港も造ることになるだろーし、西の海の島々も海軍基地になって行くし、監獄島デスティエロでの集団脱走の事件みたいなのも起こりにくくなるでしょ。それに、南のラ・ウニオンの内海で商売するにも、ラ・ウニオン共和国と折衝するにも、海軍軍人として身分を保証されて俸給も貰って行くんなら、奴らにも責任感が出てくるでしょ。商売の上がりは帳簿出させて、歩合制で上がりを納めさせればいいし、今までと比べて『悪くねえ』って思わせられれば、鬼に金棒になるんじゃないかしらねぇ。あは、きっと裏帳簿作って対処してくるだろうけど、そんなことはこっちも承知済みだしねー。まあまあ、計算が合ってれば、それにハウヤ帝国の正式な海軍さんとして扱えば、海賊上がりでも文句は言わないと、俺っちは思うけどねぇ」

 カイエンはしばらく考えていたが、最終的には彼らの意見を取り上げたのだった。

「……わかった。意見、ありがとう。早速、宰相府に伝える。それにしても、市内の治安維持は私たちの仕事にかかっている。見えない蜘蛛の巣みたいな糸で、市内中に情報網を張り巡らせる。これは早急にかかってくれ。……コロニア・エスピラルに代表される、外国人居住地には難しいだろうが、あそことて、ハウヤ帝国人が居ないわけではない。治安維持部隊の署もあれば、税金取り立てと居住者の管理を行う役所もある。やれる限りはやるしかないな」

 カイエンはその後、皇宮へ上がってオドザヤと宰相府に計り、非常事態宣言の終わりについては大体の目処がついたのだった。







 そして、七月の二十八日。

 大公宮では、朝から奥殿の厨房やら、表の侍従やらがいつもとは違う雰囲気の中で自分たちの仕事を急いでいた。

 大公宮全体の執事であるアキノは、妻のサグラチカと共に、表裏全体に目を光らせ、表の侍従長のベニグノ、奥の侍従長モンタナの二人は、それぞれにその日の忙しい催しに対して、全身全霊で当たっていた。

 昼過ぎ。

 奥の大公の食堂でカイエンと、後宮のエルネストやマテオ・ソーサ、大公宮の幹部達の昼餐が終わるとすぐに、大公宮表から侍従がカイエン達の元へ走って来た。裏の玄関からも、侍従が来客の到着を告げる。

「ただいま、表に海軍デメトラ号船長、バルトロメ・グレコ船長以下、士官下士官二名が到着いたしましてございます」

「ご報告いたします。奥玄関に、元帥大将軍エミリオ・ザラ閣下、フィエロアルマ将軍ジェネロ・コロンボ閣下以下、副官二名。それに皇帝陛下の護衛ルビー・ピカッソ治安維持部隊隊員、宰相府より護衛武装神官リカルド殿、お着きでございます」

 カイエンは昼餐の済んだ後、軍団長のイリヤと、治安維持部隊長の双子の兄のマリオ、それに帝都防衛部隊長のヴァイロン、後宮のエルネストとヘルマンの主従、大公軍団最高顧問のマテオ・ソーサにガラ、教授の教え子であり、武術に長けた隊員でもあり、今日やってくる海軍下士官のアメリコと知り合いのトリニ、裏の影使いのナシオなどと待ち構えていた。

 双子の片割れ、ヘススは市内の治安維持の責任者として通常業務に当たっていた。もっとも、誰も知らないことであったが、この双子は片割れの見た印象的な光景は、もう一人にも共有されるので、今日のような催しに二人揃っている必要はないといえばないのだった。

 裏の影使い。

 それはザラ大将軍から、カイエンのシイナドラド行き以降、この大公宮へ派遣されていたのであったが、そのうち東西はシイナドラドで殉職し、スールのシモンはついこの間、帝都防衛部隊隊員のロシーオ・アルバとの婚姻を願い出てカイエンに受理され、影使いから帝都防衛部隊隊員へと所属を変えていた。

 これで、実質的には大公宮の裏を守る「影使い」的要員は、ガラとナシオの二人だけになっていた。二人ともに帝都防衛部隊との連携を積み上げ、立派に職務を全うしているが、カイエンと彼女のすぐ側に仕える者……つまりは執事のアキノや、ヴァイロン、イリヤは影使いの増員を密かに取り計らおうとしていた。

 その点でも、今日の午後から夜にかけての会合では、ザラ元帥大将軍を含め、話し合いを必要としていたのだ。

 この日は、幸い天気にも恵まれ、七月末の暑い太陽が、力強く大地に降り注ぐ晴天の日和だった。

 早くも二十八年も経ったとはいえ、サグラチカなどは、ヴァイロンが彼ら夫婦の家の前に捨てられていた日の暑さを思い出して、涙ぐんでいた。

「お客人は、皆、大公宮裏の帝都防衛部隊の練習場へご案内するように。木陰にテーブルと椅子の手配はできているな?」 

 食堂の一番上座。

 食堂の長々とした食卓に面して座っている男ども、その後ろに立っている者達をも含め、唯一、一望できる位置に座ったカイエンはアキノにそう命じた。

「はい。場所は奥庭の、元、修道院跡の広い場所でございます。現在、訓練中の隊員候補生には、本日は出入りを禁じております。古代の高い壁に面しておりますが、古跡を壊さぬよう、帝都防衛部隊の訓練用に、壁の前に石垣を組んだ場所を選んでおります。本日は暑さが厳しいので、木陰の多い場所を選び、高位の皆様方には木陰から試し撃ちをご覧いただけるよう、配置いたしております。音はどうしても外部に聞こえてしまうと思いますが、これはどこで行っても、市内なら同じでございますから。近隣のコロニアには花火と伝えてございます」

 執事のアキノの声音ははっきりしていた。最後に音のことを伝えたのは近隣のコロニアの住民への対策を終えたことの報告だった。

 最初は、今日の試し撃ちは郊外で行おうか、との意見もあったのだが、これからどんどん、シイナドラドからラ・ウニオンの内海経由で鉄砲も短銃も、各地へ持ち込まれていくのだろうから、こそこそしてもあまり意味はないだろう、ということになったのだ。

「では、我らも参るとしよう」

 カイエンがそう言って、左手の杖を持つ手に力を入れて立ち上がると、自然な様子でヴァイロンが反対側に立った。カイエンが右手でヴァイロンの肘を掴んで歩き始めると、すぐに同じように杖を突いた最高顧問のマテオ・ソーサが続く。そのそばには当然のようにガラの巨体が連なっており、そばにトリニが背筋を伸ばして歩いている。

 イリヤやシーヴ、それにナシオはカイエンの真後ろに付き、マリオが一人、その後に続く。その後ろを最後尾で付いてくるのがエルネストとヘルマンだ。

 しばらくかかって、カイエン達が大公宮裏庭の帝都防衛部隊の訓練場に着くと、もう、古の修道院の高い高い外壁の内側に作られた、帝都防衛部隊の訓練用の石垣が見えた。石垣の手前には、これも市街戦を想定した練習用の家屋が建っており、ちょっとした市街地のようになっている。

 真っ青な夏の空の下。カイエンたちは木陰を選んで歩いて行った。あまり直射日光に強くないカイエンのために、執事のアキノは日傘パラソルをさしかけていたが、それでも、真っ黒な大公軍団の制服姿のカイエン達には夏の日差しは暑かった。

「おーい、我らはもう先についておりますぞ!」

 カイエンたちの行く先にある、木陰から聞こえてきた元気な声は、元帥大将軍のエミリオ・ザラのものだろう。その周囲にはジェネロや副官のチコ・サフラや、イヴァン・バスケス、それにルビーとリカルドの姿も見えた。

 ルビーとリカルドが今日呼ばれたのは、オドザヤと宰相サヴォナローラの護衛として、銃の扱いを覚えてもらうためだった。特に、火縄を用いない、火花錠式ジャベ・デ・チスパの短銃がこの国で複製されるか、新たに輸入されるかし、それをオドザヤの護衛のルビーや、サヴォナローラの護衛のリカルドが携帯するようになれば、鬼に金棒となるのだ。

 カイエンの横のヴァイロンの姿を見た、元は同僚、いや部下だった、ジェネロやチコ、イヴァンは久しぶりに会うので、表情も明るい。もちろん、彼らも鉄砲や短銃に触れるとあって、興味津々でやってきたに相違ないが。

「ああ、あちらから、グレコ船長とアメリコ、それにもう一人海軍士官が参ります」

 カイエンはやや近目なので、まだよく顔までは見えなかったが、ヴァイロンにははっきり見えているようで、建物の外側を回って、幾人かが侍従に連れられて来るのが見えた。

「鉄砲と、短銃は?」

 カイエンは、ザラ大将軍に挨拶してから、同じテーブルに面した木陰の椅子に座ると、すぐにそう聞いたが、無言でアキノが指し示す方を見れば、三丁の鉄砲の入った大きな箱と、短銃が十丁入った細長い箱が、木陰の特に大きなテーブルの上にどんと据えられていた。周りに置かれた細々としたものは、グレコ船長達に言われてこちらで準備した小道具だろう。

 そこいらは上手く木々が配置されていて、正面の修道院の遺構の前に作られた、ちょっとした街並みを模した石造りの訓練場が日陰から一望できた。帝都防衛部隊の訓練中の休憩の時に入れるよう、ちょっとした木立のようになっているので、集まった人々は、とりあえず皆、涼しい木陰に入ることが出来た。

 カイエンとマテオ・ソーサ、それにザラ大将軍は同じテーブルを囲んで座ったが、他は皆、立ったまま木陰で子供のように目を輝かせている。


 鉄砲と短銃を買い付けるにあたり、もちろん、カイエンは事前にエルネストに「これらを知っているか」と尋ねた。その答えは、カイエンが思っていた通りだった。

「ああ、もちろん、知っているぜ。出元はシイナドラドの工廠だし、シイナドラドの皇王近衛軍じゃ、とうの昔に正式採用しているからな。だが、内乱の鎮圧には使えなかったから苦戦したのさ。あれが使えてたら、螺旋帝国が後ろに居ようといまいと、叛乱軍なんざ、すぐに平定できただろうにな」

「じゃあ、ホヤ・デ・セレンの『封鎖』は、最初から計算に入っていたのか?」

 カイエンがそう聞くと、エルネストはにやにやと嫌な感じの微笑みを浮かべて言ったものだ。

「時期は計算通りじゃなかったが、事実としては計算通りだ。……だから、鉄砲やら短銃やらを国外へ、それもパナメリゴ大陸の西側だけに『放出』する時期が遅くなっちまったんだろ。だから、俺もヘルマンも、あれの扱いには習熟してるぜ。今度の試し撃ちの時、海軍の連中が緊張しておかしな具合になったら、俺たち二人で代わってやるよ」

 

(思っていた通りだ。聞かなけりゃ永遠にダンマリのつもりだったか。……つくづく、可愛げのない!)

 あの話ぶりでは、鉄砲や銃がシイナドラド国軍の皇王を守る近衛軍で「正式採用」されたのは百年前です、と言ってもおかしくない。実際にそうなのかもしれない。エルネストは時期については図太くも「聞かれなかったから答えなかった」のだろうから。カイエンは教授が、

(なるほどね。……本来、火縄式からこの火打ち石方式へと、段階的に発達すべきものが、同時に表の世界へ放出されてきた、という訳だね)

 と言っていたのを思い出した。

 それなら、もしかしたら。いや、もしかしなくともシイナドラドには「もっと先の技術」を使った兵器があるのかもしれないのだ。いや、これからも外へ流出してくる可能性があった。

 その考えは、空恐ろしい事実を含んでいた。もし、ホヤ・デ・セレンが「封鎖」されず、螺旋帝国を背後に置いた反乱軍の手に皇王宮が落ちていたら、螺旋帝国は他の国には想像さえできない、とてつもない軍事力を得ることも可能だったということなのだから。

 カイエンはエルネストとの会話を思い出して、舌打ちしたい気分だったが、カイエンや教授とは違う木陰の椅子にどっかり座り込んだエルネストは、「お手並み拝見」とでもいう顔で踏ん反り返っている。カイエンの視線に目ざとく気が付いた侍従のヘルマンが、目だけで「申し訳ありません」と言っているようだ。

 グレコ船長と海軍士官、それに下士官のアメリコが到着すると、さすがに木立の木陰もいっぱいになった。人だけならともかく、暑い真夏の昼時のことだから、飲み物などの準備されたテーブルもあり、侍従も忙しく立ち働いていたのだ。

「お、お呼びに応えまして参上致しました……が」

 グレコ船長は、木立の中に居並ぶ、もうちょっと見ただけでこの国の中枢に近い人々、とわかる強面な男達を見ると、次の言葉が続かなかった。付き従っている海軍士官と青い目のアメリコもかなり緊張した様子だ。

「ご苦労。……簡単に今日ここに集まった面々を紹介しておこう。なに、緊張する必要はない。緊張して手元でも狂ったらいかん」

 カイエンはそう言って、そこに揃った面々を紹介していく。グレコ船長の後ろに突っ立った、海軍士官とアメリコも、聞いていくうちにそのそうそうたる面々の名前にはびびるしかないように見えた。

 アメリコの顔がやや緩んだのは、最後の方でトリニが紹介された時だった。トリニの方は、ルビーやリカルドの側で大人しくしていたが、彼女が元は螺旋帝国の将軍だった父親から螺旋帝国の武術の粋を学び尽くした手練れと皆が知っていたので、彼女が呼ばれたことを不思議がる者はなかった。

 ザラ大将軍などは、前から彼女に興味を持っていたから、「こっちへおいで」と、手招きしたくらいだった。

「まずは、暑いところをここまで来てもらったのだ、喉が渇いただろう。麦酒セルベサ以外の酒は後にしてほしいが、飲み物を取ってくれ。シーヴ、ルビー、トリニ、それにリカルド、頼む」

 執事のアキノと、表の侍従長のベニグノ、それに奥の侍従長のモンタナ以外の侍従は、飲み物と軽い食物の準備が出来ると、大公宮の建物の方へ下がって行ったので、今、そこに残っている中で女といえば、カイエンとルビー、それにトリニの三人だけだった。

 カイエンはわざと中では若い四人を名指しで呼び、グレコ船長たちに飲み物を持って行かせた。シーヴとアメリコは前に一晩、大公宮の奥殿に泊まり込んだことがあるから、少しは親しいだろうと思ってのことだ。シーヴとリカルドは同じ、古のラ・カイザ王国の裔だし、ルビーとリカルドは皇宮で一時期、宰相サヴォナローラの警備として共に働いていた仲だ。トリニとルビーは隊時こそ違うが、女性隊員の草分け的存在である。

 そして、グレコ船長たちが一服して落ち着いたところで、今日の試し撃ちは始まったのだった。

 ますは、一番大きいテーブルの周りを取り囲む皆の前で、グレコ船長と海軍士官は鉄砲の、下士官のアメリコが短銃の各所の説明や、装填方法などについて説明した。

 紙製の薬莢についても、火薬の量や弾の大きさなどが説明された。使う弾の大きさは鉄砲も短銃も同じ、と聞かされると、もうこの武器には習熟しているはずのエルネストとヘルマンがちょっと驚いた顔をした。

「どうした?」

 目ざとく見つけて、カイエンが聞くと、ヘルマンがカイエンのそばへ来て、遠慮気味に話した。自分たちがもうこれらの火器の扱いを知っているということを周囲に知られたくなかったのだろう。

「いえ、短銃の方は、やや小さめの弾を使用することがありましたので。その、護身用に持つには鉄砲と同じ口径では銃身が大きすぎますので……」

 なるほど。

 そうは思ったが、新たに疑問が生じたので、カイエンも小声でヘルマンの耳元で囁いた。

「そうか。ではなぜ、今度の鉄砲と短銃は弾の大きさが同じなのだと思う?」

 ヘルマンは明らかに驚いた顔をした。カイエンがすぐにそちらへ考えを回すとは思わなかったのだろう。

「……恐れ入ります。私の考えでは、口径が同じなら同じ弾が使え、普及させやすいからかと……」

 ヘルマンはカイエンの耳に囁くと、自分の立場をわきまえ、すぐにカイエンのそばを離れようとしたのだが、その頃にはもう、彼のそばにカイエン大事の二人が迫り寄っていた。

「あらぁ。殿下ちゃんと秘密のお話なのぉ? 俺たちにはぁ? 俺たちには聞かせられないのぉ」

 イリヤがそう言って、ヘルマンの肩に馴れ馴れしく腕を回しつつも首を締め上げれば、頭上からヴァイロンの声が降ってくる。

「殿下のご質問にはしかとお答えいただいて構わないが、内容は鉄砲のことだろう。それならば、後でもよろしい、我々皆に開示されるようにお願いする」

「しょ、承知致しましてございます」

 ヘルマンはそう言うと逃げるように、エルネストの方へ移動したが、そこで待っていたのも同じような目の色をしたエルネストだったから、ヘルマンはしばらく針の筵に座っているような心地だっただろう。

 それから、帝都防衛部隊の訓練施設の中にある石垣の前に、かねて言われた通りに作って用意されていた木製の的が置かれた。

「では、撃ち方、始め!」

 グレコ船長は鉄砲を海軍士官に、短銃をアメリコに持たせると、まずは普通の長屋の家二軒分くらいの距離から始めさせた。アメリコも海軍士官も、その頃にはもう落ち着いた様子になっていた。

 たーん、と乾いた音がして、きれいに的の中央が撃ち抜かれる。そして、再装填して距離を伸ばして行くと、最初にアメリコの短銃の方が的を外した。そこで、次の距離からは鉄砲を持った海軍士官のみが試射を続けることとなった。

 あの密航船ごと皆殺し、の黒衣の怪人と渡り合ったアメリコだけでなく、こっちの士官も鉄砲の腕で選ばれて連れてこられたには違いない。距離が離れてくると、士官は座った状態で的を狙い始めた。

 鉄砲の長い銃身にある照準をしっかりと目線に合わせ、慎重に撃ち込んでいく。

「ほお。あれなら、何か……枠の上にでも固定して狙えば、かなり先のものでも撃ち抜けそうだな。まあ、飛距離とともに弾の方向は風などにも左右されてしまうのだろうが……まあ、これは弓と同じだな」

 ザラ大将軍がこう言えば、ジェネロもこう言う。

「長弓は台に乗せて撃つわけにはいかねえですぜ。十字弓なら狙えますけどねえ。うん、飛距離はこっちの方がありそうだ。慣れちまえばそれまでだが、音も最初のうちは相手はびびるでしょうねえ」

 海軍士官も的を外す距離になると、彼らによる試射は終わり、次は実地に薬莢の装填を皆でやってみることになった。

 カイエンと教授は何度も取扱説明書を見ながら、本物をいじくりまわしていたが、薬莢の装填はさすがにさせてもらえなかったので、嬉々としていの一番に作業用の大テーブルについた。

 二人とも普段から青白い顔をして、暇があれば本に埋もれているのが幸せ、という人種なのではあったが、片やこの街の大公、片や戦術研究家である。自分たちが兵力にならないことは分かっていても、今日ばかりは譲れなかった。

 二人ともに、武術とは無縁の者だからこそ、体に恵まれずとも、守られるだけでなく自分で自分を守れる一助となるのかもしれぬ、この武器に惹かれるものがあったのだ。

 もっとも、カイエンも、そしてそれ以上にマテオ・ソーサも、その事実ゆえにこの「新しい武器」の怖さもよく理解していた。これは、一般人を即席の兵士にしてしまえる武器かもしれないと。

「せんせーと殿下ちゃんは、達者なもんねぇ。……ねえ、アメリコちゃん、どうなの? この鉄砲と短銃、どっちの方が初心者向きなの?」

 アメリコが答える前に、口を挟んだのはそれまでは黙って見ているだけだった、エルネストだった。

「鉄砲からにしろよ。それも、台に乗っけて座って狙うんだ。耳元で火薬が爆発するからな。火薬の爆発力と、音、銃身の反動にまず慣れないと、危ねえんだ。短銃の方が簡単そうだが、腕だけで構えるからかえって最初は危ないんだよ。……おいヘルマン、用意しといた、あれ、出してこい」

 エルネストが横柄にヘルマンに命じると、この日のために用意していたらしいものを、ヘルマンは木陰からそっと引っ張り出してきた。

 それは、丈夫そうな木材にVの字型に切れ込みを入れたもので、長い銃身を支えるために二枚が間隔を空けて繋がっており、ほとんど銃身の重さを感じることなく打てるようになっていた。そして、地面に固定できるよう、丈夫な脚もつけてあった。

「……ほお。さすがにこれらの『出元』の方ですな。なるほど、それに載せて撃てば、銃身の重さも緩和できる。それに、反動があっても銃身を取り落としたりしにくいという訳ですな」

 ザラ大将軍は感心したようにそう言い、アメリコとグレコ船長らはぽかんとした顔だ。

「すげえ。これなら、買い付けて最初の試射の時みたいに、怪我人出さずに済みますねえ、船長!」

 アメリコが思わず、といった様子でこう言えば、グレコ船長もうなずいた。

「ああ。先ほど皇子殿下をご紹介いただいたが、こいつらは間違いなくシイナドラドから出てきたもんなんですな。……我々は買い付けの時にも撃つところは見せてもらったんですが、最初の試射の時は説明書通りにやるしかなくて。反動と音にびっくりして発射後に銃を放り出しちまったり、短銃の方じゃ、反動で額を打ったりしたもんです。なるほど、これなら最初に火薬の音やなんかに驚いても、銃は固定されてるし、後ろで誰か支えてりゃあ、腰抜かしても大丈夫だって訳だ!」

 この賛辞を聞くと、エルネストはまんざらでもない顔つきだった。なるほど、まさしくこれらはシイナドラドから意図的に放出されたものなのだ。

 ここまでくると、最初に挑戦するのは、この中でも一番非力な二人組、ということに決まってしまったようなものだった。

 カイエンもマテオ・ソーサも、内心では「大丈夫かな」と思う部分があったが、ここまで準備されていれば誰が最初でも同じだろう、と腹を括った。

 そこをすかさず、エルネストを押しのけるようにして前に出たのがエルネストの侍従のヘルマンだ。

「恐れながら、私は経験がございますので、大公殿下の後ろにつかせていただきとうございます。……ヴァイロン殿とイリヤ殿は、私の後ろで見ていてくださいませ。ソーサ先生の方は……」

 ヘルマンがもうそこまで話を進めてから、遠慮がちに見上げた先にあった顔は、眉間に皺を寄せた、エルネストの不機嫌そうな顔だった。苦労人で気が回るヘルマンは、カイエンの体に触れるかもしれない補助役を、エルネストにやらせるわけにはいかないと思ったのだろう。

「……ちぇっ、分かったよ。俺はそっちのおっさんの補助に回ろう。おい、そこの狼男ガラ! お前は俺の後ろで見とけ」

 だが。

 カイエンと教授が、鉄砲を支える台の上にのせ、片膝をついた格好で引き金に手をかける段になって、またひと悶着起きた。

「おいおい、お前ら二人とも、利き目が左なのかよ!」

 カイエンと教授が無意識に鉄砲の銃身に顔の左側を寄せるのを見ると、エルネストが声を上げたのだ。

「二人とも、書く時は右手じゃねえか。……二人揃って厄介だなあ!」

 エルネストはそう言い、ヘルマンもどうしようか、という顔だ。

「え? どういう意味だそれは」

 カイエンが聞けば、ああ、とヴァイロンやジェネロたちには分かったらしい。弓でも同じことが言えるのだろう。イリヤも分かった組らしく、大きな声を出した。

「へえ、利き目は左なのに、利き手は右手なの? 二人揃って! あれまー」

 まだよく分からないカイエンと教授に、ヴァイロンが聞く。

「お二人とも、何かを覗きこむ時はどちらの目をお使いになりますか?」

 すると、気が利くシーヴが、飲み物や食べ物の載っているテーブルから布のナプキンを取り上げて、筒状にしたものを二人に手渡した。

 二人がそれを受け取り、無造作に目に当てる。

 すると、二人ともが左目で向こうを覗き込んでいた。

「間違いなく、利き目は左でいらっしゃいますね」

 ヘルマンが落ち着いた声で断定した。

「でも、引き金を利き手でない左で引かれるのは危ないですから、照準はしにくいでしょうけれど、まずは右手側で構えていただきましょう」

「しょうがねえな。どうせ当たらねえだろうから、両目で見る練習しな」

 そんなことがあって。

 カイエンと教授は、なんだか首から上を捻ったような感じで引き金を引き、無事に最初の試射を終えた。音と火薬の匂い、それに爆発の熱さには驚いたが、鉄砲を取り落すこともなく、腰を抜かすこともなかった。立って撃っていたらどうなっていたかは分からないが、おいおいに慣れていこう、とカイエンと教授は手と手を握り合って約束した。

 そして、その後は一通り、皆が座った姿勢で試射し、それからカイエンと教授以外の者達は、立って短銃の方を構える練習となった。短銃の方が数があったからだ。 

 その頃には、もう夏の長い日も西へ傾いてきていたが、人々は徐々に打ち解け、教授とザラ大将軍などは、飲み物片手に木陰で政治談義の方に花を咲かせていた頃だった。


「おい、あそこでのぞいているやつがいる。向こう側から登ったのか。それとも、壁の上を歩いてきたのかな」

 最初に気が付いたのは、遠目のきくガラで、すぐにヴァイロンがそれに続いた。

 二人が見ているのは、石造りの訓練施設の後ろにある、古の修道院の高い壁の方だ。壁の最上部は人、一人が歩けるほどの幅があり、両側が手すりのように高くなっているのだ。

「……黒い服を着ているが、あの動き方は、どうもうちの団員じゃないようだ。イリヤ、見えるか?」

 ガラとヴァイロンが、イリヤの方へ話を振ったのは、その人影がどうも大公軍団の黒い制服を着ているように見えたからだった。そして、恐ろしいことに、イリヤはほとんどの大公軍団員の顔を覚えているのだ。

「ええ? 無理よぉ。ヴァイロンさんやガラちゃんの目とは、元々の性能が違いますよ俺っちの目はぁ」

 そんなことを言いながらも、イリヤは目をこらす。そうしながら、彼は何を思ったのか、ひゅう、と甲高い鳥の声のような口笛を吹いた。それは、ヴァイロンの視力への賛辞のようにとれた。

 壁の上の人影は、距離が遠いことに安心しているのか、慌てた様子もない。

 そこへ、木陰からちょこちょこ出て来て、懐から何か出して手渡したのは、意外なことにザラ大将軍だった。

「ほうほう。ここは老眼の進んだわしの小道具が役に立つわ。イリヤボルト、これを使え」

 そう言って、ザラ大将軍が取り出したのは、歌劇観賞用の遠眼鏡だった。確かに、ザラ大将軍は的に当たったか否か、いちいちこれで確かめていたっけ。

「あらぁ、さすがにご老体は用意がいいわねぇ。じゃ、ちょっと借りますよー」

 遠眼鏡を借りたイリヤはすぐに、壁の上の顔が見えたらしい。 

「あーあー、ありゃ、どっかで見た顔だなー。覗き見ってやつかなあ。それにしちゃあ、顔つきが素人じゃないねぇ」

 そして、次いで言った言葉はその場の皆を緊張させた。

「うーんと。あの顔、見覚えあるなー。ああ、そうだぁ。あれ、去年、街中のヤサグレ集団(マラス)に情報流してたってえんで、治安維持部隊をクビになったやつだわ〜」

 イリヤが言い終えないうちだった。

 たーん。

 渇いた音が古の修道院跡の訓練場に響きわたったのは。

 イリヤが覗いている遠眼鏡の向こうで、男が叫ぶ間も無く、肩口を撃ち抜かれ、ゆらゆら向こうへ傾きそうになりながらも前に倒れ、壁の手前に落ちていった。

 驚いて銃声のした方を見るカイエン達の視線の先で、鉄砲を下へ下ろしたのは、ちょうどその時、試射の順番に当たっていて、しかも火薬と弾を装填し終わったところだった、ヴァイロンだった。ヴァイロンは出来れば足を狙いたかったのだろうが、壁のせいで男の下半身は狙えなかったのだ。

 鉄砲は三丁だから、残りの二丁はマリオとジェネロが今しも的へ向かって撃とう、というところだった。彼らも考えたことはヴァイロンと同じだったらしい。二人ともに銃の照準は謎の覗き男の方を向いていたが、二人は発砲するのには迷いがあったのだろう。

「……おっそろしいなあ、相変わらず。まあ、当たる当たらないは十字弓や長弓と同じだろうけど、今日初めて持った飛び道具で、迷わずに人間の肩口が撃ち抜けるなんざ、あんたは正念場になると、やっぱりやることがイかれてらあ」

 首をふりふり、ジェネロはそう言う。彼の方は、初めて扱った鉄砲だけに、遠い的、それも人間相手に引き金を引く決心がつかなかったのだろう。

「ヴァイロン様が順番でよかった。……私は遠目の効く方ですが、ヴァイロン様ほどには確実に狙いがつきませんでしょうから」

 落ち着いた声で評したのは、マリオだ。彼もジェネロ同様に一瞬、躊躇したのだろう。

 その頃には、トリニを先頭に、リカルドにルビー、それにフィエロアルマの副官のチコとイヴァンが壁の下に殺到していた。先頭がトリニだから、落ちた奴がどう暴れても勝ち目はないだろう。

 シーヴはカイエンの護衛だから、カイエンと教授の前に立ちふさがるようにして、動いていない。木立の後ろ側へはナシオが回り込んで周りを探っていた。

「おーい、そいつ、生きてるぅー?」 

 暢気な声で聞いたのはイリヤで、彼はヴァイロンの横に並ぶと、ヴァイロンの手から鉄砲を受け取り、さっさと次弾を装填している。その手付きは、初めて鉄砲を扱う者とは思えないほどに手慣れている。カイエンは、

(こいつら、実は今日までの間に、密かに鉄砲を取り出して遊んでたな……)

 と、確信した。非常事態宣言下でいくら忙しくとも、こういう男達というものは、そういう時間は意地でも捻り出すのだろう。アメリコたちが鉄砲と短銃をこの大公宮へ持ち込んだ日は、取扱説明書共々、カイエンと教授が新らしい玩具に夢中な子供状態で離さなかったので、その後に違いない。  

「でもまあ、おかげで怪しい覗き屋は捕まえられそうだな」

 カイエンがそう呟くと、隣でザラ大将軍が早速、聞きとがめた。

「あの高さから落ちましたぞ。頭から落ちていれば死んでおりましょう」

 カイエンは腐ってもこの大公軍団の一番上だから、ちゃんと知っていた。

「いえ。あの壁は壁登りの訓練に使っているので、下に分厚く砂が撒いてあるんです。ここのところ、雨も降っておりませんし、昨日までは訓練もしていたはずなので、砂も柔らかいはずです」

 ザラ大将軍はびっくりした顔をしたが、それでも専門家の彼の追求は止まらなかった。

「そうでしたか。それにしても、壁の向こう側に落ちずに、よくも手前に落ちましたな。被弾の衝撃を考えれば、向こう側へ落ちそうなものだが……」

 これには、ヴァイロンから次弾装填済みの鉄砲を受け取ったイリヤが答えた。

 たーん。

 二発目の銃声とともに。

「さっき、俺が口笛吹いたでしょ? 壁の向こう側はもう、治安維持部隊の猛者達でいっぱいよ。……へへっ、この距離なら、俺っちでも当てられるみたいだねぇ」

 ヴァイロンは銃身の照準器で狙って撃ったが、イリヤはろくに狙いも定めずに無造作に撃ったように見えた。

 イリヤが撃った先で、悲鳴が上がり、人影がゆっくりと地面に崩れ落ちていく。

「ナシオ、ありがとさん。……こっち側にも入り込んでると思ってたんだぁ」

 カイエン達がイリヤの撃った方向を見れば、ほんの少し向こうに、侍従姿の男が一人、脚を撃ち抜かれて倒れていた。それでも逃げようと這い、もがくのを、ナシオが上から冷静な手つきで押さえ込み、どこからか取り出した縄で両腕両足を縛ってしまう。死なれぬよう、猿轡を噛ませるところまでが一瞬の早業だ。

 木立の向こうへ回ったナシオが、恐らくは仲間が撃たれたのを見て逃げようとした男のことをイリヤに教えたのだろう。ナシオが仕留めてもいいところを、イリヤが鉄砲で撃ち倒したのは、他にも周囲にいるかもしれない、相手方への「脅し」だろう。

「他には怪しい動きの者も、見覚えのない顔もありません。宮の建物の出入り口はもう、グレコ船長らが入ってから締め切っております」

 ナシオはどうやら偽侍従らしい男の撃ち抜かれた脚を、素早く縛って血止めしている。

 カイエンはイリヤから、こういうこともあるかも、とは事前に聞かされてはいたが、まさにその通りのことお成り行きに、やや呆然としてしまっていた。

「……まあ、狙い通りといえば、その通りか。とんだ『狙い撃ち』だな」

 カイエンがそう評すと、隣で同じような感慨にふけっていたらしい、マテオ・ソーサも呆れた声でこう言ったものだ。

「狙いは狙いでしたが、ヴァイロン君が壁の上まで狙い撃ったのは計算外でしたよ、殿下。曲者は、外壁をつたい降りてきたところを『御用』にする予定だったのですから」

 カイエンはうなずきながら、恐らくは教授と同じことを考えていた。

(壁の外で捕まるより、銃で狙い撃たれたって方が、あっちの連中には恐ろしいことだろうな)

 間違いなく、敵への威嚇にはなっただろう。

 だが、狙い撃ちか。

 カイエンはもう、先のことを考えていた。この頃では、彼女の思考は常に自体の先へ先へと向かうように訓練され、身についたものとなっていたのだ。

(先だってのオドザヤの結婚式のパレードでの襲撃は、十字弓と手投げ弾だった。だが、こうして鉄砲と短銃が出回り始めた今、これからは鉄砲での狙い撃ちが可能となってくるだろう。今日のことはヴァイロンの獣人の血を引くゆえの視力と、揺るぎない体幹あってのことだ。それに強弓を引いて戦働きをした経験が、弾のぶれを無意識に計算したのかもしれない。それらを抜きにしても、やっと見えるような距離の人間を撃ち落とした事実は変わらない。だが、天性のものだけでなく、訓練があれば、他にも同じことができる輩が出てくるはずだ)

 それに、鉄砲は訓練すれば、カイエンや教授のような非力な人間でも撃てるのだ。そして、当たれば確実に遠方にいる人間を傷つけることが出来る。

 そうなれば。

 戦争の形も、街中での襲撃の形も、すべてが変わってくる。

 シイナドラドはパナメリゴ大陸の西側だけに、あの鉄砲と短銃を流し入れた。 

 だが、ベアトリアを通り、ザイオンを通り、東の国々を経由すれば、いつかは螺旋帝国へも伝播する。

 諸刃の剣なのだ。新しい技術というものは。

「殿下」

 考え込んでしまったカイエンのもとへやって来たのは、もう、鉄砲は片付けて来たらしい、ヴァイロンだった。

「今宵は長い夜になりそうです。皆、外の騒ぎとこの大公宮の中の人員点呼が済み次第、殿下の食堂に集まることになりました。もとより、私のために宴をご用意いただいていたところです。今後のことなども、話題となって参りましょう」

「そうだな」

 素直にうなずきながら、カイエンは左手で杖を突き、ヴァイロンの左腕に右手を絡ませて大公宮の建物の方へ歩き始めた。向こうでは、マリオがさっさと壁の外の捕り物の対応に出て行き、残った皆は片付けにかかっていた。

 恐ろしそうに身をすくめているのは、海軍の三人だけで、他の大公宮の関係者やフィエロアルマの三人、ザラ大将軍などは平気な顔で彼らに声をかけながら、建物の方へ向かっていた。

 今日のことが、読売りなどに流れれば、敵方は誰かが逃げ果せたことになるだろう。そうなっても仕方がない。その時、カイエンの頭の中にあったのは、甲冑師で装具師のトスカ・ガルニカの顔だった。

 彼女の仕事場があるあたりは、鍛冶場が多い。

 一日も早く、鉄砲を国産出来るようにしなければ、そして、それを桔梗星団派に横流しされないようにしなければならなかった。

 そして、先日の皇宮での女同士の大喧嘩だ。

 あっちだって気は抜けない。マグダレーナはまだ諦めてなどいないだろう。

 やることはいくらでもあった。

 さて、まずはどこから狙い撃つか。

 その時、カイエンが思い描いた相手の顔は、彼女自身にとっても意外な顔だった。 

 

 利き目が左で、利き腕が右なのは、私です。

 スマホは左手だし、聞き耳も左。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ