第一二三話 ユニウスの秘密基地
グニドがそーっと顔を近づけると、深い海色をした喇叭状の花の蜜を吸っていた青い蝶が、捕食者の気配に気がついたのかパッと慌てて飛び立った。
まるで青い宝石が蝶に擬態したようなキラキラした翅を持つ、見惚れるほど美しい蝶だ。ユニウスが小晶宮と呼んだ硝子の宮殿の内部には、そんな蝶がひらひらと舞う真っ青な一角があって、蝶も青ければそこに咲く花も、すぐ傍の池も、泳ぐ魚も青いという、何とも神秘的な景色が広がっていた。
「ムウ……青イ、蝶……ルルガ、見タラ、喜ビソウダナ……」
「ああ、モアナアゲハかな? ここにいる蝶の中では僕もその蝶が一番好きだよ。モアナ=フェヌア海王国の海辺にしか棲息していない、とても貴重な蝶なんだ」
「モアナアゲハ……」
「うん。そっちの青い百合も珍しいだろ? それもナギサユリっていう海王国の固有種さ。海水の傍でしか咲かない珍しい百合で、育てるのにずいぶん苦労したよ」
「ココノ、花ヤ、木ハ全部、オマエガ育テタカ?」
「うーん、さすがに全部ではないけれど、半分くらいはそうかな? 残りの半分は父が育てたんだ」
「父……トイウト、天帝カ?」
「うん。この温室は父が僕のために、特別に造ってくれたものでね。大陸中の珍しい花や虫が集められているんだ。建物を覆っているのも硝子じゃなくて霊石だし」
「ジャ!? アレ、全部、霊石カ……!?」
「そう、なかなかびっくりだろ? おかげでここにいる間だけは、外の世界の聲が一切聞こえないんだ。だから昔はよくひとりでここに籠もっていたんだよ。今も毎日草花の手入れに来ているけれど、やっぱり世界で一番ここが落ち着く……なんて言ったら、南西大陸から一歩も出たことがないくせに何言ってるんだって笑われそうだけどね」
と穏やかに笑いながら、ユニウスは宮殿の内部に設けられた壁のない部屋のような空間で、水晶の水差しの中身を水晶の杯に注いだ。その道具も霊石でできているのかと尋ねると、ユニウスはこともなげに「そうだよ」と言う。おかげで水差しの中身はいつもよく冷えていて、今の時期は重宝するのだという。
「ムウ……霊石……トハ、トテモ便利ダナ……」
「だろう? だから国中のみんなが欲しがって、長年霊石谷の管理をしてきた口寄せの民が怒ってる。この水差しも杯も小晶宮と一緒に父が贈ってくれたものだけど、連合国の宗主たる僕がこんな贅沢品を好んで使ってるなんて知れたら、またマギサに叱られるだろうね。小晶宮自体、解体の話が出たこともあったし……」
「マギサ?」
「ああ、うん。マギサっていうのは口寄せの民の族長さ。あのマドレーンよりも長生きしてる、口寄せの郷最高齢の大魔女なんだ。どうぞ」
ほどなくユニウスはそう言うと、白亜から彫り出されたような白い椅子に腰かけながら、ふたつある杯の片方をグニドへと差し出した。
受け取ってスンスンにおいを嗅いでみると、どうやら中身は香茶のようだ。
何でもユニウスは小晶宮内の庭園で茶の素となる花も育てているらしく、グニドに差し出された茶はここでしか飲めない、ユニウスの手作り茶なのだという。
(ふむ、しかし驚いたな。ユニウスは天帝のやり方に反発してシャマイム天帝国を滅ぼし、アビエス連合国を築いたと聞いた。ならてっきり天帝のことを憎んだり軽蔑したりしてるんじゃないかと思ったが、父子の関係は意外と良好だったようだ)
でなければ壁も天井もすべて霊石でできた宮殿など、父が子に贈ったりするだろうか。幼い頃は《愛神刻》が聞かせる他人の心の声──『聲』に苦しんでいたというユニウスにとって、唯一静寂の中で過ごせる小晶宮は楽園みたいなものだっただろう。そして父を打倒した今も、ユニウスは彼から贈られたこのヒミツキチをとても大切にしているように見える。
もしも父親を憎んでいるならば、いくらひとときの安息が得られる隠れ家だからといって、毎日足しげく通ったりはしないはずだ、とグニドは思った。
「ふふ……父が僕を甘やかしていたことが意外かな? 確かに父は冷酷な人だったけど、同じ神子として生まれた僕には特別に優しかったんだよ」
「ジャ?」
ところが馳走されたユニウス茶──苦味が少なく香りがよくて、香茶を飲み慣れていないグニドにも飲みやすい──を舐めながらグニドが思索に耽っていると、白い円卓の向こうに座ったユニウスがグニドの胸中を見透かしたように微笑んだ。
そこでグニドははっとする。そうだ。他人の心の声が聞こえるということは、自分の思考もユニウスには筒抜けということではないか。
霊石の壁が遮断するのはあくまで〝外〟の聲だと言っていたから、小晶宮でユニウスとふたりきりの今、グニドの心の声は彼に丸聞こえなのだろう。
「ム、ムウ、スマン……オマエノ父親、悪ク言ウツモリ、ナカッタ……」
「はは、気にしないで。僕の方こそごめん。昔と違って今はある程度聲を聞かないようにすることもできるんだけど、グニドさんがどんな人なのか興味があって……ああ、ついでにいつの間にかタメ口になってたね。不愉快でしたらお詫びします」
「否、構ワン。オレ、敬語喋ル、デキナイ。ダカラ、敬語ジャナイ、気ニシナイ」
「そう? よかった。グニドさんとは何となく歳が近そうだから、つい親近感が湧いちゃってね。そう言ってもらえると嬉しいよ」
「ム……? オレ、新シイ年、ナルト、十八歳。オマエハ?」
「僕は来年で三十六歳だよ。だけど一般的な獣人族の一歳は、人間の年齢に換算するとだいたい一・五~二歳くらいだと言われてるから、そう考えればやっぱり同年代だ」
「フム、ソウカ……ダガ、オマエモ、三十六歳ニハ、見エナイナ」
「ふふ、だろうね。僕は《愛神刻》が持つ不老の力の影響で、十八を過ぎた頃から肉体の成長が止まったから。同じ天授児でも父はいかにも帝王らしい貫禄のある姿だったのに、ちょっと不公平だよね」
「ジャ? 天帝モ……天授児ダッタカ?」
「うん。父は天帝、天帝と呼ばれて恐れられていたけれど、もとは全智の神コルの天授児でね。《天神刻》は後天的に刻んだものだったんだよ。大神刻をふたつ同時に宿したのはエマニュエル広しと言えど、父ともうひとり、ランドグリーズ聖王国の聖王だけと言われてる」
「聖王?」
「北西大陸の北方にいる小国の王らしいよ。叶うことなら僕も一度会ってみたいんだけど、聖王国はエレツエル神領国と同盟関係にあるそうだから、まあ、難しいだろうな……」
と、どこか遠い目をしながらそう言って香茶を口に運んだユニウスは、ほうっと物憂げなため息をついた。ランドグリーズ聖王国という国の名は初めて聞いたが、なるほど、神領国と友好的な関係にある国ならば、彼らと敵対するユニウスが気軽に会いにゆける相手ではないだろう。
しかしまさかユニウスだけでなく、天帝もまたルルと同じ天授児だったとは驚いた。サヴァイは天授刻を持って生まれる人間は非常に稀だと言っていたのに、いるところにはいるものだなと、グニドはなおもユニウス茶を舐めながら考える。
「ところで天授児といえば、ルルアムスの話なんだけど……」
「ム?」
「実はさっきサヴァイと少し話をしてね。禁書に記されていた内容だというから、詳しくは聞かなかったのだけど……どうやらあなた方が調べていた神刻は、古代ハノーク人と深い関わりのあるものだったらしいね」
「ウ、ウム……」
「で、それを知ったサヴァイが、これ以上厄介ごとが持ち込まれる前にあなた方を連合国から追い出すべきだと言っていて……」
「ジャ!?」
「ごめん。あくまで連合国のためを思っての意見だから、あまり彼を悪く思わないでほしい。ただサヴァイはどうもあなた方のうちの誰かが例の神刻──万霊刻を所持していて、そんなものを僕の傍に置いておくのは危険だと考えているみたいなんだ。ただでさえ今はアイテール教団の問題で手いっぱいなのに、このうえ冷戦状態が続いてるエレツエル神領国を刺激したりしたら大変なことになるってね」
と、ユニウスが代弁してみせたサヴァイの懸念はもっともで、グニドに反論の余地はなかった。現にルエダ・デラ・ラソ列侯国でも無名諸島でも、ルルは神領国の手先に狙われてひどい目に遭っているのだ。とすればアビエス連合国にも、ルルを追ってエレツエル人どもが押しかけてくるかもしれない。
それどころか連合国の長たるユニウスが万霊刻を奪ったとか、隠しているだとか因縁をつけて、戦争の火種を作ろうとする可能性だってあるだろう。
(そうなればことはユニウスどころか、連合国全体を巻き込む騒ぎになる……と考えると、さっさとおれたちを追い出すべきだというサヴァイの意見ももっともだ)
アビエス連合国は希術によって未曾有の大発展を遂げてはいるものの、建国から二十年しか経っていない年若い国だ。対するエレツエル神領国は何百年も前から北東大陸に君臨し、広大な領土と強大な軍事力を有している。
両者の差は空飛ぶ船や未知なる兵器の数々をもってしても、容易に埋め得るものではないとラッティたちは言っていた。そして連合国と神領国が本格的に争い始めれば、世界を巻き込む大戦争になるだろう、とも。
「だけどね、グニドさん。僕はまず、連合国の事情なんかは一切抜きにして、あなたがどうしたいのか知りたいんだ。あなた方が隠したがっている事情を無理に詮索するつもりはないのだけれど……サヴァイの話を総合すると、ルルアムスは万霊刻を持って生まれた天授児みたいだね」
「……ウム」
「そうか……いや、うん。この話は僕も、もちろん僕の仲間たちも、一切口外はしないから安心してほしい。ただ……実は僕も、万霊刻に似た神刻を持って生まれた人を知っていてね」
「ジャ?」
「大神刻でも小神刻でもない、誰も知らない神刻。けれど生まれたときから彼女の胸に宿っていて、大神刻にも劣らない特異な力を持っていた……」
「ソ、ソレハ、ドンナ神刻ダッタカ?」
「星刻。彼女はその神刻をそう呼んでいた。そしてさっきサヴァイの話を聞いて確信したよ。きっとあの神刻も、古代ハノーク人と深い関わりを持つ神刻だったんだろうと」
「星刻……」
「そう。彼女が数奇な運命を辿ることになったのも、ひょっとすると星刻を宿して生まれたことが原因だったのかもしれない……だから、僕はね。自己満足の罪滅ぼしかもしれないけれど、ルルアムスには彼女のような苦しみを味わってほしくないんだ。そもそも僕は僕たちの生きるこの世界が、あんな小さな女の子にまで重い宿命を押しつけるような、残酷で無慈悲な世界でなくなることを願っているから」
そう言ってユニウスが水晶の杯を置いたとき、どこからともなくひらひらとやってきた蝶がいた。モアナアゲハ。さっきユニウスがそう呼んでいた、あの青く美しい蝶だ。それに気づいたユニウスがそっと手を差し出せば、驚いたことに蝶は彼の指先に留まってみせた。そうして星屑をまぶしたような翅を開いたり閉じたりするさまを見て、ユニウスは慈しむように微笑みかける。
「そうか。どうやら君も彼女が恋しいみたいだね……彼女も国を出る前は、何度もここに通って君たちを愛でていたからね。その記憶が受け継がれているのかな?」
「ユニウス……〝彼女〟トハ、誰ノコトダ?」
「ああ……彼女の名は、マナキタンガ・モアナ=フェヌア。星刻の天授児として生まれた、モアナ=フェヌア海王国の王女だよ」
ユニウスが蝶を見つめながら告げた名は、グニドに衝撃をもたらした。
マナキタンガ・モアナ=フェヌア。間違いない。グニドたちがルエダ・デラ・ラソ列侯国で出会い、海王国で正体を知った海の国の魔女。
そういえばグニドが列侯国でマナに呪われた体を見せられたとき、彼女の胸には確かに見慣れない神刻があった。上から呪いの種子を植えつけられていたせいで、姿形をはっきりと見ることはできなかったが──
(あれが、星刻……)
そうか。言われてみれば列侯国でマナが見せた奇跡の数々は、すべて魔女の力がもたらすものだと思っていたが、一方でマナは自分もルルと同じような神刻を身に帯びていると言っていた。あのときはマナの体調が優れなかったことや、直後に連合国軍が現れたことでうやむやになり、詳しい話が聞けなかったものの、ここにきてようやくグニドの中ですべての記憶がつながっていく。
「マナ……マナモ、天授児、ダッタカ? ダカラ、ルルノコト、トテモ、気ニカケテタカ?」
と、グニドがそこで思わず尋ねた刹那、向かいの席でユニウスが青い瞳を見開いた。かと思えば彼の指先に留まっていた蝶が、弾かれたようにパッと飛び立ち、またひらひらと去ってゆく。
「……グニドさん。あなたはもしかして、マナを知っているのかい?」
「ジャ?」
「彼女は二十年も前に故郷を飛び出していったきり、ずっと行方知れずなんだ。以来、何の音沙汰もなくて、人を遣って探させてもまったく消息が掴めなくて……ああ、いや、だけど……そうか。そういうことか。だからマドレーンは帰国してからずっと聲を隠して……くそ、なんてやつだ。マナの無事を知りたがってる人が大勢いるっていうのに……」
と呻くように悪態をつくや否や、ユニウスは片手で顔を覆って深々と嘆息をついた。グニドはてっきり、マナが列侯国にいたことはマドレーンから伝わっているのだろうと思っていたから、今の今まで知らなかったのかと目を丸くしてしまう。
(マドレーンは、ユニウスとマナが出会わなければアビエス連合国は生まれなかったかもしれないと……なら、マナはユニウスにとっても特別な存在のはずだ。なのに何故マナの無事を黙ってたんだ?)
と内心そう首を傾げて、しかしグニドはすぐに考えを改めた。
というのもマナは天帝と結託していた大魔女から呪いを受け、解呪の方法を探すべく旅に出たが、世界中どこを探しても呪いを解く方法はついに見つからなかったと言っていた。つまり今も生きてはいるが〝無事〟ではない。
そして今の彼女はただひたすらに死を望み、呪いに殺されるくらいならばと、名誉ある死を求めて旅をしている。ということは、彼女はもう二度と故郷に戻るつもりはないのだ。マドレーンはその事実をユニウスに伝えるのは酷だと思ったから、マナを見つけたことを告げずにいたのだろうか。だとすれば自分の今の発言はかなり迂闊だったと首を竦めて、グニドは上目遣いにユニウスを見やった。
「ムウ……ユニウス、スマン。オレ、マナノコト、知ッテイル……ルエダ・デラ・ラソ列侯国デ、一緒ニ戦ッタ。オレタチ、マナニ、何度モ、助ケラレタ……」
「……そうか。ちなみにマナは今も希術を使っていた?」
「ウ、ウム。ダカラ、オレ、マナノチカラ全部、希術ト思ッテイタ。星刻ノコト、知ラナカッタ……」
「……ということは、マナは神術をほとんど使わずに過ごしていたんだね。だとすれば、メイテルの加護もまだ生きている……そうか。無事でいてくれたのか……」
なおも顔は覆ったまま、ユニウスは卓に肘をついて深く肩を落としていた。
そうした反応を見る限り、彼は二十年間ずっとマナの安否を気にかけていたのだろうと思う。ユニウスにとって、マナはやはりそれほどまでに特別な存在なのだ。
彼の一連の様子からそう察したグニドは、さらにおずおずと口を開いた。
「ユニウス……オレ、海王国デ、オマエト、マナノコト、聞イタ。マナハ女ダガ、男ノフリヲシテ、天帝ノ怒リ、買ッタト……」
「うん……」
「マナハ、トテモ、苦シンダ。ダカラ、オマエト同ジコト、言ッテイタ」
「……僕と同じこと?」
「ウム。ルルヲ、自分ト同ジニ、シタクナイ、ト……ダカラ、オレニ、ルル、守レト言ッタ。オレモ、マナヤ、オマエト、同ジ気持チダ」
グニドがふたりへの感謝を込めてそう言えば、うなだれていたユニウスがついに顔を上げた。普段はあんなに泰然自若として、連合国の長としての風格を漂わせている彼がマナの話になった途端、まるで依る辺を失くした迷い子みたいな様子でそこにいる。そんなユニウスに向かって、
『マナはもう帰ってこない』
とは、グニドにも言えなかった。
ただ、どれだけ離れていようとも、マナとユニウスの心は今もひとつだ。ふたりがまるで同じ理由からルルの将来を案じてくれたことで、グニドはそう確信する。
「……そうか。やっぱりマナも……ルルアムスのことを他人ごとだとは思えなかったんだね」
「ウム。別レルトキマデ、ズット、ルルノ心配、シテイタ」
「なら彼女もあなた方と一緒に来ればよかったのに……いや、こういう恨み言は、マナを連れて帰ってこなかったマドレーンに言うべきだな。今はとにかく、彼女が無事でいると分かっただけでも収穫だよ。グニドさん、教えてくれてありがとう」
そう言うとユニウスはようやく宗主の顔に戻り、中身が少なくなったグニドの杯に茶を注ぎ足しながら苦笑した。
本当はマナの消息について他にもたくさん聞きたいことがあるだろうに、彼はそれ以上の私情を挟まない。まったく、本当に大した長の器だ。
「だけどそういうことならなおさら、このままルルアムスの問題を放っておくわけにはいかないね。ちなみにグニドさんとしては、ルルアムスの無事さえ約束されるなら、万霊刻は解刻しても構わないと思ってる?」
「ウム……ダガ、天授刻ヲ剥ガスコト、トテモ危険、サヴァイガ言ッテイタ。安全ニ剥ガス方法、マダ、無イト」
「そうだね。でも、連合国は見てのとおり希術大国だ。石刻の力を借りて神刻を扱う神刻師には無理でも、希術なら何とかできるかもしれない」
「シカシ、マドレーンモ、難シイ、言ッテタゾ」
「確かに、現代希術ではね。けれどハノーク人たちが使っていたという古代希術なら可能かもしれないよ」
と、冷静な口ぶりでユニウスが言うのを聞いて、グニドはまたしても目を丸くした。そうか。本来神の力によってのみ生み出すことができる神刻を、人工的に創り出すほどの古代人の希術。それを解き明かすことができたなら、持ち主の魂と強く結びついているという天授刻でも安全にはずす方法が見つかるかもしれない。
何せ白都には知識の宝物庫たる識神図書館があり、また希術研究家のマドレーンや、知識の番人であるサヴァイやナンニャの力も借りることができるのだから。
「ムウ……ダガ、オレタチガ連合国ニ留マルト、オマエタチ、困ル。違ウカ?」
「大丈夫。サヴァイの言い分にも確かに一理あるけれど、そもそも強大な力を持つ神刻は希術兵器をも凌駕する脅威だ。あなた方を国から追い出した結果、そのうちのひとつがエレツエル人の手に渡るようなことになれば本末転倒……ならうまく神領国を牽制しつつ、万霊刻をルルアムスから引き離す方法を探るのが最善のはずだよ。多少無理をしてでもね」
確かにユニウスの言い分ももっともだった。
現にグニドは列侯国で、大神刻がもたらす人智を超えた力を目撃している。
ルルが幼いこともあり、万霊刻の真の力は未だ未知数だが、今でさえ精霊と交信し、火も水も風も雷も自在に操ることができている神刻など、エレツエル人の手に渡ればろくな使い方をされないのは火を見るよりも明らかだろう。
「よし。じゃあ、ひとまず方針は決まったから、まずはマギサに相談してみよう。六聖日が明けるまではどこも休日で身動きが取れないからね。何よりハノーク大帝国の滅亡前から生きてるマギサなら、何か有力な情報を持っているかもしれない」
「マギサ……ハ、口寄セノ民ノ長、カ?」
「そう。実は彼女ももうすぐアルビオンにやってくる予定なんだ。六聖日が明けたら、今度は連合加盟国の代表が一堂に会する首脳会議が始まるからね。マギサも口寄せの郷の長として、しばらく白都に滞在するはずだよ」
「ソ、ソウカ……口寄セノ民ノ長ニ、会エルカ」
「うん。というかこの機会を逃せば、次の首脳会議が開催される冬まで会えないと思った方がいい。マギサは本当に必要なときしか人前に姿を見せないからね。こちらから会いに行こうにも、部外者は絶対に郷には辿り着けないし……」
驚いたことに、魔女たちが暮らす口寄せの郷とは、その所在すらも未だ明らかになっていない隠れ里であるらしい。口寄せの郷出身のマドレーンすらも一族を追放された今となっては帰ることを許されず、郷の場所や行き方に関する記憶をすべて消されたそうだ。それほどの謎と秘密に包まれた一族の長に会える……。
そう言われると、グニドは柄にもなく緊張してきた。彼女が来国するのはまだもう少し先の話だよとユニウスは笑っていたが、千年以上も生き続けている驚異の存在に会えると言われて、身構えるなという方が無理な話だろう。
「まあ、とにかくそういうわけだから、まずは無事に新年を迎えないとね。首脳会議が始まるまではあまり難しいことは考えずに、アルビオン観光を楽しんでもらえたら嬉しいな」
「ウム……ワカッタ。ダガ、オレタチニ、デキルコト、アレバ、手伝ウゾ」
「ありがとう。お客様に何かをお願いするような非礼は極力避けたいけれど、何かあればそのときは──」
ところがそんな会話を交わしながら、グニドとユニウスが揃って小晶宮をあとにしようとしたときのことだった。突然、宮の出口をくぐったユニウスがはっとしたように足を止め、血相を変えて振り向いてくる。
「──グニドさん!」
直後、そう叫んだユニウスは、何かからグニドをかばうように飛び出した。
同時にグニドの鼓膜を震わせたのは弓弦の音。次の瞬間、息を飲んだグニドの眼前で一本の矢がユニウスの胸を貫通し、青い染みを作り出した。
神を身に宿した者だけが流す、あの青い血だ。




