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第一二一話 『一三五五』


 グニドは海を渡って来てからというもの、ぽかんと口を開けたまま過ごす時間が増えたなと思った。けれども無意識に開いてしまうものは開いてしまうのだから仕方がない。むしろこんなに驚くものばかり並んでいるアビエス連合国が悪い。

 この識神(しきしん)図書館と呼ばれる建物だってそうだ。エルビナ大学と同じく、白い街並みの中では異質な()()()()()()で築かれた巨大な建物の中には、遥か一(アナフ)(五メートル)以上も先の天井までびっしりと壁を埋め尽くす星の数ほどの本があった。


 もはや本を並べて壁代わりにしているのだろうかと首を傾げたくなるほどの本、本、本だ。グニドも旅の中で時折本を見かけたことはあったが、まさか世界にこれほどの量の本があるとは夢にも思わなかった。というのも、本は文字(モジ)による大量の情報が詰まっている分とても高価で、滅多に手に入るものではないと聞いていたからだ。実際ルエダ・デラ・ラソ列侯国(れっこうこく)でもほとんど見かけなかったし、無名諸島に至っては本を作るための紙すらなかった。それが連合国(ここ)ではどうだ。


 見渡す限り視界をぎっしりと埋め尽くす、色とりどりの本の群──こんな光景を目の当たりにして、驚くなと言う方がどうかしている。


「やあ、これはこれは、誰かと思えばシエンティア学長ではありませんか。おまけにマギステル教授まで……そういえば教授は昨日、国外遠征から無事お戻りになったんでしたね。お元気そうで何よりです」


 と、今日も今日とてあんぐりと口を開け、クワトと並んできょろきょろしているグニドの横でそんな声を上げたのは、異様に耳が長く白い毛皮をまとった獣人だった。世にも珍しい赤い目をしたその獣人は、聞いたところによれば兎人(ラビット)と呼ばれる種族であるらしく、何故か片側にだけウーチェンがかけていたのと同じ眼鏡(メガネ)をかけている。服装はサヴァイに似てぴっちりカッチリしており、彼やマドレーンとは知り合いのようだ。


「うむ。年内最後の開館日に押しかけてしまって申し訳ない。事前に連絡は入れておいたのだが、館長殿はいらっしゃるかな?」

「ええ、ええ。学長がお見えになったら奥へお通しするようにと仰せつかっております。どうぞこちらへ」


 兎人は長い耳をピクピクさせながらそう言うや、胸ほどの高さの台に囲まれた空間から出てきてグニドらの先頭に立った。

 どうやらあの兎人は図書館の関係者であるようだ。大量の本が壁の全面に敷き詰められ、グニドも嗅いだことのない独特のにおいに包まれた館内には、他にも大勢の利用客がいた。やはり人間(ナム)から獣人まで、人種はとにかく様々だ。

 何か特定の本を探しているらしい者、並べられた椅子に座って読書に(ふけ)る者、本を開きながら机に向かって書きものをしている者……。


 どうやら図書館とは、単に本を集めて保管するだけでなく誰でもそれを閲覧し、場合によっては館外へ持ち出すこともできる施設であるようだった。

 文字が読めないグニドとしては、こんなことでもなければまったく縁のない場所だったろうが、仮に読み書きができたとしても、これほどの数の本を読み切るのはきっと一生をかけても不可能だろう。


「館長。シュロキーツォ館長。シエンティア学長がお見えになりました」


 ほどなく兎人の案内で、本が収められた棚の間で肩身が狭そうにしていた扉をくぐったグニドらは〝館長(カンチョー)〟なる人物がいるという部屋へ通された。

 兎人が声を上げると、立派な両開きの扉の奥からはすぐに「どうぞ」と落ち着いた声が返り、彼は一行を室内へと導くやすぐに一礼していなくなる。


「ようこそいらっしゃいました、シエンティア学長。それからマギステル教授とお連れ様も。わたくしは当館の館長を務めておりますシュロキーツォ・ナンニャと申します。以後お見知りおきを」


 そう言ってグニドらを迎え、机の向こうで静かに立ち上がったのは、またも初めて目にする獣人だった。外はかなりの暑さだというのに、その獣人はやたらとモコモコした白い毛皮をまとい、果たして毛量のせいなのか、はたまたもとがふくよかなのか判然としない体の輪郭を呈している。


 さらに頭の両脇にはぐるぐる巻きの角が生え、グニドの場合は縦に裂けている瞳孔が横倒しになっている、何とも奇妙な()が印象的な相手だった。声の高さを聞く限り恐らくはメスなのだろうが、しかしあの特徴的な角には見覚えがある。

 アレはマグナ・パレスでスジェと行動を共にしていた半獣人(ニスト)と同じ角だ。

 とするともしや彼女が噂に聞く羊人(シープ)というやつだろうか?

 そう仮定してみるとなるほど、ニストの黒くてモジャモジャした(かみ)は、ナンニャと名乗った彼女の毛皮のモジャモジャ具合によく似ていた。


「お久しぶりです、シュロキーツォ館長。先にサヴァイから聞いてると思いますけど、こちらは北西大陸からいらした獣人隊商(ビーストキャラバン)の皆さんよ。今日は彼らが禁書庫へ入る許可をいただきたくて……」

「ええ、事情は伺っていますわ。実は先程ユニウス様からも連絡があって〝遠征隊が北でお世話になった方々だからくれぐれもよろしく〟と承りました。あの方のお墨つきとあれば、入庫を拒否する理由はなさそうですわね。許可証はお持ちで?」

「ええ、こちらに。だけど、どっかの誰かさんがごねるのを見越して根回しまでしておいてくれるだなんて、さすがはユニウスね。やっぱりデキる男は違うわぁ」

「ぐぬっ……」


 と、隣でサヴァイが何か呻いているのを後目に、マドレーンは胸の谷間から当然のごとく許可証を取り出してナンニャへと手渡した。

 受け取ったナンニャは一度席に戻るとすぐにサラサラと文字を書き、次いで机の引き出しから取り出した見慣れない道具をトンと押し当てる。すると許可証の隅に紋章のようなものが浮かび上がり、ナンニャはそこにも何か書き込んだ。

 許可証は宗主(ユニウス)大学長(サヴァイ)、そして図書館長(ナンニャ)の署名が為された当日しか使えないらしいので、恐らくは今日の日付か何かを書き留めたのだろう。


「ではこちらを。禁書庫へはシエンティア学長が同行されるのですよね?」

「ああ。しかし差し支えなければ館長殿にも一緒に来ていただけると有り難い。何せ庫内の蔵書数は膨大だからな。収蔵資料目録をすべて暗記している館長殿の案内があれば、目的の蔵書にもすぐに辿(たど)()けるだろう」

「え!? 目録を暗記……!?」

「し、羊人族はエマニュエルで最も優れた記憶力を持つとは聞いてましたけど、そんなことまでできてしまいますのネ……」

「ふふ。書物の中身を読まずとも、食べるだけで内容を記憶できるという山羊人(ゴート)族には負けますけれどね」


 と謙遜の微笑を浮かべつつ、サヴァイの依頼を受けてナンニャも禁書庫へ同行してくれることになった。

 〝禁書(キンショ)〟と呼ばれる持ち出し禁止の書物が保管されている部屋は、図書館の地下にあるという。ナンニャはグニドらがモアナ=フェヌア海王国(かいおうこく)のヤムアンガ神殿で見たのと同じ希灯具(ケレウス)を持ち出して灯をともし、一同を地下への階段に導いた。


 普段は特別な許可がなければ立ち入ることすら許されないというだけはあり、入り口の封鎖は厳重だ。禁書庫へ至るまでの道には何枚もの扉があり、いずれもしっかりと鍵がかけられていた。おまけに最後の扉には希石(きせき)が埋め込まれ、大学長と図書館長以外の者には開けられない仕組みとなっているらしい。この希石には触れた者を識別する力があり、さらに合言葉まで告げないと解錠はできないそうだ。


「ムウ……〝禁書〟ハ、ココマデ厳シク守ラナイトイケナイ、カ。入ルダケデモ大変ダナ……」

「そりゃ、禁書ってのは大抵が公に知られちゃマズい知識や記録が載ってるもんだからな。そいつを悪用しようと考える連中も世の中には巨万(ごまん)といるわけで、そういうやつらの目に触れないようにするにはこうでもしないと」

「ダガ、知ラレテハイケナイ、ナラバ、何故、本ニスルカ? 本ガナケレバ、守ラナクテモ、安心。違ウカ?」

「はは、至極もっともな質問だな。しかし知識というものは、我々人類にとっての力であり財産なのだよ。おまけに一度失えば、二度とは手に入らないものも多くてね。ゆえにどんなに危険な知識であっても、我々は可能な限り守り抜かねばならない。いつか遠い未来で人類が大きな問題に直面したとき、この禁書庫の中から解決の手立てが見つかる可能性だってあるだろう?」

「ふふ……シエンティア学長のおっしゃるとおり。ここに眠る知識は、言うなれば人の命と同じです。大切なのはあくまで()()使()()()であって、知識や命自体には何の罪も脅威もありません。ですからそれらを正しく使える見込みのある者にのみ閲覧の許可を与えて、そうでない者は遠ざける仕組みにしておりますの。他者の心を覗くことができるユニウス様と、知識の扱い方を誰よりもよく心得ている大学長、そしてここにどんな知識(たから)が眠っているのか把握している図書館長の三人で常に協議することでね」


 なるほど。とすると連合国の最高権力者であるユニウスと目の前のふたりは、さしずめ知識の番人というわけか。()()()()()使()()()()というナンニャの言葉には大いに説得力があり、グニドは思わずうなってしまった。

 特に〝命そのものには何の罪もない〟という彼女の言葉は、アビエス連合国という国家の根幹を支える思想なのかもしれないと思う。


 何せ先程の兎人や目の前にいるナンニャがそうであるように、連合国ではあまりにも当たり前に人間と獣人とが共存し、誰も種族の違いだけを理由に(いが)()ったり差別したりということをしていなかった。

 現にこの国に来てからというもの「竜人(ドラゴニアン)だから野蛮だ」とか「(けが)らわしい半獣人」などと言い出す者とは、未だひとりとして出会っていないのだから。


「ええと……それで、獣人隊商の皆さんがお探しの資料は確か、通常の神刻(エンブレム)辞典には載っていないような稀少な神刻についての記述があるもの、だったかしら」

「はい。具体的には万霊刻(イーサー・エンブレム)と呼ばれる神刻について調べたいんですけど……」

「万霊刻……万霊刻ね……初めて聞く神刻名だけれど、もしかしたら……」


 とほどなく扉からナンニャが一歩踏み込むと、途端に禁書庫内の柱に設けられた燭台が一斉にパッとともった。どうやらあれらもまたナンニャが手にしているのと同じ希灯具であるようだ。そして彼女はラッティから万霊刻の名を聞き出すや、すぐにつかつかと奥へ向かって歩き出した。グニドもそのあとに続きながら、禁書庫(ここ)地上(うえ)と違ってかなり天井が低いのだな、と思う。


 されど壁面が本で埋め尽くされている景色は変わらず、さらに壁と壁の間にも等間隔で本を敷き詰めた棚が並んでいた。

 試しに覗き込んでみると、いずれもかなり古い時代のものばかりのようで、背表紙がボロボロだったり文字が掠れてよく見えなかったりする本が目立つ。

 おまけに地下で窓もないから、ここにも濃い紙のにおいが漂っている上に(ほこり)っぽい。きっと普段滅多に人が出入りしないため、グニドたちが歩くたびに淀んだ空気が掻き混ぜられて、嗅ぎ慣れないにおいを生み出しているのだろう。


「ときに獣人隊商の皆さんは、考古学の権威であるシーカー家をご存じかしら?」

「シーカー家……ですか?」

「ええ。人世期(じんせいき)が始まった五百年ほど前から、世界中の古代遺跡を巡ってハノーク大帝国滅亡の謎を解き明かそうとしている一族のことよ。彼らはいかなる国にも民族にも属さずに、ひたすら遺跡を求めて各地をさすらい、太古に失われた知識や技術について調べているの。おかげでひとつところに留まることがないから、彼らが遺した資料もまた世界中に散在して、今では『シーカーズ・コレクション』なんて呼ばれているわ。うち、何点かが当館にも保管されているのだけれど……」


 そう言ってさらに禁書庫の奥へ歩を進めたナンニャは、ある場所へ差し掛かると不意に右手の人差し指を上げ、棚の中にぎっしりと並んだ背表紙を横になぞるようにして歩き出した。どうやらそのあたりに彼女の探す本があるらしく、グニドも思わず首を傾げて読めもしない文字の羅列を凝視する。


「あった。これよ」


 ほどなく目当ての本を見つけたらしいナンニャが取り出したのはグニドの予想に反し〝本〟と呼ぶにはあまりに粗末な出来映えのものだった。

 というのも他の本のように布や革で作られた立派な表紙があるわけでもなく、それは単に複数枚の紙切れが黒い(ひも)(つづ)られているだけの束だったからだ。

 ただ紙を綴る紐の結び目からは、糸で結わえつけられた札のようなものが下がっており、小さな文字で何か手書きされているのが見えた。


「えっと……〝シーカーズ・コレクション/一三五五〟……? ってことは……」

「ええ。これが当館で保管されているシーカー家の遺産のひとつ。通暦一三五五年に書かれたもので、収蔵の経緯は不明だけれど、とても興味深いことが書かれてあるの。こちらへ」


 ラッティが札に書かれていた文字を読み上げると、ナンニャはそう言って一同を禁書庫の隅へと導いた。そこには人ひとりが腰かけて本を開くのがやっとの古びた机があり、その上に『シーカーズ・コレクション』とやらを置いたナンニャは不意に「学長」とサヴァイを振り返る。


「申し訳ありませんけれど、ここから先は獣人(わたくし)の手で触れるのは(はばか)られるので、学長が(ページ)(めく)って下さる?」

「ああ、うむ、そうか。そうだな。マドレーン、悪いが希術(きじゅつ)で私の手を洗浄してくれないか」

「え? でも、禁書庫(ここ)って希術は使えないんじゃ?」

「蔵書に害を為す術は使えないというだけだ。すべての希術が封じられているというのなら、ここで希灯具が使えるのはおかしいだろう?」

「まあ……言われてみれば確かにそうね」

「……? ダガ、何故、今、手ヲ洗ウ?」

「貴重な資料を扱うときの常識だよ。人間の手には毛が生えてない代わりに、皮膚に脂がついてるからな。そいつが紙を汚したり(いた)めたりしちまうことがあるんだ。だから触る前に可能な限り皮脂や汚れを洗い流しておく必要があるんだよ」


 と、頭の上でヨヘンが得意げに講釈を垂れるのを聞いて、そういうものなのかとグニドは感心した。逆に獣人の手はびっしりと毛が生えているせいで、その毛が紙を傷つけてしまうおそれがあるらしい。が、だとしたら(うろこ)で覆われた竜人(じぶん)の手はどうなんだとグニドが我が手をじっと見つめているうちに、マドレーンの希術で両手を清めたサヴァイが満を持して、表紙代わりの粗末な紙──どうもこれはもとの束とは別に、後づけで綴られたもののようだ──をそっと開いた。


「ふむ……この資料は……どうやらかつて北西大陸北部に存在していたアルスラン獅子王国の獅都(しと)ティテムで、獅子宮殿(ハーン・ハルシ)の調査を行った際の記録のようだな。確か獅子王国がエレツエル神領国(しんりょうこく)の侵攻を受けて滅亡したのが一四一七年……ということは獅子王国が滅ぶ六十年ほど前に実施された調査ということか」

「ししおーこく……?」

「アルスラン獅子王国は、ルルちゃんとワタシたちが出会った北西大陸のずぅっと北の方で、たくさんの小さな国を束ねていた王さまみたいな国だったのヨ。とっても強くて優しい獅子王さまが治める国で、まるで今のアビエス連合国みたいに、人間も獣人も仲良く暮らしていた国だったらしいワ」

「うん。だけどそのせいで獣人は地上から一掃すべきって思想のエレツエル神領国と衝突して、結果的に攻め滅ぼされた……」

「でもシーカー家って、今も昔も古代ハノーク文明について研究しているんですよね? なのにどうして獅子王国の宮殿の調査記録なんて……?」

「ああ、アルンダは知らないか。神領国は獅子王国を滅ぼしたあと、獅子宮殿を徹底的に破壊したんだけど、それはあの宮殿が古代ハノーク人の遺跡を改築して造られたものだったからって話でサ。エレツエル人の遺跡嫌いは、北じゃ獣人狩りと同じくらい有名なんだよ。やつらはハノーク人の遺跡を血眼になって探しては、見つけ次第片っ端からぶっ壊していってるからな」

「まあ、そうだったの。だけど神領国はどうして古代の遺跡まで目の敵にするのかしら? ハノーク大帝国は、現代では到底再現できないほど高度な文明を築いていたと言うわ。なら遺跡の研究を進めれば、ハノーク人の知識や技術を復活させられるかもしれないのに……」

「だから神領国(やつら)は壊すんでしょ。古代の技術が二度と(よみがえ)らないように」

「え?」

「だって、そもそも希術を発明したのも古代ハノーク人だもの。希術を魔術の類だと決めつけてかかってるエレツエル人が、そんな連中の技術や思想が復活して世に広まるのを()しとするわけがないじゃない?」

「えっ……ちょ、ちょっと待って下さい。希術を発明したのって口寄せの民じゃなくて、古代ハノーク人なんですか……!?」

「そうよ? 口寄せの郷(アルカヌム)じゃわりと常識だけど、世の中ではあんまり知られていないのかしら?」

「け、けど、じゃあ、なんで口寄せの民は今も希術を継承して……も、もしかして口寄せの一族って、古代ハノーク人の生き残りだったり……?」

「違う違う。ただ、全智の神コルの神子でもあった天帝(カエサル)が、神の力で希術の存在を知って、その知識をハノーク人から盗んだのよ。そして郷の始祖である三人の大魔女に、希術を操る技能集団を創るよう命じたって話」

「……つまり口寄せの民はもともと、天帝がハノーク大帝国の脅威に対抗するために創り上げた、希術師の軍団みたいなものだった……?」

「まあ、そういう意図も少なからずあったのでしょうね。族長は当時のことをあまり話したがらないから、半分は私の憶測だけど」

「そ、そうか……そういや口寄せの郷の族長って、カエサルがシャマイム天帝国(てんていこく)を築いたときから生きてるっていう、正真正銘の不老不死だもんな……」


 と、頭上でヨヘンが震えながら呟いたのを聞き、グニドの思考は停止した。

 ……大魔女。不老不死。天帝国建国の時代から生きている?

 だが以前どこかで誰かが、シャマイム天帝国は一千年ものあいだ南西大陸を支配していた超国家だと話していなかったか?

 だとするとマドレーンの故郷の長もまた千年近く生きていることになるが……。


「して、館長殿。貴女はこの資料のどこに着目したのかな?」

「今、まさに皆さんがおっしゃっていた内容に関わるものですわ。ハノーク大帝国の時代には、現代の人智では計り知れないほど高度な文明が栄えていた……こちらのシーカーズ・コレクション、通称『一三五五(イチサンゴーゴー)』には、その当時の信じ難い技術の一端が記されていますの。すなわち、古代ハノーク人は未知なる力によって──人工の神刻を創り出していた可能性がある、と」

「じ……人工の神刻……!?」


 ナンニャの口から飛び出したまったく予想外の言葉に、一同は揃って驚愕した。

 グニドは未だ神刻という存在についてあまり詳しくはないのだが、しかし人の手で神刻を生み出すことなど可能なのだろうか?


(通常、神刻というのは石に閉じ込められた状態で地中から見つかると聞いた覚えがあるが……そもそも神刻とは神の魂から零れた力のかけらで、だからこそ体に刻むと神のごとき奇跡を起こせる、という話だったはず。だが、人間が神刻を創るということは──)


 それはもはや、人類が神の領域に足を踏み入れたも同然ではないのか。


 そう思った途端、グニドの背筋をぞっと舐め上げたのは、畏怖とも嫌悪ともつかない混乱した感情だった。何せその所業は竜人の感覚で言うなれば、決して触れてはいけないとされる精霊たちの世界に土足で上がり込み、彼らを意のままに操ろうとするようなものだ。かつてルルが精霊と交信していると知ったとき、グニドが動揺したのもまさに同じ理由からだった。だのに──


「『一三五五』の記録によれば、獅子宮殿はかつて〝ケテル神殿〟と呼ばれていたハノーク人の信仰拠点だったそうです。しかしハノーク人にとっての〝神殿〟とは神を(まつ)り、祈りを捧げるためだけの施設ではありませんでした。太古の時代、神殿に仕えた神官たちはハノーク人の中でも指折りの知識階級であり、現代で言うところの学者のような役割も担っていたはずだとシーカー家は考察しています。そしてケテル神殿は数ある大帝国時代の神殿の中でも、特に神の力にまつわる研究が盛んに行われていたそうです──学長、次の頁をご覧下さい」


 ほどなくナンニャに促されたサヴァイが緊張した面持ちで紙を捲ると、グニドらはまたしても衝撃を受けることとなった。

 何故なら次に現れた頁にはシーカー家が遺跡の内部で発見し、壁画から描き写したという神刻の絵が載せられていたのだ。その中に描かれたある模写がグニドの視線を釘づけにし、ラッティたちも同様に言葉を失っているようだった。瞬間、グニドは隣で手をつないでいるルルを振り返り、信じられない思いで牙を震わせる。


『ルル、お前……』


 そう、資料(そこ)にはグニドもとうに見慣れた、円の中の花弁のごとき四菱(よつびし)の絵があった。万霊刻──ルルが胸に宿して生まれた神刻は、太古の時代、ハノーク人たちの手によって創られた人造の神刻だったのである。


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