第一二〇話 馬なき車が走る街
翌日、グニドらはマドレーンの案内で、噂のエルビナ大学なる場所へ行ってみることになった。モアナ=フェヌア海王国で出会った文化人類学者のウーチェンやマドレーンが教授として籍を置き、またヨヘンやアルンダがかつて学生として通ったという高等教育機関である。この〝教育機関〟というのがグニドにはまだいまいちピンときていないのだが、要はマドレーンやウーチェンのような〝教授〟と呼ばれる者たちが〝学生〟なる若者に様々な知識を授ける場所……なのだそうだ。
でもってエルビナ大学の学生になれるのは〝受験〟という名の試練を乗り越えた者だけで、これを突破できるのは受験者の中でもほんのひと握りの、極めて頭脳明晰な者に限られるらしい。アビエス連合国内には他にも〝大学〟の名のつく教育機関がいくつか存在するものの、エルビナ大学はその中でも特に受験を突破するのが難しい最高学府として名を馳せているのだという。
「まあ、早い話が大学ってのは、世界中にある未知の謎を解き明かすための研究をする場所だ。で、そうした研究の結果分かったことを学生に教えることで、次代を担う研究者や、専門知識を活かした職業に就く人材を育てる場所でもあるんだよ。ただ字の読み書きや算術の勉強をするだけなら中等教育まででこと足りるが、さらに高度な勉強をしたい場合は大学に行くって感じだな」
「ムウ、ナルホド……ナラバ、アルンダハ、大学デ、飛空船ノ知識、学ンダ。ダカラ、今ハ、飛空船ヲ造ル仕事ヲシテイル、カ」
「そうよ。アテシは希工学科っていう、希術を応用した技術の研究をする学科にいたの。そこでは飛空船以外にも色んな希工学の知識が学べたんだけど、やっぱりアテシはどうしても空飛ぶ船を造る仕事がしたくって……それで大学で飛空船技師になるための資格を取って、国立希術研究所に就職したのよ」
「ツマリ、飛空船、造リタケレバ、大学、行ク必要アル、トイウコトカ?」
「まあ、基本的にはそう思ってもらって間違いないわ。一応大学に行かずに自力で勉強して技師になることもできなくはないけど、当然かなり難しいから。他にもアビエス連合国には、大学で勉強して資格を取らないと就けない仕事がたくさんあるの。医師とか弁護士とか航空士とかね」
「ホウ……デハ、ヨヘンハ、何ノ〝シカク〟持ッテルカ?」
「お、お、オイラは……オイラは特に、資格は何も取ってないけど……」
「ジャ? 冒険家ハ、大学デ〝シカク〟取ラナイカ?」
「ぷぷ……だから在学中に古物鑑定士とか学芸員の資格くらい取ったら? って勧めたのに。兄さんったら〝資格試験の勉強なんてしてる暇があったら世界中の冒険記を読みまくるんだ!〟とか何とか言って、結局何の資格も取らずに卒業しちゃうんだもの」
「う、うるさいうるさぁいッ! そうやって在学中に識神図書館に入り浸ってたおかげで、結果的にあらゆる国や民族への理解が深まったんだから別にいいだろ! おかげでオイラは今、こうして冒険家として大成してるわけだし!?」
「大成……してるのかな?」
「まあ、〝世界で最も短命な獣人〟と呼ばれながらも、二年間死なずに何とか冒険家を続けられてることを思えば一応、大成してると言えなくもない、か?」
「ああ、なるほど。つまり冒険家って何の資格も収入もないけど〝生きてるだけで偉い〟っていう職業なのね。だとしたらちょっと羨ましいわ」
「うわぁん! おまえら今に見てろよ! いつか絶対オイラをぞんざいに扱ったことを後悔させてやるからな!」
と、今日も今日とてヨヘンが頭上で地団駄を踏んでいるのを感じながら、グニドは内心、何か悪いことを訊いたようだと悟った。
が、今の話を聞く限り、大学へ行ったからといって必ずしも何かの資格を取らなければならないというわけでもないようだ。
マグナ・パレスからエルビナ大学を目指す馬車──ならぬ『希動車』の上。
グニドらは細い柱の上に雨避けの覆いが乗っているだけの奇妙な車に揺られて、アルビオンの白い街並みの中を走っていた。
この馬車から馬を取り上げたような乗り物は、ここ二、三年の間に発明されたばかりの機械で、例によって希石で動いているらしい。
馬車の馭者台に当たる部分には〝運転手〟と呼ばれる舵取り人が座っており、飛空船の操舵輪に似た丸い部品を回すことで車を操っているようだった。
現在アルビオンでは、こうした希動車と馬車とが並んで通りを走る変わった景色が楽しめる。希動車は馬で運ぶとしたらかなりの頭数が必要になりそうな大型のものばかりで、主に大量の荷物や人を一度に運ぶのに使われているそうだ。
たった今グニドたちが乗っている希動車も、大人の人間だけなら二十人は乗せられる代物らしく、獣人隊商の他にも数名の乗客が相乗りしている。
こうして人を運ぶ希動車は特に『乗合車』と呼ばれ、アルビオン内の大きな通りを一日中ぐるぐる回っているらしかった。で、行く先々で乗合車に乗りたい者を拾い、運賃をもらって目的地まで運んでやるという新しい事業が生まれ「アルビオン市民はもちろん観光客にも大人気!」とはアルンダの言だ。
そのアルンダは、昨日は一度家に帰ると言ってマグナ・パレスを去ったのだが、今朝になるとまた姿を現して、グニドらと共にエルビナ大学へ行くことになった。
というのも昨夜、家族のもとへ帰ったところ、ヨヘンの帰郷を知った親兄弟から「引っ張ってでも連れて帰ってこい」と言われたらしく、それを伝えに戻ってきたのだ。ところがヨヘンがグニドの鬣にしがみつき、例によって「イヤだ! 帰らない!」とゴネるので、仕方なく一日グニドらのアルビオン観光に付き合ってから連れて帰る、という話になった。
もちろんヨヘンには内密に、あとでラッティが強引に拉致するという方法で。
『ふわあ~! グニド、みて、みて! あのお店やさん、なんだろう!? 子どものナムがたくさん!』
『むう……本当だな。あれは……綿? 人間が綿を食ってるのか……?』
『えっ。わた、って食べれるの? ルル、知らなかったよ!』
『う、うむ、おれも初耳だ。隣で売ってるのも見慣れない食い物だな……あっちは白い……白い……巻き糞……?』
『え……!? アルビオンのナム、うんち食べるの……!?』
「あら、ルルちゃん、もしかしてわたあめが気になるの? それともソフトクリーム? 確かにどっちも他の大陸では見ないお菓子だものネ」
「おかし……!? しろいうんち、おかしなの……!?」
「えっ? 白い……なんですって?」
とポリーが面食らった様子で聞き返せば、隣で聞いていたラッティが突然吹き出して笑い出した。聞けばグニドが〝白い巻き糞〟呼ばわりしたアレは氷菓の一種らしく、海王国でルルが喜んで食べていたココナッツクリームのような甘い蜜を冷やして巻いたものなのだそうだ。
さらには隣の出店で売られている菓子も、砂糖を綿のようにふわふわに加工したものだとかで、あまりに奇天烈な食い物の数々にグニドは目が回りそうになる。ここまでの旅で、国や種族が変われば食い物も変わるというのはある程度理解したつもりだったが、それにしても連合国の食文化は未知と不思議でいっぱいだった。
「まあ、連合国は希工学が発展したおかげで、今や季節や気候に合わない作物でも自由に栽培できる上に、冷蔵だの冷凍だのって保存技術も向上したからね。おかげで有り余るほどの食糧を自給できるようになったから、自然、食べ物の種類もどんどん増えていってるんだよ。さっきのわたあめやソフトクリームも、希石を動力にした機械を使って作られるものだし」
「ムウ……デハ、連合国デハ、食イ物ニ困ルコト、ナイカ」
「今のところはね。ただ希工学の普及が当初の想定よりもずっと早いペースで進んでいることで、色々な問題も噴出してるの。希術は確かに人々の暮らしを便利で豊かにしてくれるけど、希石の需要が高まりすぎて生産が追いつかなくなってるし、何より霊石が枯渇すればそもそも希石が創れなくなるわ」
「霊石……ハ、希石ノ素ニナル石、カ?」
「ええ。私は霊石谷への立ち入りが禁じられて久しいから、あの谷に霊石がどれくらい残ってるのか正確には知らないんだけど……霊石は大地から滲み出た特殊な霊子が、何百年もかけて集まった結果生まれるものなのよね。つまり一度枯渇してしまえば、次は数百年先まで手に入らないことになるわ」
「えっ。そ、そうなんですか……!?」
「もちろん霊石の鉱脈は他にも存在するから、そう簡単に採り尽くされてしまうってことはないけれど、有限な資源であることはまぎれもない事実よ。だから今は希石以外の動力の開発が急務なのよねぇ。ユニウスの話じゃ、希石の生産を担ってる口寄せの民からも希工品の製造や開発を制限しろって苦情が出始めてるらしいし、今のままだと、アイテール教団の次は口寄せの郷が連合に反旗を翻すかもね」
「そ、そんな……! で、でも、マドレーンさんだって一応口寄せの郷の出身ですのに、まるで他人ごとみたいな口振りですのネ……?」
「そりゃ私は一族を追放された身ですもの。別に郷を恨んだりはしてないけれど、百年も外界で暮らしてると、どうしても関心がなくなるのよね。郷の姉さんたちとも大戦以来会ってないし」
「姉さん? マドレーンさんってお姉さんがいるんですか?」
「ああ、違う違う。口寄せの郷では血縁関係がなくても、自分より年上の魔女はみんな〝姉さん〟なの。あの郷は男子禁制で女しかいないから、擬似的な姉妹関係を築くことで一族の結束を強めてるのよ」
「女シカ、イナイ……? ナラバ、交尾ハ、ドウスルカ?」
「ちょ、ちょっとグニド、公共の場でなんて質問をするのヨ!! 小さい子だっているっていうのに!!」
「ジャ……!? ポリー、何故怒ルカ……!?」
グニドとしては素朴な疑問を呈しただけのつもりだったのだが、唐突に激昂したポリーに隣の座席からバシバシ叩かれ、動揺せざるを得なかった。
彼女は時々こうやって、わけが分からないタイミングで怒り出すことがある。
普段隊商の中では最も温厚な性格のポリーが、突如全身の毛をぶわっと逆立てて怒り出すと、さすがのグニドもたじたじだ。ところが結局、ポリーがなにゆえ怒り出したのか分からないまま乗合車は目的地に到着し、グニドらは揃って降車することとなった。車の先頭から突き出た運転席で、カランカランと金色のベルを鳴らした運転手が、よく通る声で停車場の名を告げている。
「エルビナ大学前~、エルビナ大学前~。お降りのお客様はお忘れものにご注意下さい」
かくして乗合車から降り立ったグニドらを待ち受けていたのは、見上げるほど立派な白壁と鉄の門だった。グニドがあんぐりと口を開けながら見上げたその門は、高さが優に半枝(二・五メートル)を超えている。
門は一見、白く巨大な鉄格子のようにも見えたが、ところどころに精緻な装飾が施されており、中でも唯一色が塗られた紋章が気になった。
晴天を思わせる鮮やかな青地の円盤に描かれた黄金の菱形。
横倒しになったそれの真ん中には人間の目玉を思わせる図柄が彫られ、さらに目玉から放射状に、菱形を内から突き破るようなギザギザが伸びている。
あのギザギザは太陽から降り注ぐ光のように見えなくもない。そんな金色の目玉のような紋章が、ぴったりと閉じられた門の真ん中に掲げられているのだ。
そして門の左右に伸びる壁もかなり高く、ところどころに垂れた緑の蔦が、蝋細工に似た質感の空色の花を咲かせていた。
「ふわあ~、おっきな門……! でも、とじてて、中、はいれないよ?」
「チュチュ、そりゃこの時期大学は夏休みだからな。特に年末から六聖日にかけては教授陣も大学に来ないから、学内には滅多なことじゃ入れないんだよ」
「じゃあ今、大学の中は無人ってこと? いくら教授が一緒とはいえ、そんなときに部外者のアタシらがお邪魔しちゃって大丈夫ですかね?」
「平気よ、学長には先に話を通しておいたから。あなたたち、識神図書館に用があるんでしょ? 明日から六聖日が明けるまで、年末年始休暇で図書館も閉館するから、今日を逃すとしばらく禁書庫へは入れなくなるわ。六聖日が明けると今度は連合首脳会議が始まって、入庫許可をもらうどころじゃなくなるだろうし」
「あ、そっか……首脳会議となるとユニウスさんも忙しくて、アタシらに構ってる時間なんてなくなりますもんね。けど、確か識神図書館の禁書庫に入るには、大学長か図書館長の同行も必要って話だったような?」
「ええ。だから大学で学長と待ち合わせたの。識神図書館は大学の敷地と隣接してるし、どのみち大学長からも入庫許可をもらわなきゃいけないわけだから、こうすれば手っ取り早いでしょ?」
「わあ、さすがですね、マギステル教授。連合国広しと言えど、ホリデーシーズンに臆面もなくシエンティア学長を呼び出して顎で使える人なんて、きっと教授かリベルタス提督くらいしかいませんよ」
「あら、いやね、アルンダったら。褒めても何も出ないわよ?」
「ああ……なんか会う前から可哀想になってきたなあ、その学長さん……」
と遠い目をして言うラッティを余所に、上機嫌のマドレーンはつかつかと門へ歩み寄るや、そっと手を触れて何事か小さく唱えた。すると直後、中心に掲げられた目玉の紋章が真ん中からぱっくりと割れ、ひとりでに門が開いていく。
普通に押し開けようと思ったらグニドでもそこそこ苦労しそうな巨大な門は、一行が通り抜けると今度はひとりでに閉じてゆき、最後にはガシャンと錠の下りる音がした。まったく本当に希術とは便利なものだ。しかし仮に先程マドレーンが言っていたように、希石の素となる霊石が世界中で採り尽くされてしまっても、口寄せの郷の魔女だけは変わらず希術が使えるのだろうか?
「おぉ~! 久しぶりに帰ってきたぜ、なつかしき我が学び舎よ!」
やがて門をくぐった先に伸びる樹木の隧道を抜けると、途端に明るく視界が開けて、夏の陽射しを反射する真っ白な石畳の広場が見えた。
広大な円を描く広場の真ん中には、マグナ・パレスの中庭にもあった〝噴水〟という名の人工の池があり、噴き出した水が涼やかな水音を立てている。
さらに広場を取り囲むようにしていくつもの巨大な建物が立ち並び、あれは一体何層になっているのかと、グニドはまたしてもあんぐりと口を開けて天を仰いだ。
ただ意外なことに、広場を囲む建物はいずれも白くない。
そのほとんどが茶色や黄土色の煉瓦を積んでがっしりと造られていて、グニドはアルビオンに来てから初めて白くない建物を見たような気さえした。
「いや~、なつかしいな~。ここに来るのも卒業以来だから二年半ぶりか? しかし全然何も変わってないな」
「そりゃ二年ちょっとじゃそんなに様変わりしないわよ。そもそも兄さんはなつかしむほど長く通ってないじゃない。寸期課程で一年しか在学しなかったんだから」
「あれ、そうなんだっけ? アタシはてっきり、ヨヘンもアルンダと同じ短期課程卒だと思ってたよ」
「アテシのいた工学部は最低でも二年は在学しないといけない決まりがあったから短期課程で入ったけど、兄さんのいた人文学部は一年でも学士の称号が取れちゃうのよ。もちろんその分、卒業試験はかなり厳しめだけど」
「フン、鼠人族の命は短いからな。オイラたちの一年は人間の四年に匹敵すると言われるくらいだ。つまり研究職を目指すんでもない限り、三年も四年も大学に通い続けるのは遊んでるのとおんなじなんだよ。だから大学も鼠人族だけは特例で三歳からの入学を許可してるわけだし?」
「ム……? デハ、ヨヘン。オマエ、今、何歳ダ?」
「え? 言ってなかったっけ? オイラもアルンダも年が明けたら七歳だよ」
「じゃあ人間年齢に換算すると三十近いオッサンってわけだ。そう考えるとまあ、そりゃ周りに色々言われるよな……」
「う、うるさいうるさいっ! そいつはあくまで人間年齢に換算したらってだけの話で、オイラはまだピチピチの七歳児なんだぁいっ!」
と、ヨヘンが再び頭上で暴れ始めた震動を感じながら、確かにコレで三十歳は無理があるな……とグニドも内心納得した。竜人の感覚で言えば、三十歳ともなれば世の中の酸いも甘いも噛み分けた老境に差しかかり、歴戦の戦士としての貫禄が漂い出す頃だ。一方ヨヘンはといえば、見た目がひどく小さいせいもあるが、精神年齢的にはルルといい勝負ではないかとグニドなどは思っている。
もっともヨヘンと同じ年に生まれたというアルンダや、一つ年上だというスジェは年相応に落ち着いているところを見ると、あくまでヨヘンが例外なのだろう。
「──ずいぶん賑やかだな。そちらのご一行が噂の獣人隊商か?」
ところがグニドがいい加減、暴れるヨヘンを頭から振り落とすべきか否かと考えていると、突如噴水の向こうから知らない男の声がした。驚いて目をやると、水飛沫を上げる白い柱の向こうからひとりの人間が姿を現す。
分厚い書物を片手にやってきたのは藁のような植物で編まれた、妙に高さのある帽子を被った男だった。書物を抱えたのと逆の手には、持ち手の部分が鳥の姿をした杖を携えていて、足が悪いのかと思ったがそういうわけではないらしい。
その証拠に歩み寄ってくる男の足取りはしっかりしており、軽く帽子の鍔を上げると、褪せたような宍色の髪と淡い青色の瞳が見えた。
「あら、サヴァイ。先に来てたのね」
「当然だ。紳士たる者、約束の時間よりも四半刻(十五分)は早く到着し、相手を待たせないのが礼儀というものだろう」
「この暑いのに相変わらずクソ真面目な男ね。どうして天はあなたとヴェンを足して二で割る手間を惜しんだのかしら」
「たとえ天の采配だったとしても、やつの魂を半分押しつけられるくらいなら私は潔く自決するぞ」
「そう言うと思ったから、今日はあの飲んだくれをマグナ・パレスに置いてきてあげたのよ。私の気遣いに感謝してよね」
「はあ……お前もヴェンも、海の向こうの世界を見てくれば少しは変わるのではないかと期待したのだが、やはり儚い希望だったか……」
「相変わらずご苦労されてますね、シエンティア学長……」
と、ラッティの肩の上にいるアルンダから同情と哀れみの眼差しを注がれているその男こそ、どうやら噂のサヴァイ・シエンティアらしかった。
マドレーンからは事前に「ヴェンと同郷の人間だ」と聞いていたから、グニドはサヴァイも体つきががっしりしていてあちこち毛むくじゃらな男なのだろうと想像していたのだが、実際に対面した彼はヴェンの印象とはまるで正反対だ。
何せサヴァイはヒゲも生えていなければ、五分丈の上着の袖から覗く腕もツルツルしている。喉もとまでぴっちり閉じられた襟つき上衣を着ているせいで胸もとは見えないものの、きっとそちらもヴェンのようにモジャモジャしてはいないのだろう。体つきは線が細いというほどではないが決して筋肉質ではなく、立ち姿からは全体的に清潔感が漂っている。衣服の着こなしもだらしなく、常に酒のにおいをプンプンさせているヴェンとは水と油のような男だなとグニドは思った。
「はい、というわけでこの哀愁漂うくたびれたおじさまが、何を隠そう我がエルビナ大学の学長サヴァイ・シエンティアよ。サヴァイ、こちらは昨日話した獣人隊商の隊長で狐人の血を引くラッティさんと、以下愉快な仲間たち。彼女たちを今日、ここへ連れてきた理由は覚えてるわよね?」
「無論だ、人を年寄り扱いするな。君たちの話は聞いているよ、ラッティ君。北では連合国の問題児どもがずいぶん世話になったようだな。礼を言おう」
「いえいえ。経緯はどうあれ、かのエルビナ大学の学長サマとこうしてお知り合いになれて光栄ですよ。今日はアタシらのワガママに付き合ってもらえるみたいで、お休みのところすみません」
「ああ、識神図書館に所蔵されている禁書を閲覧したいという話だったな。何でも奇妙な神刻の情報を集めているとか……?」
「え、ええ。アタシら、普通の神刻事典には載ってないような変な神刻と縁があって……そいつがどういう由来のモンなのか、きちんと調べておきたいんですよ。んで、世界中の書物を蒐集してる識神図書館でなら、何か有力な手がかりを見つけられるんじゃないかと思って」
「ふむ。確かに全智の神コルの名を冠したあの図書館には、大抵の書物が揃っている。災害や動乱でほとんどの史料が消失したとされる、暗黒期の貴重な書物さえもな。しかし入庫許可を与える前にひとつ訊いておきたい。君たちはその奇妙な神刻とやらとどういう関わりがあるのかね? 獣人族の血を引く者は一部の例外を除いて、神刻を刻むことはできないはずだが……」
と問いかけたサヴァイの視線が刹那、何もかも見透かしたように傍らにいるルルへと向けられたのを見て、グニドは思わず身構えた。
そして同時にマドレーンへ視線を送り「話したのか」と眼だけで問いかける。
するとマドレーンは首を横に振ってから、ため息と共に肩を竦めた。
かと思えば彼女は呆れたように腕を組み、次の瞬間、グニドが常々『何のためにあんなに尖らせているのだろう?』と疑問に思っていた靴の踵を持ち上げて──直後何の前触れもなく、思い切りサヴァイの左足を踏み抜いた。
「──ッいったぁ!? おいマドレーン、何をする!?」
「それはこっちの台詞よ、この頭でっかち男。彼らの事情は深く聞かないであげてと言ったでしょ? ほんっと一から十まで説明しないと納得しないんだから。相変わらず面倒くさい男ね」
「ひ、人聞きの悪いことを言うな! わ、私はただ、彼らがもしその万霊刻とかいう特殊な神刻を所持しているのなら、要らぬ災いを呼び寄せるのではないかと案じただけで……! 現にエレツエル神領国が血眼になって探している神刻なのだろう!? ユニウスも当然知っているんだろうな!?」
「ユニウスには今朝、入庫許可をもらうときにさらっと話しただけだけど、彼はあなたみたいにズケズケと他人の事情を穿鑿しようとはしなかったわよ。ただ彼らが万霊刻と妙な関わり合いを持ったせいで神領国のカラスどもにつけ狙われてると話したら、すぐに許可証へサインしてくれたわ。他に力になれることがあればいつでも言ってほしい、なんて紳士的なひと言で済ませてね」
「ぐぬっ……!」
「分かったら、あなたもさっさと許可証にサインなさい。で、黙って識神図書館までついてくればいいのよ。いざってときはユニウスか私が何とかするし、そもそもあなたが気を揉んだところで、どのみち神刻についての情報を集めるくらいしかできないんだからでしゃばらないでよね」
「……なあ、アルンダ。サヴァイさんってマドレーンさんの上司なんだよな?」
「ええ……一応、肩書き上はね」
とやはり同情と哀れみの眼差しを湛えて告げたアルンダが見つめる先で、サヴァイはマドレーンから突き出された入庫許可証を受け取り、泣く泣くといった様子でペンを走らせた。これには彼のことをよく知らないグニドでさえも深い同情を禁じ得なかったが、すべてはルルのためと思えば仕方がない。
そう、グニドらが今日、エルビナ大学を訪れた理由はただひとつ。
十年前、砂漠でルルを拾ったときからずっと謎に包まれていた、万霊刻の秘密を解き明かすことなのだから。




