第一一四話 夜半、星屑の海にて
二刻(二時間)ほどの神殿見学を終えたあと、グニドたちは神官長やプアカ、そしてウーチェンに別れを告げてヤムタンガ宮殿を目指した。
ウーチェンは街の宿屋に部屋を取っているらしく、そちらへ戻ったようだ。
彼は明日も引き続き神殿へ行って、神官たちから色々な話を聞くつもりだそうだが、グニドらは明朝にはモアナ=フェヌア海王国を発つ。
その予定を聞いたウーチェンはホホと笑うと、
「では明日は久しぶりに早起きをして、お見送りさせていただくとしましょう」
と告げて去っていった。一行がヤムアンガ神殿を出た頃には日はすっかり傾き、夕闇が空を覆っている。都のあちこちからは夕飯の煮炊きの煙が上がり、海から吹く潮風に乗って、嗅いだこともない不思議なにおいがいくつもした。やはり国が違えば飯のにおいもまるで違うのだなと思いながら、グニドは碧都マリンガヌイの象徴でもあるヤムタンガ宮殿──その門へ向かって伸びる階段を登ってゆく。
「ふわあー! グニド、みて! たかい、たかーい!」
と、やがて長い長い階段を登り切った頃、グニドに抱かれながら眼下の街並みを見下ろしたルルがはしゃいだ声を上げた。
つられて振り向いてみれば、なるほど、確かに高い。ヤムタンガ宮殿は都を一望できる高台の上にあり、まさにこの国の王が暮らすのにふさわしい眺めだ。
(……というか、さっき神殿でプアカの話を聞いたときに気づくべきだったが──おれたちはどうやら今夜、王の宮殿に泊まるらしいな……)
という事実にグニドがはたと気がついたのは、神殿の敷地を出てウーチェンと別れたあとのこと。
宿へ戻るという彼を皆で見送っていると、マドレーンが急にパンと手を叩いて、
「さて、それじゃ私たちもそろそろ宮殿へ向かいましょうか」
と至極当然のことのように言い出したのを聞き、
「……ン?」
と、やっとのことで〝宮殿〟とはどうやら王の住居のことらしいという事実に思い至ったのである。もちろんグニドもそこでようやく焦り、本来王が住むべき場所に自分たちのような部外者が足を踏み入れていいのかと尋ねた。
が、それを聞いたマドレーンはやはり当たり前みたいな顔をして、
「いいに決まってるじゃない。だって私たちは宗主や女王の身内だもの」
と、人間の世界の常識についてはまだまだ疎いグニドには、正しいのか正しくないのかいまいち判断しづらい理屈を捏ねた。
しかし確かにマドレーンやヴェンはアビエス連合国の英雄かもしれないが、グニドらは他の大陸からやってきた余所者である。ならばマドレーンはよくても自分たちの立ち入りは断られるのでは、とグニドがさらに問い重ねると、
「大丈夫よ。海王国の宰相さんは確かに堅物だけどその分義理堅いから、女王の友人の言うことなら何でも聞いてくれるわ。まあ、仮に断られたとしても、こうやってきちんとお願いすれば分かってくれるはずだし、ね?」
と、笑いながらパチンと指を鳴らされてグニドは黙った。何故なら軽快に擦り合わされたマドレーンの指先からは、明らかに希術の火花が散っていたから。
「──マグナ・パレス希術顧問のマドレーン・マギステル様ですね」
ところがグニドらが高台から水平線に沈みゆく夕日を眺めていると、不意に背後でマドレーンを呼ぶ声がした。気づいたグニドらが振り向けば、そこには青い布で装飾された軽鎧に身を包んだ人間がいる。左手には矛先を天に向けた槍を携えているところを見ると、どうやら彼は宮殿を守る海王国の戦士のようだ。
「ええ、確かに私がマギステルだけれど」
「お待ちしておりました。先にご来臨された第一空艇団のリベルタス提督よりお話は伺っております。ようこそ、モアナ=フェヌア海王国へ」
戦士は終始真面目くさった顔でそう言うと、槍を握っていない方の手の指を三本ばかり立て、その手を左胸に当ててみせた。
あとから聞いたところによると、何でもあれは海王国流の敬礼らしい。
敬礼といえばルエダ・デラ・ラソ列侯国では、義勇軍の戦士たちが時折片手を胸に当て、右から左へ弧を描くように動かす仕草をしていたが、あの敬礼は万国共通のものではなかったということか。同じ人間でも国によっては礼儀作法すら違うのだなと、グニドは思わず感心して戦士を眺めた。
「そちらのお連れ様方は……北西大陸からいらしたというお客様ですね」
「ええ。こっちのアルンダは本国の技師だけれど、他の面々はみんな海外からの客人よ。今夜は彼らと一緒に宮殿に泊めてもらうつもりで来たのだけれど」
「はい。カフランギ宰相閣下より、ご到着し次第、貴賓室へお通しするよう仰せつかっております。どうぞこちらへ」
依然しかつめらしい口調でそう言うと、戦士はグニドらを促すように踵を返し、宮殿へ誘う素振りを見せた。それを見たマドレーンはちらりとグニドらへ目を向けるや、満足そうに片目を瞑ってみせる。……とりあえず〝宰相〟なる人物が彼女の希術の餌食になる未来は避けられたようだ。
「うへえぇ……! 海王国には何度も来てるけど、宮殿の中まで入れるのはさすがに初めてだぜぇ……!」
と、ほどなく戦士の後ろについて歩き出したグニドの鬣をぐいぐい引っ張りながら、頭上のヨヘンが興奮した様子で声を弾ませた。
竜人にかかればひと握りで潰せてしまうほど小さな鼠人の腕力で引っ張られたところで、鬣は別に痛みはしないのだが、鬱陶しいのでやめてほしい。
だがいざ宮殿の周りに巡らされた壁を抜け、門をくぐって敷地の中へ入ってみると、ヨヘンが興奮する理由も少しは分かる気がした。何しろ門を抜けた先で思わず見上げたヤムタンガ宮殿は、あまりに巨大で壮麗だ。
(これは……ヤムアンガ神殿の倍くらいはありそうなでかさだな)
外壁を青く飾っているのは、やはり無数の神殿文字が描かれたタイル。
宮殿の本体と思しき建物の上には、天から滴る雫に似た奇妙な形の──譬えるなら、あれは人間たちが〝玉葱〟と呼ぶ野菜に似ている──造形物。それはよくよく見てみると、青く着色された硝子で覆われた物体であることが分かる。
さらに敷地の角に当たる宮殿の四方には、同じ天の雫を戴いた四本の塔。
その塔は宮殿の建物とは直接つながってはいないものの、目を凝らしてみると、天辺の雫の中で火が燃えているのが見えた。麓から見上げても分かるほど大きな火だ。しかも青い硝子の向こうで燃えているためか、炎は青く輝いているように見える。何とも幻想的で目を奪われる光だった。
「ヨヘン。アノ青イ火ハ何ダ?」
「ん? おお、ありゃ〝蒼炎〟だな。神々の加護で宮殿を守ってもらうために、ああやって神聖な火をともしてるんだよ」
「神聖ナ?」
「おう。そもそも天界には水を司る神様が五柱いてな。泉の神ラフィと川の神ベラカ、雨の神タリアと海の神ヤム……そしてその四柱神を統べるのが、大いなる水の神マイムだ。あの四つの塔は水の四柱神を表してて、天辺で燃えてるのは海王国では聖油とされてるヤシの油。つまり蒼炎は、王家の信仰の証として燃やされてるもんだってことだ」
「ムウ……水ノ神、五人モ居ルノカ……」
「そりゃ水には色んな形がある上に、人類が生きてく上で絶対に欠かせないもんだからな。水の神様の存在は、エマニュエルではそんだけ重要ってことさ」
「チュチュ。ちなみにあの青い硝子の屋根は〝パタ〟っていって、主殿にある一番大きなパタがマイム様を表してるそうよ」
「あっ、おい、アルンダ! オイラの台詞を取るんじゃねえ!」
「何よ、アビエス人なら誰でも知ってることなんだから、アテシが話したっていいでしょ!?」
などと、またもや鼠人の兄妹が啀み合い始めたのをやれやれと聞きながら、グニドはいよいよ宮殿の入り口をくぐった。すると当然のように宮殿の内部も青い。
が、ヤムアンガ神殿と違うのは、視界のすべてを覆い尽くすほど青いわけではない点だ。海王国の気候に合わせて風通しをよくするためか、可能な限り壁が取り払われた屋内には何本もの柱が林立していた。
青いタイルで覆われているのはその柱と床、そして壁の一部だけで他は白い。
ルエダ・デラ・ラソ列侯国で見た、まだ誰にも踏まれていない雪の白だ。
この青と白との対比がヤムアンガ神殿とはまた違った美しさで、グニドは思わず喉を鳴らした。今は西日で全体が赤みがかっているが、白日の下で見ればさらに白さが際立って、より美しく映えるのだろう。
「へえ、こりゃすごいな……ヤムタンガ宮殿は一度、シャマイム天帝国に破壊され尽くしたって聞いたけど、たった二十年でここまで立派に再建したんだ」
「そうね。不幸中の幸いと言うべきか、宮殿の設計図は当時天帝国軍の襲撃を受けなかったヤムアンガ神殿に保管されていて、そのおかげでかつての宮殿を完全に再現できたんですって」
「マナキタンガ女王がいつご帰還されてもいいようにって、ユニウス様が宮殿の再建を全力で援助されたらしいですもんね。アテシは再建前の宮殿を知らないけど、知ってる人から見ると、本当に昔の宮殿そっくりに建て直されてるらしいわよ」
と、マドレーンの肩に乗ったアルンダが無邪気に話すのを聞いて、グニドはつと胸を衝かれた。
そうか。この宮殿もまた、かつてのマナの仲間と海王国の民が彼女を想って造り直したものなのかと思うと、どうしても先程のプアカの話が脳裏をよぎる。
(連合国では誰もがマナの帰りを待っているのに……あいつの呪いを解く方法は、本当にどこにもないんだろうか)
叶うことなら、グニドも生まれ変わったヤムタンガ宮殿やマリンガヌイの街並みをマナに見せてやりたいと思う。
人間とはまったく異なる価値観の中で生まれ育った自分でさえ美しいと感じるものを、誰よりも故郷を愛していたという彼女が喜ばないはずがないから。
「よお、お前ら。ずいぶん遅かったじゃねえか──ヒック」
ほどなく戦士に案内されたグニドらが貴賓室と呼ばれる部屋の扉をくぐると、そこには酒のにおいをぷんぷんさせたヴェンと、疲れ切った表情をしたエクターの姿があった。どうやらグニドたちの到着を待つ間、ヴェンはユニウスやマナの知己であるという事実を笠に着て好き放題していたらしく、彼の腰かけた椅子の周りには何本もの酒瓶が散乱している。他方、ボサボサの毛並みを直す気力すら失くしたらしいエクターは、何か悟り切ったような、諦めたような顔をして、
「やあ、皆さん……マリンガヌイ観光は楽しめましたかな?」
と、力なく片手を挙げた。
途端にグニドは、何やら猛烈に申し訳ない気持ちになった。
「ええ、おかげさまであちこち観光できて、なかなか有意義な時間を過ごせたわ。宰相さんには会えたの?」
「おー。ちょっくら北西大陸まで遠征した帰りで疲れてるから、ひと晩泊めてくれと頼んだらすんなり了承してくれたぜ。謝礼はユニウスに払わせるっつったら真顔で〝結構です〟と断られちまったけどな」
「まあ、そりゃそうでしょうね」
「しかし残念なことに、カフランギ宰相閣下は今夜、どうしても抜けられない会合があるとかで……それまでに間に合えばマドレーンどのにもぜひご挨拶を、とおっしゃっていたのですが、恐らく今日はもうお会いになれないでしょうな」
「あら、そう。まあ、私は別にあの狭い船室の外で寝られるなら何でもいいから気にしないけど、向こうは気にするでしょうから、明日の朝にでも会ってくるわ」
「おー、そうしろそうしろ。で、約束の酒は?」
「ヴェンさん、既にもう充分飲んでますよね?」
「バカヤロウ。仮にもこいつは、宰相閣下が客人をもてなすために出してくれた高級酒だぜ? そんなもん、さすがの俺でも遠慮して喉を通らねえっての。だからこれっぽっちの量で我慢して、お前らの帰りを待ってたんじゃねえか」
「え……? この量で遠慮した方なの……?」
「お酒ならさっきアンガ・バザールで買ったけど、重くて持ち歩きたくなかったから艦に届けさせたわよ。飲みたいならあなただけ港に戻ればいいんじゃない?」
「はあ~!? 何だそりゃ、約束が違うじゃねえか、マドレーン!」
「確かに島で一番いいお酒を奢ってあげるとは言ったけど、買ってすぐに飲ませてあげるとは言ってないでしょ。ちゃんと言質を取らないあなたが悪いわ」
「かーっ、これだからこの女は……! 二百年以上生きてるくせに、なんで肝心なところでいつも気がきかねえんだよ!」
「そんなの、全部あなたへの嫌がらせだからに決まってるじゃない。さ、それじゃ女性陣は隣の部屋へ移動しましょっか。せっかく宮殿に一泊できるっていうのに、こんなお酒臭くてむさい部屋で一夜を過ごしたくないものね」
そう言っていつもの調子でにこりと笑ったマドレーンは、ヴェンの罵声をものともせずにラッティとポリー、アルンダを引き連れて隣の部屋へ消えてしまった。
客室はどうやらふたつの部屋が扉でつながっている造りのようで、それぞれを男と女で分けて使うつもりのようだ。
ということは、ルルもあとで向こうの部屋にやらなければならないなと思いながら、グニドは彼女を下ろすために寝台へ歩み寄った。
ところが、これがかなりでかい。部屋自体も広々として、複数人で使ってもまったく窮屈さを感じないほどなのだが、寝台の広さも特大だ。少なくとも列侯国のサン・カリニョには、グニドの体格では体を縮めなければ横になれない大きさの寝台しかなく──無名諸島に至っては床の上に転がって寝るだけだった──まあ、人間のために作られた寝床なのだから仕方がないかと思っていた。
飛空船の船室にある寝台も同じで、あそこは部屋自体が狭いから、限られた空間に収めるためには寝台も小さくならざるを得ない。だからグニドは飛空船に乗ってからも、床に布を敷いて寝ていた。が、この寝台の大きさはどうだ。
これほど広ければグニドとクワトが並んで横になっても収まるに違いない。
しかもチクチクして不快極まりなかった枯れ草の上に布を敷いただけの列侯国の寝台とは違い、海王国の寝台は触ってみるとふかふかしている。
何かの植物を編んで作られた土台の上に、分厚い敷物のようなものが置かれていて、それが非常にやわらかいのだ。飛空船の寝台も似たような造りだが、敷物はここまでやわらかくなかった。試しにそっとルルを下ろして座らせてみると、彼女の体重を受けた敷物はゆっくりと、ルルの尻を包むように沈み込む。
あまりにもやわらかすぎて、きっと雲に座ったらこんなだろうと思えるほどだ。
「ふわあ~! グニド、すごい、すごいよ! ここ、とってもふかふか!」
「ウム……ダガ、寝ルトキ、暑クナイカ?」
「心配ご無用だ、グニドどの。この客室は空調設備が整っているからな。現に外と比べて中はずいぶん涼しいだろう?」
「……? 言ワレテミレバ……ダガ、クーチョーセツビ、トハ何ダ?」
「冷却具のことだよ。さっき神殿で見た希灯具と同じ希工品さ。暑い場所の空気を冷やして、常に快適な温度にしてくれる優れもんなんだ。さすがは宮殿の貴賓室、居心地も寝心地も最高だぜ! ヒャッフー!」
とグニドの疑問に答えたヨヘンまでもが寝台の上へ飛び降り、ルルと一緒にふかふかの上へ転がった。するとクワトも興味が湧いたのか、歩み寄ってきてしげしげと寝台を観察している。かと思えば彼も試しにといった様子で、まだ誰も使っていない隣の寝台に横になった。次の瞬間、クワトは天井を仰いでカッと眼を見開き、猛烈な勢いで寝台の上を右へ左へ転がり始める。
……どうやら寝心地を気に入った、というか、無名諸島にはなかった未知の感触に興奮し、彼なりの方法で堪能しようとしているようだ。それからほどなく、例の宰相なる人物の使いという者がやってきて、夕飯の支度ができたと告げられた。
さっきエクターが話していたとおり、宰相は用事があって来られないそうだが、グニドらをもてなすための食事を用意してくれたらしい。言われてついていってみると、大きな食事用の卓が置かれた別室には食べ切れないほど様々な酒と料理が準備されていた。基本的に肉しか食べないグニドは気づかなかったが、ラッティたち曰く、いずれも王族が好んで食べるような高級食材ばかりだったそうだ。
かくして庶民は滅多に食べられないような最高の料理に舌鼓を打ったグニドたちは、食事を終えると部屋へ戻り、銘々体を休めることにした。
部屋を男女で分けるならと、ルルにはラッティたちと一緒に寝るよう勧めたが、せっかく広々とした寝台を使えるのだから、今夜はグニドと一緒に寝たいという。
ルルがそう言うのならまあいいかと、グニドは納得して彼女と同じ掛け布の下にもぐった。そもそも公衆浴場でもそうだったが、人間は何故寝床や風呂を男女で分けたがるのかをグニドは知らない。
なのでルルが望むのならそうすべきだと、ただ素直に思っただけだった。
彼女が今夜は男部屋で寝る、と知ったヴェンからは、
「まあ、お前が人間だったら絵面的にちょっと問題だが、獣人ならギリギリ許されるんじゃねーの」
と、よく分からない感想を述べられたが。
(ふむ……ルルはもう寝入ったか)
そうして彼女と共に寝床に就いてから、どれほどの時間が流れただろうか。
すっかり火を落とされた室内には暗闇と静寂の帳が下り、それぞれの寝台に潜り込んだ仲間たちの寝息が聞こえた。静まり返った部屋の中にヴェンの鼾だけがやかましく響き渡っているのが気になったが、薄い掛け布の下でぴたりとグニドにくっついたルルはその騒音をものともせずにすやすや寝ている。
きっと見知らぬ街で一日はしゃぎ回ったあとで、疲れが溜まっていたのだろう。
窓から射し込む月明かりの中、グニドは波打つような癖のあるルルの鬣を手慰みに撫でやった。自分もあちこち歩き回ってそこそこ疲れているはずなのだが、何故だか目が冴えて眠れないのだ。
かと言ってひとりで起き出したところでやることもないし、どうしたものかと思いながら、かれこれ一刻(一時間)以上過ごしているような気がする。
(うーむ……ルルは熟睡してるようだし、この分なら目を覚ます心配もなさそうだから、少し外の風でも浴びてくるか)
やがてルルを起こさぬよう隣でじっとしているのにも飽きたグニドは、そう決断してそろりと寝台を抜け出した。貴賓室は宮殿の三階にあるのだが、部屋の外には二、三人が卓を囲めるほど広い露台があって、自由に出入りできるのだ。
その露台で夜風を浴びようと部屋を出たグニドは図らずも驚き、感動することになった──そうだ。そういえば神殿でプアカが言っていたではないか。
碧都マリンガヌイを青く染めるあのタイルには、神殿の地下でプアカの顔を瞬かせていた刺青と同じ海蛍石が使われている。
ゆえに夜になると、街全体が星屑をちりばめたように輝くさまが見られる、と。
『おぉ……』
と思わず声が出たのは今、グニドの眼前にまさしく聞いたとおりの景色が広がっているためだった。高台にあるヤムタンガ宮殿の、さらに高階から見下ろした夜のマリンガヌイは、星空が地上に落ちてきたのかと思うような輝きに包まれている。
ひとつひとつの輝きは小さいものの、それが無数に、どこまでもどこまでも広がるさまはあまりに神秘的な光景だ。ふと鼻を上げれば頭上にも満天の星空があり、グニドは自分が無限の星屑の海に投げ込まれたような不思議な感覚に襲われた。
両足は確かに地についているはずなのに、まるで夜空に浮かび上がって、月と星以外には何もない空間を漂っているような……。
「──あら、竜人くん。あなたも眠れないの?」
ところがグニドがあんぐりと口を開け、眼下の光景に目を奪われていると突然横合いから声がした。ぎょっとして振り向けば、そこにはグニドが今いる露台とそっくり同じ造りのものが隣の部屋から突き出しているのが見える。
そしてさらに月明かりが照らし出したのは、その縁に立てられた手摺の上にゆったりと頬杖をついた人影──他でもない、マドレーン・マギステルだった。
こちらにちょっと視線をくれて微笑んだ彼女の手の中で、硝子の杯に沈んだ小さな氷が、カラン、と音を立てている。




