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第一〇六話 海と青と蛍火の街


 碧都(へきと)マリンガヌイ。


 モアナ=フェヌア海王国(かいおうこく)の首都であり、人口十万人とも言われるこの都市には古くから〝海中の星〟と(うた)われる珊瑚(さんご)を加工する技術がある。

 珊瑚の名は『海蛍石(かいけいせき)』。かの青き珊瑚の森が広がる海底ではその名のとおり、蛍が水中を舞っているかのごとき明かりを目にすることができる。

 水深の浅いところでは、夜、波間に舟を浮かべると、星の海を渡っているかのような景色が味わえることでも有名だ。まさに海神(かいしん)ヤムの祝福を一身に受けし国。


 モアナ=フェヌア海王国にはそんな形容がふさわしい。特に海蛍石を主な顔料とするタイルの装飾がどこまでも続く青い街並みの美しさは、エマニュエル広しといえど類を見ない。筆舌に尽くし難い、としか言いようのない、(おの)が文才の乏しさが悔やまれるほどである。私はこれまでに巡ったエマニュエルのいかなる都市と比べても、やはりマリンガヌイの夜がいっとう好きだ。


 諸君もかの街を訪ねる機会を得たならば、西の水平線に日が落ちて、人々が寝静まった頃、海蛙(うみがえる)たちの歌を聞きながらそっとカーテンを開いてみてほしい。

 そこには夢と(うつつ)の境を消失させる、満目の地上の星が瞬いている。

 何故なら海蛍石から生み出された青色で染まるタイルは、原料となる珊瑚とまるで同じに、闇夜の中で蛍火のごとき光を(はら)むのだ──


 ──アベオ・トラディティオ著『異郷見聞録』より



          ×



 〝碧都〟という言葉はハノーク語で〝青い(まち)〟を意味するらしい。

 その名のとおり、碧都マリンガヌイは青い。とにかく青い。青いったら青い。

 見渡す限りどこまでも〝青〟の連なっている街だ。


「ふわあー!」


 と、アビエス連合国第一空艇団が船をつなげた〝(ミナト)〟で、二日ぶりに大地を踏みしめたルルが早くも大はしゃぎしていた。

 白い(そで)なしの貫頭衣(かんとうい)(すそ)を舞わせながらぴょんぴょん跳ねるルルの背後には、人の手により整備された海岸にずらりと並ぶ船の群。空の船に海の船──大小様々な船が集まるこういう場所を、人間(ナム)たちは〝港〟と呼ぶらしい。要するに船の溜まり場か、とその壮観な眺めを一望しながら、グニドは鼻孔を大きく開いて、無名諸島の浜辺で嗅いだのとはまた違う潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「すごい、すごいすごいすごーい! ねえ、グニド、みて! すっごくあおいよ! まっさおだよ!」

「ウム……ソウダナ。建物モ、道モ、皆、青イ。不思議ナトコロダ」

「アハハッ、まるで海の中にいるみたいな街だろ? あの青色の原料(もと)になってるのが、このあたりの海で採れる海蛍石って珊瑚なのサ。もっとも最近じゃ大昔からの乱獲で海蛍石の森がなくなりかけてるから、新しい建物なんかには別の顔料が使われてるって話だけど……」

「ムウ……シカシ、モアナ人、何故、街ヲ青クスル?」

「そりゃ海の青は国の象徴だからじゃない? 国の名前も()王国ってくらいだし、そもそも〝モアナ〟ってのも、島の古い言葉で海を指すらしいよ」

「海王国は古くから、海と共に生きてきた国だしね。あとは海の神ヤムへの信仰心の表れでもあるんじゃないかしら」

「海ノ神?」

「へへんっ、海神ヤムっていやあ天界に連なる五十六小神のひと柱にして、大いなる水の神マイムの眷族(けんぞく)だぜ! でもって海王国建国の祖カイアー=ラヒは海神刻(ヤム・エンブレム)に選ばれた神子だったって伝説も残ってるんだ」

「ダガ、カヌヌタチハ、海ノ神、〝アクア〟ト呼ンデイタ」

「そりゃ、ハノーク語とクプタ語じゃ神サマの呼び方が違うこともあるだろうさ。トラモント黄皇国(おうこうこく)の東の海に浮いてる倭王国(わおうこく)って島国でも、神々の名前は全然違う形で伝わってるって聞いたぜ」

(ふむ……果たしてそうなのか? 竜人(おれたち)と同じ精霊を信仰する無名諸島の人間たちが、大陸の神を信じてるとは思えないがな……)


 とヨヘンの答えに一抹の疑問を抱きつつ、グニドは黒緑色の(うろこ)で覆われた顎を撫でて思案した。ところがゆっくりと考察に(ふけ)る暇もなく、グニドのまとう衣服の裾がぐいぐいと引っ張られる。犯人は言わずもがな、太陽色の瞳を輝かせたルルだ。


「グニド、グニド! ルル、あおいおうち、ちかくでみたい! はやくいこう!」

「ウ、ウム……ワカッタ。ワカッタカラ、引ッ張ルナ。興奮スルト転ンデ危ナイ」

「あー、じゃあ俺ァ一旦ヤムタンガ宮殿に顔出してくるわ。事前に一報入れといたとはいえ、寄港許可を下すった宰相閣下には一応ご挨拶しとかねえとな」

「あらぁ、ヴェンのくせに珍しく気が利くじゃない。じゃあついでに今夜は宮殿の客室を使わせてもらえるよう、宰相さんに頼んできてよ。宿代ならあとでちゃんと払うから──ユニウスが」

「お前、二百年分の資産を貯め込んでやがるくせにユニウスにたかるのかよ……まあいいが、約束の酒はお前が自腹で(おご)れよな」

「え、いいんだ……?」


 と、ラッティたちはヴェンとマドレーンの会話を聞いて何やら困惑していたが、ともあれ今夜の宿は決まった。どうやら上空から街を見下ろしたとき、最も目立っていた巨大な建物──ヤムタンガ宮殿なるところに宿泊させてもらえるようだ。

 無論、このときのグニドはまだ知る由もなかったが、宮殿とはいわゆる〝王の()()〟であって、すなわちモアナ=フェヌア海王国を治める王の家である。


 もっとも現在は王であるはずのマナが国を出てほっつき歩いているせいで、ヤムタンガ宮殿は主のいない状態と言えた。

 とはいえ、何の縁もゆかりもない一介の竜人(ドラゴニアン)風情が、気安く訪ねていって泊めてもらえるような場所でないことだけは確かだ。グニドがその恐るべき事実を知るのは、とっぷりと日が暮れてからになるのだが。


「では私も空艇団に随行してきた『誇り高き鈴の騎士団』代表として、ヴェンどのと共に宮殿へ挨拶に行って参ります。皆さんはどうぞごゆるりとマリンガヌイ観光を楽しんで参られよ」

「えーっ。エクター、ルルたちといっしょにいかないの?」

「うむ、すまないね、ルル。私もこう見えて白猫(グウィン・ケット)隊の隊長ゆえ、公式の場では果たさねばならぬ役目があるのだ。……何よりヴェンどのは既に酒精を帯びておられるゆえ、目付役がいないと宰相どのにどのような無礼を働くか分からない」

「おい、何だよ、信用ねえなあ。俺ァ酒は飲んでも呑まれねえ男だぜ……ヒック」

「マギステル教授。教授も一応マグナ・パレスの関係者なわけですし、リベルタス提督とご一緒に行かれた方がよろしいのでは?」

「やーよ、せっかく海王国へ来たのに酔っ払いのお守りだなんて。私が何のためにユニウスに頼んで、今回の出征に白猫隊をつけてもらったと思ってるの?」

「エクターさん……同情するワ……」

「ありがとう、ポリーどの。貴女のそのお優しい言葉ひとつで、我が労苦も報われるというものです」


 とすべてを諦め去ったような爽やかな笑顔でそう言うと、ほどなくエクターは()(プン)(また)がり、ヴェンと共に港を去った。彼らの向かったヤムタンガ宮殿というのも気になるが、まあ、夜になればゆっくり見て回れる場所だ。ならば日のあるうちは存分に街を見て回ろうと、グニドは改めて青き家々へ向き直った。潮風に乗って運ばれてくる嗅ぎ慣れない土地のにおいに、早くおいでと手招きされている気分だ。


「そんじゃ、オイラたちはまずどこに行く?」

「もちろん、マリンガヌイに来たからには何はともあれアンガ・バザールでしょ! ね、ラッティさん?」

「そうだな。観光名所を見て回るのも悪くないけど、実質街にいられるのは半日くらいだ。とすると、あんまりあちこち行ってる時間はない。そう考えるとアルンダの言うとおり、やっぱりまずはバザールかな」

「ばざーる? ばざーる、ってなぁに?」

「バザールっていうのは、色んな品物を売るお店が集まった市場のことヨ。特にマリンガヌイのバザールには、海王国の特産品がところ狭しと集まってるの。綺麗なおみやげからここでしか食べられない珍味まで、とにかく珍しいものがたっくさん揃ってるのヨ」

「ふわあ……!」


 ポリーからアンガ・バザールなる場所の詳細を聞いたルルは、もともとまんまるな両目をさらに見開いて、今にも駆け出していきそうな様子だった。ゆえにグニドは見知らぬ街でルルとはぐれてはまずいと思い、とっさに彼女を抱え上げる。


『ほら、ルル、肩車だ。せっかく知らない街に来たんだから、遠くまで見渡せた方がいいだろ?』

『ヤーウィ! グニド、かたぐるま、ひさしぶり!』

『ん? そうだったか?』

『そうだよ! グニドのせなか、やっぱりおっきい! たかい! たのしい!』

『……そりゃよかった』


 ルルは久しぶりの肩車に興奮しきりで、どうやら勝手にどこかへ行かないようにという思惑のために担ぎ上げられたとは微塵も思っていないようだった。まあ、楽しんでいるなら別にいいかと思いつつ、グニドはちらとクワトの様子にも目を向ける。視線の先ではヴォルクが片言のハノーク語で、皆でバザールへ行く旨を伝えていた。クワトはそれをふんふんと聞いていて──ヴォルクの話をどこまで理解できているのかは不明だが──早く街へ行きたくてそわそわしているようだ。


「……シカシ、ラッティ」

「ん?」

「オレタチ、コノママ街ニ入ル、大丈夫カ? 化カシノ術、マタ使ウカ?」

「ああ、へーきへーき。さっきアルンダも言ってたけど、ここはもう連合国領だから。列侯国(れっこうこく)に入ったときみたいにびくびくする必要はないよ。まあ、さすがにみんな竜人や鰐人(クク)は初めて見るだろうから、最初は驚かれるかもしんないけどね」


 と、ラッティはまったく何の心配もしていない様子で、ニカッと無邪気に笑ってみせた。が、いくら彼女の言うことでも、今回ばかりはグニドも半信半疑だ。

 何しろルエダ・デラ・ラソ列侯国でも無名諸島でも、竜人の自分はまったく歓迎されなかった。獣人隊商(ビーストキャラバン)の助けを得て、最後には何とか現地の住民と打ち解けることができたものの、最初はいつだって悲鳴と混乱の嵐だったはずだ。


 ゆえにグニドは今回も街に入った途端、自分の姿を見た人間たちが絶叫して逃げ惑うのではないかと警戒した。ここまでの旅で人間の反応には慣れたから、怯えられるのはまあいいが、しかし初めて島の外へ出たクワトが同じ理由で傷つくところは見たくない。よって最初は自分がのしのし先頭を歩いて、住民の反応を見てやろうという気持ちでいよいよ街の中へ入った。するとたちまち通りのあちこちから住民の視線が集まり、わあっと悲鳴のようなどよめきのような声が上がる。


「えっ……でっか! 何あれ!?」

「もしかして獣人? 初めて見る種族ね……」

「うわあー! お母さん、見て、見て! あれ何!? なんていう獣人!?」

「おじいちゃん、とかげ! とかげのじゅーじんが、おんなのこおんぶしてる!」

「おぉ……こりゃたまげた……長生きはするもんじゃな……」

「すげ~! ねえねえ、こんちは! 狐人(フォクシー)のお姉さんたち、どこから来たの? 隣にいるのって獣人だよね!?」

「えっ、見て! 後ろに(わに)の獣人もいるわ!」

「ひょっとして鰐人ってやつ? うわー、本物は初めて見た!」

「こんにちは、じゅーじんさん!」

ようこそ(テナ・コート)、モアナ=フェヌア海王国へ! お客さん方、お名前は?」


 そしてほどなくグニドは、自分の心配がまったくの杞憂(きゆう)だったことを知った。

 何しろマリンガヌイの住民たちは、グニドの姿を見るや仰天して逃げ出すどころか、まるで精霊の受肉でも目撃したかのようにわらわらと集まってくるのである。

 しかも彼らから投げかけられるのは、いずれも歓迎の言葉ばかり。呆気に取られるグニドに代わってラッティが「こいつは竜人のグニドで、後ろは鰐人のクワト」と紹介すると、垣根を作った人間たちの興奮はますます膨れ上がった。


「ちょっと、聞いて! 竜人ですって!」

「すご~い! 噂には聞いてたけど、本物ってこんなに大きいんだね!」

ようこそ(テナ・コート)ようこそ(テナ・コート)、遠路遥々海王国へ!」

「でも、竜人って確か人間を襲って食べるって噂じゃなかった?」

「おれもそう聞いてたけど、人間と一緒にいるし……というか何なら人間乗っけてるし、噂が間違ってたんじゃない?」

「どらごにあんしゃん、よかったらこれ、あげるー!」

「頭の上の女の子にどうぞ! うちの子が集めた貝殻で作ったものだけど、海王国ではよくお祝いごとに贈られる首飾りなんだ。よかったらお近づきの印に!」


 ……………なんだこれは。


 想像していたのとまったく違うモアナ人の反応に、グニドは石のごとく固まるばかりだった。そうこうしているうちに、とある若い(オス)が自分の娘と思しい幼子を高く掲げるようにして、彼女が手にした何かの輪っかをルルの首へとかけてくる。

 それは揺れるとシャラシャラとかカラカラとか音の鳴る、淡い色調の貝殻をつなぎ合わせた首飾りだった。

 貝と貝の間には瑞々(みずみず)しい生花も挟まれていたりして、微かに甘いにおいがする。


 どうやら同じものをいくつも作って道端で売っていた親子のようだが、代金は求められなかった。他にも騒ぎを聞きつけた人々が、滅多にお目にかかれない獣人をひと目見ようと集まってきて、グニドたちはすっかり身動きが取れなくなる。

 モアナ人はカヌヌたちほどではないが、やはり肌が日に焼けて黒っぽく、おかげでグニドの視界は黒で埋め尽くされつつあった。


 彼らは年中暖かい常夏の島で暮らしているためか、男も女も、老いも若きも肌を露出する服装が多いから尚更だ。ほとんど裸同然だったクプタ語族に比べればしっかり服は着ているものの、腕や腹、脚を覆う布はやたらと薄く半透明だった。

 あんな風に向こう側が透けて見えるほど薄い布があるのかと、グニドは驚きで目を見張ったほどだ。あの布のおかげで彼らは裸でいるよりは文明的に見え、しかし裸と変わらないくらい涼しそうだった。


「な。だから言ったろ、心配いらないってサ」

「……ウム。ダガ、コレデハ、バザール、行ケナイナ……」

「アハハッ、確かに。別の意味で化かしの術を使っとくべきだったかも。ま、けどおかげでアンタも分かったろ? これが博愛の国──アビエス連合国サ」


 言われてみれば確かにそうだった。マナも、ヴェンも、マドレーンも、アルンダも、アビエス連合国出身の者たちはいつどこでグニドを見ても怯えず騒がず、当たり前の顔をして存在を受け入れてくれた。唯一誤解の下で出会ったエクターでさえ事情を知るや即座に謝り、以後は猫人(ケットシー)の仲間と同じように接してくれたはずだ。


 あれは単に彼らが変わり者だからとか、同じ獣人だからとか、そういう理由のためではなかった。連合国で生まれ育った者にとっては()()が当たり前だったのだ。グニドは実際にこの地を踏むまで、ラッティたちの話に懐疑的だった己を恥じた。


 人間と獣人が当然のように共存し、平和で友好的に暮らす国。


 そんな夢のような場所が、エマニュエルにも確かに存在したのである。


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