【15】透とトール
「アカネ、最近何か変よね。あたし……もしかして、避けられてるのかしら?」
「そ、そんなことないですよトール! ただその日は用事があるだけです!」
王子くんの言いつけを守って五日目。
現在、わたしはトールに問い詰められていた。
トールにそっけなくすると決めたのだけれど、わたしは顔に感情が出やすい。
迎えにきてもらっただけで嬉しくて抱きつきたくなるし、帰り道手を握ってもらうだけで顔は自然と笑顔になる。
そうならないように歩くときは少しトールと離れて。手はいつもわたしから繋いでいたから、それを求めないようにした。
目が合えばやっぱりドキドキしてしまうので、できるだけ目は合わさないように。
その結果、見事にトールが不機嫌になっていた。
今は違う意味で目があわせられない。
前にトールに対して隠し事をした時の事を思い出す。普段気さくなトールだけれど、表情が消えると物凄く冷たく見えて怖い。
綺麗な顔をしてるから凄みがあって、問い詰められると心臓に悪かった。
「久々に日曜日に休みがとれたって、アカネ言ってたわよね。一緒に過ごしたいなってアカネも思ってくれてるんじゃないかって、あたし思ってたんだけど。アカネはそうじゃなかったのね?」
逃がさないというように手首をつかまれる。
責めるような声に、喉がつまった。
日曜日はわたしが休みで、トールも何もないと言っていた。
特に約束をしたわけではないけれど、その日は一緒に過ごそうという雰囲気になっていたのは確かだ。
そして今日、仕事帰りにトールが迎えにきてくれて。
日曜日はトールの家で過ごさないかとお誘いを受けたのだ。
その日は家族も皆いないから、料理を作ってあげると言われた。
わたしだってトールと一緒に過ごしたい。
でも、トールと二人っきりでしかも料理まで作って貰って。
お部屋で過ごしたりなんかした日には、絶対に嬉しくて顔に出てしまうし、トールに抱きつくことを我慢できない。
だから涙を飲んで、お断りしたところだった。
「あたし以上に大切な用事って、何?」
そんなものないですよと言ってしまいたくなる。
でも、日曜日まで頑張ればちょうど一週間。
それに確かに王子くんの言う通り、わたしが積極的にしない分トールの方が積極的になってくれている気はしていた。
家である教会まで、あと数メートル。
逃げることは可能だけれど……どう考えても、わたしがトールに嘘つき続けるのは無理だ。
アドバイスしてくれた王子くんには悪いけど、もう諦めてトールに作戦の全部を話してしまおう。
そして怒られて、許してもらおう。
たった五日トール断ちをしていただけで、もう限界が近かった。
側にいるのに触れたりできないのはやっぱり苦しいし、トールを困らせるのはやっぱり嫌だ。
「実はですね」
「あれ、透じゃん! 久しぶり!」
覚悟を決めたところで、明るい声がしてそちらを見れば。
前方に、手をあげた王子くんが立っていた。
「……タカ? なんであんたがここにいるの」
「何でって俺の実家この近くだし、知り合いの家に行く途中だったんだよ。つーか、その口調どーしたんだ? 一年会わないうちに何か雰囲気変わってないか?」
困惑した様子のトールに、王子くんが話しかけてくる。
どうやらトールと王子くんは知り合いらしい。
しかもやたら親しげだ。
「王子くん、トールと知り合いなんですか?」
「ん、マメコ? 何でトールと一緒にいるんだ?」
話しかけられてはじめて、王子くんはわたしの存在に気付いたようだった。
「タカ、アカネと知り合いなの?」
「マメコは昔から通ってる教会の家の子なんだ。っていうか、マメコ」
トールに答えて、王子くんがわたしに目を向けてくる。
「まさかとは思うが、お前のいうオネェのトールって透の事……だったりするんじゃないだろうな?」
王子くんが微妙な顔で尋ねてくる。
「はいそうですけど……」
それよりも透と王子くんの関係を教えてほしい。
そう思いながらも頷けば、王子くんが透に詰め寄ってくる。
「おい透。お前いつからオネェになったんだ。一年前までは普通だっただろ!」
「別にいいじゃないの。イメチェンよイメチェン」
「どんなイメチェンだ!」
王子くんが取り乱すのは珍しい。
それでいてトールは、説明するのが面倒くさいという様子だった。
確かに知り合いがいつの間にかオネェになっていたら、取り乱すのもわからなくはない。
「小学校の時から女子力が高い奴だとは思ってたが……男らしくなりたいんじゃなかったのか?」
「それはもういいのよ。あたしはあたしだし」
トールは家族の前や、知り合いのいる場所では男言葉で話すことが多い。
でも王子くんには隠すつもりもないようだ。
王子くんに対して割とぞんざいな口調で話すことからしても、気心の知れた仲なんだろうなと何となくわかった。
「吹っ切れたってやつか。まぁ……その方が透らしくていいかもな。前までのお前って無理してるの丸分かりだったし。男らしくなんて言って、わざわざ秋吉なんかの真似してたしな」
「なっ……あんた気付いてたの!? 同じ無口系だったし、真似しやすいと思ったのよ!」
からかうように王子くんが笑って、トールがむきになる。
顔が真っ赤になってる事から、トールにとって恥ずかしい過去のようだ。
どちらかというとトールはいつだってからかう側で、こういうトールは見たことがなかった。
二人にしかわからない話をして楽しそうにされると、ちょっぴり寂しさを感じてしまう。
「あっ、透と久々に会って忘れるところだったわ。マメコ、俺お前の家にペンと楽譜忘れていかなかったか?」
どうやら王子くんは、教会に忘れ物を取りにきたみたいだった。
わたしがお世話になっている教会の遠藤牧師は、音楽が大好きだ。
自宅のスペースの一部が音楽部屋になってて、学生たちにも開放したりしている。
牧師さんだからクラシックかな? と思われがちだけれど、遠藤牧師が好きなのはジャズとかロックとかあのあたりだ。
ギターやベース、ドラムにサックスにピアノ。
わりとなんでも教会にはある。
時折、音楽部屋を使った学生さんたちがコンサートを開くこともあって、それが教会を運営する寄付金になったりする。
王子くんは牧師さんの影響で音楽を始めて、大学時代には教会でよく練習をしていた。
この前の日曜日、わたしはすぐに仕事に行ってしまったけれど、王子くんが教会に来ていたのは牧師さんから楽譜を貰うためだった。
それなのに王子くんときたら、その楽譜を忘れて行ってしまっていた。
「あぁそれならわたしが預かってますよ。日曜日に渡そうと思ってたんですけど、急ぎですか?」
王子くんが日曜日以外に教会にくるのは珍しい。
そう思って口にすれば、そうなんだよと王子くんは呟く。
どうやら大学のサークルで後輩が使うための楽譜らしく、明日その後輩に会うことになっているらしい。
「悪い、頼んでいいか?」
「わかりました。ちょっと待っててくださいね!」
すぐに取りに行こうとしたわたしの肩を、トールが掴む。
「どうかしましたか、トール?」
「……日曜日会えないって、タカとの約束だったの?」
言われて思わず目を瞬かせる。
何のことだろうと思って、そう言えば日曜日に家にこないかとトールに誘われて断った事を思い出した。
「えっ、いやそれはですね!」
トールは勘違いをしている。
王子くんが日曜日にくるのは、お祈りをするためだ。
昔からの習慣だし、忘れ物をしたのならその日に取りにくるはずだと思っていたがゆえの発言だった。
「……なるほどね」
「王子くん!?」
くくっと笑って、王子くんがトールからわたしを引き剥がすようにして、後ろから羽交い絞めにしてきた。
「なっ!」
「悪いなトール。日曜は先約があるんだ。しかし、いつの間にマメコと知り合ったんだ?」
短く声を上げたトールを面白がるように、王子くんがそんなことを言う。
「一年くらい前に、あんたが秋吉の服を見繕ってやれって言った時よ。連れて行った服屋の近くに……アカネの働いてる店があったの」
「へぇ? そうなんだ?」
トールは眉間にシワを寄せて、苛立っているのに王子くんと来たら明らかに楽しんでいることがわかる。
振り向かなくてもニヤニヤとしているだろう事が想像ついた。
「お前がそういう顔するなんてな。マメコが相当お気に入りなんだ?」
「……タカに関係ない。アカネから離れろ」
からかうような王子くんに対して、トールが低い声で口にする。そこにはどこか焦ったような雰囲気があった。
「それはできないな。俺もマメコがお気に入りだから」
王子くんが伸びされたトールの手を払いのけた。
「おっ、王子くん!?」
戸惑いの声を上げるけれど、王子くんは楽しそうに笑ってトールを見ていた。
「……お前、一つ年上の先輩と付き合ってるんじゃなかったのか」
「いつの話してるんだよ。そんなの大学時代に別れた。それ以来俺フリーだし」
すっと表情を消して睨んでくるトールの顔は、迫力というか怖い。喋り方も男のものになっている。
身をすくめているわたしに対して、王子くんは全く堪えてないみたいだった。
「さっさと行こうぜマメコ。ついでに牧師さんにも挨拶してから帰るわ」
「ちょ、ちょっと王子くん!?」
強引に王子くんがわたしの背を押して、教会の敷地内へと入っていく。
トールの方を振り向けば、何かわたしに対して言おうとして、結局やめてしまう。
それから、くるりと背を向けて去って行ってしまった。
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「王子くん、なんてことしてくれたんですか! トールかなり怒ってましたよ!」
「醤油とってくれるか」
講義するわたしに対して、王子くんは涼しい顔で夕食を食べている。
牧師さんに食べていきなさいといわれて、王子くんはわたしと少し遅めの夕食を取っていた。
「なんであんなことしたんですか! 確かにトールの気を引きたいとは言いましたけど、喧嘩したかったわけじゃないんですよ!」
「わかってるって」
醤油を受け取りながら、王子くんはそんな事を言う。
「透とは小学校の時から同じクラスで、大学まで一緒だったんだ。けどあいつ基本的に無口無表情でさ。いつも一人で勉強したり本を読んだりしてたんだ」
王子くんはそう言って、トールの事を話し始める。
オネェで社交的なトールからはあまり想像が付かないけれど、あっちの世界に行く前の『芳野さん』なら十分にありえる気がした。
「小学校四年の時だったかな。服のボタンが取れてどうしようと思ってたら、あいつが裁縫セットを鞄の中から取り出して付けてくれたんだ。その歳で女子でもそんなもの持ち歩いてないだろ、普通。しかもボタン付けは完璧だった」
それで王子くんはトールに興味を持って近づいて行ったらしい。
「喋りかけたら意外と喋るんだよあいつ。本人は隠してるんだけど、実は可愛いものが大好きで、趣味は裁縫。毎朝密かに教室の花を生けたり、怪我した時はさりげなく絆創膏くれたりして、そのあたりの女子よりも女子力高いって思ったな」
やっぱりあの頃から今のトールの片鱗はあったんだなと、王子くんの話を聞いて思う。
ギャップが面白くて、王子くんはトールに構うようになったらしい。それ以来結構仲がいいとのことだった。
「あいつ、大企業の息子で待望の男の子で。それで期待背負って生まれてきたから、それにふさわしい奴にならなきゃって昔から無理してたんだ。無口なのはボロがでないようにっていうのもあるんだよ。可愛いもの好きなくせに隠して、いつも男らしくしようと振舞ってた。好きに生きればいいのにって、ずっと思ってたんだ」
王子くんはそんなことを言って、溜息を吐く。
呆れた風を装ってるけど、そこにはトールの事を想ってる雰囲気がある。
「何があってふっきれたのは知らないが、あいつのあんな表情を見れるとは思ってなかった。よっぽどマメコが好きなんだろうな」
「そう……思いますか?」
「あぁ。いい傾向だと思うぜ? ただ、あいつは昔から自分の本心を出そうとしないからな。荒療治でもしないと、手を出してこないだろ」
確信めいた口調で、王子くんはそんな事を言う。
王子くんは基本的に軽いし、遊び人だ。
でも、人のことをよく見ていて、世話焼きな一面がある。
素直じゃないから本人は認めたがらないだろうけど、王子くんは昔からトールのことが心配だったんだろう。
王子くんはちょっとお節介で、友達思いだ。
だからわたしは、結構王子くんのことが好きだった。
「王子くん、トールに何か仕掛けるつもりなんですか」
「いや、特にしかける気はねーよ。明日素直にネタばらしだ。かなり堪えてるみたいだったし、少しやり過ぎたかもしれない」
一緒に謝りに行ってやると、自分が仕掛けた癖に王子くんはちょっと偉そうにそんなことを言う。
明日トールは夜まで大学の講義があるので、仕事後に待ち合わせて謝りに行こうということになった。
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まさか、王子くんとトールが知り合いだったなんて。
世界は意外と狭い。
夜、ベッドに寝転がりながらそんなことを思う。
小さい頃のトールってどんな子だったんだろう。
トールは小さい頃のわたしをよく知っているけれど。
私が知っているトールはここ一年のものと、あちらの世界で会ったトールだけだった。
……王子くんに小さい頃のトールのこと、他にも色々聞いてみようかな。
もっとトールのことを色々知りたかった。
トールはわたしの全部を知ってるのに、わたしだけ知らない部分があるのはずるい気がする。
「贅沢、なんでしょうか」
ベッドに寝転がりながら、独り言を呟いて天井を見上げる。
胸にいつも下げている指輪をはずして、それを蛍光灯の光にさらした。
トールに受け取ってもらえなかった、玩具の指輪。
機会があったらいつでも渡せるようにと、あの頃の自分は肌身離さずこれを持っていて、この世界にまで持ってきていた。
恋人になって三ヶ月。
トールからしたら、まだ三ヶ月なのかもしれないけど。
わたしからしたら、もう三ヶ月だった。
トールからすればわたしと離れてた期間は、せいぜい数ヶ月かもしれない。
でもわたしはトールと出会えるその日を、この世界で十六年近く待っていたのだ。
恋人になれる日を、だったらもっともっと長い。
トールと出会って一年後にはトールが好きだったから、十三年半プラス約十六年で、三十年ちかく片思いしている。
こんなに待って、ようやくトールが振り向いてくれた。
それだけで幸せだと思うけれど、さらに先が欲しいと願ってしまう。
……そんな風に思ってるのはわたしだけで、トールはそうじゃないのかな。
考えれば暗くなったので、電気を消して明日のことを考えて気持ちを切り替える。
明日もトールが仕事場まで迎えにきてくれることになっていた。
今日のことを考えれば、顔を合わせるのはちょっと怖い。
けれど、ちゃんと説明して仲直りしようと決めていた。
怒られるかもしれないけれど、明日になれば会える。
これまでのトールのいない日々を思えば、それはどんなに幸せなことか。
――おやすみ、トール。また明日。
まぶたの奥のトールに語りかけて、眠りへと落ちた。




