【16】歩幅を合わせて
トキビトは誰もが懐中時計を持っている。
時計は心と連動していて、心が動き出せば元の世界の時も動き出す。
動き出した時間の分、現実の時間も進むのだとアカネは言った。
あたしと出会って一年後。
あの世界で初めてアカネがあたしを好きと言ってくれた日から、アカネの時は動き出していたらしい。
アカネと過ごした時間は、十三年と半年くらい。
一年後には時が動き出したと考えて、アカネは自分がいた時代から十二年半後に飛ばされたというわけだ。
だとすると、本来のアカネとの年の差は約十三歳。思っていたより時代は近かったんだなとそんな事を思う。
トキビトは未練や現実では叶えられなかった願いを持って、世界を越えて行く。
アカネは現実の母親よりも、出会って一年後にはあたしといる未来を望んでくれていたという事なんだろう。
その事を嬉しく思う。
「あぁもう可愛い! さすがあたしの娘だわ!」
「ちょっとトール、苦しいです!」
いつものノリで抱きつけば、アカネがじたばたとする。
嫌がってるわけじゃなくて照れてるだけ。顔を見ればそれがわかるから、余計に調子に乗ってしまう。
「それに……」
「それに?」
何か言いたそうにアカネが口を開く。
続く言葉が想像できなくて、首を傾げた。
「わたしは娘ではなく、もうトールの恋人……ですよね?」
想いが通じ合ったのだから恋人だよねと、答えを少し怖がるように、でも期待するようにアカネが口にする。
確かに……アカネがそういう意味で好きだとは言ったけど。
そんな風に返してくれるなんて、思ってもみなかった。
これから先、延長戦も覚悟して口にしたのに……アカネときたら相変わらずあたしを好きでいてくれたらしい。
本当、アカネには敵わない。
こっちが線を引こうと、突き放そうと。
それでも好きだって伝えてくれるから、これじゃあ抑えが効かなくなる。
あたしを見つめるアカネの目は潤んで、わずかに見上げるようなその体勢は見ようによってはキスをねだっているようにも見える。
そんな可愛い顔をしてこっちを見つめられると、何もかも許されてるような気になってしまう。
――アカネは、俺を試してるんだろうか。
無防備すぎるというか、本人は全く意識してないのがやっかいだ。
溜息を一つ吐けば、不安にアカネの瞳が揺れる。
子供の頃にやっていたように、コツンとおでこをくっつければ茹でたタコのようにアカネの顔が赤くなった。
「そういう風な煽り方は、教えた覚えないんだけどな?」
「と、ととトール?」
素の声で囁けば、アカネが動揺した様子を見せる。
逃げられるのが嫌だったから、卑怯だとは思ったけど腰に手を回して、俺から離れられないようにした。
「ほんと、アカネはずるいよな。俺がこの店に通ってたのは、服が可愛いのもあるけど、そもそもアカネに会うためだったんだ。初めて好きになった女の人も、愛しい女の子もアカネだなんて、俺は一体どうしたらいいんだろうな?」
好ましく思っていたショップの店員の女の子も、俺が育てた可愛い娘も。
どちらも同じアカネだった。
七歳のアカネに出会う前から、俺はどうやらアカネに恋をしていたらしい。
出会って後にどんどんと惹かれて行ったのも、当然の流れに思えた。
「わ、わたしもどうしたらいいかなんてわからないです! 好きになったのはトールだけですから!」
独り言のように呟いた俺に、アカネは対抗するようにそんな事を言う。
アカネときたら凶悪だ。
昔からアカネは、俺が喜ぶ言葉をわかっていて。
どうすれば俺が弱いかをよく知っている。
しかもそれが……全て無意識ときたものだ。
そんな可愛い事を言われたら、思わずキスしたくなってしまう。
前に一度アカネが大人になった時の表情や、唇の柔らかさを思い出して。
ついそこに目が行く自分がいた。
目の前にいるのが、安全なオネェだとでもアカネは思っているんだろうか。
むしろ久しぶりのごちそうを目の前にして、飢えた猛獣だというのに。
「だからそうやって可愛い事言われると、抑えが効かなくなる……でしょ。全くもうこっちの気も知らずに……」
アカネによって引きずり出されそうになった男の部分を、無理やり押し込めて溜息を吐く。
「ねぇアカネ。お仕事が終わったら夕飯を一緒に食べましょう?」
うまく自分を制御してそう言えば、アカネが嬉しそうに頷く。
そして懲りずにまた抱きついてきた。
本当もうアカネときたらしかたないなと、そんな事を思った。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
まだ勤務時間中なので、アカネを一旦店に帰すことにする。
電話番号を交換したところで、新たな事実が発覚した。
別れた時にアカネのバッグに忍ばせた、あたしのスマホの番号。
アカネは一ヶ月に一度くらいの頻度で、あたしにかけてきてくれていたらしい。
言われてみれば思い当たる節があった。
あたしのスマホというか携帯電話は昔からずっと同じ番号だ。電話を買った当初から、知らない番号で定期的に電話がかかってきた。
一度だけとってみたら、同じ歳くらいの女の子の声がした。
『もしもし、トールさんの電話ですか!』
何で名前を知ってるんだと思いながら、無言でその先を待っていたら、彼女が喋りだして。
『私です。あなたの娘のアカネです! よかった繋がった! 向こうの世界から帰ってきて、ずっと電話をかけてたんですよ! トールは元気にしてま』
少し涙声にも聞こえる声で、テンション高くそんな事を言われた。
怖くなって、電話を途中で切った覚えがある。
この歳で娘とか言われても困る。
向こうの世界とか言い出すから、悪戯電話か、何か違う電波を受信してしまった可哀想な女の子がかけてきているのかと思った。
名前を知られていたので、すぐに着信拒否にした。
それからすっかり忘れていたのだけれど。
……まさかあれがアカネだったなんて。
あまり電話番号を持たせた意味はなかったなと思いながら、着信拒否を解除する。
「それじゃ、仕事終わったら電話して。なごり惜しいけどまた後でね」
またすぐに会える。二・三時間待てばいいだけなのに、それが今から物凄く長く感じられた。
頬を撫でればアカネの頬は熱い。
「……相変わらずあんたは体温が高いのね。肌もぷにぷに」
アカネは身動きせずに固まって、あたしを見つめている。
好き好きと平気で口にして抱きついてくる癖に、あたしから触れられるのは慣れないらしい。
それが可愛くて、ちょっぴり顔を近づければアカネがぎゅっと目を閉じた。
「……」
キスされるとアカネ思ったんだろう。というか、こうやって目を閉じるということはしてもいいってことなんだろうか。
理性がぐらつく。
けれど、そこはぐっとこらえて額にちゅっとキスをした。
目蓋を開いたアカネは、恥らうような表情。
少し困っているようにも見えた。
「アカネ、真っ赤」
「だ、だってこれは!」
額にキスくらいで、アカネは初心だ。
……今度はうっかり手を出さないようにしないとな。
先ほど誘惑に負けかけたばかりの頭で、そんな事を思う。
前に大人のアカネに迫られて、キスまでしてしまったけれど。
ああいうのは本来よくない。
アカネは許してくれたし、今のアカネはあの日の事を覚えてない。
がっついて嫌われるのは嫌だし、この間まで親と娘だったのにすぐに手をだすなんて倫理的にどうかと思う。
ちゃんと大切にして、アカネに歩幅を合わせてゆっくりと、あせらずに。
同じ時間を生きているのだから、それができる。
「それじゃあ、お店まで戻りましょうか」
差し出した手に、アカネの手が重なる。
しっとりとした大人の女性の手。
いつだって、アカネの手を引いて導いているつもりでいた。
でも本当はに導かれてたのは、俺の方だったのかもしれないとそんな事を思う。
横を見ればアカネがこっちをじーっと見ていた。
どうかしたんだろうかと、小首を傾げれば。
「トール大好きだよ!」
笑顔と共に、まじりっけのない愛情をぶつけてくる。
ふいうちのその言葉に、ガードが間に合わなくて顔が赤くなったのが自分でもわかった。
「……あたしも大好きよ」
今まで何度も口にしてきた言葉。
でも、初めの頃とは違う意味を帯びた『好き』に。
アカネは幸せそうな笑顔を見せてくれた。
残りおまけのトール編が1話と、企画用のR15(アカネ視点)が三話となっております。




