【15】あたしの好きな人
ニホンに戻れば、あたしがいなくなってから三日くらいしか経ってなかった。
直前に、懐中時計を見せてほしいなんて言ってきて。
あたしが失踪した時点から、三日後くらいに辿りつくかもしれませんと口にしていたけれど正解だった。
ヤイチはトキビトとして過ごしている期間が長いから、色々とわかることも多いんだろう。
実家暮らしではあるものの、もうすでに成人しているあたしが三日くらい留守にしたところで誰も咎めたりはしない。
大学院の友人と遊びに行ったんだなと家族だって思うだけだ。
久しぶりに家族の顔を見ればやっぱり懐かしくて。
帰ってきたんだな、と思えた。
家族との再会に、怪しまれるわかっていたのに少し泣いてしまった。
私からすれば数十年ぶりの再会だけれど、家族からしたら三日ぶり。
上に歳の離れた姉が三人いて、両親にも愛情を受けて育った私は、感情を表に出すようなタイプじゃなかった。
何も言わなくても、家族は私が何がしたいかを察して先回りしてくれる。
あまり会話を必要とすることがなかったせいで、この世界にいる時の私はどちらかと言えば無表情で愛想がないタイプだった。
そのためどこか悪いんじゃないかと心配されて、危うく病院に連れていかれるところだった。
久しぶりに構われれば、自分がどれだけ愛されて甘やかされていたのかが分かる。
人との関わり方がヘタで、あちらの世界に行った当初はかなり苦労していた。
……可愛いものが好きとか、自分の素を出すのが怖くて余計に悪化させてたのよね。
ある意味では黒歴史。
いまではもう、笑って語れるような遠い昔のことだ。
黙っていれば冷たく見える顔立ちをしてるから、話しかけてくる人も少なくて。
そんな私に積極的に関わってくるのは、幼馴染のタカくらいだった。
……とりあえず、家族の前ではオネェ言葉が出ないようにしなくちゃ。母さんあたりが卒倒してしまいそうだし。
時と場合によって、使い分けは必要だ。
家族との再会に浸るのもそこそこに、アカネの事を捜す。
探偵を雇ったり、昭和の記事を調べたり。
まぁ当然というか、有力な情報はあまりなかった。
引っかかったのは、昭和にこの街の近くであった神隠しの記事。
これがアカネなのかは微妙なところだったけれど、この付近では昔から神隠しが多いなんて情報が上がってきた。
私もアカネも、クライスもミサキちゃんもこの街に住んでいる。
何か関係があるのかも知れないと思いながら、大学院の授業もそっちのけに毎日捜したけれど、なかなか見つからなかった。
七月の後半に、アカネがこの街にいることは間違いない。
その頃にはアカネが、悪い男とよりを戻してしまっている。
どうにかしてそれを阻止したかった。
せめてクライスが見たという、アカネらしき女性の歳を聞いておけばよかった。
それだけでもかなり絞れるというのに。
アカネに関してあたしが持ってる情報と言えば、名前とあたしより年上といくくらいしかない。
あたしが平成生まれの二十四歳だから、昭和生まれのアカネは……単純に見積もっても親子ほどの年の差があるんだろう。
アカネがおばあさんだって好きだと、ヴィルトに言った言葉に嘘はない。
けれど、あの時聞くことを思いつかなかったのは、アカネの年齢を聞くことを心のどこかで恐れていたからかもしれないと思う。
何かヒントがないかと、向こうの世界に行く前のクライスに接触したりもしたけれど。アカネに関する有益な情報は得られなかった。
驚いたことにこちらの世界でのクライスは、ヴィルトの奥さんであるミサキちゃんの兄だった。
何がどうなってるんだと思ったけれど、複雑な事情があるみたいだ。
現在ミサキちゃんは失踪中。おそらくは向こうの世界に行ってるんだろう。
クライス――この世界ではチサトという彼は相当に憔悴しきっていた。
大丈夫元気にしてるわよなんて、慰めでしかない言葉をかけたり、アカネの捜索も兼ねて一緒に街をまわったりもした。
ミサキが今の時点で見つかるわけじゃないことも、どこにいるかもあたしは知ってる。
でも未来の彼の様子から推測するに、この時点であたしから何も聞いてなかったんじゃないかと思えた。
今のチサトは辛そうだけれど、未来の彼は幸せそうで。あの世界で大切な人を見つけている。
ここであたしがヘタなことを言って、未来が変わるのはよくない。
そのあたりのことは一切口にしなかった。
あたしにできることは、友人である彼が無茶をしないよう気遣うことくらいだ。
ミサキちゃんが向こうの世界へ行った原因は、チサトにある。
それを後悔している彼は、食欲もなければ眠りにもつけないみたいで。
時折外に連れ出しては食事を奢ったり、あたしの家に泊まらせて強制的に休養を取らせた。
そうこうしている間にこの世界に戻ってきた春から、夏になって。
すぐに七月なり、ミサキちゃんがこの世界に帰ってきた。
チサトは嬉しそうだったけれど、ミサキちゃんの顔は優れなかった。きっとヴィルトを置いて、ニホンに戻ってきた事を後悔してるんだろう。
今の彼女の気持ちがよくわかる気がした。
帰ってきたミサキちゃんと言葉を交わすことはしなかった。
結婚式の時に初めて顔を見たくらいで、私はミサキちゃんとあまり面識がない。
ただ、ヴィルトからアカネへまわってくる情報のおかげで、一方的にどんな子なのかはよく知っていた。
チサトがミサキにべったりとするようになって、あたしは一人で行動することが増えた。
アカネがどうしようもない男とよりを戻す前に出会いたいのに、手がかりの一つすらない。
「はぁ……」
深い溜息を吐く。
今日も成果はなかった。
焦ったってどうにもならないことはわかっているのだけれど。
でももう、クライスが言っていた七月の終わりに差しかかろうとしている。
こんなことやってる場合じゃないんだけど。
大学で出された課題のレポートをパソコンで打ち込みながら、そんなことを思う。
参考資料として買った本を探そうとすれば、見当たらなかった。
数十年離れている間に、どこにしまったのかすっかり忘れてしまっている。
「あぁもう」
面倒だなと思いながら本棚に手を伸ばす。
そこになかったので部屋中をさがして、ボロボロになったカタログを見つけた。
……これ、あの子からもらったやつだわ。
懐かしいと、そんなことを思う。
行きつけになっていたショップの店員の子から貰ったカタログ。ある意味あっちの世界に行くきっかけになったもの。
彼女の顔を思い浮かべようとして、頭に浮かんだのは大人になったアカネの顔だった。
数十年が経っているし、似てるなと思っていたから記憶の中で混同してしまったのかもしれない。
パラパラとページを捲っていたら、ひらりとカタログから何かが落ちた。
拾ってみれば、それは名刺みたいだった。
店の場所が書かれている裏面から、表を見て目を見開く。
「……ちょっと待ちなさいよ」
思わず声が出る。
遠藤という名前の、明るくて人懐っこいショップ店員。
彼女がおそらくカタログに挟んでいたその名刺。
名前部分を見て、目を疑った。
そこには――『遠藤 茜』と書いてあった。
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あたしがあの世界に行くきっかけを作った、あの店員がアカネ?
まさかそんなことがあるわけがない。
そう思うのに、その人懐っこさや、顔立ち。
何もかもがアカネと重なる。
……遠藤さんは、あたしと同級生だって言ってたわよね。
同じ歳なのに、しっかりと夢を持って輝いてる。
それがうらやましいと思っていた。
アカネはあたしよりうんと年上のはずだ。
好意を持ってた子が自分が育てた子だったなんて、そんな変な話があるわけがない。
そう思いながらも、気付けば確かめるために家を飛び出していた。
ショップのあるビルに入る。
遠目から確認した遠藤さんは、やっぱり大人姿のアカネとそっくりだった。
彼女の方が大人びているという違いはあるけれど、その笑顔はあたしの知っているアカネのものだ。
どうして今まで気付かなかったんだろう。
彼女はアカネだ。
ずっと一緒にいて、育ててきたのだ。
あたしが可愛いアカネを間違えるはずがない。
ちょうど接客を終えた遠藤さんを捕まえて、店の外へと連れ出す。
「困ります。勤務中なんです」
遠藤さん――アカネがそんなことを言う。
今はそんなことに構ってられなかった。
「それどころじゃないわ。なんでもっと早く言ってくれなかったの!」
路地裏に引き込んで問い詰める。
壁を背にしたアカネが逃げられないように、体で挟み込んだ。
どうしてあたしが怒っているのかわからないという顔。
それがもの凄く嫌だった。
彼女が大きくなったアカネなら、あたしのことはわかるはずだ。
なのに、遠藤さんとの出会いからこれまでを思い返したところで、そんなそぶりは一切なかった。
店員と客の関係で、トールとあたしを呼ぶこともなかったし、甘えてくることも当然なかった。
目の前の彼女はアカネだと思うのに。
あたしのことを忘れてしまってるんだろうかと不安になる。
「もしかして、以前気にされていた限定品が再入荷した件でしょうか? ご連絡を差し上げたかったのですが、会員登録もされてなかったので連絡先が」
業務的な内容を口にするアカネに、胸が切り裂かれたような心地になる。
あたしなんか知らないというその態度を見たくなくて。
言葉を遮るように、腕に閉じ込めた。
「……あんたずっと一緒に暮らしたあたしに対して、その他人行儀な口調は何なのよ。傷つくじゃない」
少し表情をうかがえば、くりくりとした目を見開いて、アカネがあたしを見ていた。
「アカネ、凄く綺麗になったわね。おかげで気づくのに時間がかかったわ」
「トール?」
言えばアカネがあたしの名前を口にする。
あぁ、やっぱりこれはあたしのアカネだ。
あたしの名前を呼ぶその声に、心が満たされていくのを感じる。
「気づくのが遅いわよ」
「トールっ!」
拗ねたように言えば、アカネが勢いよく抱きついてきた。
全身の力を使って、あたしを力強く遠慮なく抱きしめてくる。それに応えてるようにその背中に手を回す。
位置が高くなったアカネの頭を撫でれば、知らないシャンプーの香り。
それでも彼女は間違いなくアカネだ。
「アカネ、会いたかった」
会いたくて会いたくてしかたなかった。
そう告げれば、アカネが腕の中で泣きじゃくりはじめる。
アカネも同じように想っててくれたんだと思うと……たまらなく幸せな気持ちになった。
「あんたがいなくなってから、あたし駄目になっちゃったの。あんなに服を作るのが好きだったのに、一番服を作ってあげたい相手がいないだけで、なんにも手につかなくなっちゃって」
手放して後で、自分の中のアカネがどれだけ大きかったかを知った。
服も料理も何もかも。
あたしが好きなものは何もかも、喜んでくれる人がいるから成り立つものだ。
何かを作るその先に、いつも誰かが喜ぶ顔がある。
だから、あたしは作ることが好きだった。
笑顔がみたいと一番に思う相手がそこにいない。
ただそれだけのことで、楽しかったはずの事は全て辛いものに変わった。
何をするにも、アカネがいないんだとあたしに思い知らせる材料になった。
「あたし馬鹿なのよ。どんなに人が羨む生活をしてたって、その人が望むものとは限らないって自分がよく知ってたのに。あたしが正しいと思う幸せをアカネに押し付けた。本当はあたしだって、アカネとずっと一緒にいたかったのに」
アカネの髪はあの頃と変わらず艶やかで、触り心地がいい。
あの日の後悔を口にすれば、アカネがあたしを見上げて名前を呼んでくる。
「失ってから気づくなんて、馬鹿よね。でももう一度チャンスをアカネがあたしにくれるなら」
ゆっくりと体を離すと、それだけで視線が絡んだ。
あたしがしゃがんでるわけじゃないのに、その距離は驚くほどに近い。
「大好きよ、アカネ。世界で一番好き。ずっとあたしの側にいてくれる?」
「うん、もちろんだよトール!」
アカネが頷いて、また抱きついてきて。
もう手放すなんて馬鹿な真似はしたりしないと、心から思った。




