【10】殺し文句
「それでヤイチ。なんで着いてきてるのかしら?」
「私も大人になったアカネさんを一目みたいですからね」
家に帰ろうとすれば、ヤイチが隣をニコニコと歩いてくる。
風呂上りのヤイチは、前にあたしが作ってあげた和服を着てご機嫌だった。
「徹夜明けで寝てないんじゃないの? それに仕事は?」
「仕事の方なら、部下に全て押し付けてきましたから大丈夫ですよ。それに朝まで働いたので、今日は一日お休みです」
お風呂に入ったことで眠気が覚めたのか、ヤイチは生き生きとしている。
完全にこの状況を楽しんでいる顔だ。
「それとも大人になったアカネさんを、私に見せたくありませんか?」
「……別にそんなんじゃないわよ」
そんな風に言われたら……見せないわけにはいかなくなるじゃない。
よかったと笑うヤイチは、やっぱり狸だ。
「ねぇヤイチ。あのエルフの薬って、副作用とかあったりはしないのよね」
「ありませんよ。ヴィルトに説明書の方を見せてもらいましたが、ちゃんと輸入の許可も下りている正規品です」
心配で尋ねればヤイチが請け負う。
「こんな薬をエルフの国では普通に売っているの?」
「彼らは遊び心に溢れた一族ですからね。色んなところで騒動を起こしながら旅をしている者が多いんですよ」
あたしの質問にヤイチは少し懐かしそうな顔をした。
エルフ族の文字で書かれた説明書が読めるくらいだ。エルフ族の知り合いがいるんだろう。
「トール、それにヤイチさんまで。おかえりなさい!」
「……ただいまアカネ」
出迎えてくれたエプロン姿のアカネに返事をして、家に上がる。
あたしがいない間、アカネは昼ご飯の用意をしてくれようとしていたらしい。
お昼には早すぎるんじゃないのと言えば、一人で作ったことがなかったから時間がかかるかもしれないと思ったようだ。
「お昼は楽しみにしていてくださいね! 肉じゃが作りますから!」
「それはいいけど……お肉いつの間に買ってきたの?」
言えばぎくっというようにアカネが固まる。
どうやら勝手に外を出歩いて材料を買ってきたらしい。
「お、怒ってます?」
「……別に怒ったりはしないわよ。あたしに料理を食べさせたかったんでしょ? 期待してるから」
あたしの機嫌を伺うようなアカネにそう言えば、はいっといい笑顔が返ってくる。
「新妻という感じで初々しくていいですね」
「ヤイチ、その言い方ジジくさいからね」
あたしもそう思ったけど、口にはしなかったのに。
隣で微笑ましそうにしているヤイチに、一応の釘を刺す。
お昼になってアカネの作ったご飯を食べれば、あたしが作ったものと味が一緒だった。
包丁は手にあまるから、側で皮むきくらいしかさせたことないのに。
ちゃんとあたしの料理を作る姿をアカネは見ていてくれたんだと、嬉しく思う。
「どう……ですか?」
「美味しいわ。これでいつでもお嫁にいけるわね」
いつもの様子で合格よと微笑めば、アカネが立ち上がって身を乗り出してくる。
「トールのお嫁さんにしてくれるんですか!?」
その発言に、危うく味噌汁を噴き出すところだった。
「ごほっ、ごほっ……いきなり何言い出すの!」
「いきなりじゃありません。わたし小さい頃から、ずっと大人になったらトールのお嫁さんになるって言ってました」
咳き込んだあたしに向けてくるアカネの目は真剣そのものだ。
テーブルに置いた腕が少し震えているのに気付いて、勇気を振り絞って口にしてるんだということが分かる。
「いやでもあれは、子供の」
「子供でも。トールが真面目に受け取ってくれなくても。わたしは真剣でした」
言葉は遮られて、真っ直ぐな想いをぶつけられる。
「可愛いものが大好きなとこも、色んな服が作れるところも。こだわりすぎちゃうところも全部大好きです。誰よりもわたしがトールを好きです。だから、お嫁さんにしてください。頑張って、トールを精一杯幸せにしてみせます!」
それはまさにプロポーズとも言える言葉。
真っ直ぐな好意は、純粋でどこまでも白い。
胸の奥が揺すぶられるようだった。
「だから、まずは恋人からでも……友達からでもいいですから、考えてくれませんか!」
ヤイチがごちそうになりましたといい笑顔で席を立ち、その場から立ち去って行く。
それはどっちのごちそうさまの意味なのと、聞く余裕さえあたしにはなかった。
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とりあえずは保留という形にしてもらったけれど。
断られなかったことに、アカネは安堵したようだった。
「今から恋人になれるように、アピールをいっぱいしていきますね!」
そんな宣言までされてしまって、どうしたらいいのかわからない。
とりあえず今日は休みですし、デートしましょうなんて押し切られてしまった。
すっかりアカネのペースに乗せられてしまっている。
横を見れば幸せそうに笑う大人のアカネがいて。
どうにも、いつもの調子が出ない。
アカネがデートの場所に選んだのは、焼けた古城跡に作られた少し遠くにある植物園だ。
昔はここが国の中心だったらしいのだけれど、今では見る影も無い。
花に囲まれた古い城の跡は忘れ去られたようで、どこか寂しげな風情があった。
少し高い場所にあるこの場所からは、あたしたちの街が見える。
茜色に染まる空と、花と、街並み。
あたしはここから見える景色が好きだった。
古城の二階部分にあがる。古城と言っても遥か昔に焼け落ちたため、二階部分には天井がない。
少し残った壁には蔦が張っていて、小さな薔薇が咲き誇っている。
まるで、御伽噺の中の一場面のようだ。
その風景の中、アカネが微笑む。
「覚えてますかトール。トールが出会って一年目の日に、ここに連れてきてくれましたよね」
「もちろん」
今でも鮮明に覚えている。
あの日あたしはアカネに、茜色のワンピースを贈って。
アカネが、初めて大好きだとあたしに言ってくれた。
「わたしの茜っていう名前の色は、こんなにも綺麗なのよって。一番大好きな色なのってトールが教えてくれました。茜色のワンピースを貰って、幸せで嬉しくて。それからわたしはこの時間が大好きになったんです!」
夕日に染まる街をバックに、アカネが腕をいっぱいに広げる。
「この時間が好きじゃありませんでした。家に帰らなきゃいけない時間だったし、わたしが公園にいても誰も迎えにはきてくれませんでしたから」
過去を語るアカネの顔は、もう思い出の一部というようにすっきりしていて。
もうあの頃の怯えていた小さな子供じゃないんだなと思えた。
「トールはいつだって、わたしを迎えに来てくれて。帰るわよって手を繋いで、大好きだよって抱きしめてくれました。そんなトールに、恋をするなという方が無理な話なんです」
まるであたしが悪いみたいな言い方をするアカネは、責任をとってくださいというように少し甘えを含むふくれっつらをする。
照れているのか、夕日のせいなのかその頬は赤かった。
「あたしアカネが言うような素晴らしい人間じゃないわよ? アカネを助けたのだってたぶん寂しかったからで、この世界から帰らなくていい理由が欲しかっただけかもしれない」
「そんなトールも好きです」
あっさりとアカネは言う。
「アカネはあたしのいい部分しか見えてないのよ。娘のように育ててきたのに、あたしはあんたに……良くない感情を抱いてる」
「いいトールも、悪いトールも。それがトールならどんなトールでも、わたしは好きです」
打ち明ければ、まるごと受け入れるというようにアカネは言う。
汚れない純粋な瞳で。
「なんでそう言い切れるの」
「いいところも悪いところも、誰も知らないようなところも、わたしだけが知っていたいんです。トールの全部が欲しいんです! 欲張りなんです……わたし」
何も知らないくせにと思いながら口にすれば、そんなことをアカネは言う。
とんでもない殺し文句に、思わず目を見開く。
言ってから恥ずかしくなったのか、これ以上ないと思ってたアカネの顔の赤みがさらに増して。
その場に、アカネはしゃがみこんだ。
「アカネ」
「……わたしなんかがずうずうしいとはわかってるんです。トールがわたしを娘としか見てないことも。トールは素敵な人ですし、いつかは帰るって言ってたのも覚えてます。でも、でも。少しの間だけでもわたしを恋人にしてくれませんか」
声をかけてしゃがみこめば、俯いたまま涙声でアカネは言う。
消え行くように微かに。
さっきまでの強気はどこにいったのか。
一片してしおらしくなった様子に、何もかも持っていかれてしまったような気がした。
本当にアカネはズルイ。
嫌われたくなくて、大切にしたくて。
娘だから何だのと理由をつけて、どうにか自分を保っていたのに。
こんな風に攻められてしまえば、降参するしかないじゃないか。
「アカネ、顔を上げて?」
優しく言えばアカネは嫌々をする。
「今見せられない顔になってます」
「あたしが見たいのよ。ね、お願い」
そう言えば、ゆっくりとアカネは顔を上げる。
今にも泣き出しそうな、潤む黒目にはあたしが映っていて。
あどけなさを残す少女の顔立ちが、とても愛おしかった。
柔らかな唇に、そっと口付けを落とす。
「あたしもね、あんたのこと大好きよ。でもねアカネみたいに、可愛い好きじゃないの」
何が起こったかわからないというような、戸惑った表情をするアカネにもう一度口付ける。
そのまま唇を割って、舌を潜り込ませればアカネの体がビクッと硬直した。
縮こまった舌を誘い出すように絡めて、アカネの口内を堪能する。
「ん、ふぅ……あ」
零れる吐息も何もかも、全部を奪うように口付ければ、アカネの目元に色が乗ってみたことのない顔になる。
ぞくぞくとして、自分の中の男が引きずり出されていくような気がした。
「俺の好きはこういう好き」
いつもの高めの声じゃなくて素の声で囁けば、とろんとした顔をアカネが向けてくる。
「こんな俺のこと、アカネは怖いと思う? 嫌いになった?」
しでかした後で怖くなって。
尋ねた声は自分でも笑えるほどに情けなかった。
「トールは、わたしの好きを見くびりすぎです」
アカネの両手が頬をそっと包んできて。
俺の唇に、アカネが自分から唇を重ねてくる。
ちゅ、ちゅと俺がやったことをマネして。
拙い動きで舌を入れてくる。
「わたしの好きも、そういう好きです。喜ぶことはあっても……嫌いになんてなるわけないじゃないですか!」
唇を離して後に、アカネは笑おうとして失敗したような顔になる。
次の瞬間、勢いよくアカネが俺の胸に飛び込んできて。
バランスを崩して、床に後ろから倒れこむ。
「うっ、ひっく……」
「あ、アカネ!?」
いきなりアカネは泣き出して。
やっぱり怖がらせて、嫌われてしまったと、自分がした事に血の気が引いていく。
「よかった。トール……わたしトールを好きでいて、いいんですね?」
オロオロとしていたら、アカネがぎゅっとこちらの服を握る手に力を込めてくる。
そんなアカネを見ていたら、たまらなく愛おしくなって。
「ありがとう、アカネ。こんな俺を好きになってくれて」
安心させるように、ゆっくりと頭を撫でる。
「わたし、トールのお嫁さんになりたいです」
「うん」
しゃくりあげながら言うアカネに頷く。
「トールと本当の家族になって、わたしにトールがしてくれたように、子供にいっぱい色々してあげたいです」
そんなことを言うアカネが可愛くて、愛おしくて。
もう一度キスをしたくなったところで、アカネの体から力が抜けたのを感じた。
「アカネ?」
「すぅ……」
問いかけても返事は無い。
どうやら緊張の糸が切れて、寝てしまったみたいだった。
こんなところは、まだ子供なんだな。
少し気が抜けたような、これ以上手を出さずにすんでほっとしたような複雑な気持ちになりながら身を起こす。
きっとアカネも疲れたんだろう。
まだ腫れぼったい目じりに残る涙を拭って、額にはりついた前髪を払う。
寝顔は幼さが増して、俺のよく知るアカネとそう変わらない。
空を見れば茜色から宵の色に近づいていた。
日が沈み空が紺色を増す。
「ん?」
ふいに腕の中の質量が変わった気がした。
視線をアカネへと戻す。
「んぅ……トール」
寝言を呟くアカネは、元の七歳児の姿に戻っていた。




