【9】あたしの好きは
「ベッドが小さいので、トールのベッドで一緒に眠ってもいいですか?」
小首を傾げてアカネがそんな事を言ってくる。
「そうね、あたしのベッドを使いなさい。あたしはソファーで寝るから」
「ここはトールのベッドですし、いつものように一緒に寝ましょう?」
アカネのベッドは七歳の時の体に合わせてあるから、あわないのはなんとなくわかる。
でも一緒に眠るなんていいわけがないだろう。
どうにもアカネは、子供の時のノリをそのまま引きずってしまっている。
「大人になったら、男と女は別々に寝なきゃいけないの。一緒のベッドなんて絶対駄目」
「でもトールはオネェだからセーフです!」
きっぱり言ったあたしに、アカネは食い下がってくる。
どうしても一緒に眠りたいらしい。
もしかすると、ベッドが小さいなんて口実で。
急に大人になったから、不安になってるのかもしれない。
体は大きくなったけれど、アカネはアカネだ。十分にありえた。
「しかたないわね、今日だけよ」
「ありがとうございます、トール!」
言えばアカネが抱きついてきて、前まではなかった質量が胸のあたりに押し付けられる。
喜ぶとあたしに抱きついてくる癖を……どうにかしないといけないかもしれない。
これを毎回やられると、こっちの身がもちそうになかった。
でも突き放すなんてこともできなくて、しかたないわねと表面上は冷静を装ってアカネの頭を撫でる。
気持ちよさそうにあたしに身を預けたりなんかして、目を細めて。
――俺が男だってことを、アカネはちゃんとわかっているんだろうか。
「トール、怖い顔してます。やっぱり駄目ですか?」
「……そんなことないわよ。寝ましょう?」
よくわからないモヤモヤとした気持ちを押さえつけて、ベッドにもぐりこむ。
この日はあまりよく眠れなかった。
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朝目覚めて横を見れば、大人になったアカネがすやすやと寝ていた。
「……」
寝相は悪く、あたしの知っているアカネと同じみたいでお腹が出ていたのでそっと服を直す。
おへその形がいいななんて思った自分が嫌になる。そんな目でアカネを見るなんて……最低だ。
やさしく毛布を被せてやってから、逃げるようにベッドを抜け出た。
朝食の用意をして、今日は自宅から一切出ないよう書置きをして外に出る。
お昼までには帰ると書いておけばアカネも安心するだろう。
今日は店の定休日だったので、外に出て朝の空気を吸う。
一人で考え事をしたい気分だったので、散歩をすることにした。
アカネは大人になった。
これで元の世界に帰す必要はなくなった。
ここまではいいとしよう。
問題はこれからどうするかだ。
こんな事態を想定していなかった。
……まさか、あんなにアカネの見た目が俺好みだったなんてな。
一人頭の中で呟いてから、少しその言葉は違うような気がした。
想像していた大人のアカネが、自分の好みだっただけで。
自分の好みと、偶然大人のアカネの姿が被ったわけじゃない。
大人姿のアカネだったからこそ、あんなにドキドキした。
当然のようにそんなことを思ってから、自分がすでに答えを導き出していることに気づく。
立ち止まり額を押さえた。
「なんだよそれ。そんなの最初からアカネが好きで、しかたないってことじゃないか」
つまりはそういう事だ。
純粋で明るくて、真っ直ぐで、素直なアカネ。
子供っぽいところはあるけどしっかりしていて、人を思いやることのできる良い子に育った。
俺のすることにいちいち反応してくれて、こんな俺を大好きって言ってくれる。
可愛い、可愛い俺のアカネ。
七歳の姿だから、強く意識したことはなかったけれど。
確実に好きは積もっていた。
もしもアカネが大人になれたなら、その隣にいるのは自分がいいなんて、考えたことがないなんて言わない。
でもそれは望んではいけないことのような気がして、蓋をしていた部分だ。
いつからそんな風になってしまったんだろう。
人知れず大きな溜息を吐いた。
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「大人から元に戻す方法? そんなの聞いてどうするんだよ。トールはアカネを大人にしたかったし、アカネは大人になった。何が問題なんだ?」
ヤイチの屋敷を訪ねていけば、ヴィルトがそんな事を言った。
「……」
確かにヴィルトの言う通りだ。
けど、こう落ち着かない。
それをどう伝えていいのかわからなくて、黙り込む。
「ちゃんとアカネと向き合ったほうがいいと思うぞ。俺はこれから隊ちょ……犬の散歩の当番だから。じゃあな」
何も言い返せないあたしを置いて、ヴィルトは大きな犬をつれて散歩に出てしまう。
元の世界で飼っていた大型犬よりも一回りも二回りも大きい。背中にだって大人が余裕で乗れてしまう大きさだ。
昔ヤイチが育てていた、狼人のグエンという子を思い出す。
もしかしたら、この子は狼なのかもしれない。
容貌はグエンの狼姿にも似ていたけれど、子供だった彼と違って成体のようだ。
首輪をしてちゃんと待てをしていたあたり、見た目はともかく中身が万年反抗期のグエンとは似ても似つかなかった。
折角だからヤイチにでも相談してみようか。
まだアカネのいる自宅に戻る気になれなくて、ヤイチに取り次いでくれるよう屋敷の人に頼んでみる。
通されたヤイチの部屋は和室。
ヤイチはこの国にやってきたトキビトに働きかけ、畳の技術まで再現してしまっていて。
この部屋にはフスマから囲炉裏まで揃っている。
あたしの元の世界の家は洋風だったけれど、ニホン人としてなのか畳間であるこの部屋は妙に落ち着いた。
「すいません、今立て込んでいまして」
「ううん。こっちこそ、無理言ってごめんなさいね。仕事中だった?」
現れたヤイチは王の騎士専用の白い軍服姿で、謝れば大丈夫ですと笑う。
少し立て込んでいる用件があって、朝まで城で報告を行なっていたのだということだった。
「そんな忙しいのにあたしったら。ごめんなさい、大した用じゃないのよ」
出直すわねと言えば、ヤイチはあたしを引き止めた。
「大した用だからわざわざ来てくれたんでしょう? 約束もなしにトールが私を訪ねる事なんて滅多にないですから。今から風呂に入るんですけど、一緒にどうですか?」
「……そうね、ご一緒させてもらおうかしら」
誘いを受ければ、嬉しそうにヤイチは笑った。
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「エルフの魔法薬でアカネさんが大人になってしまって、トールは戸惑っているとそういうわけなんですね」
「そうなの」
ヤイチに頷きつつ、相槌を打つ。
体を洗うヤイチは普段結んでいる髪を下ろしているからか、一瞬女性に見えなくもない。
ただし意外と鍛えられた体を見れば、男だなとすぐにわかるのだけれど。
ヤイチは結構細くて、特に背が高いというわけでもなく。
失礼だけれど、強そうには全く見えない。
これで国一番の騎士というのだから驚きだ。
「大人になったアカネさんはどうですか? 可愛いですか?」
「当然可愛いに決まってるでしょ。あたしが愛情かけて育ててきたんだから。可愛すぎて……どうしたらいいのかわからないくらいよ」
ふふっと何もかもわかっているような顔で、ヤイチが笑いかけてくる。
悔しいけれど、そうやってわかっていてくれていると知っているから、ヤイチには本音を話すことができた。
「トールは本当にアカネさんが大好きですよね。なら今までどおりこの世界で、アカネさんを大切にしてあげればいいじゃないですか」
言いながらヤイチがあたしの横に腰を下ろす。
熱い湯の気持ちよさからか、ほっとしたように息を吐いていた。
「今まで通りなんて無理よ」
「どうしてです?」
呟くあたしに、ヤイチが優しく問いかけてくる。
「アカネのあたしに対する態度は変わらないのに、あたしはアカネを今まで通りに見ることができないから」
もやもやとした想いがヤイチの問いによって形になって俯けば、自分の顔が湯に映る。
アカネには絶対見せないようにしてる、頼りない顔。
こんな悩みだらけの人間だと、アカネには知られたくなかった。
「どうやらあたし、アカネのことが娘以上に好きだったみたい。大人姿になったとたん自覚しちゃったのよ。こんなんじゃどちらにしろ、もう一緒にいられないでしょ?」
「新しい関係を気付けばいいじゃないですか」
自嘲するあたしに、ヤイチはそんな事を言ってくる。
「あの子が好きなあたしは、保護者であるあたしなのよ。男の部分を出して傷つけたくないし……嫌われたくない」
戸惑いの奥底にあった不安を引き出される。
あかねは『あたし』を受け入れてくれている。
でも、それも一部でしかなくて。
男の『俺』が受け入れられなかったらと思うと、怖くなる。
「きっと今のあの子といたら、オネェじゃないあたしがひょっこり顔を出すと思うの。自分でもどうにかできる気がしなくて……危険なのよ。ってヤイチ、何ニヤニヤしてるの」
「いえ、あなたがそうやって歳相応に恋愛で悩んでいるところを見たことがなかったもので」
ふふっとヤイチは笑う。
人が真剣に困っているのに、本当いい性格をしている。
「そう睨まないで下さい。あなたが睨むと、凄みがあります」
「悪いのはヤイチでしょ? 全く人事だと思って」
「人事とは思ってませんよ。ようやくトールに春が訪れたことを、友人として喜んでいるだけです」
さらりとヤイチは口にする。
からかわれているのかと思ったけど、ヤイチはただ本当に嬉しそうだ。
他意はないんだろう。
「そろそろあがりましょうか。トールがのぼせてしまいそうですし」
「……そうね」
ふふっと笑うヤイチは少し面白がるようにも見えたけれど。
話したことで、少し気分が軽くなったようなそんな気がした。




