【7】子供のままで
「アカネ、最近あたしがあげた口紅つけてくれないのね?」
プレゼントした当初はよくつけてくれてたのに。
「わたしにはまだ早かったみたいです。わたし、まだ子供ですから!」
言えばアカネはそんな事を言って笑う。
「そんなことないわよ。もうアカネは十五歳なんだし、ちゃんと似合うやつ選んできたんだから」
「いいえ、わたしにはまだ早かったんです! 化粧はもっと大人になってからにします」
やたらきっぱりとアカネはそう宣言した。
「そ、そう?」
「そうなんです。それよりもトール、今日は一緒に遊びに行きたいです」
剣幕に押されたあたしに、アカネがぎゅっと抱きついてくる。
可愛らしい上目遣いで、甘えるように。
わがままを言って当然のような態度ではなくて、やっぱり駄目かなとわたしの答えを窺うような表情が見え隠れする。
そういうところも、たまらなく可愛い。
「もちろん、アカネからのお誘い嬉しいわ」
「やった! トール大好きです!」
ぎゅっとわたしに子供っぽい仕草で、アカネが抱きついてくる。
「あたしもアカネが大好きよ」
お決まりになった言葉を返せば、アカネは見たことのない大人びた表情で笑う。
苦しさを押し殺すような、そんな憂いを帯びた顔。
「……アカネ?」
「トール、大好きです!」
ドキッとしたあたしに、アカネがいつもの笑顔を向けてくる。
無邪気で無垢な表情。
普段と何もアカネは変わらない。
気のせいだ、とも思ったのだけれど。
アカネが一瞬見せたあの表情が、頭から離れなかった。
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「トール見てください、これ頑張って描いたんですよ!」
拙いあたしの似顔絵を、アカネがプレゼントしてくれる。
「嬉しいわ。ありがとうアカネ」
「えへへ」
頭を撫でればアカネは嬉しそうに笑う。
「お外で友達と遊んできますね!」
「いってらっしゃい。あぁそうだわ、忘れるところだった」
あたしがしゃがめば、アカネから頬に唇を寄せてくる。
「行ってきます、トール!」
「えぇ行ってらっしゃい」
ちゅっとアカネの頬にもそれを返す。
前までは少し恥ずかしそうに、もう子供じゃないんですよとむくれながらもしてくれた、いってきますのキス。
今のアカネはそれを惜しげもなく、躊躇いなくしてくれる。
あれから三年が経って。
十八歳になったアカネの見た目は、相変わらず七歳のままだ。
それだけじゃない。
中身も、まるで七歳から止まっているかのように子供っぽいままで。
今日の遊び相手は、七歳から十歳くらいの近所の子供達だった。
トキビトの見た目は成長しない。
なのに背を伸ばすんだと、毎日飲んでいた牛乳も飲まなくなって。
子供扱いされれば少しむくれたくせに、それを喜ぶようになった。
喜ぶというのは……正しくないかもしれない。
それを受け入れるフリをしてると言ったがいい。
アカネは無理をしている。
子供っぽくふるまって、子供でいようとしてる。
特にそれはアカネの親友であるヴィルトが学校を卒業して、この街を旅立ってから拍車がかかった。
あたしだって鈍くない。
アカネがそういう事をする理由も、何もかも気付いてる。
大人になれば、あたしと離れる日がくる。
それが嫌で、アカネはこんなマネをしていた。
本当にアカネはいじらしい。
あんなに大人になりたがってたのに、あたしといる方を優先するなんて。
本当に、アカネはお馬鹿さんだ。
――まぁ、一番の馬鹿は俺だけどな。
ひとり心の中で呟く。
そんなアカネに騙されたふりをして、アカネといる時間を引き延ばしている。
アカネのためというより、それは自分のためだ。
もうアカネは立派な大人だ。
物事をきちんと考えて、自分の意思で行動できる。
自分のしたことに責任だって持てるし、俺がいなくたって一人で生きていける。
そんなこと――とっくの昔に気付いていた。
このままじゃ駄目だ。
アカネを手放してあげないと、アカネは俺のせいで大人になれない。
分かっている。そんなことは分かっているのだ。
でも。
手元にはアカネがくれた絵。
たぶん本当は、アカネの絵はもっと上手い。
わざとヘタに描いたんだろう。
子供っぽさを出すために。
娘はいつか親の元を旅立っていく。
それはどこの世界でも同じで、きっと人の親ならこの気持ちを味わうんだろう。
娘の幸せを思えば、辛くたってそれを許容できるはずなのに。
どうして俺はそれができない?
アカネの幸せを誰よりも望んでる。
それは間違いないし、嘘じゃない。
自分に問いかけた答えを、すでに俺は持っていて。
わざと見ないふりをする。
――アカネを幸せにするのは俺がいい。俺じゃなきゃ嫌だ。
そんなワガママ、許されるはずがないから。
絵の中では、アカネと俺が手を繋いでいる。
幸せそうに笑っている。
どうしてこのままじゃいけないんだろう。
絵の上に、雫が滲む。
いつかは帰さなきゃ、帰らなきゃいけない。
帰したい、帰りたいわけじゃない。
最初から選択肢のない、義務だ。
しなきゃいけないことだ。
「……っ、アカネ」
手元でアカネのくれた絵が、くしゃりと歪む。
離れたくなんてない。
手放したくなんてない。
ずっと側にいてほしい。
口に出してはいけない本音は。
一人っきりの店内で、涙となって零れた。




