【4】オネェなあたしと、偽の恋人
「これ、トールからわたしに?」
「そうよ、口紅。可愛いでしょ?」
プレゼントとして買った口紅をアカネに手渡せば、その頬が上気する。
「アカネももう十五歳だし、この国では成人ですもの。あたしのいた国では成人するのは二十歳なんだけど、化粧は覚えておいたほうがいいと思うわ。大人の女の武器ですもの」
「大人の女の武器……大切にしますね、トール!」
桃色の貝殻風の容器に入った口紅を、アカネは喜んでくれたみたいだ。
ぱぁっと華やいだ表情に、買ってきてよかったと思う。
さっそく色を試しましょうと、アカネのぷっくらとした唇に紅を乗せる。
じっとあたしに唇を委ねてるアカネは、緊張してる様子が可愛い。
色がつくというよりは、保湿の役割の方が高い紅。
艶が出るだけでアカネの唇はおいしそうになる。
「これからはちょっとずつ、化粧も教えるわね。向こうの世界へ帰った時に、アカネの役にきっと立つわ」
「……わたしの帰る場所はここですよ。トール」
言えばアカネは不安そうな顔になる。
「そうね」
優しくアカネの頭を撫でる。
今はまだアカネの居場所はあたしの側だ。
自分で口にしたくせに、アカネのその一言に酷く安心した。
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「お客様の肌の色だと、明るめもいいかもしれません」
「えぇどれもいいですわね」
服を見て欲しいのに、この客ときたら鏡越しにあたしの顔ばかり見てる。
人の話を聞いているんだろうかと思いながらも、営業用のスマイルを浮かべた。
春物の服を見繕って欲しい。
そろそろお昼に入ろうかなとしたときにやってきたこの客にそう言われ、指名を受けたので相手をしていたのだけれど。
これなら弟子の誰かに任せたほうがよかったかもしれない。
「全部買い上げますわ。それでこれからお昼休みだと思うのですけど、よければ一緒にランチへ行きませんか?」
甘えたような声で女性客が言う。
それが目的か。
嫌な予感がするなと思ったら案の定だ。
「お誘いは嬉しいんですけど……あたし、オネェですよ?」
「気にしませんわ。一度付き合ってみれば、女のよさが分かるはずです」
ふふっと品をつくって振舞えば、大抵の人は引いてくれるのだけど。
この女性は引き下がらずに、あたしの腕にぐっと胸を当ててくる。
「それにあなたのように才能も何もかもある方がオネェだなんて、もったいないです……わたくしが女の魅力を教えて差し上げます」
美人だし、自分に自信があるタイプなんだろう。
それにしても、もったいないって何がもったいないのか。
どうせ――あたしの顔しか見てないくせに。
別に根っからのオネェというわけじゃないし、女性に興味はちゃんとある。
ただ、元の世界に帰るあたしは、この世界で恋愛する気はないだけだ。
それに、目の前のこの女性にも惹かれるものはなかった。
けどお客さんだから、不躾に断るわけもできない。
困っていたら、ちょうどヤイチがドアを開けて店に入ってきた。
あたしと見た目だけは同じ、二十代のトキビト。
黒髪を尻尾のように後ろで結んでいて、いつだって背筋が伸びている。
誠実で柔和な顔立ちをしたニホン人の青年だ。
ヤイチの隣には、アカネの友達のヴィルト。
ヴィルトはあたしの弟子であるヘレンの知り合いでもあり、ヤイチの家にお世話になりながら十月から騎士の学校に通っていた。
たぶん、ヤイチがあたしの所に行くと言ったから、友達のアカネに会うために一緒に着いてきたんだろう。
助かったと、すぐさまヤイチに抱きつく。
「もう、遅いじゃないのヤイチ。ヤイチがこなかったから、あたし口説かれちゃってたのよ?」
嬉しそうな声を出して、ヤイチの唇をちょんと人差し指で押す。
「あぁ、それはすいません」
それだけでヤイチは察してくれて、苦笑しながらあたしに迫っていた女性に目をやる。
「彼は私とデートの先約があるんです。すいませんが、お借りしてもよろしいでしょうか」
「えっ、ええ……」
ヤイチが丁寧にそう言って微笑みかければ、さすがの女性もいいえとは言えないようだった。
女性だけでなく、ヴィルトも目を真ん丸く見開いて驚いている。
「それでは失礼しますね? あなたたち後は頼んだわよ。行きましょうヤイチ?」
「えぇ、トール」
弟子達にその場を任せれば、ヤイチがどうぞとあたしに腕を差し出してくる。
仲睦まじい雰囲気を演出しつつ、自分の腕をヤイチの腕に絡ませて。
店の外へとあたしは脱出した。
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「ありがとうヤイチ、助かったわ。もうしつこくて」
「いえ。それにしても、その言葉遣いでも未だに誘ってくる女性はいるんですね」
言えば、側を歩くヤイチが笑う。
ヤイチの話を聞きながら、一緒にお昼を食べに行くことにした。
「店が軌道に乗り始めた当初は、服というよりあなた目当ての客が多かったですよね」
「そうね。あたしってば黙ってれば顔がいいから」
当時を振り返るヤイチに、溜息交じりに呟く。
別に自画自賛というわけじゃないけれど、これのお陰で少し苦労した。
ここは服屋なのに、あたしを見に来てどうするんだという話だ。
オネェ言葉を使うことを思いついてから、誘ってくる女性客は減ったけれど。
女寄りの顔をしていることもあって、今度は男から誘われたりもして。
その度に、ヤイチと小芝居をすることで相手を退けていた。
優男に見えて、ヤイチは実は国一番の騎士だ。
この国の創立から関わっているトキビト。
そんな凄い人物を、こんな下らないことにつき合わせてしまっているなとは思うけれど。
こうやって気安く頼られる事を、ヤイチは喜んでいるふしがあったし、あたしは彼を友達だと思っていた。
――ヤイチってお偉いさんって感じがしないのよね。
誠実で真面目かと思ったら、結構お茶目。
あまり物事に動じなくて、いつもニコニコしていて。
それでいて世話焼きで、お節介で、ちょっとジジくさくて……それでいて時々油断ならない。
そんな風にあたしはヤイチの事を見ていた。
今日はとても天気がよかったので、外のテラス席で食べることにする。
いつもヤイチとくるこの喫茶店は、日本食の定食をいくつか置いている。それぞれ違うものを注文して席に着いた。
「うちのヴィルトとアカネさんは、とても仲良くなったみたいですね」
「そうなの、気が合うみたいで。ヴィルトはちゃんとアカネを七歳じゃなくて、歳相応に扱ってくれるのよね」
ヤイチに話しかけられて頷く。
真っ直ぐでアカネと似た性質を持つヴィルトのことを、あたしは結構気に入っていた。
「ヴィルトにはアカネさんと同じく、トキビトの想い人がいますからね。それでアカネさんのことも受け入れやすかったのでしょう」
「あぁそれならアカネから聞いてるわ。ヴィルトの屋敷のメイドでミサキちゃんって言うのよね……って」
お冷を飲みながら、微笑ましそうに笑うヤイチの言葉に頷きかけたところで。
「ちょっと待って! ヤイチ今あんた、アカネに想い人がいるって言った!?」
聞き捨てならない言葉を拾って、思わず身を乗り出す。
「あぁやっぱり、トールにはアカネさんも言ってないんですね。二人とも恋のお相手がトキビトで、子ども扱いされて相手にされないという所で意気投合したようですよ?」
そんな話あたしは聞いてなかった。
アカネに想い人が。
年頃だからそういうこともあるだろうと覚悟はしてた。
でも、親がわりのあたしに相談くらい……いやでも、親がわりだからこそ言い辛かったのかもしれない。
友達のような関係でもあったし、あたしには何でも話してくれるんじゃないかと思っていた。
「一体誰なの、そのアカネの恋の相手って」
「私から言えるわけないじゃないですか」
問い詰めれば、ヤイチは勘弁してくださいと苦笑する。
ここまで口にしておいて、肝心なところでヤイチは焦らす。
ヤイチは一見お人よしに見えるけれど、少し意地の悪いところがあった。
あたしが気になるとわかっていて、さりげなく話題を振ったくせに。
恨みがましく見つめれば、私のオムライスも一口食べますかなんて言ってくる。
ちなみにオムライスはニホン発祥の料理だ。
ザ・和食というものが好きなヤイチだけれど、オムライスはわりと好きなようだった。
そういう意味で見つめてたわけじゃないことくらい、わかっているはず。
本当ヤイチは、とぼけるのが上手だ。
少しむっとしたので、ケチャップで卵の上に盛大なハートを書いてやり、それをスプーンですくう。
「ほらヤイチ、あーん」
「えっ、いや私はあなたに一口食べますかと聞いただけで」
うろたえるヤイチに、甘えを含んだしかめっ面を向ける。
「なによ。あたしの手からじゃ食べられないって言うの?」
「いえ、そういうわけでは……人が見てますし」
「人が見てるからこそ、でしょう? あんたもあたしも、どうせこの世界にお相手はいないわけだし?」
つまりは互いに、寄ってくる女性対策。
こうやって仲良くふるまうことで、勝手に周りが勘違いして、そっとしておいてくれたりするのだ。
「それはそうですが……」
「でしょう? ほら、あーん」
ヤイチは結構押しに弱い。
再度スプーンを押し付ければ、顔を真っ赤にしながら応じてくれた。
ヤイチがスプーンを口に含んだところで、後ろの席から派手な音がした。
「ん、何かしら?」
「……誰かが椅子に座り損ねたみたいですね。気にすることないですよ。もう一口いいですか?」
振り向こうとすれば、ヤイチがそんな事を言ってくる。
「あらどういう風の吹き回し?」
「いえ、ここ最近私も結構お誘いを受けるものですから。このあたりで、トールと仲睦まじい様子を見せ付けておければと思いまして」
本心ではあまりやりたくないなと思っているのが、丸分かりの顔。
けど覚悟を決めたように、おずおずとヤイチは自分から口を開けた。
この照れて恥らう顔を見ていると、どうにもからかいたくなってしまう。
ヤイチに何度かあーんをして、少し仕返しをした気になったところで、あたしを訪ねてきた用件を聞く。
どうやらヴィルト用の服の注文に来たらしい。
それを引き受けて店に帰り仕事へと戻る。
夕食の時間になってアカネを奥の部屋へ呼びに行けば、ヴィルトと二人深刻そうな顔をして向かい合っていた。
「トールはオネェだし、その可能性はあるとは思ってたんです。でも、でも……わたし、さすがに男にはなれないです! 何かの間違いです!」
「アカネ受け入れろ。教えてもらった好きな人の条件に、あの人なら全部当てはまる。二人はとても仲いいし、でもまさか……とは思わなかったけどな」
顔を覆うアカネを慰めながら、ヴィルトが悲痛な声を出す。
どうやらあたしにも関係のある話のようだけれど、内容が見えない。
「さすがに俺もショックがでかい。これからどうやって接したらいいんだ? 毎日顔合わせるのに」
「わたしも、どうしたらいいんでしょう?」
ヴィルトは難しい顔をして低く呟いて、アカネも途方にくれた顔をしている。
二人の間にある空気は重く、まるでお通夜みたいだった。
「ヴィルトまだいたのね。夕飯食べてく?」
「いや……俺はこれで」
込み入った話のようだったので、何も聞かなかったふりをして声をかければ、ヴィルトが視線を合わせずに断りを入れてくる。
妙によそよそしい態度だった。
「気を、強く持て。それしか俺には言えない。俺も二人を見る目が色々変わりそうだけど……普段通りに振舞うよう頑張るから」
ヴィルトが暗い顔でアカネの肩を叩き、そのまま静かに去って行った。
「何を話していたの、アカネ?」
「トールが気にすることじゃないです……ふふ、ふふふ」
風が吹いたらかき消されてしまいそうなほどに弱々しい声。
壊れたように笑いながら立ち上がって、アカネはふらふらと部屋へ入って行ってしまった。
その日のアカネは上の空で、夕飯もあまり口にしなくて。
何かあったのと言っても、泣きそうな顔であたしを見つめるばかり。
一体何があったのかと、心配でしかたなかった。




