夏休みの自由研究と一輝のトラブル
美智子は、涼しい図書館の中で頭を抱えていた。と言うのも、夏休み自由研究の事前学習で図書館に着たが、あの3年前の伝染病関連の新聞記事や記録、それを元にしたノンフィクション小説などの書物の量が物凄かった。全部でごまんとある。電話帳1冊だけ読み終えるのに、美智子は休息なしの徹夜でも7日はかかる。ごまんとある資料を読み終えるのにはきっと98年必要だ。
幸い、 助っ人は居る。オタクの矢川俊彦。彼は、身長は平均のちょっと上くらい。男子のわりには髪の毛が長かった。きっと前髪で片目をゲゲゲの鬼太郎のように隠せるくらいはあった。だが、顔は飛びっきりのイケメンではないが、欠点のない端整な顔をしていた。
俊彦は眼鏡を掛け、新聞を黙々と読んでいた。美智子は疲れた目を休ませるようにぎゅっと閉じ、体を伸ばした。
「ねえ、これっていつ終わると思う?」
俊彦は低い、ちょっと不気味に思える声で言った。
「読書好き50人の生徒が24時間交代で読んでも、約二週間半は掛かる」
「嘘?そんなに?」
「新聞は文庫本1冊ほどに匹敵する。それがごまんとある。もし、それを全部読めといえば、あなたは何週間で読み終える?」
「たぶん…28週後...それくらいには読み終わってる」
「たぶん、もっと掛かる。あなたの場合、きっと28ヵ月後だ」
この台詞にむっと来た。
「じゃ、あなたは何年掛かる?」
「28世紀後には世も終えているはずだ」
「生きてるわけないじゃん!」
美智子は気を取り直して、新聞を読み始めた。
“日本に襲い掛かる謎の伝染病”
“政府は、東京を隔離、関東を封鎖、感染拡大を阻止しようと試みる”
美智子は新聞の見出しを見つめた。良く覚えていないが、3年前にTVでこんな感じのニュースが流れていたような気がした。
“……7月28日、午後4時35分、高山総理大臣が記者会見を開いた。東京封鎖の理由を総理は未知の伝染病に対する対応と回答。陸上自衛隊が総力を挙げて東京を封鎖する努力も空しく、感染者は千葉県内に現れたと公言、総理は感染防止の措置のため、関東を隔離すると発表。すでに隔離は実行済みであり、陸上自衛隊の厳重な監視の下、関東は完全に封鎖された”
別の記事の見出しを読む。
“感染者、九州方面に現る。高まる緊張と恐怖。政府の対応は?”
“……昨日未明、九州内の複数の病院で見たこともない症状を見せる急患が続出していると各病院院長が市長に報告。各市長は政府に報告し、政府は緊急対策として陸自を用いて急患を隔離。これに伴い、九州地方も封鎖すると言う未確定な情報が流れている”
美智子は改めてぞっとした。こんな事件がほんの数年前に起きていたことを実感していた。
“伝染病の猛威止まらず、最終手段日本封鎖を実行”
“……国内の感染者数が増加する中、政府はラジオ放送、及びニコニコ動画の生中継で人類滅亡の危機が迫っていると公言、政府は緊急最終措置として、日本本州封鎖を発表。反対の声が飛び交う中、政府は陸海空全自衛隊の総力を結集、在日米軍に協力を要請し、日本隔離を実行に移す。同時に国内の秩序が崩壊し、略奪や火災が一斉に発生。日本の未来が心配される。本社も本日を持って発行を停止。皆様の安全を心からお祈りします”
美智子はここで気づいた。
「ねえ、俊彦」
「ああ、言いたい事は分かっている。“どの新聞も日本隔離の様子についてはちゃんと書かれているが、伝染病に関する情報は一切ない”。だろ?」
「その通りよ」
本当に不思議だった。これほど騒がれているのに、なぜ症状については一切書かれていないんだろう?きっと本当に危険な感染症だったのだろう。あの新型インフルエンザが大流行された際、都市封鎖や地方の隔離などは行われていない。なのに、この新種の感染症は日本そのものを隔離した。よほど危険ななものなのか?
「ねえ、俊彦、ウイルスの発生で封鎖された前例ってある?」
「ある。非常に致死率が高いエボラ出血熱が発生した際に軍隊が出動した事もある。これは治療支援ではなく、感染者が発生地域外へ出ないようにし、発生地帯をその地域のみに「封じ込めるため」だ。無断で指定区域外へ出ようとする者はその場で射殺せよと言う大統領命令が下った例もある」
俊彦は眼鏡を外し、続けた。
「だが、これはあくまで地域の封じ込めだ。だが、この感染症は最初は首都、やがては地方、最終的には本土を封じ込めした。この『黙示録を引き起こすウイルス』という本では、実際に内閣から射殺命令が出たそうだ」
美智子は改めて寒気がした。こんな感染症が発生してたなんて、あまりにも恐ろしい。だが、1つ引っかかる点があった。
「なら、何で感染症は治まったの?」
「何?」
「だって、これは短期間であっと言う間に広がった。でも、そしたらおかしくない?空気感染なら、韓国や中国にだって感染者が出たっておかしくないじゃん」
「あのな、空気感染で世界中に広まったウイルスはそうないと思う。あの新型インフルエンザだって、感染者が日本に帰国したから流行ったんだ」
「でも、仮に空気感染だとしたら、3年で日本を開放するのは早すぎるんじゃ?」
「難しいこと言うな」
「空気感染じゃないとしたら、一体どうやって感染するの?」
「そしたら、接触感染か飛沫感染、経口感染、血液感染とか」
美智子には何かが突っかかった。
「確かに空気感染したかなんて分かんない。少なくても民間の図書館ではな」
「?」
「記録保管所の警察記録とかなら、何か書いてあるかもしれない。実際、SATとかが封鎖に関与したからな」
「え?どうやって見れるの?」
「あいにく、警察レベルの記録は極秘事項だ。許可証とかが必要だ。だが、俺は許可証なしで手に入れられる」
「どうやって?」
「ま、しばらく学校を休む。記録が手に入ったら、学校に行くからな」
そう言って、俊彦は立ち上がり、図書館から出た。山の様な資料をそのままにして。つくづく彼が本当に中学生なのかどうかが分からなくなってきた。
美智子はごまんとある資料を片付けるのにも一苦労した。そして、自宅に帰り、今度はインターネットで調べることにしたが、やはり事件そのもののサイトはあるが、感染症に関するサイトは一切ない。これまた不思議だった。本当なら父に聞きたいところだが、父は仕事の関係で東京に居ない。誰かいないだろうか?当時日本に居た親しい大人が。
すると、思い当たる人物が居た。橘椿だ。彼女は現在18歳ほどだが、3年前は恐らく15歳ほど。中学から高校生辺りだ。当時の封鎖では、よほどの役人や金持ちでなければ、中々日本から出られなかった。すると、彼女の身内が役人や金持ちでなければ、3年前は日本にいたはずだ。少なくとも、封鎖が発表される前は。
だが、突然「3年前の伝染病は何ですか?」と聞かれても、恐らく橘は困惑するだろう。それに、それほど親睦は深くない。かといって、今物凄く橘と親しそうな美由紀を利用するわけにもいかない。彼女を利用してはならない。彼女を裏切ってはいけない。
橘と親睦深めるのには、時間が掛かりそうだ。かといって俊彦を待つのも時間が掛かりそうだ。誰かいないだろうか?例えば、橘が好意を抱いていた人物に似ている人物とか
栗山一輝は、正義感が強かった。それは、生まれたときからそうだった。父親は刑事、母親は凄腕弁護士、兄は航空自衛隊、祖母は天才ピアニスト、祖父はヤクザだ。この完璧な家系である栗山一族の共通点は、全員が正義感が強い。父は犯罪から街を守ろうと、昇格蹴って刑事のまま様々な事件に関わった。母は凶悪犯の弁護はしなかった。むしろ、依頼人が凶悪犯なら不利にした。母は自分が本当に無実や善人だと見込んだ人物の弁護を受けた。祖母は、金や恵まれない人たちのために、無償で公演したことが何度もあった。父はヤクザだったが、市民には迷惑掛けず、麻薬も使わない、敵対ヤクザや法で裁けない組織を襲撃し、表上は最悪なヤクザと記録されたが、実際はかなりの人々に支持された。そんな家族に生まれた一輝は正義感が強かった。無論、昔は悪戯などしたが、それはあくまで嫌な奴に対してだ。あるとき、小学1年の頃、女子が男子にいじめられ、助けようとしてボロ負けした。彼は力なき正義は無力だと悟り、空手と柔道を習った。すると、誰も彼の前でいじめはしなかった。
そんな一輝にも、今でも罪悪感感じることがあった。それは、好きな女子ができた。彼女に振り向いて欲しかった。だからちょっかいだしてしまった。無論嫌われたが、その後、交通事故に遭いそうになった彼女を助け、自分は重傷を負った。だが、彼女は彼を見直し、以後、2人は親密な関係になった。だが、3年前に彼女と会えなくなった。一輝は日本を出て、彼女は日本に残った。
そんな一輝は廊下を歩いていた。3年前のあの「光景」は忘れていない。3年前、義務教育を受けている未成年者は強制的に日本国外に出ることになっていた。だが、一輝も彼女も日本に残ると決意、飛行機に乗らずにしようとしたが、群衆の中に一輝は巻き込まれ、飛行機に乗ってしまった。その時は混乱そのものだった。彼女の姿はなかった。それ以後、彼女を見ていない。
あのときの混乱した光景は酷かったが、今は平和そのものだ。日差しが差し込み、生徒の話し声を除けばいたって静かだ。
そんな中、一輝はある先生を見かける。橘椿だ。橘は、非常に重そうなダンボールを2つ辛そうに運んでいた。良く見れば、腕が震えていた。よほど重いのだろう。栗山一輝艦長、救難信号です。よし、直ちに救助する。
「橘先生」
橘は振り返る。とても辛そうな顔だった。橘はダンボールを置く。物凄く息苦しそうだった。まるで100メートルを全力で4週した体力のない人のように、汗さえ掻いていた。
「な、何でしょうか…?」はあ、はあ言いながら、橘は聞き返した。
「僕、手伝いますよ」
「え?」
「手伝います、だって先生辛そうですよ」
「きょ…教頭…教頭先生に頼まれたの…」
教頭については良い噂がなかった。なぜなら、教頭先生は新人教師をいじめる(本人曰く試練)のが趣味な変態らしい。それが橘を標的に選んだそうだ。何て奴だ。ヒトラー並みの変態だ。いや、ヒトラーはそうでもないな。ユダヤ人虐殺と世界大戦さえ引き起こさなければきっと良い首相になっただろう。なぜなら、ヒトラーは給料を受け取らなかったと聞く。それに他の独裁者と違って、ちゃんと選挙で堂々と国民の支持を得たんだ。
「手伝いますよ、俺ってこう見えても腕力凄いんだ」
そう言って大きな重なったダンボール2個を持ち上げたが、本当に重かった。一輝は大の大人を投げ飛ばす腕力と脚力の持ち主だが、それでも本当に重く感じた。よく女の腕力でもここまで来たなと感心する。
「だ、大丈夫?!」と橘がびっくり仰天したような声で聞いた。
「だ、大丈夫です、それよりどこに?」
すると、突然軽くなった。
「何も、1人で2個運ぶことはないよ。2人で1箱ずつのほうがずっと良いよ」
そうか、2人で1箱ずつか、思いつかなかった。
「裏庭の倉庫まで運んでくれる?」
「喜んで」
脳内で軍艦の司令室の映像が浮き出てくる。艦長、どうします?。構わん、硫黄島まで出向だ。これは長旅になるぞ。
2人は倉庫に着き、引き戸を開け、中にダンボールを入れた。だが、突然引き戸が開かなくなった。これはどういうことだと一輝は思った。
だが、問題は橘と2人きりで閉じこめられたということだ。教師と生徒とはいえ、男女2人きりは初めてだ。妙に緊張に近いドキドキを感じた。
さて、橘と2人きりでどうすればよい?艦長、メインエンジン停止!。損傷の確認を急げ!
だが、緊張していたのは橘のほうだった。教師である以上、あらゆる災害から生徒を守らなくてはいけない。閉じ込められたと言うことは、あらゆるトラブルに見舞われる。突然病気になることだってあるんだ。どうやって一輝を救うかだ。裏庭の倉庫は不気味で誰も近寄らない。窓には鉄格子が張られ、脱出はほぼ不可能だ。
誰かの助けを待つしかなかったのだ。その誰がいつ来るかはわからない。1時間、1日、1週間、1ヶ月、1年、ありえる話だ。
橘は、それでも不安の表情を見せなかった。それどころか、微笑んで見せた。これよりやばい状況に遭遇したことがあった。こんなの、屁でもない!(少々下品な気がしたが例えである)
そんな橘の笑みに勇気付けられたか、一輝も絶望的な思考はしなかった。希望を持て、絶望に負けるな!心で何度も叫び、母の言葉が心に浮かぶ。
絶望するのは簡単。でも、希望を持つのはもっと簡単。
それは母がよく言った言葉だ。母、母さん、なぜか会いたくなった。
だが絶望する暇はない。今はとにかく脱出する方法を考えるんだ!がんばれ一輝!




