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出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第1章 待ち受ける転換点
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世界一の男 その1

「ねぇ柚希、明日誰か来る予定ある?」


 そう咲来に聞かれたのは治療がある程度霧の良いところまで進み、定められた入院期間を終え、リハビリ病院へと移動する前日のことだった。


「明日は移動日だから誰とも予約取ってないけど……」


 柚希が答えると咲来は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、明日はそのまま誰とも予定いれないでもらってもいい?」

「いいけど……何かあるの?」


 咲来はうふふと笑うだけだった。その表情には久しぶりに見ることができた咲来の心から楽しそうな笑みが浮かんでいた。


「姉ちゃん?」

「凌久くんが来るわよ」

「凌久はしょっちゅう来てるけど」

「いいの、いいの」

「いや、わたしは良くない」


 柚希の言葉に咲来はいたずらっぽく微笑んだ。


「今知らない方が後で嬉しいわよ。きっとね」


(……いや、今知りたいわ)


 それでもこの咲来の顔は何かを企んでいるときの顔だ。成功するまで決して教えてはくれないことを妹である柚希はよく理解していた。


「それじゃあ、楽しみにしてるね」

「うん」


 柚希はいろいろ考えてみたが答えを思い付くことのできないまま眠った。







 そして、次の日になった。柚希は今まで過ごしていた病院からリハビリを専門とするリハビリ病院へと移動した。いよいよ義足を履いて動くために、失われた筋肉を取り戻すリハビリが始まるのだった。

 本来ならリハビリは今日から始まる予定だったのだが、何故か突然、明日からと延期された。


 柚希の移動が終わり、以前の病室と同じように部屋が整ったとき、ドアが軽くノックされた。


「はぁい?」


 柚希の呼び掛けに予想通り「俺」という声が聞こえる。

 凌久の声だ。

「開けるぞ」という凌久の声と共にドアが開く。


「どうぞって言ってから開けろって何回言ったら分かるの……って……うぇい!?」


 思わず変な声が出てしまった。凌久の後ろから変な人が入ってきたからだ。

 明らかに変な人だ。大きな紙袋を持ち、真っ黒な帽子を被って、秋なのにサングラスを付け、マスクもつけている。どう考えたらこのおかしな格好で病院に来れるのだろう。

 それなのに、凌久も部屋にいる柚希の家族も皆、不審がるどころか楽しそうに笑っている。


「凌久……?」


 尋ねた柚希に凌久はおどけたようにことさら大きく目を見開いてバカにするように言った。


「まさか、分からないのか?」


 凌久のその言葉を受け、柚希はその人をもう一度よく観察した。細い体型だが、布越しでも運動しているのが分かるくらい薄い筋肉がしっかりと張っていた。その身体つきの人をどこかで見たことがある気がする。

 突然、頭に閃光が走った。柚希は信じられない心地で口を開く。柚希の予想通りの人であれば、本来こんなところにいて良いわけがない。


「もしかして、もしかして……九条選手!?」


 その人はゆっくりと帽子とマスクを取る。そして、最後にサングラスを外すと軽くウインクをして言った。


「正解」

「ええぇぇぇぇ!!!!!」


 思わず叫んでしまった。

 まさかずっとテレビ越しに見ていた、いつか会いたいと思っていた九条丞が目の前にいるとは信じられない。

 そして、想像以上に凌久によく似ていた。どうして今まで思わなかったのだろうと疑問になるくらいには。


「なんで? なんで、九条選手がここに!?」


 咲来が笑う。


「ね、だから後で知った方が嬉しいって言ったでしょ?」

「いや、言われたけどなんで九条選手が!?」


 動揺しまくっている柚希に凌久がもっと分からないことを言ってくる。


「丞兄ちゃんは俺の従兄弟だから」

「はい!?」

「ずっと言ってなくて悪かったな」


 全く悪いと思っていなそうな表情で凌久が答える。

 九条選手が手を出して凌久を黙らせる。


「凌久。ちょっと黙って」


 九条選手が話し出す。その瞬間、部屋の空気が変わった気がした。見えないはずのオーラが九条選手の周りに溢れだしている。おそらくこの空気はアイドルや俳優にも負けないのではないだろうか。


「えっと、柚希ちゃん、はじめまして。九条丞です。凌久の従兄弟でフィギュアスケートやってます。好きな食べ物はパインステーキ、特に柚希ちゃんのお母さんが昨日の夜に作ってくれたパインステーキは絶品でした」


 九条選手の言葉に母の顔が赤くなる。


「やだ、丞くん、誉めすぎよ。焼いただけだもの」

「いや、ほんとに旨かったんで。ありがとうございました」


 いつも仕事人間な母でさえもメロメロにさせてしまう、そんな人が九条丞だ。


「えっと、こちらこそはじめまして。羽澄柚希です。お会いできてるのが今でも信じられないです。九条選手が全日本ジュニア選手権で優勝したときから家族で応援しています。いつか九条選手と話すのが夢でした」

「じゃあ、今日夢がひとつ叶ったね」

「はい!」


 九条選手は常に笑顔で誰にでも優しい。柚希はずっと九条選手に憧れていた。九条選手のようになりたいと全てのことに全力で取り組んだ結果、今ではオールマイティーと呼ばれるほどになったのだった。






「柚希、それじゃあ楽しんでね」


 突如耳に咲来の声が飛び込んでくる。


「えっ?」


 柚希が答えたときには部屋には九条選手と自分の二人きりだった。


「何から話そっか?」


 九条選手はいつものインタビューを受けているときと同じ笑顔で尋ねてくる。


「うっ…………そしたら何故ここにいるのか教えてもらってもいいですか?」

「いやぁ、それは凌久にめちゃくちゃ頼まれたからだよ。僕ね、基本的に外でないんだ。囲まれるのは結構精神的にきついときもあるし、まぁインドアな人間だからね」

「それじゃあ、今日は?」

「凌久が電話越しに土下座しそうな勢いで頼んで来たんだ。お願いだから来てくれって。笑っちゃったよ。いつも僕に対しても俺様な凌久が柚希ちゃんに会いに来てほしいって泣きそうな声で頼んでくるんだから。それで思ったんだ。凌久にそんなこと言わせる強者を見てみたいって」

「えっ?」

「最初はアランに言われたんだ。妻になる人の妹が事故に遭った。お前に遭いたがってるから来てほしいって。でもそれだけじゃあ行こうと思えなかった。凌久のお陰かな?」


 笑って九条選手はそう言った。


「でもさ、世界ってほんと狭いよね。僕がカナダで最初に仲良くなってお兄ちゃん的存在だった地元の友達がアランで、その奥さんは従兄弟のお友達のお姉さんでしょ? なんか世界ってこのくらいに感じるよ」


 そう言って九条選手は両手を広げ、親指と人差し指をそれぞれくっ付け三角形を作った。


 柚希も真似して作ってみた。その三角形を覗くと、九条選手の笑顔がすっぽりはまっていた。一枚の絵のような笑顔だった。


「九条選手はアランさんと知り合いだったんですね」

「そうだよ。まあいろいろあってね」

「……知らないところでいろんな人が繋がってたんですね」

「そうだね。……あ、柚希ちゃん、僕のこと丞でいいよ? だって、僕は凌久の従兄弟だよ?」

「……いや、オリンピックチャンピオンの世界の九条丞選手です」

「え、まじか」


 それでも「丞でいいから」と言って九条選手――いや、丞は話し出した。


「柚希ちゃん、これから辛いことたくさんあると思う。だけど、その辛さはこれからの柚希ちゃんにとってきっと大切なものになるから。今は耐える時期だよ。いつか、このように事故があったから自分は強くなれたって心からそう思えるようにするために」


 はっとした。


「それ、この前アランさんにも言われました」

「この言葉は僕が怪我したときにアランがかけてくれた言葉なんだ。僕も練習で辛かったり、上手くいかなくて苦しいときに自分に言い聞かせてるよ」


 知らぬ間にアランの言葉が柚希と丞を繋いでいた。


「それじゃあ、アランに負けたみたいで悔しいから」


 丞がくすっと笑う。


「これは僕にしか言えないことだと思うけど。柚希ちゃん、いつかパラリンピック出ない?」

「え?」

「柚希ちゃん。もともとフルートやってるって凌久から聞いたんだけど……」

「はい」

「そしたら肺活量もあるだろうし、運動してみるのもいいんじゃない?」


 憧れの丞直々の誘いに心がぐらっと傾く。


「リハビリしながらでいいからゆっくり考えてみて。僕は次会うときには、オリンピアンとパラリンピアンってお互いに日の丸を背負った状況だったら嬉しいな。二人で金メダル取れたら最高だよね!」

「金メダル……」


 呟いた柚希の顔を丞が覗き込む。


「柚希ちゃん?」

「いや、金メダルなんて想像できないなって…」

「壁が高ければ高いほど、乗り越えたときの景色は最高だよ。そして、辛い想いをすればするほど人は強くなれる。それは僕が金メダルとったからこそ言えることだよ」

「九条選手……」

「丞」

「……た、丞くん」

「たった三年しか違わないんだから」

「三年は大きいですよ」

「そうかな」


 不意に丞が手を拳の形にして柚希の前に持ってきた。





 丞はそんなことする人ではないと分かっているのに喉がひゅっと鳴った。

 花楓たちに殴られたあの初夏の風景がまざまざと脳裏に蘇ってきた。

思っていたより長くなったので一度切ります。



次回は『世界一の男 その2』、明日の投稿予定です。

お楽しみに♪

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