J-083 目標が見つからない
「この大きなレバーを前方に倒す……」
ガチャン! と音が聞こえてきた。
「これで、操縦桿から手を離してもだいじょうぶだ。飛空艇の操縦は一時的に爆弾区画の照準装置で行える。
目標と飛空艇が軸線上に乗ったとリーディルが教えてくれたが、あくまで目視だからな。照準器のレクティルから微妙にずれてしまうこともあるだろう。それをイオニア達が調整して爆弾を落としてくれる」
「爆撃時だけの切り替えかにゃ?」
「一応そう聞いてますけど、ここでの操縦が不可能になった時でも使えるはずです」
「万が一の時に役立ちそうにゃ」
リトネンさんが安心した口調で言っているけど、それってブリッジにいる俺達が全滅した時ということにならないか?
爆撃時だけに役立ってほしいと願ってしまう。
「だいぶ近付いてきたわよ。でも爆撃後の状況はここからでは見えないわね」
「2つ方法があるぞ。リトネンの前にある監視筒は下方を見ることができる。潜望鏡を床下に付けたようなものだ。それと、後部機関区の右手にヒドラⅡの射点が作られている。家の窓ほどの大きさのガラス越しに下界を見ることができるんだ」
「これにゃ! なるほどにゃぁ……」
リトネンさんの席の前にある、真鍮の枠の1つがそんな仕掛けになっているらしい。
下界をながめる方法は色々と考えてあるようだ。
ブリッジの左右に座ったエミルさんとミザリーの傍にも船にあるような丸い窓がある。直径は1フィールほどあるから、そこでの監視も可能だろう。
もっとも、爆弾区画にはヒドラⅡを使うためにもっと大きな窓が設けられている。
ブリッジの窓は、ミザリー達の気晴らし程度に使うことを想定していたのだろう。
「上にも窓が欲しかったにゃ」
「あることはありますよ。爆弾区画に飛空艇の屋根に上がるハッチがあります。タラップに腰を下ろせるよう工夫してありますから。ハッチを空けて腰を下ろすことで上空監視は可能です」
防寒服を着て、ゴーグルを付けないと長く監視を続けられないだろうな。
それでも、手段があるということなら問題はない。
「まだ、私達に気付かないのかしら?」
「それだけ高度があるということじゃないですか。それに忙しそうにしてますから、誰も上を見る暇はないんでしょうね」
いつの間にか、俺の直ぐ後ろにエミルさんが立っている。俺の座る座席をしっかり握って、俺の肩越しに下をながめているんだよなぁ。
突然、ブリッジ内にブザーの音が聞こえてきた。
思わずファイネルさんに顔を向けたら、「爆撃開始を知らせる合図だ」と教えてくれた。
再度のブザーでリトネンさんに爆弾投下の報告が来たようだ。
「これで確認するにゃ。ハンズにも確認するよう伝えたにゃ。ファイネル、操縦を戻してこのまま南進するにゃ!」
再びファイネルさん達が操縦桿を握る。
しばらくすると、ハンズさんがブリッジに入って来て、爆撃の成果報告をしてくれた。
「2棟の炎上を確認。初期装荷爆弾は炸裂弾と焼夷弾が半々でした。散布界はおよそ200ユーデほどです」
「試験飛行だから十分な成果にゃ。3回攻撃できるなら、将来は帝国軍の物流を止めることも出来そうにゃ」
高度1500ユーデでもかなり正確な爆撃が出来るようだ。
もっとも、現時点では帝国にヒドラⅡのような飛行船攻撃用の兵器がない状態だからなぁ。
こちらが本格的な爆撃を行えるようになれば、帝国軍も同じような兵器を開発するんじゃないかな。
「現状、2号艇の計画は無いようだ。この飛空艇は例外なんだろうな。装甲飛行船の制作を始めているらしいぞ」
「この飛空艇より沢山爆弾を落とせるなら都合が良いにゃ。……でも、そうなると、帝国軍の空中軍艦がやってきそうにゃ」
空中軍艦を1隻撃墜したのは、飛行機による上空からの爆撃だったらしい。
飛行速度が速くて小回りの利く飛行機だから出来ることなんだが、搭載する爆弾は2発だけだし、飛行時間が短いのが問題だな。
この飛空艇は、空中軍艦と飛行機の間の位置付けになるんだろう。
だけど、ヒドラⅡと下部の3イルム噴進弾発射機で空中戦艦と戦えるかどうか、はなはだ心もとないところもある。
機動はこっちの方が高いけど、集中砲火の弾幕を交わしきれるんだろうか……。
「そろそろ、海が見えるわよ。……ほら、見えてきた!」
ここは見晴らしは一番だな。地平線の先が青く見えだした。あれが海なんだろう。
後ろを見ると、エミルさんが首から下げた双眼鏡を手にしている。
艦隊を探しているのかな? 俺も双眼鏡を手に艦隊を探すことにした。
「ファイネル。もっと上昇出来るかにゃ?」
「試験飛行を繰り返していた時に、3000ユーデまで上がったことがある。現在は1500だから2000ぐらいに高度を上げてみようか?」
「そうして欲しいにゃ。少しは遠くが見えるにゃ」
ゆっくりと飛空艇が高度を上げる。
500ユーデほど上昇したことになるんだが、視野に入るのは一面の蒼の海だ。
先ほどまでは双眼鏡越しにうねりが見えたんだが、さすがにうねりは余り感じられなくなったな。
「見えないわね……。リトネン、海上の輸送艦隊は本当にいるのかしら? 荷物を陸揚げして去ってしまったかもしれないわよ」
「これだけ探してもいないということになると、それもあり得るにゃ。ミザリー、東の砦と西の砦の両方に、輸送艦隊の位置情報を確認して欲しいにゃ」
情報源を2つとすることで、信頼性を上げるということなんだろう。
しばらく待っていると、ミザリーの返信報告を海面の監視をしながら聞くことになった。
どうやら、荷揚げを終えてしまったようだ。
状況監視の一環として飛行機による偵察を行っているのは、東も西も変わらない。
西の砦からは旧王都に向かって東から輸送艦隊が接近しているという返信があったし、東の砦からは昨日の位置に輸送艦隊が存在しないという報告があった。
「西の大陸と直接往復しているのかと思ったけど、旧王都で積み替えしているってことかしら」
「そうなると、それ程大きな船じゃないんじゃないか? まあ、小さい方が浜に接近できるから荷揚げは容易になるんだろうけど」
「王都に向かっているなら、再び物資を搭載して戻ってくるにゃ。……どうせなら、大型の輸送船と一緒に攻撃した方が得にゃ」
「得にゃ! は無いんじゃない。でも、おもしろそうね。港の倉庫は散々攻撃したけど、港に停泊した船は攻撃していないわ。何度か潜水艇が攻撃しようとしてたみたいだけど、海上監視がかなり厳重で頓挫したらしいわよ」
「ならこの飛空艇で試してみるにゃ。たぶん今夜には港に到着するはずにゃ。明日の朝に攻撃したいにゃ」
とは言っても、このまま空中で明日の朝まで過ごすことはできないんじゃないかな。
航続距離を考えると12時間程は飛行時間がありそうに思えるけど……。
「適当な島を見付けて下りてみるか。50ユーデ四方の平地があれば離着陸は可能だぞ」
「それなら、あの小島はどうかしら? 潮の関係で砂州ができてるみたいだけど」
エミルさんの眺めている方向に双眼鏡を向けると、岩ばかりの小さな島に向かって1ミラルを越える砂州が陸から伸びている。
砂州の横幅は50ユーデ近くあるんじゃないかな。所々100ユーデほどに広がっているから、あそこに下りられるなら都合が良いだろう。
砂州なら見通しが良いから、偵察部隊がやってきても直ぐに分かるに違いない。
「左30度、距離は30ミラルほどです。島というより島に延びる砂州ですね。所々に広場のような場所がありますよ」
俺の言葉に、リトネンさんとファイネルさんが席を立って俺のすぐ後ろにやって来る。
「「あれか(あれにゃ)……」」
「だいじょうぶだ。下りられるぞ。確かに良い場所だな。陸地に向かって下りれば、ブリッジから監視もできそうだ」
陸地に向かってヒドラⅡが使えるのも都合が良いだろう。
ファイネルさんが直ぐに席に戻ると、進路を変えるようテレーザさんに指示している。
伝声管を使って、爆弾区画に連絡して高度を下げるよう伝えていたんだが、高度300ユーデとはねえ。ちょっと落としすぎに思えるんだよなあ。
飛空艇の速度が速いから、直ぐに島近くに到着する。後部のプロペラと上部のプロペラを停止させて、翼端の2つのプロペラを使ってゆっくりと砂州に近付きながら高度を下げて行く。
やがて、横幅が100ユーデ近い砂州の上空に達したところで、ゆっくりと飛空艇が着陸した。
「周辺に人影は全くない。このまま直ぐに外に出てもだいじょうぶだ」
「全員拳銃は携帯するにゃ。イオニア達にはフェンリルを持って行くように伝えて欲しいにゃ」
「了解。先に降りるよ!」
ファイネルさんが席を立って直ぐにブリッジを出て行く。イオニアさん達に連絡するんだろう。
さて、俺も下りてみるか……。
爆弾区画から、外側に開く扉の階段を下りて砂州に下りる。
海風が気持ちいいけど、ちょっと涼しすぎる。
皆は? と周囲を見回すと、遠くから雑木の束を抱えてくるファイネルさん達が見えた。
焚き火でもするのかな? まあ、これだけ陸地から離れていれば不審な明かりが見えたとしても、直ぐに偵察隊がやって来ることは無いだろうけど……。
「この辺りで良いんじゃないか?」
そんな話をしながら焚き火が作られた。
直ぐに三脚が立てられ、ポットが吊るされる。
先ずはお茶を一杯ということになるんだろう。
「明日は、港を襲撃ということですか!」
「期待してるにゃ。今度は高度を下げて、噴進弾も試してみるにゃ。リーディルもヒドラⅡを使ってみるにゃ」
「了解です。港はかなり大騒ぎになりますね」
「出来れば何隻か沈めたいにゃ。そうすれば港の陸揚げがしばらくできなくなるにゃ」
なるほど、倉庫を焼くよりも効果的かもしれない。王都の港が使えないとなると、北西の漁港を使うか、はたまた前線近くの海上に停泊しての荷下ろしになるだろう。どちらにしても物資の荷下ろしは楽ではない。
待てよ……。
「テレーザさんが住んでいた町にも港があるんですよね?」
「あるけど、大きくはないわよ。元々が漁村だったから、船だって小さいもの」
「北の町での荷揚げは帝国軍も考えないと思うにゃ。途中の街道は私達の襲撃範囲にゃ」
蒸気自動車で隊列を組んでの運搬だからなぁ。
移動砲台を使った襲撃でも簡単に阻止できそうだ。
「リーディル。それより魚を釣って来るにゃ。ナイフの柄の中に仕掛けが入ってる筈にゃ」
これにか?
ナイフを取り出して柄を見てみる。柄尻が丸いのが気になっていたんだが……。
なるほど、クルクルと回せば取れるようだ。
中に入っていたのは、4イルムほどの木片に巻き付いた釣り糸だった。ちゃんと釣り針まで付いている。
エミルさんが「餌はこれで良いんじゃない?」と言ってハムの小さな切り身を渡してくれた。
釣れるのかな?
ちょっと疑問に思ってしまうけど、先ずはやってみよう。




