★ 11 帝国の闇 【 事故 】
「卿が私のもとに来るとは珍しいな。取りあえず掛けてくれ。今飲み物を用意する」
クリンゲン卿の執務室を訪れたことは、記録として残すことに問題は無い。
卿が最高会議の議長を務めるとなれば、事前に上程内容の確認を行うという名目が立つ。
持ってきた報告書を手渡すと、「後で読んでくれ!」と念を押した。
私に顔を向けて頷いてくれたから、私の真意をわかってくれたのだろう。
「強化兵に問題が生じている。作られて2年を経ると指示に従わなくなるようだ。再調整するように新たな研究所に送っているが、やはり精神が耐えられんのだろうな」
「捕虜を使った方か? そうなると、志願兵の方にも問題が出てきそうだな」
「再調整が出来なければ、始末するように言ってある。皇帝陛下の場合はその前に自殺したことになるのだが……。あれで良かったかと考えてしまうよ。
とはいえ、過ぎたことだ。今は幼帝を守るのが我等の勤めになる」
「確かに問題だな。帝国の市民に知られることが無いようにしているが、何時まで秘密ともいかんだろう。軍の中にも秘密を知るものは少なくないんじゃないか?」
「今のところは、片手で足りる。だが、戦が続けば秘密を知る軍人は多くなるだろう。2体ほど、回収できずに敵に渡ってしまった。動かすことはできないが、かといって爆殺するとなると、稼働している分隊ごと爆殺しなければならん」
元々、我等の手に余る存在だ。
強化兵の使用は早めに止めるべきかもしれん。
「強化兵が無くとも、大陸の最後の王国を下すことはできるんだろう?」
「飛行船で連日王都を爆撃しているらしい。飛行船を破壊されると思っていたんだが、上空1500ユーデ(1350m)からの爆撃だから、銃弾も届かぬはずだ」
なら、早めに決断せねばなるまい。
「空中軍艦に、海底軍艦。それに千ミラルを越えて砲弾を撃ち込むことが可能になっている。更に、新たな兵器が必要かな?」
「兵器は螺旋を描いて発展する。新兵器と言えども、いつかはそれを凌駕する兵器が出てくるだろう。我等でその兵器を持てれば良いのだが、敵が開発するとなると面倒なことになる。だが、世界を統一しつつある現在ならば、それで十分だろう。新たな兵器開発は他国でなく、我等帝国の中でのみ行うことにすれば良い」
「次の新兵器はしばらくお目に掛かれぬぞ! 良いのだな?」
「我等で事を運んでも構わんぞ。早めに措置した方が良いだろう」
クリンゲン卿も私と同じ考えのようだ。
今日やって来たのは、それを共有するためだったが、卿も今後の対応として考えていたのだろう。
ワインを飲もうとテーブルのグラスに手を伸ばそうとした時だった。
誰かが部屋の前に走り込んできて、ドアを強く叩いている。
会談中だと、誰かに聞かなかったのだろうか?
全く無礼な奴だ。
「会談中だ。待てないのか?」
「大至急、お耳に入れようとやってきました。メモだけでも受け取って頂けませんか?」
「すまんな。急用らしい。ちょっと受け取ってくる」
「こっちが押し掛けてきたのだ。頭を冷やすには丁度良い。部下が急ぐというなら、案外重要な案件かもしれんぞ」
クリンゲン卿に軽く頭を下げて、席を立つ。
扉まで歩くと扉を開け、折りたたんだメモを受け取った。
「かなり大事らしいです。部屋の外に下りますから、御指示をお願いいたします」
「分かった。お茶でも飲んで待っていてくれたまえ。少し考えてみよう」
メモを受け取り、再びソファーに座ると、グラスを手にメモを開いた。
手に取ったグラスが床に落ちる。
何だと!
「どうした? 貴族の内乱の兆候でも掴んだのか」
「いや、そうではない。新たに作った秘密研究所で重大事故が起こったらしい。何人か、研究所の外に這い出して来たらしいのだが、その場で息を引き取ったということだ。それを確認した保安要員にも被害が出ている。
一体、どういうことだ?」
「たぶん研究の成果が漏れ出したということなのだろう。研究していたのは毒ガスだと聞いたことがあるぞ。
私が措置しよう。毒ガスは軍でも使う場合があるからな。専門の部署があるのだ」
「お願いできるか? 済まんがよろしく頼む」
「任せておけ!」と言いながら、席を立った。
詳細を、部屋の外で待っている職員に聞くのだろう。そのまま右翼の建物に連れて行くかもしれん。
そういえば、今日はケニーは、博士のところに向かったはずだ。進捗状況の確認と言っていたが、一緒に事故にあったのだろうか……。
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数日後、再びクリンゲン卿が、副官を同行して私の執務室を訪れた。
どうやら、対応が終わったということになるのだろう。
果たして被害はどの程度に納まったのかが問題だな。
「とんでもない代物だ。あれは毒ガスと言って良いのか私でも悩むところだ。志願者を募って研究所内を調査させたのだが……。
死体は半分溶けていたよ。マスクで防げぬような代物なら、戦場で使うことなど出来ぬ。完成しないことが帝国にとって良かったと思わざるをえないな」
毒ガスは熱に弱いらしい。地下施設を火炎放射器で焼き払ったということだった。
調査していた志願者達にも異変が現れたらしく、その場で射殺した上死体を焼き払ったと教えてくれた。
「最後に焼夷弾と火薬を研究所内に運び入れて、焼却と爆破を同時に行った。誰も行かぬ軍の野外訓練地だから、これ以上被害が広がることはあるまい。
土地が陥没したようだから、生石灰をたっぷりと撒いて土砂で埋め戻したぞ」
「ケニーが帰ってこない。やはり犠牲になったようだ」
「研究所内のソファーセットに男女の遺体があったそうだ。顏すら溶けかかっていたから特定はできないが、博士とケニーということで間違いは無いだろう。
全く、とんだ不始末をしてくれたものだ……」
我等が手を下さずとも、神罰が彼等に下ったのだろう。
ケニーは有能な秘書だったのだが……。
「まぁ、これで帝国の裏を知る者が減ったことは間違いない。残ったのは我等2人と数人の部下だけだ。同じ孫を持つ者同士、これからもよろしく頼むぞ」
「卿に言われたくないものだ。ところで1つ確認したい。この秘密は墓に持って行くつもりか?」
「迷っていることも確かだ。だが、現時点でそれを公にすれば、帝国の瓦解に繋がる。少なくとも幼帝が成人して、国政に参加してからにした方が良いだろう。
そのころには、この大陸で新たな治政が始まるはずだ。新王となる貴族達の戦力を合わせても、皇帝陛下の戦力を上回ることは無いし、空中戦艦などを貸与することなどあり得ぬからな」
反乱を企てても簡単に潰すことができる。
だが、幼帝では我等が動かざるをえない。それは帝国としての矜持に関わるだろう。
「我等の遺言とするか……。私か、もしくは卿の残された方の遺言として、幼帝に残すことが良いだろう。
幼帝は秘密を知っても、公にすることは無いはずだ。そして、我等の子供達には伝えぬ方が良さそうだな」
クリンゲン卿の言いたいことは分かる。
どちらの子供にとっても、皇帝陛下との血のつながりが濃いことになるのだ。
場合によっては私とクリンゲン卿の子供達が覇権争いを始めかねない。
その場合はクリンゲン卿の勝利になるであろうが、帝国はその力を失ってしまいかねない。
「重い話だが、私達の子供達にはそれが一番だろう。帝国の裏の歴史書に書かれることになるのだろうな」
「歴代皇帝陛下の日誌ということか……。3代変わらねば公にされないなら、それが一番だろうな。
我等で墓に持ち込むこともできるが、やはり何らかの形で後世に残さねばなるまい。
方法は他に無かった。その時の最善の方法であったことも確かだ……」
出生の秘密を知った皇帝陛下は我等を断罪するのだろうか? 少なくとも実行犯である我等は鬼籍に入っている。
同じ血を引く、残された2つの貴族を抹殺すべく動くことも考えられるが、本人達は何も知らないことだ。
それに、帝国貴族の模範となるような2つの貴族を根絶やしにするとなれば、他の貴族の謗りを受けることになるだろう。
文官貴族と武官貴族から見放された皇帝の辿る道は、それほど多くは無い。
「遺言は私が作ろう。卿の確認を得て、皇帝陛下の成人に合わせて神官に渡そうと思うが?」
「そうしてくれると助かる。我等にとっては孫にあたる人物だからなぁ。私達の目の黒い内は全力で補佐していくつもりだ……」
クリンゲン卿の言葉に、私も頷いた。
「この世界に帝国の意に染まらぬ王国は東の大陸だけになった。今回は今までのように終わることは無いだろう。代官は武官貴族に変えてある。軍政を敷かせることになるが、財を得ることだけを考える文官貴族よりは住民の反発も少ないだろう」
「文官貴族は必要悪そのものだな。いっそのこと無くしたいところではあるが、そうなると帝国の官僚を束ねる者がいなくなる。
官僚も文官貴族と似たところはあるが、1代限りの任官だ。不正はそれなりに行っているようだが可愛いものだ……」
「ある意味責任の所在を明確化するために、官僚を束ねる文官貴族がいるということか。
重しを外すと、官僚が委縮してしまいかねないな」
それが厄介なところではある。
それに、頭を出し掛けた文官貴族を叩くことができるし、場合によっては降格や廃嫡までの仕置きもできるのだ。
表立って貴族対策としては有効な手段と言えるだろう。
「貴族制度の廃止も視野に入れた方が良くはないか? 世界統一を終えての帝国は一時の繁栄は期待できるだろう。だが、その屋台骨を腐らせるのは貴族ということになるだろう。いずれは派閥も復活するに違いない。私達武官貴族もその例に習う事になるやもしれん」
「長子相続制度を改めるぐらいは可能だろうが、さすがに貴族制度を廃止することは難しいぞ」
私よりも、クリンゲン卿の方が将来を憂いる感じがする。確かに廃止したいところだが、反発がとんでもないことになりそうだ。
「なら、所領に制限を加えてはどうだ? そもそも貴族の所領によって上中下の区別があるようだ。貴族の粛清で永代貴族がかなり減っている。貴族会議の枠を広げて参加できる者を永代貴族とすべきだろう。他は準爵位を与えて、2代に渡る特権を認めれば問題あるまい」
「2代であるなら準爵達は歓迎してくれるだろう。淳爵の中で優秀な者を貴族とすることも可能だな。そうなると、貴族会議は300人程になりそうだ」
「上程に対する賛否の決議だけで良さそうだ。10人程の委員会をいくつか作って、その中で上程文を作らせればいいだろう。決議の裁可は最高会議で行うことにすれば卿の負担も減るのではないか?」
確かにそうなるだろう。貴族会議で決められない部分を私が作れば良いだけになる。
それに、最高会議の決定が宰相である私の行動方針にもなるのだから、貴族制度の見直しは、それ程困難になるとも思えない。最高会議のメンバーはそれまで通りということになるのだからな。
「卿の意見は理解したつもりだ。上程分の作成に入るが、最高会議の前に内容の確認はお願いしたい」
クリンゲン卿が笑みを浮かべて頷いている。
これで、貴族の横槍をかなり小さくできそうだ。
だが、将来を見据えるなら……、貴族制度の廃止も視野に入れるべきだろう。
将来の内戦を未然に防ぐことも可能になる。
これは、かなり考えねばなるまい。




