J-026 大きな芋虫と自動車泥棒
排水路をしばらく進んでいくと、確かに左右に排水路が分かれていた。左に進むファイネルさんに手を上げると、手を上げて応えてくれた。
リトネンさんと右手に50ユーデ(45m)ほど進んだところで、リトネンさんが小さな鏡を取り出してその鏡を排水路の上にかざして周囲を素早く確認した。
「ゆっくり顔を出すにゃ。周囲は枯れ草ばかりにゃ。これなら安心にゃ」
恐る恐る過去を出した瞬間、思わず口を押えてその場にしゃがみこんでしまった。
隣に座ったリトネンさんが、「見えたかにゃ?」と聞いてくる。
「どうやらあれが新兵器みたいにゃ。何なのかよくわからないにゃ。しばらく観察するにゃ。向こうの連中に教えて来るから、この場を動かずにいるにゃ」
リトネンさんが身軽に暗闇に入っていった。
それにしても……、あれは何なんだ?
巨大な芋虫にしか見えなかった。芋虫には色んな色があるけど真黒だったな。あんなのが帝国に生息しているとなれば、反乱軍の些細な嫌がらせぐらいでは帰ってくれないんじゃないか?
周囲からたくさんのライトで照らしていたけど、あの芋虫は動く素振りさえなかった。
死んでいるのかもしれないが、そうなると軍が利用する意味もなさそうに思える。
「驚いてたにゃ。とりあえずは観察にゃ。良く調べて情報を持ち帰るにゃ」
それが仕事だった。大きな芋虫を見ましただけでは、クラウスさんが納得してはくれまい。
短眼鏡を取り出して、枯れ草の間から顔を出した。
あまり短眼鏡を使っていると、レンズの反射で存在が分かってしまうらしい。
先ずは全体の監察からだな……。
芋虫を見ている兵士達と比較すると、ますますそれが巨大であると分かってきた。
直径は15ユーデ(13.5m)はありそうだし、全長は150ユーデ(135m)を越えてるんじゃないか?
後ろに矢羽根のような羽が上下左右に付いている。胴体から横に何か延びてるな。竹トンボの翅のような物が見える。こっちからでは見えないけど、向こう側にも付いていそうだ。
ひょっとして、芋虫ではないかもしれない。機械部品で出来たような昆虫を見たことがあるけど、あれはその類ではない。
どちらかというと、芋虫を模した人工物ということになるんじゃないかな。
それに、よく見ると地面から少し浮いているようだ。
短眼鏡で詳しく見ると、貨車のような物が下に付いている。車輪は無いし、やはり地面から離れているな。
「リトネンさん。あの芋虫は浮いてるんじゃないですか?」
「リーディも気が付いたにゃ。やはり目の錯覚じゃないにゃ。あれは浮いてるにゃ!」
祭りの時に見た風船みたいなものかな? あれは糸を離すと空に飛んで行ったけど……、風船と比べると大きさがくらべものにならない。
「中に風船があるのかもしれないにゃ。後ろの方を見るにゃ。ホースが繋いであるにゃ」
「さすがに1つと言うことは無いと思いますよ。それより蒸気自動車が運んできたものはなんでしょう?」
「砲弾にゃ! あの大きさなら5イルム(125mm)か6イルム(150mm)辺りの重砲の弾丸にゃ。……芋虫の下の貨車近くに運んだら中に入れ始めたにゃ。砲弾の後ろに羽が付いてるにゃ」
20個ほど積み込んだら貨車が少し地面に近付いているのが分かった。やはり浮いている。重量物を積み込んだために沈んだんだろう。
「袋を落として、元に戻してるにゃ。やはり風船が入ってると見るべきにゃ」
「なら試してみますか? ここからなら銃弾が届きますよ」
「一発撃つなら、あの大きな文字のところが良いにゃ。左の文字は『A』にゃ。真ん中の横棒を狙うにゃ」
あれだけ大きいと外しようがないが、狙うとなれば別物だ。『A』の横棒は2フィール(60cm)ほどあるんじゃないかな。
「距離は250?」
「300にするにゃ。ゴブリンの有効射程は500にゃ」
排水路に身を隠して、リトネンさんのライトで照準器の距離設定を300に変更する。
再び排水路から顔を出して、慎重に狙いを定めた。
パシュ! 軽い音がした。これなら誰も気が付かないだろう。
「当たったにゃ。やはり布張りにゃ。千切れたところがひらひらしてるにゃ」
「沈むと思ったんですが……」
「今、ガスを入れてるみたいだから、あれを外したら沈むかもしれないにゃ。適当に2発撃ってみるにゃ。ファイネルにも伝えて来るにゃ」
再び俺1人になってしまった。
そのまま見ていると、今度はタンクを積んだ蒸気自動車が芋虫に近寄ってきた。
長いホースを伸ばして何かを送り込んでいるんだけど、何を始めたんだろう?
「直ぐに3発撃ったにゃ。ガスが漏れたら浮かないにゃ」
「また新たなのが来ましたよ。あの竹トンボの近くに何か送り込んでいるようです」
リトネンさんが双眼鏡を眺めて確認していたが、直ぐに俺に顏を向ける。
「ガソリンにゃ。燃える水にゃ。……これが使えるかもにゃ」
ポケットから1発の銃弾を取り出した。弾丸の色が変わってる。先端部分が赤くペイントされていた。
「あのホースを狙うにゃ。難しいなら竹トンボが付いてるヒレでも良いにゃ。撃ったら直ぐに出口に戻るにゃ。私は先に行って知らせるにゃ」
「撃ったら逃げれば良いんですね。ちゃんと待っててくださいよ!」
「とにかく逃げ出すにゃ。ちゃんと待ってるにゃ」
それだけ言って、暗闇に入っていった。
ボルトを引いて顔を出した銃弾を指でつまみだし、貰った弾丸を装填する。
どんな弾丸なんだろう?
言われたとおりに狙いを付ける。
確かにホースが細いな。外れる可能性が高い。となるとホースが繋がれたヒレの近くと言うことになる。
慎重に狙いを定めて……、パシュン!
かなり大きな音だ。ちょっと驚いたが、目の前の光景の方がもっと驚いた。
狙った位置に火の手が上がる。
たちまちホースに燃え広がって、芋虫にも火の手が上がり始めた。
一瞬、何が起こったか分からなくて放心してしまったが、直ぐにリトネンさんの言葉が頭をよぎる。
『撃ったら逃げる!』だったはずだ。身を屈めて排水路を進んでいく。分岐を左に向かって歩いて行くと、皆が俺を待っていたようだ。
「銃からサプレッサを外してツエルトで包むにゃ。ここは王都にゃ、直ぐに警邏隊が周囲を固めるにゃ」
言われたとおり、素早く包み込んで背中に背負う。
俺の準備が終わると、道を戻らずに暗闇の中を進んでいく。
大きな爆発音が周囲に轟き、辺りが明るくなった。
爆発がさらに連続する。これは大事になりそうだな。
途中で川の方向に移動すると、止めてあった船で対岸に移動する。
そのまま河の護岸を歩き、階段を上ると周囲は端正な建物ばかりだ。
金持ちが住んでると言ってた辺りなんだろうか? 俺達の暮らしとはだいぶ違うみたいだ。
「あったにゃ! イオニアはあれを動かせるかにゃ?」
「内燃機関なら動かせます。まさか! これを?」
「まさかにゃ! これで逃げ出すにゃ!」
呆気に取られていたけど、直ぐに曲がった棒を車体から取り出して前の穴に突っ込むと力強く回し始めた。
蒸気自動車よりかなり小さな車だけど、ちゃんと動くんだろうか?
曲がった棒を2回ほど回すと、ドンドンという特徴的な音が車体の前から聞こえてきた。
「これで動きます。乗ってください。運転はしますが、指示をお願いします」
「了解にゃ! 真っ直ぐ行くにゃ。門が開いてない時は左に行くにゃ!」
6人が乗り込むと同時に車が動き出した。荷馬車よりも断然早いし、それ程揺れないんだよなぁ。座席が少し窮屈だけど文句を言うことはできない。
周囲は真っ暗だけど、イオニアさんには見えるんだろうか?
どうにか顔を出した下弦の月は、半月ほどの大きさだ。
「開いてますね!」
「そのまま突っ切るにゃ! しばらく進むとT字路にゃ。右に進めば線路にぶつかるにゃ。線路と並行して街道があるから左に向かうにゃ」
「前方T字路。右にに進路を変えます!」
「おい。王都が燃えてるぞ!」
「あの大きいのにリーディルが焼夷弾を撃ち込んだにゃ。大きな砲弾も積んでいたから、爆発も派手だったにゃ。燃えてるのは演習場の建物にゃ。王都の民衆に被害はないにゃ」
だけど派手に燃えてるなぁ。あの1発はどれぐらいの威力があったんだろう?
今度は左に曲がった。線路と並行した街道に出たってことだろう。
このまま朝まで走らせるんだろうか、と不安になってきたが1時間程すると、さすがに速度を緩めてくれた。
座席を動かしてどうにか3人の居場所を確保する。さっきまでテリーザさんの膝の上で抱きしめられてたんだよなぁ。
羨まし気にファイネルさんが見ていたけど、こっちは骨を折られるんじゃないかと思ってたぐらいだ。
今はさすがに気まずいのだろう、俺から少し視線を逸らしている。
「さすがに追手は来ないようだな。だけど、これをどうするんだ?」
「森の近くで乗り捨てれば、誰かが持って行ってくれるにゃ。バラバラにすれば少しはお金になるにゃ」
最後は自動車泥棒ってことになるのかな?
持ち主が困ることにはならないのだろうか。ちょっと気の毒になってしまった。
王都に向かう時には時間が掛かったけど、帰りは余りにも簡単だ。
王都の警備体制は結構穴が多いってことになるのかな。
日が昇ると、見慣れた山が見える。
自動車は、何時しか川に沿った土手の右を北に向かって進んでいた。このまま進めば小隊が痛い目にあった現場近くになるんじゃないかな?
「この辺りで良いにゃ!」
リトネンさんの言葉で自動車が停まった。
俺達を下ろすと、イオニアさんが自動車を路肩にゆっくりと移動して停車させる。
「ここからは歩いて帰るにゃ。3日は掛かりそうだけど、我慢するにゃ」
森に分け入り、1時間程歩いたところで一休み。
お茶を作ってビスケットを食べる。
「それにしてもあれは何だったんでしょうか? まるで巨大な芋虫でしたけど」
「皆が1度は見てるにゃ。戻ったら纏めないといけないにゃ」
できれば早く帰りたいけど、眠気もあるんだよなぁ。
昼過ぎまで歩き通して、大木の根元で眠ることにした。交代で2時間程の浅い眠りだったが、少しはマシになる。
とはいえ、今夜はもう少し眠る時間が欲しいところだ。
何とか2日と半日掛かって、拠点に到着した。とりあえずシャワーを浴びて夕食を取り、報告は明日と言うことで分かれたのだが、自分達の部屋に付いた途端ベッドに向かい、そのまま朝まで寝込んでしまった。
翌朝、母さんが「お帰り!」と言ってくれたのが何よりうれしかった。
洗面所に行って顔を洗ってくると、母さんがお茶を入れてくれた。
「初めて王都を見たよ。でも俺には前の町の方が住みやすく感じるな」
「王都は貧富の差が大きいの。お金を持ってる人は毎日贅沢に暮らしているけど、貧し人はその日の食事もままならないのよ。一生懸命に働いても、そうなってしまうのはちょっとおかしいわよね」
案外、リトネンさんも貧しい暮らしをしていたのかな?
でもあの案内と脱出方法を見ると、盗賊団の1人だったとしか考えられないんだけどねぇ……。




